鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

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第七話

 三人の犯人を牢に入れた後の話だ。その日、源一郎は朝一の役宅にある与力部屋にて報告書を書いていた。

 

 事件の経緯、犯人の手口、動機。それらを全て紙に記していく。前世風に言えば「捜査報告書」というやつだろうか。火付盗賊改方でも事件を解決したら必ず報告書を作成しなければならなかった。

 

 墨を擦る音だけが、まだ静かな詰所に響く。

 

 墨の香りが鼻をくすぐる。サラサラと紙の感触が心地よい。前世ではキーボードを叩いていた指が今は筆を握っている。不思議なものだと源一郎は思った。書道など習ったこともなかったが、案外、人間というものはどんな環境にも適応できるのだと。

 

 筆を走らせながら源一郎は昨夜のことを思い返していた。吉蔵の絶望した顔、清次の怯えた表情、若い手代──新助の後悔に満ちた目。三人とも追い詰められた末の犯行だった。賭博の借金、店での人間関係、そして自尊心。それらが複雑に絡み合って彼らを犯罪へと駆り立てた。

 

 だが──。

 

 あの日から何か引っかかるものがあった。

 

 盗んだ反物はどこへ行ったのか。

 

 昨夜三人が持っていたのは直前に盗んだ分だけだった。──では、それ以前に盗んだ反物は。吉蔵たちは「賭博の借金を返すため」と言っていた。ならば盗品を換金しているはずだが、換金したという事実が見当たらないままだった。

 

 それに、賭場の関係者は吉蔵たちの借金が減ったとは言っていなかった。むしろ今も膨らんでいるというニュアンスで言っていた筈。ならば、盗んだ反物はどこへ消えたのか──?

 

 熊造の調べでは闇市場に丸屋の反物は流れていない。深川の裏社会に顔が利く熊造が知らないということは、表立って売られてはいないということに他ならない。

 

 では、再び問う。盗まれた品物はどこへ。そして、牢に入れられた吉蔵たちも、反物の行方に関しては口を閉ざしたまま──。

 

 この一件には、まだ何か裏がある気がした。

 

「渡辺様」

 

 声をかけられて源一郎は顔を上げた。役宅の中庭に熊造が目立たぬように控えていた。その顔には何か重要な情報を掴んだという表情が浮かんでいる。

 

「熊造か」

「少しお話ししたいことがありやして」

「どうした」

「……ちと、お耳を」

 

 熊造は周囲を見回してから声を潜めて言った。源一郎は筆を置き、熊蔵へと寄った。墨で汚れてしまった指を懐紙で拭う。

 

「盗品のことなんですが」

「ああ、それは俺も気になっていた」

 

 他の与力同心たちがいないことを確認してから口を開く。その慎重さが熊造の岡っ引としての経験を物語っている。

 

「闇市場には流れていないんだろう」

「へぇ。あっしも不思議に思いやして、もう少し調べてみやした」

「それで」

「賭場の元締め、甚五郎って男なんですが……こいつがどうにも怪しい」

 

 熊造は声を更に潜めた。その目は鋭い。

 

「──甚五郎は吉蔵たちの家族の居場所を調べ上げてたようで」

「ふむ」

 

 源一郎が促すと熊造が続けた。

 

「吉蔵の家族は長屋住まいですが、今も甚五郎の手下がしきりに辺りをうろついているんでさぁ。恐らくは……脅し。『余計なことを喋ったら分かってるな』ってことでしょう」

「なるほど。人質か……だから吉蔵は口を割らなかった」

「へぇ。恐ろしくて言えなかったのかと」

 

 源一郎は舌打ちした。人質──それは人の弱みにつけ込むやり方でも、最も卑怯なやり方だ。

 

「それに……甚五郎は表向きは賭場の元締めですが、裏では盗品の売買もやってるって噂がありやす」

「盗品の売買か」

「盗賊から盗品を買い取って、それを遠方の商人に売りさばく……そういう商売をしてるらしいんです。江戸の外、上方や東海道筋の商人に流してるって話でして」

 

 源一郎は頷いた。なるほどそれなら話が繋がる。江戸の外に流せば足がつきにくい。上方の商人なら丸屋の印など知らないだろう。小賢しい手口だ。

 

