高度育成高等学校の桜は、今年もまた新しい生徒たちを迎えていた。
新入生の1人である私、一之瀬帆波は新たな思いを胸に秘めながらこの地へと足を踏み入れようとしていた。
新生活は楽しみでもあるけど、同時にちょっと不安も感じてる。
高校生活は上手くいくといいんだけど……
私の人生は波乱万丈だ。
楽しかった過去も自分の愚行によって一瞬で消え去ってしまった。
以前の過ちを繰り返したくない。
私には中学時代にたった一度だけ犯した万引き行為ですべてを壊してしまった過去がある。
別に悪いことをしたかったわけじゃない。
反抗期を迎えていたわけでもない。
本当は妹に誕生日プレゼントをあげたかっただけなのに。
病に臥せてるお母さんを喜ばせたかっただけなのに。
そして険悪気味だった2人の仲を取り持ちたかっただけなのに……
お金がなかったから仕方ないというのは最低な言い訳で、私がやってしまったのは立派な犯罪行為だった。
純粋に家族を喜ばせたかっただけだけど、犯罪者を歓迎してくれるほど世の中は甘くなかったんだよね。
病に臥すお母さんの、あの時の涙。
傷つき殻に閉じこもってしまった妹の悲痛な顔。
それが今でも忘れられない。
だから愚かだった自分とはいい加減にサヨナラしなきゃ。
もう一度お母さんと妹の笑顔を取り戻すためにも、私は自分の咎から逃げたりしない。
そう決意した私は入学してすぐに生徒会への参加を強く希望した。
中学時代には生徒会長を務めた経験もあったから、愚かな自分とサヨナラするには最適な環境だ。
それに学校を変える力、みんなをまとめ上げる影響力に憧れてもいたからね。
だから生徒会に入るのは私の念願でもあったんだけど、当時の生徒会長であった堀北学先輩によって私の熱意は静かに受け流されてしまった。
「一之瀬、お前の力は認める。だが、今は生徒会に入る時期ではない。まずはクラスを、そして学園の仕組みを深く理解することに専念しろ」
その言葉はまるで鋼鉄の壁のように私の行く手を阻んだ。
有無を言わさない冷たい瞳。
不服ではあったけど生徒会長の言葉であれば従うしかない。
やっぱり決意だけで上手くいくほど甘い世の中じゃないみたいだね。
でも絶対にあきらめないから。
生徒会への思いを胸に秘め、まずは自分たちのクラス――Bクラスを最高の場所にするために全力を尽くすと誓った。
◆ ◇ ◆
私は生徒会に所属しないまま充実した学校生活を送っていた。
持ち前の明るさと行動力でクラスをまとめ、自分のクラス以外にもたくさんの友達が出来て、生徒会に入れなかったこと以外は順調そのもの。
生徒に与えられるお金代わりのPPは入学してから増える一方で、高校生にとっては贅沢ともいえるような毎日を友達と共に楽しく過ごしている。
特に仲が良いのはクラス茶柱の春麗ちゃん。
彼女はとっても強くて優しくて綺麗なんだよね。
だからいつも頼りにさせてもらっているんだ。
そんな春麗ちゃんを中心にして1年生は上手く回っている。
争いが絶えないこの学校でも平和で楽しい生活を送れているのはほとんど彼女のお陰かな。
だから余計に力が入る。
自分も彼女のようになりたい。
いや、ならなきゃいけないんだと。
そう決意を固めて2学期に入った頃、意外な人物から声がかかった。
「一之瀬帆波。少し話がある」
私の目の前に現れたのは当時の生徒会副会長、南雲雅先輩だ。
彼は堀北先輩とはまた違う強烈なカリスマと鋭さを持っていて、彼も私の憧れている人物の1人。
「堀北先輩はお前を生徒会に入れなかったようだが俺は違う。お前の才覚はクラスに閉じ込めておくには惜しい。生徒会に入ってその力を発揮してくれ」
南雲先輩の言葉は、私の心の奥底に燻っていた炎に再び火をつける。
堀北先輩に断られたことで諦めかけていた夢が目の前に差し出された瞬間だった。
「ぜひ、やらせてください!南雲先輩の期待に応えられるように精一杯頑張ります!」
もちろん私は二つ返事で快諾したよ。
だってこんなに嬉しい話はなかったから。
南雲先輩は満足そうに微笑み、私の生徒会入りが決定した。
それは彼が次期生徒会長になることをほぼ確実視されていた時期でもあったんだよね。
だから私はこの恩義に報いるため、生徒会の業務に文字通り身を粉にして従事した。
南雲先輩は予定通り生徒会長に就任し、学校に新たな風が吹き荒れる。
彼の生徒会運営は堀北先輩の時代とは一線を画していた。
