鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

165 / 183
第百五十六話 無縁塔群

 

 老婆の勧めを固辞し茶屋を出ると、源一郎は目黒川に架かる橋を渡った。

 

 江戸側にある歩行新宿を過ぎ、品川宿の中心である北品川から川向うの南品川へ入ると、街道の趣が少し変わる。旅籠の数は変わらないが、店構えがいくらか古びていた。客層も旅人や行商人などが多いらしく、徒歩新宿や北品川のように呼び込みの声も露骨ではない。こちらはどちらかと言えば落ち着いた雰囲気を持った宿場町と言える。

 

 その通りをしばらく行き、源一郎はふらりと街道から右手へ折れた。

 

 建物の隙間を縫うような細い道を行く。小径を抜けると旅篭の裏側に出、途端に人の姿が減った。物干し場に洗濯物が並び、猫が塀の上を歩いている。

 

 ──その先には幾つもの寺があった。

 

 源一郎が行き当たったのはその内の一つ、海蔵寺という。

 

 山門は小さく、参道もさほど長くはない。だが境内はそれなりに広かった。冬枯れの木立の向こうに本堂があり、その脇を抜けた先に墓地が広がっている。

 

 源一郎はそちらへ足を向けた。

 

 並び立つ石塔の脇を過ぎ、奥へ進むにつれて様子が変わってくる。石塔が小さくなり、やがて石ですらなくなった。土を盛っただけの塚が幾つも並び、その上に木の札が立っている。札には何も書かれていないものが多い──書かれていた墨が雨で流れ落ちてしまったのだろう。

 

 そして、その奥にひときわ大きな塚があった。

 

 名の刻まれることのない無縁塚。ただ盛られた土の上に観音像が彫り込まれた石が一つ置かれ、その前に折れた線香の束が幾つも散らばっていた。新しいものもある。誰かが手を合わせに来ているようだ。

 

 源一郎はその前で足を止めた。

 

「──お参りですかな」

 

 背後から声がした。

 

 振り向くと禿頭の痩せた男が立っていた。年の頃は五十ばかりか。僧衣の上に綿入れを羽織り、竹箒を手にしている。寺の坊主であろうか。

 

「いや……通りかかっただけだ。随分と大きな塚だ。これの塚には誰が葬られているのだ」

「見ての通り──無縁の者が」

 

 源一郎は正直に答えた。僧侶が箒を持ち替える。

 

「このあたりには溜牢がありますので、その虜囚や鈴ヶ森の刑死者。それに、宿場の女たちやら無宿人まで大勢が、この『頭痛塚』に祀られておりますよ」

 

 源一郎は塚に視線を戻した。僧侶曰く、この塚に参詣すると頭痛が直るという謂れがあるのだという。

 

「──頭痛塚か……」

「国元に身寄りのある者が、詣でに来ることもあります。ですが、ほとんどは来ません。遠かったり、そもそも家がなかったり……やはり縁が切れている者がほとんどですから」

 

 僧侶は淡々としていた。悲しんでいるふうでもなく、憤っているふうでもない。長く同じものを見続けてきたのだろう──ただ弔うことに真摯であろうとしていることだけが感じられる。源一郎は活気ある岡場所の裏側を見た気がした。

 

「……宿場町の女郎たちも?」

「ここは岡場所の町ですから。店の者が亡くなった女郎を寺に投げていくことも多いのです。山門前に置かれた遺体を引き受けて、掘った大穴へまとめて埋葬する──それがこの無縁塔。投げ込まれた遺体は無縁の者……名を書いた紙が付いてることもありますが、まあ、大抵は付いていません」

「名が、ない?」

「店では本当の名前は伏せられていますから。客たちも、仲間の女たちだって源氏名しか知らないことが多いのです。本当の名前を知っているのは本人と、抱え主くらいのものでしょうな……」

 

 源一郎は黙った。聞けば、女郎たちも本当の名前を知られたがらず隠すのだという。

 

「──この時期は、特に多い」

 

 僧侶が塚の前で手を合わせて続けた。

 

