鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

214 / 214
第二百五話 荒療治

 ──夜明けの裏庭に、霜が降りていた。

 

 乾いた音が続けざまに鳴っている。棒と棒とが打ち合わさる甲高く響く音だ。

 

 留ら若い衆が五、六人、白い息を吐きながら三人ずつ組になっていた。一人が長脇差ほどに詰めた木刀を構え、残る二人が六尺棒を手に左右へ開く。木刀の男が踏み込もうとすると片方の棒が突き、たたらを踏んだところへ、もう片方の棒が横から小手を打つ。木刀が手を離れ、地に転がってから距離を詰める。

 

 ──板塀に囲われただけの土の裏庭。

 

 隅に井戸と物干しがあり、その脇に、若い衆が稽古で打ち込む丸太が、無数の打ち傷を晒したまま数本地面に埋め込まれている。庭の奥には柿の木が一本、葉の落ちた枝を空に向けて広げていた。その裏庭にほど近い勝手口ではお茂が襷を掛け、朝餉の支度で忙しく働いている。

 

 香具師の元締めの屋敷に道場はなく、辰五郎方の若い衆にとっては、この裏庭がそのまま稽古場になっていた──。

 

 そして稽古をつけるのは、客分となった武士の役目である。一宿一飯の恩に対し、出入りの際には助太刀する。世の親分たちが客分の武士を先生と呼んで立てるのは、そのためだった。

 

 源一郎扮する源太も客分として屋敷に身を置いてから、手の空いた折に若い衆に稽古をつけている──。

 

 香具師の若い衆が差すのは、脇差か道中差し。対して勘蔵の手下は博徒で、揃って長ドスと呼ばれる長脇差を差し、浪人の数も多い。刃渡りでも数でも分が悪い故に、源一郎は斬り合いを教えることはなかった。

 

 長物で間合いを保ち、刃の届かぬ外から牽制して打ち捕らえる。広い場所なら三人で、狭い場所なら二人で一人に当たる。棒の振れる場所を選び、相手をそこへ誘い込む。軒下や路地の奥へは自分から踏み込まず、懐へ入られた時のために脇差は帯から外さない。

 

 勝ち負けは、事を構える前の備えで決まる。源一郎は若い衆にそう繰り返し説いていた。

 

 ──そんな稽古の場へ、新吾が刀を差して庭へ下りてゆくと棒を打ち合う音が止んだ。若い衆の目が新吾と、その後ろの源一郎とに集まる。

 

「稽古中すまないな。少し場所を貸してくれ」

 

 源一郎が板塀に立て掛けてあった木刀を一本取り、庭の真ん中まで歩いてゆく。若い衆が棒を引いて端へ寄った。

 

 源一郎が木刀を右手に提げたまま向き直る。新吾もまた木刀を手に取ろうとした所で──源一郎に制止された。

 

「真剣を抜け」

 

 新吾が一瞬何を言われたのか、理解出来ずに固まる。

 

「……渡辺様、木刀を相手に真剣を向けるわけには、まして同じ組の……」

「抜け、新吾」

 

 仲間に、それも上役である人物に真剣を向けることを躊躇う。当たり前のことだ。

 

「斬る気で来い──いや、殺す気で来い」

「し、しかし……」

「そうでなければ──死ぬのはお前だ」

 

 言いかけた言葉は……しかし、出きる前に喉の奥で掻き消された。言葉が遮られ、唐突に殺気が飛んで来たせいだ。

 

 有無を言わさぬ、身に無数の針の穴を穿つような強烈な殺気である。源一郎は構えてすらおらず、木刀を右手に提げ、ただ立っているだけ。

 

 だというのに次の瞬間、新吾には見えた──源一郎の剣が己を正面から二分に断つ様が。

 

 脳天から入った刃が、額を割り、鼻梁を裂き、喉を、胸を、腹を通って股まで一刀の元に抜ける。体が左右に分かたれ、血を噴きながら崩れ落ちていく。痛みを感じる暇もなく、『死』という事実だけが灼けるように脳裏へ刻みつけられる。

 

 ──息が止まっていた。

 

「っ……!」

 

 気がついた時には膝を突いていた。額から脂汗が噴き出し、顎を伝って土の上にぽたりと落ちる。確かに感じた──今、自分は死んだのだと。一刀流。変幻自在とも呼ばれる一刀即万刀の理により、切り捨てられたのだと。

 

 しかし奇妙なことに、対する源一郎は、やはり一歩もその場を動いてはいない。

 

 幻。幻影。それとも夢幻の如き剣理か。抜山蓋世──力は山を抜き、気は世を蓋ふの言葉に等しく、理解の及ばない領域にある剣士の威気は、ただのそれだけで有り得た未来を視せる。

 

「どうした。来い」

 

 動揺を禁じ得ない。歯を食いしばり、鯉口を切って真剣を抜くも……刀を握る指が震えていた。

 

 朝の薄陽に、刃が鈍く光る──。真剣を振りかぶろうとした腕が上がりかけ、しかしそこで、ぎこちなく動きが止まった。

 

 ──木刀の切っ先が、僅かに揺れる。

 

「が、あぁっ……!!」

 

 右の腕が肘から先ごと跳ね飛んだ。刀を握ったままの腕が、くるくると宙を回って地に落ちる。

 

 源一郎の威気に吞まれた場──そんな光景をその場にいた全員が視せられた。

 

「ひっ……」

 

 庭の端で若い衆の一人が引き攣った声を上げる。

 

 新吾が反射的に己の右腕を見た。ある。刀を握ったまま、確かにそこにある。

 

 ──また切っ先が揺れた。

 

