ワナビー・“アヤカシ”ヒーロー!   作:いろはす/1roh4su

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第一話:幾渡(きど)輝利(かがり)の慌ただしい日常

 ────赤い。

 目が潰れてしまいそうなほど、眩く鮮やかな赤で視界が覆われている。

 

 

 ────熱い。

 体中の細胞が全力で悲鳴を上げている。ここに居てはいけないと、必死に訴えている。

 

 

 ────苦しい。

 充満する煙と、喉を焼く熱気で上手く呼吸ができない。恐怖に支配されるまま泣き叫ぶことさえ許されない。

 

 

 ────痛い。

 転んだときに打ったのか、頭が割れるように痛む。

 もはや自分が立っているのか倒れているのか、それすらもわからない。

 

 

 ────耳鳴りがする。

 悲鳴じみた叫び声が耳を劈き、頭の中にこだまする。

 しかし、脳を駆け巡る耳鳴りが聞こえたそばから声を掻き消してしまう。

 

 

 ああ、あの人は一体。

 

 

 

 何と、言っていたのだろう。

 

 

 

◎◎◎

 

 

 

 幾渡(きど)輝利(かがり)は激怒した。

 必ず、かの邪知暴虐の邪知暴虐を除かなければならぬと決意した。

 

 

「誰だ俺の自転車のタイヤに釘ブッ刺したヤツはああーッ!! ゼッテー許さねーからなァーッ!!」

 

 

 幾渡輝利は激怒している。

 寝ぼけ眼を擦りながら支度をし、欠伸を噛み殺しながらいつものように自転車に跨った瞬間に、輝利は驚きのあまり目を剝いた。

 ストン、とサドルが──否、自転車が沈んだのである。

 慌ててタイヤを確認してみれば、なんと釘が突き刺さっているではないか。

 誰の仕業か、などと思案を巡らせている暇などなかった。なにせ自転車に乗る前提で家を出たのだ。徒歩では到底間に合わない。

 故に、彼は全身全霊を賭けて走るのだった。

 

「何でよりにもよって今日なんだよ! 遅刻したらどうなると思ってんだコンチキショーッ!!」

 

 本日の一限は数学。厳しい生徒指導で生徒から恐れられる剛田(ごうだ)(つよし)教諭──通称剛センの担当科目だ。

 ちなみに遅刻したらどうなるのかは輝利も知らない。経験者から聞いた話もまちまちで、校内引き回しの上反省文20枚だとか、学校中のありとあらゆる場所を掃除させられるとか、果てには勉強大好き規律大好きな模範生へと人格を書き換えられるとか。いずれにせよロクなことにはならないのは確かである。

 

 

「頑張れ! 頑張るんだ俺の足ッ! 今こそ限界を超える!! ジャスト・ドゥ・イット(ただひたすらに突き進むのみ)ッ!!!」

 

 

 最早、周囲が向ける奇異の目線など塵ほども気に留めていない。

 間に合えば正義、間に合わねば悪。今の彼を突き動かすのは、ひとえに遅刻を回避したいという願いのみだった。

 

 そうして、輝利が一心不乱に足を前へ前へと動かしていると──

 

 

「きゃあああああ──ッ!!?」

「──っ!?」

 

 

 突然、絹を裂くような甲高い悲鳴が辺りに響いた。

 

 思わず声のした方向に目をやると、そこには地面にへたり込む初老の女性と女物の鞄を持って走り去ろうとする黒づくめの男。

 ひったくりだ。そして、犯人の近くに取り押さえられそうな人はいない。──輝利を除いて。

 そう理解した瞬間、輝利は素早く身を翻した。

 

「おい、待てッ!」

 

 アスファルトを強く蹴り、犯人の背中を追う。

 すぐに追手の存在に気が付いたのか、犯人は逃走するスピードを一段と上げた。

 

「な、なんだよお前、来るんじゃねェ!」

「来るなと言われてはいそうですか──ってなるワケねーだろ! 待てひったくりッ!!」

「ひったくりが待てと言われて待つと思うか!」

「ゴチャゴチャうるせーんだよッ! 止まれってんだ!!」

 

 負けじと輝利も追い上げる。途端に走りっぱなしの脚が悲鳴を上げるが、そんな些末なことを気に留めている場合ではない。

 

 犯人は狭い路地へと入り込み、ポリバケツやごみ袋を薙ぎ倒した。

 このままでは障害物に足を取られ、犯人を取り逃がしてしまう。故に、輝利は素早く両足に力を込め──

 

「いい加減大人しく止まりやがれ──ッ!!」

 

 路地の壁目掛けて高く跳んだ。更にそのまま三角飛びの要領で壁を蹴り、障害物を一息に跳び越える。

 

「ンなっ──ぐへぇッ!?」

「──お縄だコラァッ!!」

 

