鬼切与力つなもり事件帖   作:mimick

99 / 130
第九十四話

 お絹はハッとしたように座敷の中に視線を巡らせた。源一郎、兄、女中の──お鈴、そして猫を撫でている小さな女の子。自分が泣いているところを、これだけの人の前で晒していたのだという事実が遅れて羞恥心となって襲う。

 

 頬と耳の先が赤くなった。

 

「……失礼。取り乱しました──」

 

 声に隠しきれない気恥ずかしさが滲んでいた。お絹が涙の跡を拭い直し、姿勢を正す。泣き顔を見せてしまった──その居たたまれなさを、背筋を伸ばすことで押し殺そうとしている。

 

「気にすることはない」

 

 源一郎はお鈴の淹れてくれた茶を啜っていた。それから、お絹が落ち着くのを見計らって静かに言った。

 

「俺も泣きたくなることはある。たまに、庭で一人で『独り言』を言っておると、おたか──乳母が心配してな。そんなのだから近所で変人と噂が立って、いい歳なのに縁談の一つも来なくなるのだと言われる」

 

 その自虐にお鈴がクスリと笑い、すぐに咳払いして誤魔化す。源一郎の「独り言」が妖怪との会話であることを知っている者には、可笑しくも切ない話だ。

 

 それを聞いたお絹は呆気に取られ、少しだけ──ほんの少しだけ肩の力を抜くことが出来た。

 

 源一郎がその様子を見て、少し間を置いてから再び口を開く。

 

「──お絹殿。正直に申し上げておかねばならないことがある」

 

 お絹が源一郎に目を向けた。

 

「俺には人ならざる者が視える。それは事実だ。だが──神谷殿には既に伝えたが……俺には憑き物を祓う術はない。加持祈祷の法も修めてはおらんし、憑き物についての知識も乏しい。俺にできるのは、お絹殿が見ているものが嘘ではないと伝えることと、話を聞くこと。それだけだ」

 

 率直な言葉だった。飾りがなく、出来ないことを嘘偽りなく伝える。

 

 神谷が頷いた。元より承知の上だった。妹が見ているものを肯定してくれる者がいる。それだけで──どれほどの救いになるか。先程のお絹の涙を見れば、それだけで甲斐があったとも思える。

 

「だが──幸いなことに、この屋敷には俺よりも余程こうした事に詳しい者がいる。お絹殿にとって、きっと知っておいた方がよいこともあると思う」

 

 源一郎はそこで言葉を切り、一度、お鈴の方を見た。阿吽の呼吸。目で問いかける。──事情を話してもよいか、と。

 

 お鈴は一瞬迷った。だが──源一郎がそうすべきと考えるのならと、お鈴は小さく頷いた。

 

 源一郎が神妙にお絹へと向き直る。

 

「此方にいるお鈴は──お絹殿と同じ、憑き物筋の者でな」

 

 お絹の目が驚きに見開かれた。

 

「父親が狐憑きの家筋であったと聞いている。どうやら御先狐という憑き物がお鈴の血に宿っているそうで、最近になって障りが強くなったこともあり、屋敷に豊川稲荷の御分霊を勧請した経緯がある。先ほど話した結界も、その折に縁のできた狐たちによるものなのだ」

 

 お絹はお鈴を見た。先ほど茶を差し出してくれた女中。涙の理由を何も訊かず、ただ温かい茶を出してくれた人。傍目、とても憑き物があるようには見えない──。

 

「お鈴。──何か、お絹殿に伝えたいことはあるか」

 

 源一郎が促した。同じ境遇にある者として、何かあるかと。お鈴は少し間を置いてから、お絹に向かって口を開いた。

 

「……私の苦しみなど、どうということもありませんが──。私は幼い頃からこの家で育ちましたので、旦那様や先代様、義母がずっと傍にいてくれました。旦那様は昔から私よりも『目』がよろしゅうございましたし、見えることを何一つ恐れてもいませんでした。なので、私がそのことで孤独を感じたことはございません。ですが──人に言えぬものを抱えるという気持ちは、分かるつもりでおります」

