引き続き有栖ちゃんをペロペロしながらお楽しみください。
通報を終えたオレはゆっくりとスマホを隠す。
ほとばしる緊張。
一粒の汗が喉元を伝って地面に滴り落ちる。
夕陽が校舎の影を長く伸ばし、オレと坂柳の間に不穏な空気が漂っている。
今オレの目の前にいるのは坂柳有栖という少女。
コイツはホワイトルームの存在を知り、オレの事も一方的に知っていた。
そして一方的に知っているだけのオレと再会できたことを喜んでいるヤバい奴だ。
「……本当に警察に通報してしまったのですか?」
「ああ、直に到着するだろう。それまではオレが相手をしてやる」
そんなヤバい奴を野放しにするわけにはいかない。
葛城というかAクラスの連中が今までどうやってコイツと付き合ってきたのか知らないが、どうあがいても危険人物でしかない。
絶対にクラスをまとめさせてはいけない存在だ。
コイツにAクラスを掌握されたら、きっとオレ達の計画にも支障をきたすだろう。
せっかく楽しくなってきたのにそんなのはごめんだ。
張り詰めた緊張感の中、目の前の危険人物……坂柳有栖に視線を戻す。
コイツはまるで興味深い実験動物でも観察するかのように、目を細めてオレを見つめている。
その表情には警察に通報したことへの動揺といったものは一切見当たらない。
ただ不機嫌そうな冷たい笑みが浮かんでいるだけだ。
「随分と失礼なことをしてくれましたね、綾小路清隆くん」
坂柳はやや早口に、それでいて一語一句を際立たせるようにそう言った。
手に持っている杖が地面を軽く叩き、カツンという音が静かな空間に響く。
不機嫌であることを隠そうともせず、むしろ見せつけるような態度だ。
「不審者とは心外です。私はあなたを歓迎しているのですよ?」
「歓迎するにしてもやり方があるだろう。意味不明な独り言を重ねて、一方的に過去を知っているような口ぶり。しかも偽りの天才を葬るだと? どう考えてもお前はまともじゃない」
オレは冷静に、だが突き放すようにそう告げた。
だって普通に危険だからな。
恐らくコイツは付き合ってる男すらも気分次第で平気で刺すような人間だ。
人を人とも思わない。そんな目をしている。
坂柳があの男からの差し金なのかどうかは分からないが、危険人物であることに変わりはない。
だからまずはこの狂った状況をどうにかするのが先決だな。
「ふふふ、まともじゃないですか。それをあなたに言われるのは実に興味深いですね」
興味深くなってる場合か。
お前この後警察に補導されるかもしれないんだぞ?
誰にも実害がなかったとしても精神的被害を訴えることくらいはできる。
だが、オレの心配などコイツはお構いなしだ。
坂柳は楽しげに笑い、杖を使いながら一歩だけオレに近づいた。
紫がかった銀髪が夕陽に照らされて、どこか妖しく輝いている。
オレはもちろん逃げるつもりもない。
警察が来るまでこの場にコイツを拘束する。
「私の言動が理解できないのはあなたがホワイトルームでの記憶を巧妙に隠しているから、もしくは本当に忘れているからでしょう。どちらにせよ、あなたにとって私は都合の悪い記憶を刺激する存在ということになります」
「オレには何の記憶もない。お前が勝手に騒いでいるだけだ」
「しらばっくれても無駄ですよ。あなたの走りを見て確信しました。あの時の『最高傑作』としての輝きを」
『最高傑作』――その単語はオレの心臓を微かに締め付けた。
ホワイトルームでオレに付けられていた呼び名だ。
そう呼ばれるだけであの時の記憶が鮮明に蘇ってくる。
白い壁、無機質な照明、終わりのない訓練の日々。
やはりコイツは知っているな。
だが、オレは動揺を悟られないようにあえて強気の姿勢を崩さない。
「その最高傑作とやらが何なのか知らないが、オレはお前が誰にも危害を加えないように監視している。これ以上意味不明な発言を続けるならオレにも考えがある」
「ああ、先ほどの通報ですね。残念ですが、あなたと私の関係を説明する上で警察は何の役にも立ちませんよ。むしろ厄介な雑音が増えるだけです」
坂柳は自信満々にそう言い放ち、再びオレの顔をのぞき込んだ。
紫色の瞳が、まるで獲物を見定める猛禽類のようにオレを射抜く。
「あなたは知るべきです。私こそが真の天才であると。そしてあなたという偽りの天才を打ち破ることで、この世界に正統な秩序を取り戻さなければなりません」
やっぱりコイツは異常だな。
坂柳の目には狂気にも似た執着が宿っていた。
単なる派閥争いやクラス間競争とは違う。
もっと根源的で個人的なオレに対する強い感情だ。
だが、オレはそれに付き合うつもりはない。
「残念だがお前の戯言に付き合っている暇はない。警察が来るまでそこにいろ」
オレが一歩踏み出して坂柳との距離を詰めようとした、その時だった。
コイツはふっと笑みを消し、その瞳に僅かな憐憫を浮かべた。
「そういえば、一つ言い忘れていましたね、綾小路くん」
「なんだ」
「あなたが私を警察沙汰にしてまで遠ざけようとしているのを見て確信しました。あなたがあの場所から逃げ出した失敗作であることも。あなたのお父様があなたを今も捜していることも」
オレの動きが一瞬だけ止まった。
父親。
ホワイトルームの運営者であり、オレを縛り続ける鎖でもある男。
その言葉は警察という雑音よりも遥かに重くオレの心を揺さぶった。
風が吹き、木の葉が舞い落ちる。
坂柳はその一瞬の隙を見逃してはくれない。
「あなたを連れ戻しに来るのは私の役目ではありません。むしろ私は協力者になって差し上げても良いのですよ?」
