メフテルハーネ探訪記 それゆけヘッポコ癒術士パーティーズ 作:紫陽花しようか
癒し手、あるいは癒術士と呼ばれる特異な才能の持ち主達によって、人と、人ならざる異形の生命との共存関係が築かれるこの世界の名を、メフテルハーネという。
人ならざる異形の生命、モンスターと呼ばれる彼らは一説によればこの世界に溢れるSP(シードピース)と呼ばれるエネルギーの影響を色濃く受け独特の進化体系を経てきた生物なのではないかと見られており、それゆえか野に存在するモンスター達の多くはその身にシードピースを吸収しすぎると途端に狂暴化し周囲に被害をもたらす性質を持っている。
癒術士の才能とはこのシードピースをその身に引きつけ操ることが出来るというものであり、一般的に癒し手と呼ばれる者達の生業もこの才能を使ってシードピースによって狂暴化したモンスターを鎮静化させることである。
もしもメフテルハーネに癒術士という存在がなければ、恐らくこの世界はモンスターと人類による血で血を洗う生存戦争が起きていたのではないだろうかと、私は時々そんな悲惨な想像をする。だがその実、現実のメフテルハーネにおいてモンスター達は我々人類にとって得難き友人として、また人に勝るとも劣らない特別な労働力として共存関係を築けている。
癒術士が、こんにちのようにモンスターと人類との共存関係を築くために必要不可欠な存在であったことは疑うべくもないことであろう。
癒術士達に感謝を、そして彼らをいち早く見出しその支援体制を整えた栄光ある王国に繁栄あれ。 ―――移動図書キャラバン名誉書記長ブンゴ―・ペンダー著作『癒術士とは』より冒頭部分抜粋―――
むむむ、と開かれた本の背表紙の向こうから唸るような声があがり、分厚い『癒術士とは』の装丁の両端から少女のトレードマークでもある真っ黒なツインテールがひらひらと所在なさげに揺れている。
父が元癒術士つきの魔法使いであったこともあり蔵書家として知られていた我が家に「癒術士って何!?」と叫びながら突如来襲してきた4つ下の友人を自室の勉強机に座らせ、その顔面に父の蔵書のうちの一つを力一杯叩き付けてからおおよそ数十分後の事であった。
明らかに本の内容が頭に入ってきていない―――というか、彼女はたしか文字の読み書きをまだ完全に習得していなかった筈ではなかっただろうか。その証拠に先ほどから全くページが進んでいない―――彼女の唸り声をBGMにルーティエはティーカップに注がれた紅茶があげる細く弱弱しい湯気の糸の行方を目で追っていた。
そろそろ低血圧でだれていたところに早朝から容赦なく突撃してきたことを水に流して助け舟を出してあげるべきだろうか。そんな事を考えながらティーカップの縁で唇をくすぐり、適度に温くなった紅茶を舌の上で弄ぶ。
「……そういえば、なんでいきなり癒術士のことなんか気になったの? もしかしてモンスターのお友達でも欲しくなった?」
話の切り口として適当に口にした言葉であったがこの友人ならそれもあり得るな、と自分で自分の言葉に妙な納得をしたルーティエであったが、少女はその予想に反して「んーん」と首を横に振った。
「なんか、私ね」
「うん」
「私も、突然だったから驚いてるんだけどね?」
「うん」
「癒術士の才能があるんだってー」
「へぇ……」
「凄いよねぇ」
「そうねぇ。それで、癒術士になりたいから癒術士の勉強をしにきたのね?」
「えへぇ、そうなんだぁ。お母さんがルーティエちゃんのお父さんは癒術士と一緒に旅をしてた人だから色々教えてもらいなさいって」
「なるほど、ね」
紅茶を飲み干し、カフェインの力で少しづつ回転がはやくなる思考を感じながらカップの底を眺める。
癒術士、の才能、と、そういったのだろうか。それは…………
「癒術士、なりたいの?」
「癒術士は人の役に立つ立派なお仕事だから嫌じゃなければやってみなさいって、お母さんが。私もその、癒術士になればモンスターや人間のお友達が出来るかなぁ、なんて」
本で顔を隠したままくすぐったそうに笑う友人の声を聞き、ルーティエは密かに眉を寄せた。
「あのねぇ……癒術士を生業にするということは癒術士組合に所属してあちこちを旅しなければならないということなのよ? 旅の道中では野宿なんて当たり前だし、お風呂だって毎日入れない、下手をすれば毎日ちゃんと食事をとれるかどうかもわからないのよ。あなたいくじなしの弱虫のくせにそんな生活に耐えられるの?」
「わ、私だって料理くらいできるもん。キャンプだって何回もやったから得意だし」
「弱虫のいくじなし、というのは否定しないのね」
小さく息をつきルーティエはそれまで腰掛けていたベットの上から腰をあげ、少女の手から本を取り上げた。
「あっ」
「あなたの気持ちは分かったわ。だから―――」
―――テストをしましょう―――
にこり、でも、くすり、でもなく、『ニヤリ』と。いかにもワルそうな笑顔で紡がれた言葉にきょとんとした表情を浮かべる少女の手を引き、ルーティエは自室の出口に向かってずんずんと歩き始めた。
何事も、大事にしろ小事にしろ、そのはじまりというのは大概がどうでもいいようなしょうもないような、そんな小さなきっかけからはじまっていくものだ。
癒術士としての才能に目覚めた少女のその後の人生を何かの物語に例えるとするならば、恐らくそのプロローグはその多分に漏れずどうしようもなくしょうもないきっかけからのはじまりあったといえるだろう。
なべて世はこともなし。それは悪の大魔王も世界の危機も存在しない平和な世界メフテルハーネの片隅ではじまる小さく大きな新米癒術士の第一歩。