「では、揚代はどうしているのだ。妖の客からも銭を取るのか」
「取るよ。こちとら商売だ、銭を貰うのは当たり前さね」
源一郎が問うと、お縫はあっさりと答える。
「あたしらだって銭は要る。人の世の真ん中に店があるんだ。屋根は傷むし、畳は擦り切れるし、行灯の油だって買わなきゃならない。物を作るのは人の役目だって昔っから決まってるんだよ、銭がなけりゃ、どうしようもない」
「妖であっても、世を巡る金の流れには逆らえない、か……しかし、妖の客が人の銭を持っているものなのか」
「持ってる者は持ってるよ。成りが人に近けりゃ商売だってできるし、落ちてるのを拾うのだっている。人ってのは、よく物を落とすからねぇ」
成りが人に近い──源一郎の師もそうであろう。お縫は口元を引き、そう意味深げに盃を弄びながら言う。
「それか、銭がない者からは別のもので取る。手伝いをさせたり、別の物を置いていかせたり。──手代のあれはね、そのあたりの帳尻を合わせるのが上手いのさ」
「あの鼠のような男がか」
源一郎が意外そうに驚くと、お縫が少し笑った。
「アレで存外、芸が細かいんだよ。物を質屋に流して換金するのも、人の客を上げるのを考えたのもアレさ。──だから、たまにあたしが人を誘い込むのさ。アンタにしたみたいにね」
そういう理屈だったのか、と源一郎は理解した。
確かに、いかに源一郎と言えどもお縫に招かれることがなければ、この旅籠に入ろうとは思わなかったに違いない。
「……俺が普通の客だったら、身包み剥ぎ取られていたってことか」
「そりゃあね、一夜の夢ってのはそんなもんだろう。あたしは自分も、時間も、安く売るつもりなんて毛頭ないからね」
「……物は言いようだな」
「言っとくけど、揚代も宿賃もまけやしないよ」
お縫は真顔で言う。値切りを言い出すことを警戒してだろう。
「値切り交渉などするつもりはないさ。あぁ、それと俺に抱かれる必要もない。元々、そんな気はなかったしな」
と、苦笑する源一郎。
源一郎はこの宿場町で誰かを抱くつもりはなかった。この時代、岡場所では性病が蔓延しており、有効な治療法も無い。大切な人を守るには一時の誘惑に負けてなどいられないのだから。
「そうまでハッキリ言われると、あたしと言えど傷つくんだけどね……」
お縫は苦笑。それから一つ息を吐いた。
「まぁ、いいけどさ。それでも、あんたはあたしの時間を買ったんだ、ここにいる間の話し相手にはなってあげるよ」
§
「──それで」
お縫が脚を崩した。やはり、こちらが素の姿なのだろう、始めの妖艶な空気は影も形もない。女とは顔を幾つ持っているのかと、源一郎はただ驚くばかり。
「なんで、あんたのような人が、この品川くんだりまで来なすったんだい。あたしの誘いに乗っかったのも何か目的があるんだろ?」
源一郎は盃を置いた。ここまで明かしたのだ、本来の目的まで隠す理由はもうなかった。
「実は人を探していてな」
「へぇ、人」
「俺の下で働いておる田沼新吾という同心だ」
お縫の反応を伺いつつ源一郎は続けた。
「秋にあった捕物で肩を負傷してな。傷そのものは浅く、一月もあれば治ると医者も言っていた。──だが、もうそろそろ一月経つというのに、奴は役宅にも顔を出さん」
「失踪状態って訳かい。で? なんで品川に」
単純な疑問。何故、この品川でその男を捜すことになったのか。
「別の同心から、田沼がこの品川宿に入り浸っているという話を耳にしたのだ。というより、切っ掛けはその同心だったのだが……まぁそれはいい。田沼が上役には養生の届けを出したまま、夜な夜な岡場所通いしていると知れてな」
「それで連れ戻しに」
「可能であれば、だが」
源一郎の言葉の曖昧さに、お縫が首をかしげた。
「なんだい、ハッキリしない物言いだね」
「連れ戻したはいいが、中身が腑抜けていては使い物にならんからな。上役にも厳しく言われている」
そこまで聞いて、お縫はへぇ、と感心するような顔をした。だが、それには深く触れずに話を進めた。
「その同心が通ってる店は分かってるのかい?」
「あぁ。『汐見屋』という店らしい。心当たりはあるか」
お縫の視線が記憶を呼び覚まそうと上向く。
「ふぅん……汐見屋ね」
「知っているのか」
「知ってるよ。歩行新宿の通りにある大店さ」
意味ありげな相槌。源一郎は目を細めたが、すぐに問いただすことはしなかった。
「藍色の暖簾の。二階建てで、間口の広い店さね。随分と繁盛している店だと聞くね」
「ほう」
「なんだい。店の名前が分かってるなら、始めからそっちへ行けば良かったじゃないのさ」
「今日いきなり乗り込むのは早計な気がしてな。まずは宿を取って、明日からの段取りをゆっくり考えようと思っていた」
源一郎はお縫を見た。
「そこへ、お縫、お前が手招きしてきたのだ。渡りに何とやら──いや、いや。あれを無視して素通りしろというのは無理な相談だ」
「……」
お縫はしばらく源一郎を見つめていた。それから、溜息をついて額に手を当てた。
「そう嫌そうにするな。なに、俺も無理を言うことはせんさ」
お縫が源一郎にジットリした視線を向ける。だが、その目にはもう警戒の色はない。
──しばらくして、お縫が煙管を取り出した。源一郎は脇に置かれていた煙草盆を、そっと押しやる。
「……侍の癖に気の利くこと」
種火から火口に火を移し、浅く吸う。ゆっくりと吐き出した煙が天井へ流れていく。
「田沼新吾、だったっけね」
「あぁ」
「──悪いけど、あたしは知らないよ」
煙管の吸い口から薄く煙が棚引いている。
「あたしは、この北品川にもう長くいるけど、歩行新宿のことはそこまで詳しくは知らないんだよ。向こうさんは江戸に近い分、品川でも栄えてるからねぇ……人の出入りも、飯盛女の数も多い」
「そういうものか」
「そういうものさ。だから『汐見屋』という店に心当たりがあっても、そこに通ってる客までは知らないのさね」
では、何故、汐見屋の屋号は知っていたのか。そんな疑問が浮かぶ──。お縫は煙管を煙草盆に軽く打ちつけたた。かん、と乾いた音が鳴る。
「あたしじゃ役に立てないねぇ」
源一郎は腕を組み小さく呻った。仕方のないことである。だが、お縫はそこで立ち上がった。
「──ただね」
ニヤリと笑い、障子に手をかけながら言う。
「あたしより歩行新宿について知ってる連中がいるのさ」