5月第1週。
とある日の放課後。
私――春麗は教室の後ろから平田くんの演説を眺めていた。
3週間後に迫る中間テスト。この学校では定期テストで赤点を取れば即退学という過酷なルールがある。だからこそ、今ここで手を打たなければならない。
「みんなちょっといいかな」
平田くんの声が教室に響く。
「茶柱先生の言っていた中間テストが近づいているけど、そこで赤点を取れば即退学という話は全員理解していると思う。だから、みんなに話があるんだ」
Bクラス――正式にはクラス茶柱だけど、私のクラスのリーダーは今でも平田くんよ。
私が彼にその役割を任せたのには理由がある。「あなたがクラスの顔よ」と告げたあの日、彼は少し戸惑いながらも引き受けてくれた。温和で誠実、そして何より人望がある。リーダーとして申し分ない人材だ。
高度育成高等学校という高校はかなり特殊な教育機関だ。
クラスポイントと呼ばれるこの学校独自の価値基準があり、それをクラス同士で競い合う。最終的にトップ――つまりAクラスで卒業しなければ、学校の謳い文句でもある「卒業すれば好きな進路に必ず進める」という権利を勝ち取ることが出来ない。
はっきり言って詐欺で訴えられてもおかしくないのだけれど、現状そうなってはいないみたい。ついでにいえばここは国立高校でもある。つまり国がこの教育機関を認めているという事。
「まったく、頭の痛い話ね」
平田くんの演説を聞きながら、小さく愚痴をこぼす。
私はAクラスでの卒業を必要としないけれど、クラスメイトがどうなのかまでは分からない。だからクラス同士での争いに備えて組織として纏まる必要はある。そうなれば当然リーダーも必要だ。
私がやってもいいけど、リーダーシップは彼に任せる事にした。みんなからは何故か女王なんて呼ばれる事もあるけど、私は別に女王を気取りたいわけじゃない。
むしろ逆で、出来れば女王なんてものにはなりたくない。たまにサディスティックな面が出ちゃうだけだから、そんな称号は勘弁願いたい所ね。
インターポールを目指す私にとっては、組織の中での動きを学ぶことこそが大事なのだから。だからこの学校ではクラスの一員として、必要な時に、必要な場所で動く。もちろんみんなの勝利のために。
そして私は綾小路くんと共に、今回のテスト対策を練り上げた。
彼は不思議な男だ。
表向きは平凡を装っているけれど、身体能力は中国拳法を極めている私から見ても高く、また思考も鋭い。それなのに彼は目立ちたくないからという理由で、類まれなる能力を隠しているみたい。
背景までは分からないけれど、純粋に高校生活を楽しみたいみたいだから好きにさせてあげましょう。もちろんみんなで楽しむために協力してもらうけどね。
そして私と綾小路くんが考えたテスト対策を平田くんと共有し、今、彼がクラス全員に伝えている。
今回のテストだけではない。この先何度も訪れる定期テストを見据えて、退学者を極力出さないための戦略。退学者が出ればクラスポイントが減らされるから、それは避けなければならない。
「赤点のボーダーラインが平均点の半数以下なのは茶柱先生が教えてくれたからみんな知ってるよね。だから僕たちはその平均点を――現状のクラスのレベルに見合った点数に下げようと思う」
だけど平田くんの演説を聞いてざわめきが広がった。
予想通りの反応ね。
特に幸村くんという成績優秀な生徒が反発する。彼のように理論武装する者は常にいる。でも、理論だけでは戦えない。
私は幼いころに父の姿を見て学んだ。この世には理論だけではどうにもならない不条理が存在するのだと。
「ごめんよ幸村くん。でも小テストの結果から考えると今のままじゃ7人近く退学者が出る可能性があるんだ。それをテスト勉強のような付け焼刃でなんとかしようとするのはリスクがあまりにも高い」
「言いたいことは分からないでもないが、いくらクラスポイントのためとはいえそんなやり方はフェアじゃないだろ。赤点連中に楽をさせて何の意味がある?」
幸村くんの言い分も理解できる。でも、他人を見下すような発言は出来ればやめて欲しいとも思う。傲慢な態度は巡り巡って、自分自身を滅ぼす刃になりかねない。
「うん。だからテスト勉強自体はやってもらうよ。そのための勉強会も開くつもりだ」
