鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

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第百四十話 神谷兄妹

 徳次郎の一件が落着して、数日が過ぎた頃であった──。

 

 その日、源一郎は非番であった。

 

 秋晴れの、よく晴れた昼下がり。縁側には暖かな日が差し込み、庭の萩がさやさやと風に揺れている。こんな日には役目のことも、取り逃がした薬売りのことも暫し忘れ……庭弄りでもして過ごすに限ると、源一郎が思っていた矢先のことであった。

 

「ごめん。──神谷伝兵衛、罷り越しました。源一郎殿はおいでだろうか」

 

 表で聞き慣れた声がした。

 

 門へ出てみると、神谷が例によって土産がわりの徳利を提げて立っている。その傍らには、すらりと背の高い影──お絹の姿があった。

 

「その後の首尾を伺いに参りました。あの一件、裁きはどう落着したか。──と申すのは半分、口実でして。良い酒が手に入ったのは良いが、一人で飲むにはどうにも味気ないと思っていた所……風の噂で渡辺殿が非番と聞きました故、これは持参せねばなるまいと」

「風の噂とは……相変わらず、よく聞こえる耳を持つ男だ」

 

 源一郎は苦笑し、二人を招き入れた。

 

 日中から酒というのも無精な話だが、非番の日くらいは構うまい。上役の──あの鬼の平蔵ですら、役目の最中に酒を嗜むこともあるのだから。

 

 庭の見える座敷に座を設け、お鈴に肴を見繕わせる。神谷が持参した伊丹の下り酒──剣菱を、源一郎と二人で酌み交わし始めた。神谷と共に来訪したお絹は、少し離れた縁側に腰掛けるばかりで猪口には手をつけなかった。下戸なのか……あるいは障りが悪くなるのを避けてなのかは分からなかったが、お絹は酒を嗜まないらしい。

 

 一献傾けたところで、神谷がふと訊いた。

 

「して、あの一味──裁きはどう落着しました」

 

 源一郎は猪口を置いた。

 

「徳次郎と金五郎、それに押し込みに与した者共は死罪。祈祷騙りに手を貸したばかりの者は、遠島と相成った」

 

 外法頭の徳次郎、小頭の金五郎。この二人に、過去押し込み強盗を働いた手下ども。人を薬で狂わせ、身代を絞り奪った。その罪は、この時代の裁きに照らせば、いずれも容易く首の飛ぶところ。一方、口寄せの巫女や祈祷の場を取り繕うただけの端の者らは、命までは取られず島流しとなっていた。

 

 源一郎は盃を満たしながら、白洲の光景を思い返していた。

 

 徳次郎はまともな詮議にならなかった。

 

 あの夜、心を砕かれてよりこの方、徳次郎は正気を失ったまま。白洲に据えられても虚ろな目で宙の一点を見つめ、食事もせぬため痩せ細り、時折譫言のように呟いては怯え身を縮める。問いを重ねても、応えは返らぬ。裁きが下る前に衰弱死してもおかしくはない見掛けだった。

 

 ──前の世であれば。

 

 源一郎は、ふと胸の内で思う。あれほど心を病んだ者が、まともな裁きにかけられたであろうか。医者にかかり、罪を問うより先にまず病を診られたのではないかと。

 

 だが、この時代の裁きはそうではない。

 

 乱心したとて罪は罪。こと人を殺めては、心を病んだくらいでは軽くなりはしない。徳次郎が正気であろうとなかろうと、その手が幾人もの生き血を吸ったことに変わりはない──お上の裁きは、そう断じた。

 

 源一郎は、その裁きを是とも非とも言わなかった。元よりこの時代の裁きは未来のように更生を重視するものではない。平和を維持するには見せしめと社会悪への報復が必要なのだから。

 

「それはそれは」

 

 聞いたはいいがさほど興味は無いのだろう。神谷はそれだけを言って猪口を傾けた。深くは問わない。この男もまた、徳次郎が正気を失った経緯を大凡を把握している。

 

 源一郎は猪口を一つ空にし、庭の方へ目をやった。

 

 縁側の端──お絹は今日も男装である。白の小袖に袴。総髪を束ねて流し、長身を心持ち丸めて座している。町娘が見れば放っておかない若侍の姿。お絹もまた庭の方へ、ぼんやりと視線をやっていた。

 

 その先で──。

 

「あ……」

 

 お絹が小さく声を漏らした。

 

 庭の片隅、日溜まりの中に菖蒲がいた。座敷わらしの童女が何かを抱きかかえている。

 

