夜が明けようとしていた。
高専・男子棟。
廊下に差し込む薄い光が、静寂をほんのり照らす。だがその静けさは──この部屋の前で一瞬で打ち消える。
五条悟の部屋。
テーブルにはマリオカートのケース、飲みかけの紙コップ、スナック菓子の袋。
床にはコントローラーを握ったまま沈没した五条悟。
その横には、仰向けで白目を剥いて倒れる夏油傑。
さらに壁にもたれ、膝を抱えたまま眠り込んだ相澤消太。
その一角だけ、きれいに布団を敷いてすやすや眠る少女がいる。
家入硝子である。
「……ふぁぁ……朝?」
誰よりもまともに寝た硝子が伸びをしたその瞬間。
「……次……ワリオ……コロシアム……追いつく……」
悟がうわ言のように呟いた。
「寝言で指示すんなよ」
硝子が呆れた目で呟くと、ちょうど傑がゆっくり瞼を開けた。
「……徹夜、したのか……君たち……」
「夏油も参加してたじゃん」
「私は……途中で意識が……」
その会話を遮るように…
──ズンッ、ズンッ、ズンッ。
廊下に響く重い足音。
悟が寝たままビクッと震えた。
「……これ……やばいやつじゃない……?」
硝子が布団を整えながら鼻で笑う。
「まあ、怒られるよね」
ドアが勢いよく開き、影が落ちる。
「お前たち、全員起きているな。」
鬼の形相の夜蛾正道が立っていた。
悟・傑・消太の背中に、同時に氷の槍が突き刺さったかのような恐怖が走る。
「よ……夜蛾せんせー……その……これは……」
「言い訳は聞かん。硝子以外、廊下に立て。」
「硝子だけ!?なんで!?」
「一人だけ普通に寝ていただろうが」
硝子はコーヒーを飲みながら小さく手を振った。
「がんばってねー」
直後。
ゴッ!ゴッ!ゴッ!!!
「いってぇぇぇ!!!」
「痛った…!」
「痛い…合理的じゃない…!」
消太、お前はそういう問題じゃない!!
怒号が飛び終わった頃、夜蛾はふと視線を消太へ向けた。
「消太。任務だ。すぐ出るぞ」
「了解しました」
徹夜明けとは思えぬ鋭さで姿勢を整える。
悟が不満げに手を挙げた。
「俺とか傑は?付き添い行くけど?」
「消太が選ぶ。誰か一人だ」
数秒の沈黙。
悟は胸を張って「やっぱオレだろ」と言いたげだったが…
「なら硝子で。」
「え、私?」
「硝子だと…!?なんで!?」と悟が悲鳴を上げる。
「任務先、どうせ負傷者がいるだろ?んなら硝子が必要じゃないか?」
的確で、迷いのない判断。
硝子が煙草を口に咥えたまま微笑む。
「理由がちゃんとしてるね。行くよ」
「俺の火力の方が役に立……」
「悟、君は被害を増やす側だよ」
問題児筆頭の五条悟、反論できず。
そして二人は装備を整え、夜蛾先生と短い打ち合わせ兼説明を聞き終え、
高専を抜けていった。
現場となった場所は、街外れにある古びた神社だった。
木々が風に揺れるたび、鳥居の朱色が軋む。
昼間とは思えぬ薄暗さが漂っている。
硝子は目の下のクマを指で押して言った。
「徹夜明けに神社とか……雰囲気最悪だよねぇ……」
「お前は寝ていたはずだが?」
「私と徹夜組を一緒にするんじゃないよ、相澤」
補助監督が下ろした帳に入っていった神社の境内の奥には、気絶した老人が倒れ込んでいた。
足を呪霊に噛まれたようで、皮膚が黒く変色している。
硝子はすぐに駆け寄った。
「痛かっただろうね……大丈夫、すぐ治すよ」
反転術式が淡い光を生み、老人の足を包み込む。
じゅわ、と焦げたような音とともに傷口が再生していく。
三級呪霊が1体出現したとの通報だったが──
着いた瞬間、消太と硝子は気配に違和感を覚えた。
「……おかしい」
「うん、いる数が多いね」
霧のように漂う瘴気。
その背後で、消太は気配を探った。
鳥居の向こうに、ねっとりとした呪いの波動。
風で揺れていたはずの木が、何かに握られたようにピタリと止まる。
「……来る」
ズルッ──