平田くんは優しく、しかし確固とした口調で告げた。
上級生から聞いた話では、定期テストで高得点を取ったところで得られるものは特にないみたい。たまに特殊な試験も存在するようだけれど、今回は普通の筆記試験で赤点回避さえすれば100CPがクラスに付与される。
それらの情報を踏まえて私たちが提案したのは「現状のクラスのレベルに見合った点数」まで平均点を下げるというもの。
具体的には最頻値と呼ばれる、データの中で最も頻繁に出現する数値まで平均点を下げる。
前回の小テストにおいて、クラス茶柱で最も頻繁に出現した数値である最頻値は50点付近。だけど高得点者が中途半端に多く、平均点が64点になり、赤点ラインはその半分の32点だった。そして32点に届かなかった生徒が7人もいた。
だから今回は全員が50点付近を狙う。精密である必要はない。大体みんな50点くらいになって、赤点ラインもその半分の25点くらいになればいい。
もしテスト勉強してもその程度の点数すら取れない者がいるなら、それは流石に諦めるしかないわね。クラスポイントのために成績優秀者が譲歩するのにも限度がある。私だって、全員を救えるとは思っていない。
だけど救える者は救う。それが私の正義だから。
実は綾小路くんと私は、この試験を攻略する裏技の存在を知っている。これも上級生から聞いた情報だ。過去問を使えば、今回のテストだけは楽に高得点が取れるみたい。
まあ、そんな手を使うつもりは毛頭ないんだけどね。
「過去問なんて一回きりの裏技を使うより、努力することや団結することに慣れてもらわなきゃ困るわ」
私は綾小路くんにそう告げた。彼は「そうか。オレはなんでもいいけどな」と相変わらずの無関心を装っていた。
まったく、何事に対してもやる気がなさ過ぎよ。事なかれ主義だかなんだか知らないけど、楽しい高校生活を送りたいのならそれなりの努力も必要だと思うのだけれど……
まあ、いいわ。定期試験はこの先もずっと続くのだから、一時的な勝利より継続的な成長を見据えた方がいいのは間違いないでしょう。
教壇では平田くんが、プライドの高い幸村くんや態度に不安の残る須藤くんに懇切丁寧に説明してくれている。
苦労をかけるわね、平田くん。あなたは本当にいい人だわ。
◆ ◇ ◆
全てが順調とは言えないけれど、対策通りに勉強会は行われていた。
場所は図書室ではなく教室。図書室では静かにしなきゃいけないから、勉強を教える環境として向いていない。だから勉強会に参加するメンバーが放課後も教室に残っているけど、それだけではない。
不良品だからといって全員が不真面目というわけでもなく、その中には未だにクラスに馴染めていない生徒もいる。そういった生徒は勉強会とは関係なく1人で勉強をしているみたいね。
肝心の赤点候補者は須藤くん、池くん、山内くんを含めた7人。彼らを成績優秀者が指導する。
本来なら高円寺くんが最も成績が良いのだけれど、彼に指導役は無理そうね。あまりにも癖が強すぎるわ。だから日替わりで平田くんと幸村くんが指導し、その補佐役に私と王美雨ペア、櫛田さんと綾小路くんペアが務めることにした。
王美雨――通称みーちゃんは同郷の中国人だ。彼女とは気が合う。同じ文化的背景を持つ者同士、会話も弾む。
そして綾小路くんと櫛田さんのペア。
正直、櫛田桔梗という少女は私にとって興味深い存在だ。表向きは完璧な善意の塊。でも、その笑顔の裏に何かを隠している。
何故なら私が学校のシステムをクラスメイトに教えたあの日、クラスメイトのほとんどが絶望的な表情を浮かべる中で、何故か彼女だけは悔しそうな表情を浮かべながら――私の事を睨んでいたから。
「はい、この問題わかる人ー?」
そんな彼女の明るい声が響く。
私は今日は当番ではないけれど、一番後ろの自分の席で参考書を開きながら彼女の様子を観察していた。表向きは自分の勉強をしているように見せかけて、実際は櫛田さんの一挙手一投足を見逃さないように。
中間テストまであと1週間。
1学期の中間テストはテスト範囲が変更されると上級生から聞いていたけれど、それを茶柱先生の口から聞かされたのは今朝のホームルームだった。
全てが順調ではない理由がそれなのだけれど、とにかくクラス茶柱は総力を挙げて勉強会を開いていた。赤点を取れば即退学という過酷なルールがある以上、赤点候補者はなんとしてでも生き残る必要がある。