 左の脚に赤い線を奔らせ、膝から下を断たれる。体が傾ぎ、再び膝を突くと同時に、肩口から胴にかけて袈裟懸けに断たれた。

 

「はあ、っ……はぁ……はぁ……」

 

 地に落ちた霜の冷たさが肌に沁み、荒い息が白く広がっては解けて消える。どこにも傷はない──そう分かってはいるのに体が震え、言うことを聞かなかった。

 

 ──そしてそれは、その場にいた見学者たちも同じ。

 

 若い衆の一人は棒を取り落としたまま震え、一人は板塀に背を押しつけて目を固く瞑って背ける。留でさえ顔を青くさせており、源一郎の立ち会いと聞いて見学していたお茂に至っては、腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。

 

 皆、確かに視ていた──。

 

 源一郎が新吾の腕を刎ね、脚を断ち、両断し、骸が血の海に沈むのを。はた、と直後に気がつき、五体揃ったまま膝をつく新吾を見て、それがただの見間違いではないと知り、また顔を青くする。

 

「立て」

 

 頭の上から声が降ってきた。

 

 新吾が見上げた源一郎の顔には、何の色も浮かんでいなかった。膝を突いた新吾への気遣いも、死を視せたことへの呵責もない。ただ斬るべくして斬ったという、火盗の剣鬼の顔がそこにはあった。

 

 ──御用改めの場で、盗っ人どもが見て絶望するのは、この顔か。

 

 そう新吾は思った。片手を膝について立つ。膝が笑っていた。

 

「構えろ」

 

 言われるがままに構える。

 

 源一郎は木刀を下げた。胸も喉もがら空きのまま、無造作に一歩、間合いへと踏み込んでくる。

 

 ──今ならば打てる。どこへでも届く。

 

 分かっているのに、柄を握る手が動かない。肩口が軋むように強張り、振りかぶろうとした腕が意思に反して途中で止まる。

 

 切っ先が揺れ、胴を薙がれる。幻だと分かっていてもなお、死への畏れが立ち向かおうとする意思を容赦なく挫こうとする。

 

「俺を殺せ」

 

 新吾は立ち上がり、再び構えた。

 

 源一郎が木刀を下げたまま、今度は半身を開いた。無防備な姿が、新吾の目の前に晒される。

 

 ──振れ。振れっ。振らなければっ……!

 

 己にそう命じても、腕が上がらない。上役の胸を借りているのだ、応えなければならない。だが、どうしても心と体は一致しない。額に浮いた脂汗が顎を伝って流れる。冬の朝だというのに、着物は汗みずくで肌に張りついていた。

 

「なぜ振らん」

 

 源一郎が問うた。

 

「……振れぬのです」

「では、なぜ振れん」

 

 答えられなかった。

 

 切っ先が揺れ、右の腕が飛んだ。

 

「っ……!」

「答えろ」

「斬られた時の、ことを……思い出すのです……!鶴喜の板の間で、用心棒の刃を受けた時のことを……!肩口に刃が入った、あの冷たさをっ……」

「嘘だ」

 

 源一郎は即座に断じた。

 

「お前はもう何度俺の剣を受けた。なのに、まだ俺の前に立っている。お前があれしきのことで剣を捨てるなど有り得ない。──何から逃げている」

「逃げてなど……」

 

 木刀の切っ先が、すっと持ち上がり、初めて構えを取った。

 

「まだ逃げるか」

 

 低く、怒気の込められた声と共に、首が飛んだ──。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

起きたら仁義なき転生、それから。(作者:函南)(原作:仁義なき戦い)

起きたら仁義なき戦いの世界にいた。そんな話。▼からの▼BLACK LAGOONに繋がり、二代目。


総合評価:4880/評価:8.53/連載:83話/更新日時:2026年10月17日(土) 13:47 小説情報

棍棒ひとつで迷宮を往く(作者:cla29)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

タクミが異世界に迷い込んで、十年が経った。▼誰とも組まず、言葉は今もカタコトのまま。▼迷宮で拾った一本の棍棒を頼りに生き延び、気づけば特級冒険者と呼ばれるようになっていた。▼それでも、故郷へ帰ることは諦めていない。▼帰る手掛かりを求め、今日も迷宮の奥へと潜る。▼だが、異世界で過ごした月日は、いつしか彼にもう一つの居場所を作りつつあった。▼これは、帰り道を探し…


総合評価:7708/評価:8.56/連載:56話/更新日時:2026年11月03日(火) 23:25 小説情報

【書籍化】最強以外ありえない(作者:てんぞー)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

 ―――遺産は最初にSランクマスターに至った俺の血を引く孫のものとする。▼ 馬鹿みたいな遺言を残してかつて最強の座に君臨した事のある男は死んだ。ダンジョンが存在し、それに抵抗する為にモンスターを使役するモンスターマスターが存在する世界で、それがかつて遊んでいたゲームの世界に酷似すると知ってもなお特別何かをする気もなかった鴉羽尊は祖父の遺言を皮切りに強制的に巻…


総合評価:39441/評価:9.26/連載:372話/更新日時:2026年11月04日(水) 17:40 小説情報

こちら銀河英雄伝説(作者:亀頭十三)(原作:銀河英雄伝説)

ラインハルトが「リョーツナッハのバカはどこだ!」ってなるお話です。


総合評価:8522/評価:8.84/完結:28話/更新日時:2026年08月06日(木) 20:23 小説情報

フィンレーベン 千年図書館の魔法使い(作者:魔宮ことな)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

転生したら、強くなるほど寿命が延びる魔法使いの世界で、今日も図書館に引きこもってる話。


総合評価:12718/評価:8.82/連載:11話/更新日時:2026年10月18日(日) 23:11 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>