闇から、三匹の3級呪霊が姿を現した。
「三匹……。まぁ、問題ないね」
硝子が淡々とつぶやく。
消太は捕縛布を伸ばす。
ひゅるる、という音が草を裂きながら走った。
一匹は布で縛られ、鈍い音とともに地面へ叩きつけられた。
もう一匹のは、視認した瞬間に“抹消”され、霧散する。
三匹目が老人へ襲いかかろうとした瞬間、
消太の身体が呪霊より先に踏み込んだ。
「……逃がすか」
布がねじれるように動き、呪霊の首を締め付け、縛り切る。
黒い液体が地面へ沈んでいった。
硝子が消太の背中を見つめる。
「やっぱり、強いね相澤」
だが──。
風が、不自然に止んだ。
鳥居の奥から、別の気配がじわりと滲む。
重い。
鈍い。
生温い。
ちりちりと空気が焼けるように、呪力が膨れあがる。
消太の背中がぴくりと震えた。
「…二級……?しかも二匹?」
闇から姿を現したのは、蜥蜴のような輪郭をした2級呪霊2匹。
3級とは桁違いの呪力をまとい、口元には人間の歯が無秩序に並んでいた。
硝子の目が細くなる。
「なぁ……たしか三級って書いてあったよね?」
「……増えてるんだ。呪力が集まっている」
消太が布を広げ、自分の呪具の屠坐魔を抜き、呪霊と対峙する。
布の端が地に触れた瞬間、風が逆流するように舞い上がった。
「来い」
次の瞬間、呪霊のうちの一匹が地を砕いて突進してくる。
捕縛布が鞭のようにしなり、脚を絡める。
だが二級の体格に引っ張られ、布が軋んだ。
口から伸びる黒い舌が硝子へ迫る。
消太が跳ぶ。
「硝子!!下がれ!!」
布が舌を断ち、呪霊が絶叫した。
その身体を引き寄せ、抹消で片腕を吹き飛ばす。
その瞬間、もう一体の二級呪霊が背後から硝子へ飛びかかった。
「危ないーー!」
消太は走った。
屠坐魔で軌道を逸らし、そのまま呪霊の首元を薙ぐ。
斬った。
だが、避けきれなかった毒の棘が消太の脇腹を掠めた。
「……うっ!」
赤い血が飛ぶ。
硝子が即座に駆け寄る。
「ちょっと!大丈夫!?」
「かすり傷……大丈夫だ…問題ない……治療…続けろ!」
痛みを堪え、消太は捕縛布を振るい残りを縛り上げる。
隙を作り、すれ違いざまに屠坐魔を抜いた。
ザシュッ──!!
首が飛び、二級呪霊は地に落ちた。
硝子が駆け寄る。
「……無茶するなって言ったばっかりじゃない?」
「まだだ。……気配、消えてない」
硝子の喉がごくりと鳴った。
「……嘘でしょ。まさか──」
境内に落ちていた影が、ゆっくりと立ち上がる。
木の根のような腕。
黒煙のように揺れる体。
眼孔は空洞なのに、こちらを射抜くような悪意だけが浮かんでいる。
…一級呪霊。
「さっき感じた気配はこいつか…!最悪だ…」
消太が屠坐魔を構えた瞬間、呪霊が消え──
次に見えたのは硝子の背後だった。
「硝子ッ!!」
彼の身体が勝手に動いた。
痛みを堪えて、硝子を押し飛ばし、その前に立ちはだかる。
ズシュッ!!!!
黒い腕が、消太の腹を貫いた。
硝子の悲鳴に近い声が漏れる。
「っ……相澤!!?」
「ち…っ、心配……ない……。斬り落とす……!」
呪霊の腕を掴み、屠坐魔で斬り、削ぎ落とす。
だが傷は深く、血がどくどくと流れ落ちていく。
「バカ!!何で庇うの!!」
硝子の声は震えていた。
「……お前…を……怪我…させる訳には……いかないだろ……」
「バカかっ……!!」
硝子は感情を無理やり飲み込みながら、反転術式を消太に急いで使う。
そして、消太は最後の力で布を起こす。
「捕縛…!」
布が呪霊の身体を縛り上げる。
硝子に寄らせないよう、腕を固定した。
「……これで……終わりだ」
屠坐魔が振り抜かれた。
ドシュッッ!!!!
一級呪霊の首が落ち、闇が霧のように散った。
縛りが解けたようにその場に倒れこむ消太。
硝子が慌てて抱き留める。
「ちょっ……!喋るな!動くな!!
