Have a break? ― ヒーロー店主とヴィランメイド ― 作:藍色 紺
レトロなストーブ、白磁の揃いのカップ、使い込まれたテーブルと椅子はシンプルで邪魔にならず、窓の外にはアイビーが茂っていて日光を和らげてくれる。
七里は、コーヒーの香りが染みついた店内をしばらく眺めていた。
喫茶まきは、駅から商店街を抜けた先、住宅街に入る階段のふもとにある。
四階建ての小さなマンションの一階で、派手さはないが、カランとドアベルを鳴らせば、必ず誰かが顔を上げる──そんな店だ。
七里にとって、喫茶まきの仕事は生命線だ。会社勤めが続かずに、バイトで食いつないでいるとき、店主に拾ってもらわなければ、今の自分もブレイカーもなかっただろう。
七里は、コポコポと音を出して湯を吸い込むサイフォンを確認して、竹べらで混ぜる。
コーヒーの粉が湯と馴染んでいくのが好きだ。
「あぁ! だめ! また失敗しちゃった!」
由依の声が弾けた。
ラテアートのクマの顔が、どう見てもニワトリの頭にしか見えない。
由依は腕を組んで唇を尖らせる。
「なんでこうなるんだろ……。私の根性が足りないの?」
「根性でラテは描けないと思うけどな」
七里が笑うと、由依は水の入ったカップで、牛乳の泡を注ぐ練習を始めた。カップの持ち方を確認し、角度を決める。それを見て、七里は由依のために、牛乳にスチームを入れ始める。
「ラテアートができるメイドさんになりたいのに」
由依は、そう言いながら、また水の入ったカップを構えた。
かわいすぎる独り言に、七里は微笑んでしまう。由依といると、頬の筋肉が勝手にゆるむ。
こんな感覚、いつぶりだろう。
ゆるやかな午後、牛乳を泡立てる音が、まるで笑っているように聞こえる。
「何かアドバイスください」
七里は困って、曖昧に微笑む。一挙手一投足にできるようなものではなく、経験を積むしかないと、どう言えば伝わるだろう。
「焦らなくていいよ。ここは戦場じゃない」
七里は、透明のケーキスタンドからマーブルケーキを出した。フォークを添えて由依の前へと置く。
「コツは、力を抜くことかな。まずはケーキでも食べて」
由依はマーブルケーキに飛びつかなかった。戸惑ったように凝視し、やっと練習用のカップをカウンターに置いた。
これで合っているだろうか。
誰かを慰める言葉を選べるようになったのは、喫茶まきのおかげだ。
「店長は優しすぎです」
フォークを手に取る由依は、目を伏せ、肩を落とした。
優しくされて、なぜ由依が不満そうなのか七里は分からず、様子を窺いながら、目の前でクマのラテアートを見せてやることしかできない。
「バイトに来てるのに、ケーキをご馳走になるなんて――」
「店の味を知るのは勉強だからね」
小さな音を立てて、由依の前にカフェラテを置いた。由依はため息をついて、ケーキをひと口すくう。
「……おいしい。くやしいくらい」
七里はたまらず吹き出した。
おいしいが悔しいにつながるのが由依なのだろう。負けん気が強い。由依を知るのが楽しい。由依にも同じ楽しさを伝えたい。
「店長って、穏やかですよね。私のまわりにはいないタイプかも」
「ただぼんやりしてるだけだよ。もう少し器用なら、サラリーマンも続けられたんだけど」
「喫茶店の店主じゃ、不満なんですか?」
「とんでもない。仕事と住む場所があるって本当に大きいよ」
「住む場所?」
「ヴィラまきの管理人室に住んでるんだ。家賃代わりみたいなもんだね」
「えっ、すごい。なんか……ここがアジトなんですね」
「いや、まきさんのご厚意に甘えてるだけさ」
何から何まで槙さんのおかげだ。店も好きなようにさせてもらっている。槙さん本人は、時折現れては喫茶まきに展示している絵を変えている。
「不満そうに聞こえるのは、俺が“普通”になりたいからかな」
「それ、わかる!」
由依の声が明るく跳ねた。
誰にもわかってもらえないことを、肯定してもらえる。それだけで、七里はなぜか背負った荷が軽くなった気がした。
「このマーブルケーキも店長が作ってるんですか?」
「まさか。これは、近所のケーキ屋さんが作ってくれたやつだよ」
由依が小首を傾げた。カウンター内で、七里もカップを手に取る。
不思議と静けさが心地よい。
「そこの階段を上がった先にある土日限定のケーキ屋さんでね。黒と白が混ざり合うマーブル模様が何とも好きでさ」
「土日だけ?」
七里の肯定に、由依が目を丸くする。
「だって、こんなおいしいのに! 平日もすればいいのに」
「普段は会社に勤めてるはずだよ」
平日に店を開けない|荏田(えだ)さんと、何か甘いもんを出したかった俺の、お互いを応援するための秘策だ。
「すごい! 作れるっていいなぁ」
由依は、マーブルケーキとラテアートを交互に見て、小さくすくって口に運んだ。食べ終わるのが惜しいのか、時間をかけて食べている。
カラン、とドアベルが鳴った。
反射的に「いらっしゃいませ」と、穏やかな声を出し、ドアを見やった。
片手に大きな服を下げた女性が入ってくる。
「あぁ、荏田さん」
「こんにちは。ケーキの納品に伺いました」
彼女が来ると、コーヒーの香りに、ケーキの甘い香りが混ざる。