「冬は寒いから。それに年の瀬は皆無理をしてしまう」

「無理をする……花代を稼がなければならないという奴か」

「よくご存じで。この時期は稼ぎどきですから。抱え主が熱があっても座敷に出させるのです。女郎としても、そうしないと借金が減らせず年季が伸びることもある。それで、無理が祟ってしまう」

 

 合わせていた手を解いた僧侶は、今度は塚の脇に落ちていた枯れ葉を箒で掃き寄せた。

 

「霜月には三人入りました。今月はもう四人。師走が終わるまでに、あと何人入るか」

 

 諸行無常を示しつつも、供養を願う鐘の音が境内に響く。

 

 源一郎はしばらくその塚を見ていた。周囲を見れば塚は他にも沢山ある。無縁の者が大穴に葬られ、その穴が一杯になるたびに新たな墓穴が掘られる。無縁塔群──この土の下には、いったいどれほどの人が眠っているのか。

 

 源一郎は懐から銭を出し、石の前に置いた。

 

「気を遣われずともよいのですよ」

「少ないが、これで線香を上げてやってくれ」

「……そうですか」

 

 僧侶は箒を止め、初めて源一郎の顔をまじまじと見た。

 

「あなたは遊びに来たのではないのですかな?」

「そのつもりだ」

「変わっておりますな。これから岡場所で遊ぼうという男が、こんな場所に来るとは」

「道を間違えただけだ」

「はは。そういうことにしておきましょう」

 

 僧侶は笑い、それからまた箒を動かし始めた。

 

 源一郎が場を辞して山門へ戻りかけたとき、その背に声がかかった。

 

「もし──奇特な御方」

「……何か?」

「一つご忠告を。──遊ぶのは構いません。ですが……悪いことは言いません。岡場所の女に情を移すのはよしなさい」

 

 源一郎は足を止めた。

 

「ここにいる女達は皆、年季が明けたら国へ帰ると言います。帰れると信じている」

 

 僧侶は塚の方を見ていた。その目に映るものは──。

 

「でも、その一部はこうなってしまう。一度情を移してしまった男は、その分だけ辛い思いをすることになりますから」

 

 その言葉は──如何にも真に迫るものであり、決して他人事ではない感情が込められているように源一郎には感じられたのだった。

 

 §

 

 表の街道に戻ると、日がだいぶ傾いていた。

 

 冬の日は短い。西の空はまだ明るいが、すぐに暗くなる時分だ。現に旅籠の軒下にはもう提灯が下がり始めている。

 

 源一郎が南品川から川を越え、北品川へ戻ろうと歩いていたときであった──。

 

 通りの先で人だかりができていた。何かを遠巻きに見物している。源一郎が近づいて見てみると──見物人達の視線の先には三人の男が立っていた。

 

 小さな煮売り屋台の前である。

 

 男たちは三人とも着物の裾を高く端折り、股引を穿いていた。片肌を脱ぎ、素肌の彫り物を晒している者もいる。日も傾きかけている、この寒さの中にである。

 

 その内の一人が店の親父の胸ぐらを掴んでいた。

 

「なあ、茂平さんよォ。話が違うじゃねぇか」

「い、いえ、そんな。あの……今月は本当に上がりが少なくて……本当に支払える場所代が……」

「少ねぇ少ねぇって、先月も同じこと言ってたなァ? 年の瀬に上がりが少ねぇ店なんざ、この宿場にゃ一軒もねぇんだよ」

「で、ですが」

「ですが、じゃねぇ!」

 

 男が親父を突き飛ばした。屋台にぶつかり、煮売りの鍋が転がって道に落ちる。中身がこぼれて、湯気を立てながら土に染みた。

 

 目を細めた源一郎は足を止めた。

 

 周りの店の者たちは皆、遠巻きにするばかりで助けようとする素振りもない。隣の旅籠の女が二階の欄干から心配そうに見下ろしていたが、男達の一人と目が合うとすぐに引っ込んだ。

 

「いいか、茂平。俺たちが何のために毎月来てやってると思ってる」

「そ、それは」

「この宿場でお前が何事もなく商いできてるのは、誰のおかげだ。言ってみろ」

「……」

「俺たちのお陰だろうがよ、オイ! その場所代を払ってるってだけの話じゃねぇか。何事もなく商売できるってなら安いもんだろうが、なぁ!」

 