ああもう……なんで相澤は……無茶しかしない……っ!!」
反転術式の光が強く強く瞬く。
硝子の額に汗がにじむ。
「ほんと、バカ。もっと自分を大事にしなよ……」
「……すまない……でも……助けたかった……」
硝子の手が止まる。
「……ありがと」
その声は、怒りでも呆れでもなく──
ただの、心からの感謝だった。
高専の正門をくぐった瞬間、街の喧騒よりも重い空気が二人を迎えた。
硝子は消太の肩を支え、慎重に歩く。
血の滲む制服の裾や、泥のついた靴底が目立つ。
彼女の指先に伝わる体温は、いつもよりずっと低く冷たい。
「……相澤、意識は大丈夫?」
「……平気……。多少痛むが……歩ける」
軽口は一切なし。
その落ち着きが、逆に異常さを際立たせていた。
廊下を進むと──
「おお、帰ってきたか」
悟が瞬時に駆け寄ってきた。
だが足取りは軽やかではない。瞳に、初めての不安が揺れる。
傑も続く。
「何やら大惨事の香りがするんだけど……?」
硝子が短く報告した。
「3級だけのはずが、2級、1級まで出た。消太が負傷……でも、治療は済ませてる」
悟の口が半開きになった。
「……マジで?ちょ、消太大丈夫か!?なんか血出てるじゃん!!」
「……冷静に見ろ。まだ死んでない」
傑は腕を組みながら、にやりと笑った。
「消太、死にかける癖あるよね」
「癖じゃない、今回は作戦ミスだ」
硝子は消太の胸元に手を置き、軽く圧をかける。
「止血はした。だけど……これ、ちょっとでも他の部位に傷があったら確実に入院ね」
消太は微かに笑った。
「……それでも……硝子は無事だったし…任務も…」
「うん、完遂したよ」
悟は思わず、両手を突き出す。
「ってかさ、マジで止血だけ!?
普通は入院レベルじゃん、これ!」
「五条……状況わかってる?」
硝子の目が鋭く光る。
「いや……だって……消太だぞ!?アイツ、動いてるじゃん……」
「生きててもギリギリ。見た目で判断しちゃダメ」
傑が鼻で笑う。
「重症って言葉、ここまで意味深いの久しぶりに見たかも」
「バカ、笑うな!!」
硝子はため息をつきながら、消太の腕を抱き寄せた。
「……本当に無茶するんだから。死にかけたでしょ…私、相澤を治療する立場なんだよ?ちょっとでも不注意だったら入院だったよ?」
消太は苦笑を浮かべる。
「……すまない。心配かけた」
「……うん、だから生きてるのを確認しただけで十分」
悟は肩を落とした。
「……俺がいたらもっとボロボロになってたな……」
傑も軽くうなずく。
「悟は回復役じゃないからね……」
硝子は消太の肩に手を置き、軽く押した。
「……でも、無理させないでよ。次は絶対ギリギリで済まさないで」
消太は頷く。
「……約束する」
ふと、窓の外を見て、硝子は少し微笑んだ。
「……帰ってきてよかった」
悟は天井を見上げ、口を開く。
「……いや、でもさ、死にかけたって…マジでビビったんだぞ」
「……当たり前でしょ」
硝子が小さく毒づきつつ、消太を支えながら歩く。
高専の昼下がりは、いつもより少しだけ重い。
だけど、仲間の存在と、無事に帰ってきた一人の体温が、
静かにそれを和らげていた。
消太の負傷は、重症寄り──
だけど入院にはならず、硝子の治療で最悪の事態は免れた。
それでも悟はつぶやいた。
「……次からは、俺も絶対見張る……」
「……本当に頼むよ」
傑は鼻で笑いながら、肩を叩く。
「悟、口だけは達者だからね」
硝子の視線は、まだ消太に向けられていた。
「……今度はもっと自分を大事にしてね」
「……わかってる…」
静かに答える消太。その表情には、覚悟と信頼が混ざっていた。
怒られて、怪我もして、呪霊とも戦って──
初任務としてはボロボロだった。それでも、確かに“仲間との一日”を過ごした気配があった。
ここが後の布石になる…かも?今回の硝子は割とパニックです。五条はそもそも傷ついたりするのが少なく、夏油も呪霊を取り込むからかあんま怪我しないからです。