自由で革新的、そして何よりも独裁的だった。
学園の規則は彼の意向一つで簡単に捻じ曲げられ、時には他の生徒の意見を全く聞かずに物事が決定されていく。
それは彼が掲げる実力至上主義の完全な体現だったのかもしれない。
最初は南雲会長の強いリーダーシップだと感服していた。
やっぱりまわりから憧れるようになるには多少の強引さも必要なのかなって。
私にもああいう能力が必要なのかも。
でも時間が経つにつれて、それは違和感へと変わっていった。
やがて違和感は不安に変わり、私の心には小さな棘が刺さっていくことになる。
「会長、混合合宿試験の追加ルールは少し過激すぎませんか?道連れ退学なんて……こんなの他の生徒からの反発も大きいと思います」
私は勇気を出して、自分の不安を彼に伝えた。
南雲会長は書類から目を離さず、冷たい言葉を言い放つ。
「反発?それは単に無能な連中の戯言だ。それに生徒会が追加したとバレなきゃ問題ないから気にするな。だから一之瀬、お前も生徒会の一員なら俺の判断がこの学園にとって最善だと理解しろ」
私の思い描いているリーダー像とは違う。
もっと優しくて生徒思いの人だと思ってたのに、勝手に抱いていた憧れからどんどんかけ離れていく。
彼は学園全体のためではなく、彼自身が好き勝手にやるために生徒会を動かしているように見えた。
その感情は徐々に膨れ上がり、刺さったままの小さな棘が私の心を蝕んでいく。
それでも私は彼に恩義があるから報いたい。
その一心で、私は再び南雲会長に訴えた。
「会長!私は生徒会は一部の人間のためのものじゃなくて、すべての生徒が公平に安心して過ごせる場所を作るためにあるべきだと思います。堀北先輩が目指していたのはそういう生徒会だったんじゃないでしょうか」
その時南雲会長は初めて書類から顔を上げ、私を真正面から見据えた。
彼の目は獲物を品定めするかのように鋭く、そして熱を持っているみたいに怪しく光っている。
「一之瀬、お前は本当に聖人のような人間だな。真面目で、正直で、純粋で、俺のやり方に疑問を持ちながらもこうして俺に尽くそうとする」
彼は椅子から立ち上がり、私の前に立った。
その距離は私には異常に近く感じる。
ううん、感じるんじゃなくて異常に近い。
それは私のパーソナルスペースを充分に侵すもので、正直とても怖かった。
「やり方を改めろ、か。いいだろう。簡単なことだ」
南雲会長は私の顎に手をかけ、無理やり上を向かせた。
「いやっ、やめて」と声に出したかったけど、口を自由に動かせない。
怖い。
もしかして今から変な事をされちゃうんじゃないかと思うと、足が震えて体がすくんでしまう。
「俺のやり方を変えろと言うのなら、お前が俺の女になればいい」
「え?」
そして彼の言葉は、私の頭を真っ白にした。
「生徒会長である俺の公私にわたるパートナーになれ。そうすれば俺もお前の可愛らしい理想に多少は耳を傾けてやる。どうだ?」
それは南雲会長への忠誠心と、私という一人の人間としての尊厳を天秤にかけるあまりにも残酷な取引の提案。
全然意味が分からない。
でも目が笑ってないから多分本気で言ってるんだと思う。
手足が震えて、心が黒く染まっていく。
やっぱり怖いけど、逃げるわけにもいかなかった。
私はもう自分から逃げ出したくない。
でも頭は未だに混乱していて、まともに思考が働かない。
彼への恩義と、彼の独裁。
何をどう選べばいいんだろう。
私はどうすればいいのか分からず、ただただ立ち尽くすしかなかった。
「なんてな。冗談だ一之瀬。脅して悪かったな」
おどけた口調と共に解放されるも、それでも彼の目は笑っていない。
それが余計に私を混乱させて、一体何が正義なのか分からなくなってしまいそうだ。
◆ ◇ ◆
追い詰められた私は最も信頼できる親友、春麗ちゃんに悩みを打ち明けようと彼女を呼び出した。
私の寮部屋でベッドに座りながら体を寄せあう。
彼女が近くにいるというだけで安心して口が緩み、多分言っちゃダメなんだろうけど生徒会の内情を余すことなく伝えてしまう。
でもしょうがないよね。
だって1人で悩んでも解決しないんだもん。
1人で思い悩んで中学時代のような過ちを繰り返すくらいなら、私は仲間を頼ってでもそれを回避したい。
そうして南雲会長の話をすると、春麗ちゃんは目を見開いた後にブチギレてしまった。
ア、アレ?
