鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

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第百七十一話 勧誘

 

「──お前さんに、うちの用心棒をお願いしてぇのさ」

 

 源一郎は盃を持つ手を止めた。

 

「用心棒」

「応とも」

 

 辰五郎は頷いた。

 

「北品川の北の外れ、歩行新宿との境目あたりの話なんだがね。あのあたりの床店から場所代を取り立てに行くと、決まって向こうの若ぇ衆が出張ってくる。ここ半年で、うちの者が何人も痛めつけられた。腕を折られた者もいる」

「向こうというのは、歩行新宿の」

「──大百足の勘蔵。歩行新宿の元締でさ」

 

 辰五郎は煙管を取り上げたが、咥えるばかりで火は入れなかった。

 

「先代は話の分かる男だったんだがね……長年、縄張りの境を互いに踏み越えずにやってきた。ところが数年前に勘蔵が跡目を継いでからは、どうにもいけねぇ……賭場を広げ、手広く金を貸し、境を越えてこっちの庭まで手を伸ばしてくる。近頃じゃあ食い詰めた浪人や、喧嘩で飯を食ってるような用心棒まで抱え込んでいる始末」

「それで、腕の立つのが要ると?」

「うちの若ぇ衆は、祭りの場所割りや荷運びが本業でね。喧嘩や討ち入りが苦手な訳じゃねぇが……ヤッパを持った本職に来られちゃあ、どうにもなぁ」

 

 辰五郎は源一郎を見た。

 

「今朝、九人を無手でのしちまったと聞いて、これだと思ったのさ」

 

 源一郎は盃の酒を一口含み、それから笑った。

 

「買い被りだろう」

「そうは思えないがねぇ」

「何だかんだ言って、俺には江戸に戻る場所がある。それに余所の喧嘩に首を突っ込む義理もねぇだろうよ。──悪ぃが他を当たってくれ」

 

 軽くいなすように言って、源一郎は肴の小鉢に箸を伸ばした。辰五郎は残念そうにしながらも食い下がることはしなかった。

 

「……そいつは残念なことで。義侠心のある、お前さんなら力になってくれると踏んだんだが」

 

 それだけ言って、源一郎の盃に酒を注いだ。自分の盃にも注ぐ。辰五郎はそれきり用心棒の話を口にせず、肴の味や、今時分の品川で揚がる魚の話をぽつりぽつりとした。源一郎も相槌を打ちながら飲んだ。

 

 あっという間に徳利が一本空く。

 

 屋敷の表の方から、女の笑い声が聞こえてきた。若い衆を揶揄っているらしい。甲高い声が弾け、また笑い声が上がる。

 

 辰五郎はそちらへ目をやり目を細めた。

 

「源太さん」

「何だ」

「お前さんは、この宿場町を見てどう思いなすった」

 

 源一郎は盃を持ったまま、少し考えた。

 

「賑やかなところだ。流石は四宿に数えられるだけはある」

「そりゃあ、表はね」

 

 辰五郎は短く言った。

 

「だが、裏はどうか。ちゃあんと、見とったんでしょう?」

 

 源一郎は今朝見た光景を思い出した。化粧を落とした素顔、疲れた顔をして軽口も利かずに表を掃いていた女たち。その辻に立って通りを監視するように睨んでいた男たち。

 

「……朝の女たちは静かだったな」

 

 源一郎はポツリと言った。

 

「今朝、歩行新宿で朝の支度をしてる女たちを見た。誰も喋らねぇ。笑いもしねぇ。黙って表を掃いていた」

 

 辰五郎は頷いた。

 

「──昔っから、良い宿場町の女は元気だって言うんですがね」

 

 庭でまた、女たちの笑い声が弾けた。

 

「女が元気な宿場町にゃ、客も銭を落とす。旅人は元気な女の笑い声のする方へ自然と足を向けるもんでさ。世話女が心で泣いてる宿場に、どうして好き好んで草鞋を脱ぐ者がいるか。──今のここはどうでしょうや……」

 

 辰五郎はそこで言葉を切り、盃の酒に目を落とした。

 

「あっしがガキの時分の品川は、もっと騒がしかった。女たちが二階の窓から身を乗り出して、通りの男どもをからかって笑ってね。男どもも負けじと言い返す。うるさいくらいだった」

「今は違うか」

「表向きは同じでさ。三味は昼番と鳴るし、客引きも勢いがある。けどね、ありゃあ商売上の騒がしさだ。朝になって商売が終わりゃ、女たちは一斉に口を閉ざしちまう。ここ数年は特にそうだ」

 

 辰五郎は盃を置き、煙管を取り上げて火を入れた。煙を吐く。

 

「宿場が痩せてきてるんでさ。目に見えねぇところから、じわじわとね。宿場が痩せりゃ、あっしらの稼業も痩せていくのは道理ってもんで」

 

 源一郎は黙っていた。

 

 庭の笑い声と、今朝の宿場の静けさ。同じ女でありながら、この屋敷の内と外とではまるで別の土地のようである。

 

「……ここ数年か。それはやはり」

「へえ」

 

 辰五郎は煙管を長火鉢の縁に置いた。

 

「あっしには、どうにも……一つ、腑に落ちねぇことがございやしてね」

「何だ」

「──大百足の勘蔵の懐具合」

 

 辰五郎の置いた煙管から煙が細く揺蕩う。

 

「浪人を抱えるにゃ銭が要る。飯を食わせ、酒を飲ませ、時には遊ばせる。一人二人ならともかく、あれだけの数を抱えりゃ相当なもんだ。余所様の懐具合を勘繰るのは好きじゃねぇが、賭場のあがりと金貸しの利だけで賄えるとは、どうにも思えねぇ……」

「他に稼ぎがあるのではないのか」

「その通りで……これは噂でござんすがね──」

 

 辰五郎は声を落とさなかった。天気の話でもするような平らな声。それでいて源一郎に試すような視線を送る。

 

「勘蔵は女衒と組んでいるらしい。在方から『攫ってきた』娘を、歩行新宿の店に入れて、その上前を撥ねている──と」

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