留たちに連れられて、源一郎は東海道を南へ下った。
先頭を留が歩き、その後ろに源一郎、さらにその後ろを、腹や腕を押さえた男たちがよろよろとついてくる。往来の者たちが何事かという目でこの一行を見送った。
門前茶屋町を過ぎ、歩行新宿の町並みを通る際に、留の足が目に見えて速くなった。後ろの男たちも同じだ。痛む体を引きずりながら足を早めている。口数が消え、誰もが前だけを見て歩いている。
源一郎は、その理由をすぐに理解した。
辻に男が立っているのだ。
今朝、源一郎が汐見屋から新吾が出てくるのを待っている間にも見た男である。腕組みをして壁にもたれ、通りを睨んでいる。その男の目が留たちの一行を捉えた。
視線が留の顔に止まる。
それから、後ろの男たちの足を引きずる様を舐めるように見た。男の口の端がゆっくりと吊り上がった。
「おい、あれを見てみろ──」
「なんでぇ、ボロ雑巾みてぇじゃねえか──」
嗤ったのである──。大声を出して、というわけではない。ただ口を歪め、留たちを顎で指しながら仲間内で囁き合っている。
留の表情が強張った。拳を握りしめているのが、背後の源一郎にも分かった。だが留は振り向かない。眉根を寄せて、前を向いたまま歩き続けた。
「──よぉ、留。朝っぱらから浜で相撲でも取ってきたってのかい。落ち目の牛頭は暇でいいやなぁ」
路地の角に、煙管をくわえた男がいた。煙を吐きながら、留たちの背に聞こえよがしに声を投げる。傍らの仲間がげらげらと笑った。
源一郎の後ろで、若い衆の一人が歯を軋らせた。
「……よせ」
「ですが、兄ぃ」
「ここで手ぇ出してみろ。向こうの縄張りで先に手を出したのはこっちだってことになる。頭の顔に泥を塗る気か」
留が前を向いたまま低く言い、若い衆は黙った。一行は歩行新宿の町並みを足早に抜けていった。辻の男たちの視線が、いつまでも背中に張りついているようであった。
──源一郎は、黙って留の背を見ていた。
昨夜、お縫から聞いた話が頭をよぎった。北品川と南品川を束ねる元締と、歩行新宿を根城とする元締。二つの顔役がこの宿場町の中で境を接しながら睨み合っているという話。聞いた時には他人事として聞き流したが……こうして留たちの背中越しに見ると、張り詰めた糸のような緊張が肌に伝わってくる。
それにしても、と源一郎は思った。
昨日は堅気の煮売り屋に凄んでいた男が、嘲られても拳一つ上げずに堪えている。己の面子より、頭の面子を立てているらしい。破落戸には破落戸なりの、踏み外してはならぬ筋があるらしかった。
町並みが歩行新宿から北品川に変わると、留たちの足がようやく緩んだ。誰からともなく、長い息が漏れた。
§
目黒川の手前、北の天王社──品川神社の門前に、その屋敷はあった。
門前町の賑わいから一本入ったところ。板塀に囲まれた、間口の広い構え。武家屋敷のような厳めしさはなく、人の出入りが多い。表の戸は大きく開け放たれ、若い衆や人足の手配を頼む者が絶えず出入りしていた。
留が戸口で一声かけると、中から年嵩の厳めしい男が出てきた。留たちのなりを見て眉を寄せ、それから源一郎の顔を見る。
「おい、留。こいつはどういうこった」
「へぇ……その、この人が頭に会いてぇと……」
年嵩の男はもう一度源一郎を見た。上から下まで鋭く値踏みするように眺める。
「……お客人、中でちぃっと待ってくんな」
それから何も言わずに奥へ引っ込んだ。
源一郎は土間に通された。
広い土間であった。壁際に床店の葦簀や折り畳み式の台や床几が立てかけてある。畳まれた幟が束になって積まれ、祭りに使うのであろう大きな提灯が梁から幾つも吊るされていた。隅には荷が山と積まれ、縄で括った俵や行李が並んでいる。香具師の元締の屋敷というより、卸問屋の荷分け場のような有様であった。
奥の上がり框の上に立派な神棚が見えた。天王社の札と神農像の掛け軸が祀ってある。
土間では女たちが立ち働いていた。
見える限りでは五、六人ほどであろうか。水桶を運ぶ者、荷を解いて中身を仕分ける者、竈の前で湯を沸かしている者。皆、地味な木綿の着物に襷を掛け、髪も簡素に束ねている。化粧気のない顔で、昨夜から今朝にかけて見た宿場町の女たちとは、まるで違う。しかし、その活気は宿場のものよりも明るく、健全にも見える。
女たちは見慣れぬ男の姿に一瞬手を止めたが、すぐにまた仕事に戻っていった。
──その中に一人、源一郎の目に妙に留まった女がいた。
竈の前で火の番をしている女であった。歳は三十前後であろうか、ひどく痩せている。頬がこけ、襷を掛けた腕も枝のように細い。顔色が悪く、時折、口元を押さえて小さく咳き込んでいる。それでも手は休めず、火吹き竹で竈の火を熾していた。
女が視線を感じてか、ふと顔を上げた。
源一郎と目が合った。しかし、女はすぐに目を伏せ、また竈の火に向き直る。
「──お待たせいたしやした」
奥から先ほどの年嵩の男が戻ってきた。
「頭がお会いになりやす。どうぞ、お上がりなすって」