私なんかマズイ事でも言っちゃったかな……
「そんなの絶対に応じちゃダメよ!あなたは生徒会の道具なんかじゃないし、ましてや南雲先輩の道具でもない!そんな馬鹿げた取引には絶対に応じない事。いいわね!」
「あ、あはは……でも春麗ちゃん。私には南雲先輩に生徒会に入れてもらった恩があるんだー。それにもし私が断ったら、彼のやり方はさらに独裁的になるかもしれないよ?私がそばにいれば少しでも良い方向に影響を与えられるかも…………」
「馬鹿言わないで!あなたの考えは甘すぎよ!」
春麗ちゃんは今まで見たこともないような鬼の形相を浮かべて激高している。
それを見てようやく怒ってる理由が分かった。
ああ、この人は私の事を心配してくれてるんだって。
たったそれだけの事が分かっただけでも凄く嬉しかった。
その瞬間に黒く汚染された心に光がさして、自分の迷いが一気に晴れたような気がした。
そんな私の肩を春麗ちゃんは強く掴んでいる。
「一之瀬さんの理想がそんな卑怯な手で歪められていいわけがない。あなたが南雲会長のやり方に疑問を持ったなら、その疑問を正す力を使うべきよ」
でも私は春麗ちゃんの言葉の意味が分からず戸惑っていた。
彼女は正義感も強いから明確なビジョンがあるんだろうけど、私は同じものを共有してるわけじゃない。
「力、って……?」
何を言おうとしてるのか分からないけど、彼女の目には、迷いのない、強い信念が宿っている。
やっぱり春麗ちゃんは強くて優しくて綺麗だ。
もう……本当にかっこよくて嫉妬しちゃうなー。
だから私は簡単に彼女に憧れる。
「難しく考えなくていいわ。南雲先輩を生徒会長の座から引きずり降ろすの」
「え!?」
「あなたが彼に代わって生徒会長になればいい。あなたなら堀北先輩が目指した、そしてあなたが理想とする公平で正しい生徒会をきっと作れるわ。南雲会長のやり方を変えさせるなんて遠回りなことせず、あなたが直接この学園の生徒会を変えればいいのよ」
「ええっと……言いたいことは分るけど……無理じゃないかな。だってそれって南雲会長を敵に回すってことだよね?」
「もちろんよ」
「それはちょっと困るって言いますか、なんと言いますか……あはは」
「それならあなたは指をくわえて南雲先輩の独裁を見てるだけでいいの?それとも先輩のおもちゃにでもなる?」
「ううん。それは嫌かも」
「じゃあやるしかないじゃない。自分に成し遂げたいことがあるなら覚悟が必要よ」
覚悟かぁ……
そっか……だから春麗ちゃんは強いんだ。
きっと背負ってるものが違うんだね。
彼女の言う通り、やっぱり私は甘いのかな。
他人に求めてるだけじゃ、自分の欲しいものは何も得られないのかもしれない。
「こんな私でも変えることが出来るのかな……」
「一之瀬さんなら出来るわよ。だってあなたは誰よりも優れた人間なんだから」
「にゃははー……なんか照れちゃうなぁ」
そして憧れからの言葉は、私の心に自信を植え付け、新たな波紋を広げていく。
恩義と理想の間で揺れていた私の迷いは、今「生徒会長」というかつて堀北先輩に断られた、でも心の奥底で熱望していた新たな目標に向き合うことになった。
(やっぱりこのまま南雲会長の独裁を許すわけにはいかないよね…………うん!私も覚悟を決めなきゃ!)
「私も協力するから一緒に頑張りましょう。間違っても南雲先輩の女になんかなっちゃだめよ」
「うん。ありがとう春麗ちゃん。私、頑張ってみるよ!」
理想と現実。
過去と現在。
憧れと私。
波紋を広げた心の中は真っ白に浄化されていく。
私の信念をかけた戦いが、今、始まろうとしていた。