鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

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第百六十話 妖宿の事情

 

「では、揚代はどうしているのだ。妖の客からも銭を取るのか」

「取るよ。こちとら商売だ、銭を貰うのは当たり前さね」

 

 源一郎が問うと、お縫はあっさりと答える。

 

「あたしらだって銭は要る。人の世の真ん中に店があるんだ。屋根は傷むし、畳は擦り切れるし、行灯の油だって買わなきゃならない。物を作るのは人の役目だって昔っから決まってるんだよ、銭がなけりゃ、どうしようもない」

「妖であっても、世を巡る金の流れには逆らえない、か……しかし、妖の客が人の銭を持っているものなのか」

「持ってる者は持ってるよ。成りが人に近けりゃ商売だってできるし、落ちてるのを拾うのだっている。人ってのは、よく物を落とすからねぇ」

 

 成りが人に近い──源一郎の師もそうであろう。お縫は口元を引き、そう意味深げに盃を弄びながら言う。

 

「それか、銭がない者からは別のもので取る。手伝いをさせたり、別の物を置いていかせたり。──手代のあれはね、そのあたりの帳尻を合わせるのが上手いのさ」

「あの鼠のような男がか」

 

 源一郎が意外そうに驚くと、お縫が少し笑った。

 

「アレで存外、芸が細かいんだよ。物を質屋に流して換金するのも、人の客を上げるのを考えたのもアレさ。──だから、たまにあたしが人を誘い込むのさ。アンタにしたみたいにね」

 

 そういう理屈だったのか、と源一郎は理解した。

 

 確かに、いかに源一郎と言えどもお縫に招かれることがなければ、この旅籠に入ろうとは思わなかったに違いない。

 

「……俺が普通の客だったら、身包み剥ぎ取られていたってことか」

「そりゃあね、一夜の夢ってのはそんなもんだろう。あたしは自分も、時間も、安く売るつもりなんて毛頭ないからね」

「……物は言いようだな」

「言っとくけど、揚代も宿賃もまけやしないよ」

 

 お縫は真顔で言う。値切りを言い出すことを警戒してだろう。

 

「値切り交渉などするつもりはないさ。あぁ、それと俺に抱かれる必要もない。元々、そんな気はなかったしな」

 

 と、苦笑する源一郎。

 

 源一郎はこの宿場町で誰かを抱くつもりはなかった。この時代、岡場所では性病が蔓延しており、有効な治療法も無い。大切な人を守るには一時の誘惑に負けてなどいられないのだから。

 

「そうまでハッキリ言われると、あたしと言えど傷つくんだけどね……」

 

 お縫は苦笑。それから一つ息を吐いた。

 

「まぁ、いいけどさ。それでも、あんたはあたしの時間を買ったんだ、ここにいる間の話し相手にはなってあげるよ」

 

 §

 

「──それで」

 

 お縫が脚を崩した。やはり、こちらが素の姿なのだろう、始めの妖艶な空気は影も形もない。女とは顔を幾つ持っているのかと、源一郎はただ驚くばかり。

 

「なんで、あんたのような人が、この品川くんだりまで来なすったんだい。あたしの誘いに乗っかったのも何か目的があるんだろ?」

 

 源一郎は盃を置いた。ここまで明かしたのだ、本来の目的まで隠す理由はもうなかった。

 

「実は人を探していてな」

「へぇ、人」

「俺の下で働いておる田沼新吾という同心だ」

 

 お縫の反応を伺いつつ源一郎は続けた。

 

「秋にあった捕物で肩を負傷してな。傷そのものは浅く、一月もあれば治ると医者も言っていた。──だが、もうそろそろ一月経つというのに、奴は役宅にも顔を出さん」

「失踪状態って訳かい。で? なんで品川に」

 

 単純な疑問。何故、この品川でその男を捜すことになったのか。

 

「別の同心から、田沼がこの品川宿に入り浸っているという話を耳にしたのだ。というより、切っ掛けはその同心だったのだが……まぁそれはいい。田沼が上役には養生の届けを出したまま、夜な夜な岡場所通いしていると知れてな」

「それで連れ戻しに」

「可能であれば、だが」

 

 源一郎の言葉の曖昧さに、お縫が首をかしげた。

 

「なんだい、ハッキリしない物言いだね」

「連れ戻したはいいが、中身が腑抜けていては使い物にならんからな。上役にも厳しく言われている」

 

 そこまで聞いて、お縫はへぇ、と感心するような顔をした。だが、それには深く触れずに話を進めた。

 

「その同心が通ってる店は分かってるのかい?」

「あぁ。『汐見屋』という店らしい。心当たりはあるか」

 

 お縫の視線が記憶を呼び覚まそうと上向く。

 

「ふぅん……汐見屋ね」

「知っているのか」

「知ってるよ。歩行新宿の通りにある大店さ」

 

 意味ありげな相槌。源一郎は目を細めたが、すぐに問いただすことはしなかった。

 

「藍色の暖簾の。二階建てで、間口の広い店さね。随分と繁盛している店だと聞くね」

「ほう」

「なんだい。店の名前が分かってるなら、始めからそっちへ行けば良かったじゃないのさ」

「今日いきなり乗り込むのは早計な気がしてな。まずは宿を取って、明日からの段取りをゆっくり考えようと思っていた」

 

 源一郎はお縫を見た。

 

「そこへ、お縫、お前が手招きしてきたのだ。渡りに何とやら──いや、いや。あれを無視して素通りしろというのは無理な相談だ」

「……」

 

 お縫はしばらく源一郎を見つめていた。それから、溜息をついて額に手を当てた。

 

「そう嫌そうにするな。なに、俺も無理を言うことはせんさ」

 

 お縫が源一郎にジットリした視線を向ける。だが、その目にはもう警戒の色はない。

 

 ──しばらくして、お縫が煙管を取り出した。源一郎は脇に置かれていた煙草盆を、そっと押しやる。

 

「……侍の癖に気の利くこと」

 

 種火から火口に火を移し、浅く吸う。ゆっくりと吐き出した煙が天井へ流れていく。

 

「田沼新吾、だったっけね」

「あぁ」

「──悪いけど、あたしは知らないよ」

 

 煙管の吸い口から薄く煙が棚引いている。

 

「あたしは、この北品川にもう長くいるけど、歩行新宿のことはそこまで詳しくは知らないんだよ。向こうさんは江戸に近い分、品川でも栄えてるからねぇ……人の出入りも、飯盛女の数も多い」

「そういうものか」

「そういうものさ。だから『汐見屋』という店に心当たりがあっても、そこに通ってる客までは知らないのさね」

 

 では、何故、汐見屋の屋号は知っていたのか。そんな疑問が浮かぶ──。お縫は煙管を煙草盆に軽く打ちつけたた。かん、と乾いた音が鳴る。

 

「あたしじゃ役に立てないねぇ」

 

 源一郎は腕を組み小さく呻った。仕方のないことである。だが、お縫はそこで立ち上がった。

 

「──ただね」

 

 ニヤリと笑い、障子に手をかけながら言う。

 

「あたしより歩行新宿について知ってる連中がいるのさ」

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