「吉蔵たちは盗んだ反物を甚五郎に売っていたのか」

「確証はまだありやせんが……吉蔵たちは甚五郎に『借金を帳消しにしてやる代わりに、店の品物を持ってこい』と持ちかけられたんじゃないかと」

「つまり──甚五郎が黒幕ということだな」

「へぇ。吉蔵たちは駒に使われただけかもしれやせん。甚五郎は、吉蔵たちに借金を帳消しにすると言いながら、実際は盗品を仕入れていただけ。借金の形にタダ同然で仕入れた反物を売り払えば、差額は全部甚五郎の懐に入る……この分じゃ、賭博も胴元が必ず儲かるイカサマかもしれやせん」

 

 源一郎は少し考えた。確かにその可能性はある。賭博で負けが込んでいる者たちに、借金を帳消しにする代わりに盗みを強要する。考えられる手口だ。それに前世でも似たような犯罪はあった。弱みを握って犯罪を強要する。そして、一度握った弱味はいつまでたっても離さない。人間の悪知恵は時代を超えて変わらない、そればかりか、どんどん巧妙になってゆくものだ。

 

「甚五郎を捕まえる必要があるな」

「へぇ……ですが」

 

 熊造は困った顔をした。その表情には警戒と不安、期待が混ざっている。

 

「甚五郎は用心深い男で簡単には尻尾を出しやせん。それに賭博には用心棒も多い」

「用心棒か」

「へぇ。浪人やヤクザ者、チンピラを十人ほど抱えてやす。紋々入れた荒くれ者ばかりで、ちょっとやそっとじゃ捕まえられやせん」

 

 源一郎は腕を組んだ。十人か。多いな。だが捕まえなければならない。吉蔵たちを脅して盗みをさせた黒幕を野放しにはできない。

 

「だが、どうにかして捕まえなければならない」

「ごもっともで。ですが、流石に渡辺様お一人では」

「いや、今回は一人ではない」

 

 源一郎は立ち上がった。報告書はまだ途中だがこちらが優先だ。

 

「同心を何人か連れて行く。それに──」

 

 源一郎は熊造を見た。

 

「お前もついてくるだろう?」

「へえ。それはもう、もちろんで」

 

 熊造は力強く頷いた。その目には決意が宿っている。先代から受けた恩を若旦那に返す。それが熊造の矜持だ。

 

「では頭取に報告して許可をもらおう」

 

 源一郎は奥の部屋へと向かった。廊下を歩きながらこれからの作戦を考える。十人の用心棒がいるなら正面から行っても揉めることは必至。できれば穏便に済ませたいが、相手が抵抗するならば致し方ないことだと。

 

 §

 

 平蔵は報告を聞いてしばらく考え込んでいた。

 

 机の上には書類が積まれている。火付盗賊改方の頭取という職は多忙だ。各種事件の報告、上役となる若年寄や老中への上申、裁定の準備。やることは山ほどある。だが、それでも平蔵は源一郎の報告を真剣に聞いていた。

 

「……甚五郎か。そやつの悪い噂は聞いている」

「はい。賭場の元締めであり、今回の盗品売買の黒幕と思われます」

「証拠はあるのか」

「いえ……まだ確証はありません。ですが、吉蔵たちを問い詰めれば証言を得られるかと」

 

 平蔵は頷いた。その目は鋭く源一郎を見据えている。判断を下す者の目だ。

 

「ならばまず吉蔵たちから証言を取れ。それから甚五郎を捕らえる」

「はい」

「だが、気をつけろ。甚五郎は危険な男だ。用心棒も多く用意している」

「承知しております」

「御用入りの際は同心を五人つけよう。それで足りるか」

「はい、十分かと」

 

 源一郎の平然とした様子に平蔵は少し笑った。その笑みには若い部下への期待が込められている。

 

「お前の剣があれば十人や二十人相手にはならんか」

「い、いえ、そこまでは……」

 

 源一郎は謙遜したが内心では「まあできなくはないが」と思っていた。渡辺家家伝の鬼切流は多勢相手でも戦える剣術だ。一対一の勝負だけでなく集団戦を想定した技もある。だが、できれば使いたくない。面倒だから。それに人を斬るのは好きになれない。