「櫛田ちゃん、ここがわかんないんだけど」
「大丈夫だよ! 一緒に解いてみよう!」
そんな生徒達の面倒を見る櫛田さんの笑顔は完璧ね。まるで春の陽光のように温かく、誰もが惹きつけられる。
クラスメイトたちは彼女を慕い、彼女もそれに応えている――ように見える。
でも、私には見えていた。時折見せる、ほんの一瞬の表情の歪み。質問に答える時の、微かな苛立ち。完璧すぎる笑顔の裏に隠された、何か別のもの。
これでも警察志望なのだから善人と悪人の区別くらいはつく。犯罪者たちは皆、表の顔と裏の顔を持っている。彼女を犯罪者と一緒にするのは酷な話だけど、少なくとも櫛田さんも腹に燻ぶった何かを隠している。
「綾小路くん、次の問題お願いね」
「ああ」
彼女の隣で淡々と指導をこなしているのは綾小路くん。彼は今まで櫛田さんの裏の顔に気づいていなかったみたい。
だから今日の昼休み、そろそろ頃合いなんじゃないかと踏んだ私は、純粋に高校生活を楽しもうとしている彼に警告として櫛田さんの事を伝えていた。
「少し話があるわ」
私は人気のない廊下の片隅に、綾小路くんを連れ出した。
「……急に改まってどうしたんだ? あまりいい話ではなさそうな気がするんだが」
「ふふ、綾小路くんは本当に鋭いわね。確かにいい話ではないけれど、別に大変な話でもないわ。話というのは櫛田さんについてよ」
綾小路くんの表情は変わらなかった。でもその目の奥に、一瞬だけ興味の色が浮かんだ。
「あの子、無理してると思わない?」
「さあな。オレはなんとも思わないが」
「嘘ね」
実力を隠すのは構わないけれど、今はちゃんと答えて欲しい。そのためにわざわざ人気のない場所で話しているのだから。
「櫛田さんが何故あんなに愛想を振りまいているのか、あなたも気になっているんでしょう?」
沈黙。やがて綾小路くんは小さく息を吐いた。
「確かに気になってはいる。それに無理をしてる可能性もあるかもな。だが、それがどうかしたか? それをオレに伝えてお前は何がしたいんだ?」
「あなたへの警告よ。それと彼女の本性を確認しておきたいわ」
「なんのために?」
「クラスのためよ」
私は即答した。
「櫛田さんは見ての通りクラスの潤滑油になってる。誰とでも分け隔てなく接することが出来る彼女がいることで勉強会も捗っているし、クラスの雰囲気も良いわ。でも、もし彼女が壊れたら? もし彼女の本性が暴走したら? あくまで私の経験則として言わせてもらうけど、彼女のような人間が暴走すればクラス全体に悪影響を及ぼすわよ。あなたの平穏な日常も奪われるかもしれない」
「……それで、オレに何をしろと?」
「話が早くて助かるわ。一緒に確かめましょう。今日の放課後、櫛田さんを尾行するからついてきて頂戴」
綾小路くんは少し考えてから、頷いた。
「まあ、暇だからいいか。お前がどんな風に人を尾行してるのかも興味あるしな」
本当に面白い男。暇だからいいかってなんなのよ。
◆ ◇ ◆
放課後、勉強会が終わった後。
櫛田さんは1人で廊下を歩いていた。油断しているのか知らないけれど、いつもの明るい表情は消え、どこか疲れたような、虚ろな表情をしている。
勉強会の影響でしょうね。相当ストレスを溜め込んでいるみたい。
私と綾小路くんは物陰に隠れながら、彼女の後をつけた。
「……なんだか悪いことしてる気分だな」
「必要なことよ」
櫛田さんは階段を上り始めた。目指しているのは――屋上。放課後に屋上に行くなんて普通はあり得ないだろうから、きっと面白いものが見れるでしょうね。
私たちは距離を取りながら、慎重に後を追う。屋上のドアが開き、櫛田さんが中に入る。私たちはドアの影に身を潜めた。
そして――
「はあああああああッ! もう嫌! マジで嫌!」
櫛田さんの叫び声が屋上に響いた。
私は綾小路くんと顔を見合わせる。予想はしていたけれど、彼女のストレスは限界だったようね。
「なんであんな馬鹿どもに勉強教えなきゃいけないわけ!? 同じこと何回説明させんだよ! 池! 山内! 須藤! お前らの脳みそはスポンジ以下か!?」
ドアの隙間から覗くと、櫛田さんが1人で暴れている姿が見えた。彼女はフェンスを思いっきり蹴飛ばし、空に向かって叫ぶ。
