鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

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第百二十三話

 

「──畏みて畏みて申す。飯縄大権現──不動明王、迦楼羅天、荼枳尼天、歓喜天、宇賀神──五相合体の大威徳を以て、近江屋庄左衛門が息女お美乃に憑きまといし邪なる物を、疾く調伏し給え──」

 

 行者は朗々と祝詞を上げ始めた。それはまるで、高尾山や飯綱神社に縁ある修験者の口調を模すかのように──。

 

 聞けば、それは確かに見栄えは良い。──だが、お富のように、一歩離れてみると何処か芝居がかったようにも思える祈りであった。

 

 庄左衛門は手を合わせそれを一心に聞いている。

 

 行者は錫杖を掻き鳴らし、印を結び、御幣を振った。座敷の四方に向かって幣を振り、結界の中の穢れを「祓う」所作をエイヤ、と何度も続ける。お美乃の枕元へ寄り、額の上で印を結ぶと、低く真言を唱えた。

 

「──オン・チラチラヤ・ソワカ、オン・チラチラヤ・ソワカ、オン・チラチラヤ・ソワカ──飯縄の神徳、ここに降りませい──」

 

 飯綱権現の真言を三度繰り返した。庄左衛門の額に汗が滲み始める。日の落ちたかけた座敷の空気が、香の煙と祝詞の熱で重く濁っていく。

 

 ──そして、行者が一段声を張った。

 

「ぬぅ──このままでは祓いきれぬ……!なれど今日こそ、その正体を白日の下に引きずり出さねばならぬ。巫女殿、備えを頼むっ」

「はい」

 

 巫女が答えた。

 

 傍らの木箱から、小さな香炉を取り出す。掌に納まるほどの、小ぶりな香炉──蓋を開け、灰の中から炭火を掘り起こす。そこに懐から取り出した薬包の中身を乗せた。

 

 ──伽羅の香とは異なる。青草を干したような微かに甘い青臭い匂いが香炉の口から立ち昇った。

 

 巫女は香炉を顔の前に掲げ、目を閉じゆっくりと深く息を吸い込む。一度。二度。三度。──煙が女の鼻と口に吸い込まれていく。

 

 お富はその煙の正体を知っていた。

 

 ──お美乃にも仕込んだ、麻の葉や花穂を乾かし刻んだもの。

 

 以前に巫女が言っていた。この煙を吸うと「霊が降りやすくなる」と。巫女は、『煙に酔った状態』を本当にカミや霊が降りてきているのだと本気で信じている様子だった。

 

 数呼吸の後、しばらくして変化が訪れる──巫女の瞳が据わり薄く濁った。瞳孔がやや開き、視線が虚ろに据わる。香炉を傍らに置き、巫女はお美乃の傍へにじり寄った。お美乃の細い手を、その両手でやんわりと包み込む。

 

「お嬢様。──お辛うございましたねぇ。長い間、ほんによう堪えなされた……」

 

 巫女の目に、うっすらと涙が浮かんだ。お美乃の手を摩りながら優しく語りかける。

 

「お嬢様の体に潜んでおる者を、これから、わたくしの体へ呼び出しますからね。──怖いことは何もございませんよ。わたくしが代わりに引き受けますから」

「……はい」

 

 お美乃の声は不安げで蚊の鳴くよう。だが、その目は目の前の女に縋り助けを請うていた。

 

 ──巫女はそういう手管に長けた女だった。話を聞く。手を握る。一緒に涙を流す。同調して相手の弱った心に擦り寄ってゆく。そして、心を縛り操ろうとする。

 

 その様をお富は横目で見ていた。

 

 この女の言動がどこまで芝居なのか本気なのか──。お富にも判断はしがたい。加賀屋の女房に向けた時も、同じような顔をしていた。だが──この女もまた、かつてはお富と同じ引き込み役だったのだ。

 

 商家に下女として入り盗賊を引き込む、自分と同じ手駒。だが、巫女役をしてからは役にのめり込むようになっていた。口寄せ祈祷に傾倒し、いつしか自身には本当に力があると思い込むようにもなった。

 

 人を操り、支配することの快楽を覚えたのか──はたまた自身が受けた屈辱を人に振り撒こうとしているのか。真実は分からないが……どちらにせよ、徳次郎の手から逃れられぬという点では、この女もお富自身と何も変わらない。

 

 ──巫女が梓弓を手に取った。膝の上で、弦をひとつ弾く。びん、と低い音が、座敷の空気を震わせた。

 

 巫女は目を閉じ、ゆっくりと体を前後に揺らし始めた。梓弓の弦を一定の間を置いて弾き続ける。びん──びん──びん──と、鼓動のように一定の律動が座敷の中を満たしていく。

 

 行者の祝詞に合わさり、場が異様な様態を成しはじめ──そして、何かが乗り移るように、巫女がガクリと頭を垂れた。その喉から、別の声が漏れ出す。

 

「……はいった……はいった……誰ぞ……我を呼び出したのは……」

 

 低く、嗄れた声。先程まで娘を慰めていたのとは、まるで別人に聞こえる。俯く巫女の目は赤く血走り、瞳が上を向いている。口の端が引き攣れたように吊り上がっていた。

 