 

「それと、吉蔵らの家族ですが」

 

 源一郎が言うと平蔵は頷いた。

 

「ああ、そちらもすぐに手配しよう。三人の家族は安全な場所に一時、保護する。甚五郎の手下がうろついてるとの話だが、同心、岡っ引きを数名向かわせる」

「ありがとうございます」

「当然のことだ。脅しに屈して証言できないようでは真相に辿り着けん」

 

 頼もしい言葉だった。平蔵の言葉には部下が動きやすいようにという意志が見られる。

 

「吉蔵にもそのことを伝えてやれ。家族は安全だと」

「はい。では、まずは吉蔵たちから証言を取ってまいります」

「ああ、行ってこい。だが無理はするなよ」

 

 平蔵の言葉に源一郎は頭を下げ、部屋を出た。

 

 廊下を歩きながら源一郎は牢へと向かった。吉蔵たちから証言を取る。それが次の段階になる。

 

 牢は役宅の奥──薄暗く湿った空気が漂い、格子の向こうには囚人たちがいる。皆、覇気を失い壁にもたれているか、不貞腐れるように横になっている。希望を失った者たちの姿だ。

 

 吉蔵、清次、そして新助は別々の牢に入れられていた。互いに顔を合わせないように配慮されている。共犯者同士で口裏を合わせることを防ぐためだ。

 

 源一郎は吉蔵の牢の前に立った。格子越しに中を見る。吉蔵はボウとした眼差しで壁にもたれて座っていた。

 

「──吉蔵」

 

 吉蔵は顔を上げた。前回見た時よりも、さらにやつれたように見える。目の下には隈ができ頬はこけている。罪の重さ、後悔と不安が心身を蝕んでいるのだろう。

 

「盗んだ反物はどこへやった」

 

 吉蔵は黙っていた。半死人のように目を伏せたまま何も答えない。

 

「答えろ。どこへ持って行った」

 

 源一郎が重ねて問うても吉蔵は口を開かない。ただ唇を固く結んでいる。

 

「……言えねぇ」

 

 そして、何度目かの質疑。ようやく絞り出した声は震えていた。

 

「言えない?なぜだ」

「言ったら……言ったら、女房と子が……」

 

 吉蔵の声が途切れる。その目には絶望が浮かんでいる。そして、何かに怯えている目でもあった。

 

「家族が、どうした」

「……すまねぇ。言えねぇんだ……」

 

 吉蔵は頭を抱えた。その肩が小刻みに震えている。

 

 源一郎は悟った。やはり、吉蔵は確かに脅されている。家族を盾に取られて口を割れないでいるのだと。

 

「吉蔵。お前、脅されてんだろ」

「……」

「家族を守りたい気持ちはよく分かる。だが黙っていても状況は変わらない。むしろ悪くなるだけだ」

「……」

「俺たちは火付盗賊改方だ。お前の家族も守ることができる。だが、そのためには、まずお前が全てを話さなければならない」

 

 源一郎の言葉に吉蔵は顔を上げた。その目には迷いと希望が混ざっている。

 

「……ほ、本当に、守ってくれるんですかぃ」

「ああ。約束する」

 

 吉蔵は不安そうにしながらも、真っ直ぐに源一郎を見た。その目には誤魔化すような嘘がない。

 

 吉蔵はしばらく黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。

 

「……賭場に」

「賭場?」

「盗んだ反物は……賭場の元締めに渡しました」

 

 吉蔵の声は小さく力がない。

 

「賭場の誰に渡した」

「……元締めの甚五郎に」

「甚五郎がお前たちに盗みを持ちかけたのか」

 

 吉蔵は黙っていたがやがて小さく頷いた。その動作には怯えと落ち着きの無さが滲んでいる。

 

「……俺たちが賭に負け続けて、借金を返せないでいると知って甚五郎が近づいてきたんだ」

「奴に何と言われた」

「……『店の反物を持ってこい。そしたら借金を帳消しにしてやる』と」

「それで盗みを始めた」

「……最初は断った。だが甚五郎は『断れば借金を取り立てる。お前の家族にも迷惑がかかるぞ。女房と子を質に入れるか』と脅してきた……」

 