 

 共感を示す言葉。境遇は異なれど似通った事情を抱える者として、その言葉に込められた実感は作り物ではない。お絹は暫くお鈴を見つめ──それから、小さく頷いた。

 

「……互いに苦労する」

 

 お絹が返したのは、それだけ。しかし、その一言に含まれた思いを、その場において、お鈴だけが汲み取ることができたのだった。

 

 §

 

 頃合いを見計らったように、庭の方から気配がした。着替えたのだろう、修験者としての姿はなりを潜め──着流しの身軽な格好をしている。

 

「話は一通り済んだか」

 

 俊源坊が縁側に腰を下ろしていた。座敷には入ってこない。庭に面した縁側に座り、その姿勢のまま振り返って座敷を見ている。

 

「お師匠、知恵を貸していただきたいのですが……お絹殿の猫のことで。何かお分かりになりますか」

「そうだな。少し話をしようか」

 

 俊源坊は腕を組んだ。

 

「──まず訊きたいのだが。神谷殿」

「はい」

「お前さんの家の猫は、いつから憑いておるか知っているか。先祖代々のものか、どこかの代で憑かれたものか」

 

 神谷は少し考えた。

 

「……はっきりとは分かりません。私自身は妾腹の子ですが、神谷の家には猫に纏わる言い伝えがあったと聞いております。家は元々紀州の出でして、吉宗公の御入府に従い江戸に移りました。それ以前のことは……家の者も多くを語りません」

「吉宗公の御入府──。享保の頃か。あの折には紀州から大勢の家臣が江戸に上ったと聞く。吉宗公は紀州藩主から将軍に就かれた方だからな。紀州の家臣団をそのまま幕臣に取り立てた。確か御庭番の起こりも、その頃だったか──」

 

 何でもないことのように言ったが──御庭番という言葉に神谷が僅かに身を固くした。俊源坊はそれには気づかぬ素振りで続けた。

 

「紀州から江戸へ。──もう七十年ほど前のことになる。その間に家の在り方も変わったろう。紀州にいた頃の風習や信仰が、江戸に移ってからは隠されたり、廃れたりすることは珍しくない。ふむ──しかし、なるほど……紀州か」

 

 俊源坊が僅かに目を細めた。何か思い当たったような顔で顎を撫でた。それから、話は長くなるがと前置きをした。

 

「俺が諸国を歩いた中でも、猫憑きと呼ばれる家筋は片手で数えるほどだった。狐や犬神に比べると、格段に少ない。何故かわかるか、神谷殿」

「いえ……私には見当もつかず……」

「ふむ。少し意地の悪い質問だったか──猫の憑き物筋が少ない理由はな、猫という獣の性質にあると俺は思うておる。──では、源一郎」

「はい」

「お前、狐と犬がなぜ憑き物として多いか、考えたことはあるか。答えてみよ」

「……そうですね。狐は稲荷の眷属として人の信仰に組み込まれ、犬は人の傍に居て群れる。どちらも人の世に馴染みやすいからでは」

「概ね、その通りだ。どちらも人の暮らしの中に居場所がある。狐と犬はそういう呪術的な象徴なのだ。術者が使役するにも、家系に憑かせるにも、比較的扱いやすいと考えられたと言える」

 

 俊源坊はそこで一つ鼻を鳴らした。

 

「だが猫は違う。単独を好み本来は群れぬ。人の言うことも聞かんし、己の都合や気分でしか動かん。──故に、術で使役して人に憑けるということ自体が難しい。狐憑きや犬神憑きに比べて猫憑きが少ないのは、猫という獣が本来人間の意図に沿わない存在だからだ」

「では──少ないながらも猫憑きが存在するのは、何故なのでしょうか」

 