 庄左衛門が息を呑み、行者が怯まずに御幣を構えた。

 

「──汝は何者ぞ。名乗れぃ!」

 

 巫女の喉から漏れる声が、嗄れたまま答えた。

 

「……狐……狐じゃ……」

「いずこに由来を持つ狐か──名を申せっ」

「……名はない……名を持つほどの者ではないわ……」

 

 声は低く、ヒヒと笑うようだった。

 

「しかし、素性なら話してやろうぞ……我は秩父の山に生まれ、武蔵野で増えた山狐の、七十五番目の仔……ただの狐よ」

 

 行者が一段声を張った。

 

「秩父の山を由来とする野狐か。──ならば何故、この娘に憑いた!」

 

 巫女の口の端が、また吊り上がった。

 

「……頼まれたのよ……」

「頼まれた、だと」

「さよう、さよう……この家の主に、深い怨みを抱く者がおる……その者が、我に頼んだのだ……『近江屋の娘に憑いて、苦しめてくれ』と。──だから我が来たのよ」

 

 庄左衛門の顔から血の気が引いた。

 

「な──」

「怨み、とは──」

 

 行者が御幣を一段、強く振った。

 

「その怨みとは何だ!怨みを持つ者──その名を明かせ。誰がこの娘に呪をかけた!」

「……明かさぬ……」

「明かせ。神徳の御前であるぞ!」

「……明かさぬ……明かさぬぞ……約束した故な……」

 

 巫女の喉が低くクツクツと笑った。

 

「我は狐……約束は守る……頼んだ者の名は、口が裂けても申さぬ……されど、彼方の怨みは深いぞぉ……暗く冷たい井戸の底より……よほど深いわ……娘の父御が……その者にそれほどの仕打ちをしたと見える……あな恐ろしや……」

 

 庄左衛門が震えた。

 

「わ、私が……?私が、誰かに……」

「身に覚えはござらぬか、近江屋殿」

 

 行者が低い声で詰め寄った。

 

「商いをなさる御方なれば──知らずに人を踏みつけたことが、全くないとは申せまい。その怨念が今、御息女に降りかかっておる」

 

 巫女の喉が再び嗄れた声を上げた。

 

「ヒヒ……そうよ……そうよ……蔵には溢れんばかりの金穀……近江屋は人の不幸で栄えておる……のうのうと美味い物を食らい、温かい布団で眠り、良い着物を着ておる……許せぬなぁ……」

「そのようなことはっ……」

「見えぬのか……お前の足元に……お前が踏みつけた者どもが……商いで泣いた者が……潰された者がおるのが……我は、その怨みの一つを叶えに参ったのよ……」

 

 庄左衛門の顔が歪んだ。

 

「そ、そんな……私は、誠実に……」

「誠実とな……笑わせる……誠実であったとて、相手の受け取り方が違えば怨みは生じよう……お前は素知らぬ顔で暮らしておるが……陰で泣いた者のことなど……ほんの一度でも……思うたことはあるまい……」

「──近江屋殿……!」

 

 行者がここぞとばかりに重ねた。

 

「この通り、怨みを持つ者が御息女を憑り殺そうとしておる。しかし──道が決してないわけではない。怨みを鎮めるには、然るべき供養が要る。然るべき祈祷を以て、狐に取り次ぎ、怨みの主を宥めてやらねばならぬ。我らがその橋渡しを致す。──しかし、浄財はそれに見合わせて誠意を示すに足るものでなくてはならぬ」

「そ、それでは如何ほど……」

「金、三百両──それで必ずや怨みを治めてみせよう」

「さっ、さんびゃくりょうっ……」

 

 庄左衛門が両手で頭を抱え──お富はその姿を後ろから冷静に見ていた。

 

 いつもの段取り。

 

 行者と巫女の言う怨みなどない。騙りである。だが、商いをする者には必ず「踏みつけた誰か」がいる。心当たりがないと言い切れる商人は、まずいない。だからこそ庄左衛門は怯える。自分のせいで、娘が苦しんでいる──。怯えれば、縋ってしまう。縋れば、祈祷師の言われるがまま「浄財」を出すことになる。

 

 ──行者は畳み掛けるように御幣を振り続けた。

 

 祝詞の声がいよいよ高く張り詰め、座敷の空気が沸き立つように熱を帯びていく。額に脂汗を浮かべ、錫杖を力の限り打ち鳴らす。

 

「──吐けっ、吐けぃ!飯縄大権現の御威徳を以て命ずる!怨みの主を言わぬとあらば、汝が霊魂、この身を投げ捨ててでも追い祓うてくれるわ──!」

 

 巫女の喉が「吐かぬ、吐かぬぞ」と繰り返す。行者は全身を震わせて立ち上がり、御幣を四方八方に振り回した。灯明の炎が揺れ、伽羅の煙が乱れる。汗が飛び散り、祝詞が絶叫に近づく。

 

 ──芝居ではある。だが、この行者の凄まじい気迫には、嘘とは言い切れぬ熱があった。自らを本物と信じ込もうとする者の切迫した熱。

 

 その芝居が佳境に差し掛かった、その時だった。

 

 ──店の表が何やら騒がしくなった。

 

 

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