まず私が手をつけたのは空気の観察でした。何しろどこの誰に断るでもなく常に其処に在るものですので。
ええ、ですがそれは失敗でしたね。
みじろぎひとつで容易く対流しどこにでも在り繋がっている故に彼方の虚の行動すら無視することはできない。そしてそもそも空気とは単一の素材からなるものではないというのも最悪でした。
そう混ざっているのです、様々な気体が。私の吐息、貴方の息遣い。燃える亡骸から立ち昇る煙々……実に不純でして。
私の研究とは物の霊子的構造を解析し再現すれば同じものが作れるはずと言う仮説からなるものですのでまず最初の観察対象はできれ純粋であってほしいのです。
次に目をつけたのは水です。しかしコレもまたよろしくなかった。
皆様水に何かを溶かして飲料としたことはおありですかな?ええ虚となる前、生前の人間としての記憶がかけらでもあれば当然はいと答えるでしょう。
水とはその様に多くのものを溶かし込みます。放っておいてもいろいろ溶け込んでしまうのです。それはやはり不純。
加えて空気と水に共通して不定で在ることも厄介でした。不定というのは見ている間にも刻々とその姿を変えることに他なりません。先に述べた空気の対流よりはマシでしたが液体というのもなかなか扱いづらい。
結局観察対象として適切なのは純粋で安定した固体であるべきと、そう結論づけました。
「そしてコレがその研究の成果である『鉄の霊子的構造』です。」
***
差し出されたアウレウスの手の甲。その甲殻に刻まれた円形の図案を見ておもわず驚愕する。
「コレは……いやいやそんなまさか。」
寄り集まった霊子を核としてその周囲の公転軌道を周回するより小さな霊子たちを表した模式図。
鉄の原子モデルが其処にはあった。
分子レベルの話が飛び出してくる予測はあった。だがコレはもっと深く、原子そのものの構造として電子や中性子の素粒子の領域にまで食い込んでくる話だ。
コイツ一体何年生まれる時代を間違えているんだ?
いや…そもそも。
「観察?君はもしかして物体を構成する霊子を直接見ることができるのか?」
「ええ、まあ。貴方様のこともその気になれば霊子の塊として視ることが出来る。私はそういうような能力を保有した虚なのです。」
アウレウスの複眼と目が合う。その瞳には逆光を背負う私の姿が映っている。
逆光、つまり私の背負う霊子の輝きだ。それがひとつひとつ見えるとは一体どの様な視界なのか想像することもできない。
その眼から視線を切りもう一度彼の手の甲を見る。
他の甲殻と比べて明らかに傷が少なく輝きを保ったその表面に真円の霊子図が刻み込まれている。
「……なるほど確かにこの通りの構造を意図して再現できるなら霊子から鉄を生み出せるだろう。」
「ほう?貴方はこの図を読み解けるので?」
「鉄を砕き、砕いて砕いて。鉄が鉄として存在できる最小の粒子。その構造図がそれだ……確かに再現さえできるならば理論上可能であるのだろうね。だが我々には無理だ。」
「理由をお聞きしても?」
後ろに控えて聴きに徹していたセンチネルが疑問を示す。
「鉄の最小粒子を再現する様な緻密な霊子操作が出来ん。お前は虚圏の砂つぶよりも小さいものを作れと言われて出来るか?結局スケールが合わないんだよ。」
「果たしてそうでしょうか?」
私の不可能であるという答えにアウレウスが異を唱えた
「かつて水を生み出す虚を見たことがあります。それは大気の霊子を取り込みそこから水を構築していました。」
「ふむ?」
「その虚に限らず無から何かを生み出す様なチカラを持った虚というのはその実、無からではなく周辺に漂う霊子から物質を創造しているのです。」
「つまり……虚には霊子から何かを生み出す生体機能が存在すると?」
「はい」
しばらくアウレウスの主張を噛み砕き咀嚼して消化する。
「いや…おそらくそれを全ての虚に一般化することは出来ない。」
「何故です?」
「では聞くが……一般的な虚とはなんだ?簡単には答えられまい、我々はその存在のあり方があまりにも多様すぎる。」
「それは……確かに、この場にいる誰もがそれぞれ全く違う虚ですな。」
「つまるところ君が見た何かを生み出す虚の生態機能と言うものが他の虚にも備わっていると言う仮説を保証するものは一切何もない。」
アウレウスが肩を落とす。その姿からは自説を否定された者の落胆の感情がありありと見てとれた。
「いや、だが私ならあるいは?」
問題となるのはとにかくスケールの違いだ。それを合わせに行く。
生み出すのは可能な限り微細にして微小のミニオン。
手のひらの霊子が分離して小さな粒の様な……以前生み出したネズミ大の蟻よりもさらに小さな極小の蟻達を生み出す。
蟻たちは前脚を天に掲げ霊子を収束し始める。
霊子の光が寄り集まり次第に大きな光球となりさらにそれが圧縮される様に縮んで行き……やがてドサリと地面の上にそれは落ちた。
黒ずんだ金属色の塊、鉄の小さな断片があった。
「…………なるほど、アウレウス。お前が作り方さえ教えてくれるのであれば私は世界を作れそうだぞ。」