イグドラシルに喧嘩を売った件   作:tknrdv

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二話 共犯者の夜

 廃ビルから降りる間、リリスモンは俺の背中にしがみついていた。

 

 彼女の黒い翼が、時折俺の肩を撫でる。デジモンの体温は、思ったより温かかった。

 

 深夜の渋谷。人通りはまばらだが、完全に無人ではない。終電を逃した酔客が、時折コンビニから出てくる。

 

 リリスモンの姿は、人間の目には異常に映るだろう。黒いドレス、巨大な翼、黄金の爪――どう見ても、この世界の存在ではない。

 

 だが、彼女は平然としていた。

 

「大丈夫なのか? 目立つぞ」

 

「心配しないで」

 

 リリスモンは、俺の耳元で囁いた。

 

「人間の認識は、簡単に操れる。私がそこにいないと思わせれば、誰も私を見ない」

 

 彼女の爪が、俺の首筋を撫でる。

 

「これも、私の力の一つ」

 

 俺は、駅へ向かった。終電は既に終わっているが、タクシーを拾うには人目につく場所の方が都合がいい。

 

 案の定、一台のタクシーが停まった。

 

 運転手は、俺だけを見ていた。リリスモンを、完全に無視していた。

 

 俺たちは後部座席に座った。

 

「港区、六本木まで」

 

 タクシーは、走り出した。

 

 リリスモンは、俺の肩に頭を預けた。

 

「……アキラ」

 

「何だ」

 

「あなたの家、楽しみ」

 

 彼女の声は、少女のように無邪気だった。

 

 俺は、窓の外を見た。

 

「狭いぞ」

 

「構わない」

 

 リリスモンの爪が、俺の手を握った。

 

「あなたがいれば、それでいい」

 

 

◇◇◇

 

 

 タクシーを降り、マンションのエントランスに入る。

 

 セキュリティゲートを通過し、エレベーターに乗る。三十二階のボタンを押す。

 

 エレベーターの中で、リリスモンは鏡に映った自分の姿を見ていた。

 

「……久しぶりに、人間の建物に入る」

 

「デジタルワールドには、こういうのはないのか?」

 

「似たようなものはある。でも、雰囲気が違う」

 

 リリスモンは、俺の腕に自分の腕を絡めた。

 

「デジタルワールドは、全てがデータ。でも、人間世界は、物質。温度も、重さも、匂いも――全部、リアル」

 

 彼女の吐息が、俺の首筋にかかる。

 

「だから、あなたの体温も、こんなにはっきり感じられる」

 

 リリスモンはこう言っているが、正直俺には何が違うのか分からなかった。そのデータのリリスモンからは本物の物質のように柔らかい感触が伝わってくる。

 

 エレベーターが止まった。

 

 三十二階。

 

 俺は、リリスモンを連れて、自室のドアを開けた。

 

 玄関を抜ける。リビングに入る。

 

 リリスモンは、部屋を見回した。

 

 黒革のソファ。ガラスのテーブル。壁一面の窓から、東京湾の夜景が見える。

 

 そして、奥の部屋――俺の仕事場――には、六台のモニター、三台のサーバー、光ファイバーケーブルが這い回っている。

 

「……相変わらずね」

 

 リリスモンは、ソファに座った。

 

「機能的で、無駄がなくて、冷たい」

 

 俺は、ジャケットを脱いだ。

 

「無駄を削ぎ落とした結果だ」

 

「でも、それがあなたらしい」

 

 リリスモンは、足を組んだ。

 

 彼女の黒いドレスが、太腿のラインを強調する。

 

 俺は、冷蔵庫からウイスキーを取り出し、グラスに二つ注いだ。

 

「飲むか?」

 

「ええ」

 

 リリスモンは、グラスを受け取った。

 

 俺たちは、同時に一口飲んだ。

 

 

 リリスモンは、俺の隣に座った。彼女の翼が、ソファの背もたれに沿うように畳まれる。

 

 沈黙。

 

 雨音が、窓を叩いていた。

 

 リリスモンは、俺の肩に頭を預けた。

 

「……ねえ、アキラ」

 

「何だ」

 

「さっき、あなたが殺されかけた時――」

 

 彼女の声が、少し震えた。

 

「私、本気で怖かった」

 

 彼女の爪が、俺のシャツを掴む。

 

「マグナモンがあなたを殺そうとした瞬間、私、何も考えずに飛び出してた」

 

「……そうか」

 

「もし、私が間に合わなかったら――」

 

「間に合った」

 

 俺は、彼女の頭に手を置いた。

 

「お前は、俺を助けた。それで十分だ」

 

 リリスモンは、俺を見上げた。

 

「……あなた、私に優しくなったわね」

 

「そうか?」

 

「昔のあなたは、もっと無愛想だった」

 

「十年も経てば、変わる」

 

 リリスモンは、微笑んだ。

 

「でも、根本は変わってない」

 

 彼女の爪が、俺の頬に触れた。

 

「あなたは今も、効率と結果だけを信じてる。美徳も、正義も、友情も――そんなものに価値を見出さない」

 

 俺は、彼女の手を握った。

 

「……それの何が悪い」

 

「悪くない」

 