 彫り物をした男が床几を蹴りとばした。

 

「そんな……」

「明後日にまた来るぜ。いいか、それまでに耳を揃えとけ。次はこんなもんじゃ済まさねぇぞ」

 

 男が脅すようにして手にしていた樫の棒を振り上げた。

 

 脅しであろう。振り下ろそうとしている先は親父ではなく、その脇の看板にであった。だが叩き割られれば、明日からこの店は看板なしで商いをすることになる。

 

 振り下ろされようとした棒は、しかし──振り上げられたまま止まった。男の腕も動かない。

 

「──何しやがる」

 

 気がつけば源一郎が男の手首を掴んでいた。

 

 いつの間に間合いを詰めたのか、男には分からなかったのだろう。振り返った顔に驚きと困惑の表情が混じって浮かんでいる。

 

「てめぇ……何様だ、この手を離しやがれ!」

「いいだろう」

 

 男が腕を力いっぱい引いた所で源一郎はあっさりと手を離した。

 

 男がよろける。掴まれていた腕を庇うように押さえ、それから源一郎を睨みつける。

 

「てめぇ……どこのモンだ」

「ただの通りすがりだ」

「ただの通りすがりが口出してんじゃねぇよ」

「お前馬鹿なのか? 何も口は出しておらんだろう。手を出して止めたのだ」

 

 男の顔が赤くなった。

 

「上等だ、コラ」

 

 樫の棒を横に薙いだ。

 

 対して、源一郎は動かなかった。正確には棒の届く手前で、するりと半身をずらしただけである。だが男の目にはそう映らなかったらしい。手応えのないまま棒が空を切り体勢が泳ぐ。

 

 そこへ源一郎の足が出た。

 

 軽く足元を払われただけで男の身体が宙に浮き、背中から地面に落ちる。衝撃に息が詰まる音がした。

 

「留ッ」

 

 転んだ男は留と呼ばれているらしい。残る二人が動いた。

 

 一人が棒を突き出す。源一郎はそれを何事もないように掌で払い、すれ違い様に手の甲で顎先を叩く。ついでに腕を捻って棒を奪った。もう一人が横から殴りかかったが、その拳が届く前に、奪ったばかりの棒の柄が鳩尾に入っていた。

 

 二人が地面に転がるまでに、数えるほどの間もない。

 

 一瞬にも思える出来事に通りが静まり返っている。源一郎は奪った棒を、地面に転がる男の脇に無造作に捨てた。

 

「返すぞ」

「……てめぇ」

 

 留と呼ばれた男が、咳き込みながら起き上がった。顔が歪んでいる。痛みよりも、屈辱の色の方が濃い。

 

「ただじゃおかねぇぞ……!」

「そうかそうか。確かにな、次があるなら遠慮なく勉強代を貰うことにしよう」

「っ、俺たちが誰の身内だと思ってやがる……!」

「知らん」

 

 源一郎が冷たく言い放った。

 

「知らんから聞いておいてやる。まぁ、お前たちの先ほどからの立ち振る舞いを見れば、どうせ大したことない親分なのだろうがな」

 

 屈辱と怒りで顔を赤くした留の動きが止まる。

 

 そのまま殴りかかってくるかと思ったが──しかし、そうはしなかった。代わりに、地面に唾を吐いて立ち上がった。

 

「──牛頭だ」

 

 留は低く威圧するように言った。

 

「牛頭の辰五郎親分の身内だ。覚えとけ、馬鹿野郎」

 

 源一郎は──怪訝そうに眉根を寄せ、しかし、一つ頷いた。

 

「ほう……まぁ、いいだろう。覚えておこう」

「……何?」

「いや。少し意外だったものでな」

 

 留が眉を寄せた。何を言われたのか分からないという顔である。

 

「チッ……てめぇら行くぞ。……おい、いつまで寝てやがる」

 

 意識を失っていたであろう仲間の一人を蹴飛ばして起こすと、三人はよろめきながら人混みへ消えていった。去り際、留が一度だけ振り返って源一郎を鋭く睨みつけた。

 

 その目にあったのは怒りだが、それだけではない。何かを測りかねているような色が混じっていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。