「クソッ! クソクソクソ! なんで私ばっかりこんな目に! 前の学校でもそう! いい子演じて、演じて、演じて――それでも一番にはなれない! なんでなんだよ、クソッ! ここでは絶対に成功させる! 春麗なんて邪魔者は潰して絶対に人気者になってやる!」
これも予想はしていたけれど、やっぱり私は嫌われていたみたい。
もちろん私と彼女に因縁なんてない。だけど必要以上に目立ってしまったせいで、知らないうちに彼女の地雷を踏み抜いていたようね。
だからといって遠慮はいらない。クラスメイトに暴言を吐く生徒を放っておくわけにはいかないから。
私は深く息を吸い、そして綾小路くんに目配せをする。
「行くわよ」
「……ああ」
私たちは屋上に足を踏み入れた。
「――ッ!?」
足音に気づいた櫛田さんが振り返る。驚愕に見開かれた目。でも次の瞬間、その表情はいつも通りの笑顔に戻っていた。
切り替えの早さは流石ね。でも心なしか、その声は低く冷たい。
「綾小路くん……春麗さん……いつから……いつからそこにいたの?」
「最初から」
私は正直に答えた。嘘をつく意味はない。
「全部……聞いてたの?」
「ええ」
櫛田さんの表情が歪む。そして次の瞬間、彼女は私たちに詰め寄ってきた。
「誰にも言わないで。絶対に、誰にも言わないで」
その目は真剣だった。いや、真剣というより――必死だった。
「もし誰かに言ったら……許さない。2人の秘密を暴いてやる。クラス中に言いふらしてやる。2人が学校にいられなくしてやる」
「脅しか」
綾小路くんが淡々と言う。
「脅しじゃない。これは警告だよ。私は本気だから」
櫛田さんは震えていた。怒りか、恐怖か、それとも両方か。
「私は……私は絶対に、またあの時みたいにはならない」
「あの時?」
私は尋ねた。櫛田さんは唇を噛んでいたが、またいつもの笑顔を張り付けて……ゆっくりと口を開いた。
「ん~? なんでもないよ。でもここでは絶対に失敗しないって決めたの。完璧な善人を演じきるって」
私は櫛田さんを見つめた。理由は分からないが、彼女はどうしようもなくなにかを欲している。そしてその欲求を満たすために、完璧な仮面を被り続けている。
「櫛田さん」
私は彼女の名前を呼んだ。
「私たちは誰にも言わないわ」
「……本当?」
「ええ。私たちが言いふらす理由がないもの」
綾小路くんも頷く。
「オレも別に興味ない。お前の秘密なんてオレには関係ないからな」
櫛田さんは私たちを交互に見た。
「そんなの信じれるわけないよね? だってここにいるって事は、私をこっそり尾行してたって事でしょ?」
ぐうの音も出ない正論ね。
彼女は頭がいい。そうでなければ表の顔と裏の顔を自由自在に操ることなんて出来ないでしょうから。
そんな櫛田さんに私は近づいていき、そして彼女の肩に手を置いて、もっともらしい事を言う。
「たまたま廊下で元気がなさそうにしてるあなたを見つけたの。だから少し気になっちゃって」
「それは他人を尾行していい理由にならないよね?」
「そうね。だから勝手にあなたのプライベートを覗いたことについては謝罪するわ。そしてあなたの裏の顔を誰かにバラすようなことも絶対にしない」
「ふ~ん……春麗さんはそうやって私を懐柔させようとしてるんだ。私があなたを嫌ってるのはもうバレちゃってるもんね」
当たり前だけど、彼女は私の言葉を信じてくれない。だからといって私は彼女と敵対したいわけじゃない。
クラスメイト同士で争うなんて、そんな意味のない事はごめんだ。
「一つ聞いていいかしら? どうしてそこまでして人気者になりたいの?」
「あのさぁ、そんなこと言うわけないって分からないのかなぁ? いい加減にしてくれないと、せっかく発散したストレスがまた溜まってヤバいんだけど」
「じゃあそのストレスごと吐き出してくれて構わないわよ。さっきも言った通り私はあなたのプライベートを口外しない。むしろ守ってあげるわ」
「は?」
櫛田さんは驚いている。恐らく今まで誰からも守ってもらえず生きてきたからなのでしょう。
おかげで話の主導権を握ることが出来たわね。そうとなれば畳みかけるのみ。
もう主導権は渡さない。
「別に裏の顔があるのは悪い事じゃないわ。でもそれを隠しながら生きるのは疲れるし大変でしょう?」
