虚圏の黒蟻   作:LieND

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無風の災禍

尸魂界から一本の樹が消えた。発端はそれであった。

件の樹は長い年月をかけて育った大木でありそれ程の樹が倒れることも傷つくこともなくそこにあり続けたことは尸魂界を守ってきたとする上層部の誇りであり面子でもあった。

そんな樹が盗まれた。

根本から刈り取られ無惨な切り株だけを残した姿を見て当然彼らは激怒した。しかし即座の報復に動くわけにもいかなかった。残された霊圧の痕跡が大虚の物と見られたからだ。

大虚は無数の魂魄の集合体である。等級が上がれば上がるほどにその構成要素は莫大になり、これを死神が倒せばそれがそのまま尸魂界に流れ込むこととなり、そして世界の均衡を崩すことになりかねない。

故に面子だけでは動けないのだ。何を為すにせよまずは念入りな準備というものが必要となる。

それを聞き彼女が感じたのはただ『面倒だな』とそれだけであった。

虚が問題であれば斬れば良い。戦いになり斬り合いになるならさらに良い。

尸魂界に魂魄が流れ込むことが問題ならばその分不要な者を切り捨てれば良いだけ。均衡が危うくなると言っても本当に全てが崩壊して滅ぶにはある程度の間があるのだ。

もちろんそう言った事後の調整のために事前の準備が必要だとはわかっているがどうにも面倒だと思うことに変わりはない。

そしてその事前調整の一環としての任務が割り当てられることになる。

虚圏への強行偵察。可能であれば問題の虚の捜索。

その為に最小限の人員で潜入し帰って来れるであろう人材として。そして最悪帰ってこなくても良い人材として。

卯ノ花 八千流は選抜されたのだ。

 

***

 

何色もの絵の具を混ぜ合わせて黒を作る様に。その霊圧は入り混じり濁り黒ずんでそして大きかった。

肌で感じ取れる霊圧に色がある訳もない。だがその複雑怪奇に混沌とした感触を例えようとした時に適切と感じた表現はやはり『黒』であった。

虚圏の空は闇夜に黒く。己の纏う装束もまた黒い。そしてそれら全ての黒に溶け込む様に霊圧が這い回っている。

近くて遠い霊圧の感触はつまりそれが広範に広がりながらも希釈されることなく感じ取れる濃度を保っている証明である。

樹を消した虚よりこちらの方が楽しめそうだ。そう考えて彼女は歩き出した。

 

しばらく進んでふと気付く。音がしない。

歩む毎に砂を踏み締める足音も。腕を振る毎に死覇装が発する布擦れも。彷徨う虚を切り捨てた刃から滴る水音も。

あからさまな異変に周囲を見回せば黒く暗い世界に似つかわしくない青白く輝く何かが見える。

野鼠程の大きさをしたそれはしかし可愛らしい小動物ではなく無機質な造形の蟲だった。

卯ノ花に見つかったそれはどこかへ……より霊圧を濃く感じる方へと向かって走り去ろうとし、そして一度だけ振り返った。

彼女が果たして本当についてきているのかを確かめるかの様に。

これは誘いだ。しかしどうせアテなどないのだからこれについて行っても誰も咎めまい。

何より彼女は今一人で虚圏にいるのだから咎め様もなく、その様に采配したのは他ならぬ尸魂界だ。

 

そして導かれた先。砂丘の上にうずくまる様にして鎮座するそれを見た。

暮れる闇よりなお暗く。堕ちる奈落よりなお深く。陰影さえ捉えられないほどに漆黒の殻に覆われた巨大な蟻だ。その背には二対四枚の羽が生え先ほど見た子蟻と同じ様に青白く輝いている。

先ほどから感じる霊圧は間違いなくこの大虚から吹き出していた。

 

***

 

卯ノ花を誘う一方でミケラは思考の海に己を沈める。

ミケラは己の人格を表層的にそう動いているだけのものとして認識している。

思考実験に中国脳というものがある。

十分に用意された人員にネットワーク上で信号のやり取りを行わせ脳の機能をシミュレートした時そこに意識は宿るのかというものだ。そこの結論はこの場では置いておく。要点は単なる情報のやり取りに精神が宿るかだ。

ミケラはその思考実験に近い物を己の中に見出している。

己を構成する幾千幾万の魂魄。その溶け合い混ざり合った自我の混ざりきらない情報のやり取り。

それらを取りまとめ表層的に人格らしいものとして現れた仮面(ペルソナ)こそが自分なのだと。

 

故にこの仮面を被り直す事にした。己の中の魂魄に意識を傾ける。

より冷静な魂魄を選別する。より冷徹な魂魄を選別する。より無感情な魂魄を選別する。

この先わずかな波風がソレを刺激し暴虐の呼び水となりうる。

故に必要とされる人格は如何なる状況にも動じない完全に凪いだ精神の持ち主。

よりそれらしく振る舞うための仮面を貼り付け自ら呼び込んだ来訪者と対面する。

 

「ようやく会えましたね。」

 

卯ノ花が語りかけるがしかしそれに対する返答はない。

会いたかったわけではないがそれをいう必要は全くない。かと言って会いたかったなどと言ってでは始めましょうなどと斬りかかられてもそれは困る。

故にこれは無視して自分の要件だけを伝える。

 

「立ち去ると良い調停者、尋ね人は既に隠れお前の求めるものはここには無い。」

 

卯ノ花の表情が不機嫌そうに歪む。

 

「ここまで誘っておいてただ帰れと?私が求めるものなど貴方は知りもしないでしょうに。」

 

言うが早いかその手の先で紅を纏った白刃が翻りその切先がミケラの目鼻の先を掠める様にして通り過ぎる。

ミケラはその間微動だにもしなかった。

 

「お前の求めるもの、闘争の愉悦。私からお前に渡してやる気はない。」

「……その様ですね。」

 

剣が鞘に納められる。卯ノ花は世界の均衡などより己の闘争を優先する質である。

しかしその愉悦すら無しに世界を傾ける程に考え無しでもない。

戦う気すら持ち合わせない虚を斬って問題を起こせばそれはただただ愚かなだけであろう。

一拍の間を静寂が覆った。

 

「帰ると良い卯ノ花 八千流。お前の望み、お前の運命は流魂街にある。」

「……それは一体どの様な意味で?」

 

卯ノ花の問いに最早ミケラが答えることはない。

最早こちらを一瞥もしないそれにいつまでも構っているのも馬鹿馬鹿しいと感じ別の闘争を求めて再び虚圏を彷徨う事にしようと振り返ってそこで気がつく。

何故アレは自分の名前を知っていた?

弾かれる様に振り返りそれを確認しようとしたが既にその姿は闇夜に溶ける様に消えていた。

逃げたのだろう。

巨大な霊圧故に探そうと思えば探せるがそうするほどの意義も感じられず結局その場を立ち去る事にしたのだった。

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