 神谷が問うた。知識への渇望が目に表れていた。妹のために、少しでも多くのことを知りたいのだろう。

 

「それには幾つかの考えがあろう──」

 

 俊源坊は指を折り始めた。

 

「諸国においても猫に憑かれたという話は『単体』では割とあることだ。一つは、猫を害したことで祟られたという話。伊予では、猫を殺すと取り憑くと言い伝えられておってな。猫に害を加えてはならぬという風習が残っておる」

 

 座敷にいた者達皆が、固唾を飲んで俊源坊の語りに耳を傾けていた。

 

「実際にな、俺が四国を歩いた折に聞いた話だが──ある豪農の主人が誤って飼い猫を殺してしまい、それから気がふれて『猫がとりついた』と独り言を言うようになったという。その者は財産も何も失い、とうとう乞食になったそうだ。──猫は執念深い獣だと、昔から言われておる所以と言えよう」

「猫を殺すと、憑かれる……確かに聞いたことがあります」

 

 神谷が呟いた。

 

「二つ目も、それに近いが──猫は魔性の生き物であるという俗信から来るもの。闇を見通す目、音もなく忍ぶ足、死者の傍に座る習性──こうした性質が猫を魔物として畏れさせた。年を経た猫は尾が割れ、化け猫となって人に害を成すとも言われる。──故に、猫を殺せば祟り、しかし、長く飼えば妖となる。どちらにしても畏れの対象になるわけだ」

 

 補足的に師曰く、諸国津々浦々には猫を飼う際は年限を決め、年老いて化ける前に小豆飯を与えるという話もあると。小豆飯を与えると、猫はいつの間にかいなくなっているのだという。

 

「三つ目。これは少し変わった話だが──路傍に捨てられた猫を拾うと憑かれるという俗信もある。道端で子猫が鳴いておる、可哀想だと思って拾い上げる。するとその猫が化生であって、拾った者に憑き、以後離れぬようになる。──要は、情けをかけたことが縁となって憑かれるという話だ。害を加えても憑かれ、情けをかけても憑かれる。猫とは、そういう厄介な──しかし、それだけ人と縁の深い獣だということだ」

 

 源一郎が口を挟んだ。

 

「しかし、お師匠。それらは皆──個人に憑いた話になりますな。先程、『単体』でと仰られましたが……家系に代々伝わる猫憑き──持ち筋となるには、また別の理屈があるのでは」

「良い疑問だ」

 

 俊源坊が頷いた。

 

「四つ目──。これが、家系の持ち筋に繋がる話だ。犬神と同じく、蠱毒の術を根に持つもの」

「蠱毒……」

「源一郎には少し前に触りを話したが──四国の犬神には、こういう言い伝えがある。犬を生きたまま地に埋め、首だけ出して、目の前に食い物を並べて見せつける。犬が食らいつこうとして狂おしいほどに念じた刹那──その首を刎ねる。すると犬の怨念と慾念が塊となり術の核となる。──猫にも同じ術理が伝えられておる土地がある」

 

 座敷の空気が重くなった。

 

「曰く──三毛猫を縛り置き、鰹節を見せながら食わせず、七日の間飢えさせる。猫の慾念が両の目に凝った頃合いに首を刎ね、その頭を『箱』に厳重に収めて事を問い、占いに用いる。──これを猫神の蠱と言う」

 

 そして、一度収めた箱は開けてはならず、開けてしまえば祟られるとも、呪力が失われるともいう──。お絹の顔が蒼白になっていた。神谷も拳を握り締めている。

 

「そしてこの蠱を作り、『箱』を用いたのが──口寄せ巫女だ」

 

 俊源坊の声が一段低くなった。

 