「分かった口きかないでくれる? アンタに私の気持ちなんて分かるわけない」
口調こそ強いけれど、その表情は暗い。苛立ちも隠せなくなってきている。
それは彼女が自分の生き方に疲れている何よりの証拠でもあった。
「話してみて。本当に誰にも言わないから」
私は少し声のトーンを落とした。
危害を加える意図はないと明確に伝えるために。
彼女の顔色が変わった。頭のいい櫛田さんのことだから、私の意図が伝わったのでしょう。
「……認められたいから」
「認められたい?」
「そう。みんなに必要とされたい。愛されたい。居場所が欲しい。だから……だから人気者にならなきゃいけないの」
そんな彼女の口から洩れた声は切実だった。目の前にいるのはただ一人の少女で、すべての人間に無償の笑顔を振りまけるほど強くないことくらい分かる。
「櫛田さん」
だから私は彼女の目を見つめた。
「無理しなくても、あなたは人気者になれるわ」
「……え?」
「本当の自分を隠して演じ続けるより、誰か1人にだけでも見せていけばいい。その方がきっと楽よ」
「そんなの……無理だよ。こんな腹黒い女に付き合ってくれる人間なんているはずない」
「いるわよ」
そして間髪入れずに断言した。
「少なくとも、私は受け入れる」
綾小路くんが横から口を挟む。
「まあ、オレは別にどっちでもいいけど、春麗がそう言うなら協力してやってもいい」
「「え?」」
これは想定外だったから、櫛田さんと一緒に私も驚いてしまった。
事なかれ主義を主張する彼がまさか口を挟むとは思わなかったから。
余計な横やりだったけど、結果的に彼の同意が櫛田さんを余計に混乱させた。
「なんで?……どうしてそこまで……」
「クラスのためよ」
綾小路くんに乱されてしまったペースを取り戻し、私は彼女に微笑む。
「あなたが壊れたら、クラス全体に悪影響が出る。だからあなたを支える。それに――」
ここぞとばかり彼女の心の隙に付け入り、私は味方であると強く主張する。
それがこの場での最適解であると判断して。
「私も完璧じゃない。少し複雑な事情があって本当の自分を隠して生きてきた。だからあなたの気持ちが、少しわかる気がするの」
「春麗さん……」
櫛田さんは私の言葉を聞きながら涙を流していた。
け、計算通りね。
まさか泣くとは思ってなかったけど、概ね計算通りだわ。
それに私に複雑な事情があるというのは本当よ。そのおかげでただの少女ではいられなくなっちゃったから。
だから全てが演技というわけではないけれど、彼女に感情移入する事は出来ない。こんな言葉だけで誰かの気持ちが楽になるのなら、やるべきことだと感じただけ。
それが最低な事だと自覚しながら、私は彼女を抱きしめた。
「大丈夫。あなたは1人じゃない。私たちがついているわ」
「……うぅ」
櫛田さんの小さな嗚咽が、私の耳に届いた。
◆ ◇ ◆
それから数日後、勉強会はいつも通り続いていた。でも少しだけ、雰囲気が変わった。
「ごめん、この問題ちょっと難しくて私も自信ないんだよね。だから一緒に考えてみない?」
櫛田さんが池くんに話しかける。以前なら完璧に教えようとしていたが、今は素直に自分の弱さを見せている。
「マジで!? 櫛田ちゃんでもわかんないことあるんだ!」
「当たり前だよ。私だって完璧じゃないもん」
櫛田さんは笑う。以前より少しだけ、自然な笑顔で。
私は遠くからその様子を見守りながら、綾小路くんに話しかけた。
「うまくいってるみたいね」
「まだ演じてる部分もありそうだけどな」
「それでもいいのよ。演技かどうかなんかよりも、彼女がより自然にクラスメイトから信頼されることの方が大事なんだから」
綾小路くんは小さく頷いた。
「お前、意外と世話焼きなんだな」
「そう? 私は自分の正義のために動いてるだけよ」
「正義か……」
綾小路くんの表情が少し崩れた。珍しいことだ。
「まあ、お前らしいか」
彼の言葉の真意は分からない。でも気分は悪くなさそうね。
私は窓の外を見た。夕焼けが教室を赤く染めている。クラスメイトたちの声が、笑い声が、そして時折上がる悲鳴のような声が――すべてがこの空間に満ちている。
私たちの物語は、これから始まる。
――そう、確かに感じた。