 赤毛の大きな猫であった。

 

 お絹に憑いた霊猫──アカである。二つに分かれた尾を持つその霊猫を、菖蒲は両の腕でぎゅうと抱き込み、その腹のあたりに、ふがふがと顔を埋めている。──源一郎が前の世で耳にした言葉を借りれば、『猫吸い』とでもいうやつだ。アカは迷惑そうに前足で童女の額を押し返そうとするが、菖蒲はいっこうに離さない。むしろ、もみくちゃにして、頬擦りをして、機嫌良さ気にしている。

 

 アカは助けを求めるように、お絹の方をちらと見た。──が、お絹に動く気配がないと見ると、諦めたようにされるがままになった。二尾が力無く揺れている。

 

「お絹殿、すまんな。どうにも、菖蒲は昔から猫や犬が好きでな」

 

 源一郎が可笑しそうに言った。

 

「アカには災難だろうが」

「……いえ」

 

 短く一言。お絹は、その様子をじっと見ていた。

 

 その面には、いつもの硬さがない。もみくちゃにされる己の憑き猫を眺める目には、ピンと張り詰めていた気が抜けているように思える。

 

 その時、奥からお鈴が茶と菓子、酒の肴を運んできた。

 

「あら……菖蒲様、また御猫様を捕まえて。──御猫様、お逃げになれないんですか」

 

 お鈴がくすりと笑う。そのまま肴を並べると、お絹の隣に膝をつき茶を差し出した。

 

 ──この女中が自身と同じであると、お絹は既に知っている。先に一度、この屋敷を訪れた折のこと。頭を割るようだった障りが、この屋敷でだけは嘘のように鎮まった。座敷わらしがアカの警戒を解き、目の前の女がただ温かい茶を差し出してくれた、あの日のことを──お絹は忘れていなかった。

 

「お絹様。──その節は、ろくにお話もできませんで。今日は、ゆっくりなさってくださいまし」

 

 お絹は、こくりと頷いた。

 

「……世話に、なる。お鈴殿」

 

 源一郎と神谷が酒を酌み交わす傍らで、二人の女は、ぽつり、ぽつりと言葉を交わし始めた。

 

 多くは、お鈴が問い、お絹が短く答える形。それも、お絹はお鈴のように、するすると言葉の出る性質ではない。お絹の返す言葉は短く、間がやや空く。だが、お鈴は気にする風もなく、柔らかく話を繋いでいった。

 

 二人とも人ならざるものを身に宿す者である。お鈴には狐が。お絹には猫が。幼い頃から、見えざるものを見、聞こえざるものを聞き、それを誰にも言えずに生きてきた。その孤独感は、言葉に敢えてせずとも互いに通じるものがあるらしかった。

 

 お鈴が、ふと、訊いた。

 

「──そういえば、お絹様はお幾つでいらっしゃるんですか」

 

 お絹は少し間を置いてから答えた。

 

「……十八」

 

 お鈴が目を丸くした。

 

「えっ、十八!?ま、まあ……!わたしは、てっきり、同じくらいかと……お絹様の方が、ずっとお若かったんですねぇ……」

 

 思わず口走って、お鈴は慌てて手で口を覆った。

 

「あ、ご、ごめんなさい。失礼を……」

 

 お絹は、すい、と視線を逸らした。

 

「……よく言われるから」

 

 それは咎める響きではなかった。むしろ、諦めを含む声音であった。

 

 源一郎は盃を傾けながら、その遣り取りを横目に見ていた。

 

 ──十八か。

 

 意外も意外であった。男装に身を包み、寡黙で隙のない佇まい。御庭番の密偵という過酷な務め。それらが、お絹を実際より大人びて見せていた。だが、こうしてお鈴と並んで座れば、なるほど……まだ若い娘なのだ。

 

 早くから障りを患い、人を信じることもできず、友の一人も持てぬまま、ただ役目に生きてきた──その年月が、この娘から年相応さを奪っていたのだろう。

 

「お絹様、茶のおかわりはいかがですか?」

 

 お鈴は「失礼を」などと言ったが、萎縮してはいなかった。むしろ年下と知れたことで、かえって構いたくなったものか、持ち前の人懐こさで、お絹に菓子を勧め、庭の菖蒲のことを話し、自身の昔話をし、またアカがもみくちゃにされているのを二人で眺めては、くすくすと笑う。お絹も、ぽつぽつとそれに応えていた。

 

 ──友の一人もない娘と、誰とでもすぐに打ち解ける女。その取り合わせは不思議と悪くなかった。

 

 

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