 どうすることも出来なかった……と、吉蔵の声は苦しげで、絞り出すような痛みがある。

 

「そんなこと、させられねぇ。家族にだけは迷惑をかけるわけにはいかなかった、だから……」

「だから盗みに手を染めたと」

「……昨夜が四度目だった。これで終わりのはずだった。借金が消えて、後は家族といつも通りに暮らせるはずだったんだ……」

 

 吉蔵の声が震える──源一郎はその姿を見ていた。

 

 甘い。源一郎は話を聞いて、そう思った。悪党が弱味を握って、易々と逃すわけがないだろうと。きっと、弱味を握られ続けたまま、いつまでもいいように扱き使われていた筈だ。だが、口から出そうになる本音を今は堪え、話の先を促す。

 

「……だが、捕まった。それで全てが無駄になった」

「……俺が馬鹿だったんだ」

 

 吉蔵は頭を下げた。その背中は小さく震えている。

 

 源一郎は溜息をついた。やはり甚五郎が黒幕か。吉蔵たちは脅されて盗みをさせられていたのだ。もちろん、だからといって盗みが許されるわけではない。だが事情は理解できる。

 

 人間は弱い生き物だ。追い詰められれば正しい判断ができなくなる。家族を守りたい、迷惑をかけたくないという思いが視野を狭め、道を誤らせる。それは前世でも今世でも変わらない。

 

「清次も新助も同じか」

「ああ三人とも甚五郎に脅されていた。新助の奴は……俺が誘った。アイツも賭に負けて……顔を青くしてたし……一人じゃできないから清次と新助を巻き込んだ。全部……俺が悪い」

「盗んだ反物は全て甚五郎に渡したのか」

「ああ……三度目の品を渡したら、甚五郎が『あと一つで借金は帳消しだ』と……」

「……甚五郎はどこにいる」

「深川の裏通り賭場の奥に住んでいる。賭場の二階に部屋があって、おっかねぇ用心棒を何人も置いてんだ……」

「……最後に聞く。反物はどこに置いてある」

「一階奥の甚五郎の部屋にある筈だ……」

 

 源一郎は頷いた。これで証言は取れ、甚五郎が反物を保管していることも分かった。

 

「そうか」

 

 源一郎は背を向けた。吉蔵の陰鬱で、自ら人生の袋小路に入り込んだ哀れな姿を、これ以上見てはいられなかった。

 

「待ってくれっ」

 

 吉蔵が声をかけてきた。その声には懇願が込められている。

 

「甚五郎を捕まえてくれ……!あいつが全ての元凶なんだ……!」

「言われずとも、捕まえる」

「頼む……!あいつのせいで、あいつのせいで、俺たちはっ……!」

 

 源一郎は振り返らずに答えた。先ほど、どうしても言いたくなったことを。吉蔵の他責の態度に、流石に我慢ならなくなって口から突いて出る。

 

「吉蔵……一つ言うがな。甚五郎は元凶かもしれんが、その状況を招いたのはお前で、窃盗に加担したのも事実だ。それに甚五郎は四度目の盗みが無事に終わったとしても、お前達に盗みを止めさせるつもりはなかったと思うぞ。それが悪党というものだからな。その時に、お前はどうしていた?今度は取り分をやると言われて、欲をかき、また盗みをしたのではないか」

「……」

「……答えられんか。まずは、その盗みが成功していればという甘い考えを改めろ」

 

 それだけ言うと源一郎は牢を後にした。湿った空気から解放され外の空気を吸う。だが胸の重さは消えない。吉蔵たちの運命はもう決まっている。盗人として裁かれ、恐らく遠島。脅されていたという情状酌量があっても入牢か追放……それで、家族はどうなるのか。妻や子供たちは。

 

 源一郎は吉蔵たちに腹が立った。

 

 前世ならもっと救済の方法があったかもしれない。だがこの時代にはない。罪を犯せば重い罰を受ける。ただ、それだけだ。

 

 源一郎は詰所に戻り同心部屋に立ち寄ると声をかけた。

 

「これから甚五郎を捕らえに行く。五人ほど俺に付いて来てくれ」

 

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