 リリスモンの瞳が、赤く光った。

 

「だから、好き」

 

 俺は、ウイスキーを飲み干した。

 

「……話がある」

 

「何?」

 

「デジタルワールドのこと。イグドラシルのこと。ロイヤルナイツのこと」

 

 俺は、グラスをテーブルに置いた。

 

「お前が言った大粛清。詳しく教えろ」

 

 リリスモンは、身を起こした。

 

「……そうね。あなたには、知る権利がある」

 

 彼女は、立ち上がり、窓の前に立った。東京の夜景を見つめながら、彼女は話し始めた。

 

 

◇◇◇

 

 

「デジタルワールドは、終わりを迎えようとしている」

 

 リリスモンの声は、静かだった。

 

「イグドラシル――デジタルワールドを管理する超越存在。そいつは、デジモンの個体数が許容量を超えたと判断した」

 

「許容量?」

 

「デジタルワールドのリソースには限界がある。データ容量、演算能力、記憶領域――全てに上限がある」

 

 リリスモンは、振り返った。

 

「イグドラシルの計算によれば、現在のデジモンの数は、デジタルワールドの安定性を脅かすレベルに達している。だから、イグドラシルは決断した」

 

 彼女の瞳が、赤く光る。

 

「デジモンの九割を、削除する」

 

 俺は、新しい煙草に火をつけた。

 

「……九割、か」

 

「ええ。そして、その実行部隊が、ロイヤルナイツ」

 

「さっきの黄金の騎士」

 

「マグナモン。ロイヤルナイツの一員」

 

 リリスモンは、腕を組んだ。

 

「他にも、オメガモン、デュークモン、アルフォースブイドラモン――全部で十三体のロイヤルナイツが、デジタルワールド全土で大粛清を実行している」

 

「お前は、なぜ逃げた?」

 

 リリスモンは、少し笑った。

 

「逃げた? 違うわ」

 

 彼女は、窓ガラスに手を触れた。

 

「私は、元々イグドラシルの管理下にいない。私はウィルス種――堕天使型デジモン。イグドラシルが作り出した秩序の外側にいる存在」

 

 彼女の爪が、窓に映った東京の夜景をなぞる。

 

「ウィルス種のデジモンは、狂暴で、狡猾で、他のデジモンたちから恐れられてきた。特に、秩序を望むロイヤルナイツからは、常に危険視されていた」

 

 リリスモンは、振り返った。

 

「でも、皮肉なものね」

 

 彼女の瞳が、赤く光る。

 

「私も含めて、ウィルス種の魔王型デジモンたちが――イグドラシルから見れば排除すべき混沌だった私たちが――今は、大粛清に対抗する最後の砦として、無数のデジモンを守っている」

 

 彼女は、俺の隣に座った。

 

「イグドラシルは、秩序のために九割のデジモンを削除する。でも、削除される側のデジモンは、その秩序に頼れない。だから、私たちのような混沌に頼るしかない」

 

 俺は、煙草を吸った。

 

「……で、他にもイグドラシルに対抗してるデジモンはいるのか?」

 

「ええ。私だけじゃない」

 

 リリスモンは、少し考えるように視線を上げた。

 

「特に強力なのは……デーモンかしら。究極体のウィルス種デジモン。あいつは自分の配下を守るために戦ってる。今は人間世界のどこかに潜伏してるはず」

 

「他には?」

 

「ベルゼブモン――あいつも究極体のウィルス種。孤高ね。誰の命令も聞かないし、誰とも群れない。ただ、自分の信念だけで動いてる」

 

 彼女の顔が、少し複雑な表情になった。

 

「何を考えてるのか、私にも分からない。あいつは誰にも心を開かない。ただ、自分のやり方で戦ってる」

 

「策士タイプもいるのか?」

 

「バルバモンね」

 

 リリスモンの声が、少し険しくなった。

 

「あいつは、私と同じ策士。でも、私よりも貪欲で、私よりも冷酷」

 

「どういう意味だ」

 

「あいつは、利益のためなら誰とでも手を組むし、利益がなくなれば躊躇なく裏切る」

 

 リリスモンは、俺の目を見た。

 

「あなたと、似てる」

 

 俺は、眉を上げた。

 

「……褒めてるのか?」

 

「事実を言ってるだけ」

 

 リリスモンは、微笑んだ。

 

「でも、バルバモンとあなたには、決定的な違いがある」

 

「何だ?」

 

「あいつは、誰も信じない。誰にも執着しない。全てを利用できる駒としか見ない」

 

 リリスモンの爪が、俺の頬を撫でた。

 

「でも、あなたは――」

 

 彼女の唇が、俺の耳元に近づく。

 

「――私を、特別扱いしてくれる」

 

 俺は、彼女の手を掴んだ。

 

「……話を戻せ」

 

 リリスモンは、クスクスと笑った。

 

「ごめんなさい。つい」

 

 彼女は、ソファに座り直した。

 

「あと、一体だけ――特殊なのがいる」

 

「特殊?」

 

「ルーチェモン」

 

 リリスモンの声が、いつになく真剣になった。

 

「あいつは、私たちとは違う。ワクチン種――天使型デジモンよ」

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