坂柳は声を潜め、まるで甘い毒を囁くかのように言葉を続ける。
どうやらコイツはオレの父親からの差し金ではないようだが、父親をネタにしてオレを脅すつもりらしい。
「私と手を組んで真の天才である私に協力するなら、あなたの逃亡生活を少しだけ延命させてあげましょう」
「馬鹿馬鹿しいな。お前に協力する理由なんてオレにはない」
「そうでしょうね。ではこういうのはどうでしょうか?」
坂柳は再び笑みを浮かべ、オレの最も触れられたくない部分を抉るように囁いた。
「もし私の要請を拒否するようなら、この学校の全てを巻き込んであなたの過去を暴き立てて差し上げます。そして、あなたの居場所をあの人に教えて差し上げましょう」
「……お前、本気で言ってるのか?」
オレは隠したままのスマホの存在を忘れるほど、全身の神経をコイツの一挙手一投足に集中させた。
これ以上隙を見せてはならない。
もし隙を見せたならばコイツのオモチャにされてしまうだろう。
コイツにはそれだけの力と野心がある。
坂柳はそんなオレの動揺を喜んでいるかのように、優雅に頭を下げた。
「もちろん本気です。さあ、どうしますか綾小路清隆くん。私の敵となりますか? それとも協力者になりますか?」
「・・・」
この選択を間違ってはいけない。
協力者になればオレの平穏は保たれるが、コイツはオレを使って悪巧みをするだろう。
そうなればオレ達が進めている計画はあっけなく崩壊してしまう。
敵になれば居場所を失い、オレはホワイトルームへと逆戻りか。
どちらをとってもつまらない最低な二択だな。
だが、選択肢なんてあってないようなもんだ。
オレはまだここで青春を満喫したい。
せっかくオレを楽しませてくれる存在と出会えて、ここまで順風満帆に過ごしてきた。
この素晴らしい学園生活をたった半年で終わらせるなんてありえないな。
計画は確かに大切だ。楽しみでもある。
だがそれよりもクラス茶柱という最高の居場所を、春麗という最高のパートナーを簡単に失いたくはない。
だからもちろん答えは決まっている。
坂柳に協力するしか、オレに生きる道は残されていないんだから……
「普通に無理だけどな」
「はい?」
「お前に協力するなんて普通に嫌なんだが」
「ちょっと待ってください。なにを子供みたいなことを言っているのです。私はあなたを脅しているのですよ?」
「それでも全然無理なんだが」
「ご自分の立場を分かっておいでですか? 私に協力しなければあなたの居場所を奪うと言っているのです」
そんな事はもちろん分かってる。
だが断らせてもらおう。
お前に協力するなんてまっぴらごめんだからな。
馬鹿なヤツだ。
オレがなんでお前の話にわざわざ付き合ってやってるのか全然わかってないらしい。
「いくら脅しても無駄だ。というか逆効果だな」
「一体何を言っているのですか?」
「今の会話はスマホで全部録音させてもらった」
「――!」
冷静を装っているが動揺はしてるな。
こんなのは誰でも思いつきそうなやり口だが、想定していなかったらしい。
坂柳の瞳が僅かに揺らぐ。
オレは隠していたスマホを坂柳に見せつけて録音を再生させる。
「お前ははっきりと『過去を暴き立てる』と言ったな。これを警察に提出すれば脅迫罪で捕まるだろう」
「・・・」
「たとえ刑罰が軽くとも、たとえ不起訴処分にしようとも名声に傷をつけるには充分だ。お前の名声も、そしてお前の父親である理事長の名声もな」
坂柳は分かっていない。
相手を脅すという事は、自分も脅されるリスクがあるという事を。
自分が脅されてしまえば、それが周囲の人間にも損害を与えるという事を。
そしてお前の父親が、この学校で最も強い影響力を持っているという事を。
「さあ、どうする? 警察はもうすぐ来るはずだ。迷ってる時間はないぞ」
「ふふ……ふふふふふ」
ここでも笑うか。
やっぱりコイツは異常だな。
だが、その笑いには先ほどまでの余裕がない。
どこか乾いた、追い詰められた者の笑いだ。
「本当にあなたは素晴らしいです。綾小路清隆くん」
「お世辞はいらない。それより早く答えたらどうなんだ?」
オレは心を閉ざし、坂柳の言葉をノイズとして処理した。
オレはオレのために、ひいてはオレ達のためにこの状況を終わらせることに集中する。
その時、校舎の遠く向こうから微かにサイレンの音が聞こえてきた。
警察だ。
夕闘の中、赤い光が点滅しながら近づいてくる。
サイレンの音を聞いて、そこで初めて坂柳の表情に変化が現れた。
驚きというよりは焦りに近い感情だな。
「……分かりました。ここは降参しておきましょう」
だが、判断は冷静だ。
さすがに父親を巻き込むほど愚かでもないらしい。
杖を握る手が僅かに震えている。
そしてオレにとっては好都合でもある。
「話は変わるが、お前は学年全員をAクラスに引き上げて卒業させるというオレ達の計画を知っているか?」
「葛城君から伺ってますが、それがなにか?」
「特に意味はない。ただの確認だ」
そう、ただの確認だ。
だが確認出来たなら話は早い。
せっかくお利口な判断を下してくれたコイツには、充分過ぎるほどの利用価値があるからな。
「もう一つ聞くが、今の自分の立場は分っているな?」
「もちろんです。私は何を差し出せばよろしいのですか?」
「何も差し出す必要はない。ただし一つだけお前に指示を出す」
「ふふふ、随分とお優しいのですね。もしかしてそれだけ過酷なもの、という事なのでしょうか」
「いや、簡単なものだ。お前はこれからオレ達に従え」