「口寄せ巫女とは、死者の霊を降ろし、その口を借りて託宣を語る者のこと。──巫女の歴史は古い。遥か昔、神の言葉を伝える者が巫女であった。天の岩戸の前で踊った天鈿女命がその祖とも言われる。朝廷に仕えた巫女は審神者と共に神事を司り、神託を降ろし、国の政にすら関わった」

 

 話の長くなった俊源坊が懐から煙管を取り出す。刻み煙草を詰めながら語った。

 

「だがな──時代が下るにつれ、巫女は朝廷や神社の庇護を離れ、里に降りていった。仏法が広まり、巫女の居場所が狭まったのだ。寺社に属さぬ巫女たちは──市井に出て、加持祈祷し、病気平癒を願い、霊の口寄せを生業とするようになった。いわゆる民間の巫女だ。東国では市子や梓巫女、奥州におけるイタコ、各地を渡る歩き巫女──土地ごとに名は違えど、根は同じ。神降ろしの力を持つ女たちが、里に降りて人々の求めに応じた」

「その里に降りた巫女が──憑き物に関わるようになったと?」

 

 源一郎が問う。俊源坊は煙管を咥えたまま、小さく──本当に小さく、何かを呟いた。唇が僅かに動かすだけの所作。

 

 チリ、と雁首の煙草に小さく火が点り、細く煙が立ち昇った。

 

 お絹が目を疑った。神谷も目を見張った──火打石も、炭火も使わず、煙草に火を付けた。俊源坊は何食わぬ顔で煙を吐いた。

 

「そうだ。里の巫女は我ら修験者とも深く交わった。山伏と巫女が共に暮らし、共に祈祷を行う。その中で密教の教え──蠱術のような呪法も巫女に伝えられた。修験者が山で実践した呪術を、巫女が里で用いたのだ」

 

 細く吐き出される煙が拡散し、秋空に消えてゆく。

 

「口寄せ巫女の中でも、とりわけ猫や犬の蠱を作り、呪力を持つ『箱』を代々受け継ぐ家筋──これが憑き物筋の巫女だ。その家に生まれた女は巫女として力を用い、家を出ることは許されなかった」

「つまり──口寄せ巫女の家そのものが、憑き物筋であった、と」

 

 源一郎が確かめるように言った。

 

「そうだ。口寄せ巫女は霊を降ろし、託宣を語る力を持つ。まさにその力ゆえに畏れられ、同時に忌まれた。巫女が病人の前で『狐が憑いておる』と宣えば、その者は狐憑きと判断される。──だが、そう宣う巫女もまた自身の中に獣を飼い、獣の呪力を用い、獣と共に生きてきた。憑き物と巫女は表裏一体なのだ──」

「憑き物と巫女には深い関係がある──」

 

 源一郎が呟いた。

 

「そうだ。そして──もう一つ、別の見方がある。こちらの方が、お前さんたちの家には当てはまるかもしれん」

 

 神谷とお絹に視線を配る。俊源坊の声が少し変わった。推論から確信に寄っていくような響き。

 

「紀州の辺りにはな、猫神を憑き神として祀る巫女の家が代々あるという話を聞いたことがある。犬神が蠱術から生じたのと同じように、猫の首を用いて蠱を作り、それを収めた『箱』を代々受け継ぐ──そうした巫女の家筋があったと」

 

 神谷家に憑く猫の正体──お絹が息を呑む。

 

「伊予では猫を害すれば祟ると言い伝えられ、しかし養蚕の盛んな土地では鼠を獲る猫を守り神として祀った。──猫は善にも悪にも振れる獣だが、その力を敬い、畏れ、祀り、代々受け継いできた家というものが確かにあった」

「猫を……祀り、受け継いだ……」

 

 神谷が眉根を寄せた。

 

「うむ。つまり──猫憑き筋の『家』とは、蠱術を用いた猫神を祀る一族であったと言えよう。故に、猫に憑かれたのではなく──むしろ、憑かせた。そして、継いだとも言い換えられるのだ」

 

 




※後で修正するかも。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。