 驚いて動きが止まった犯人の腹部に、跳躍の勢いを乗せた蹴りが突き刺さる。

 犯人は盛大に吹き飛ばされ、輝利は跳び蹴りを放った体勢のまま地面に叩きつけられた。

 

「あでッ!? 流石に跳び蹴りは無茶だったか……」

「くッ……この野郎、覚えてやが──」

「バーカ、逃がすかよ。大人しくお縄につきやがれ」

 

 しぶとく逃げようとする犯人を組み伏せた輝利は、やっとの思いでその手から鞄を奪い返すのだった。

 

 

 

 その後、騒ぎを聞きつけた通行人が呼んでくれたのか、すぐに数人の警察官がやってきた。

 すぐに女性に鞄を手渡し、感謝の言葉を浴びせられた後、輝利は警察官から軽い事情聴取を受けることになった。

 

「──なるほど、瑞乃木(みずのき)高校の生徒さんね。……それにしてもお手柄だったね」

「いやいや、大したことはなにも。”正義のヒーロー”なら、みんなこうしますから」

「”正義のヒーロー”?」

「昔っから憧れなんですよ。悪を挫く正義の味方ってヤツ」

 

 へへ、と輝利は頭を掻いた。

 その答えに警察官も笑みを浮かべて頷く。

 

「いい心掛けだね。……それじゃ、聴取はこれくらいで終わろうか。ご協力ありがとうございました。通学途中だったみたいだし、学校に──」

うわッ!! ヤッベェ遅刻じゃん!!?! お巡りさんすみません、俺行かなきゃ!!」

「え、ちょ、そんなに走らなくても──! ……行っちゃった」

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

 必死の爆走もむなしく、見事に大遅刻をかました輝利であったが、その処遇は予想を裏切るものだった。

 結論から言えばお咎めはなし。むしろ警察から学校に電話があったらしく、剛田教諭からは称賛の言葉を頂いた。

 

 そして、その日の昼休み。

 輝利の席には、見慣れた顔ぶれが集まっていた。

 

「ほえー……お前、朝っぱらからそんなことしとったんか。どーりで剛センが怒らへんかったわけや」

 

 そう言いながら、輝利の悪友の一人──和泉(いずみ)慎太郎(しんたろう)はあんパンを頬張った。

 

「そりゃ怒られるどころか、褒められて当然だよねえ。ま、シンタローが同じこと言っても剛センは絶対信じなかっただろうけど」

「なんやとコラ」

 

 お手製の卵焼きを摘みながら、もう一人の悪友──(たちばな)和也(かずや)は慎太郎を揶揄う。すぐさま慎太郎が反応を返すところまでが定番の流れである。

 

「まあ、それはさておき……輝利お前、またそんなもん食うてんのか」

「へ?」

「『へ?』やあらへんわ! なんでお前の弁当箱にはもやししか入ってへんねん! 昨日も一昨日も、その前もずっとそうや!」

「心配ないって、ちゃんと栄養面も考えて……ほら──」

 

 声を荒げる慎太郎に、輝利は弁当箱を見せつけた。

 怪訝そうに中を覗き込んだ慎太郎の目に飛び込んできたのは、容器中にギチギチに詰められた大量のもやしと、それを覆い隠すように容赦なくぶちまけられた()()。そう、それはまさしく──

 

マヨネーズだ。これでただのもやしが栄養満点な完全栄養食に早変わり──」

「するかド阿呆! お前のそのマヨネーズに対する熱い信頼はなんやねん!!」

 

 慎太郎の罵倒に唇を尖らせつつ、輝利はマヨネーズのたっぷりかかったもやしを一口。

 ……いつ食べても微妙な味である。こってりしたマヨネーズが、水っぽいもやしに絶望的に馴染まない。

 

「ンなこと言ったってしょーがねーだろ。俺だって食えるもんならもっと良いモン食いてえよ……焼肉弁当とか」

「輝利は年中金欠だもんねえ」

「一人暮らしなんやっけ? 実家に頼んで仕送りちょっと増やしてもろたらええやん」

「バッカお前、義父(とう)さん達にこれ以上迷惑掛けられるかよ。ただでさえここまで育ててもらった恩がたっぷりあんだから」

「ん……それもそうやな」

 

 慎太郎は一瞬バツが悪そうな表情を浮かべ、それを誤魔化すように勢いよくミルクティーを呷る。

 その不器用な仕草に思わず口元が綻び、輝利は慎太郎の背中を思いきり叩いた。

 

「あ痛だッ!? なにすんねんボケェ!!」

「変な気ィ遣ってんじゃねーよ、バーカ!」

「なんやとぉ!? 背骨折れてしもたらどないしてくれんねん!」

「大袈裟すぎでしょ」

 

 輝利と慎太郎がやいのやいのと言い合っていたその時。

 

「ねえちょっと」

 

 輝利の背後から、唐突に声が掛かった。

 振り返ると、そこにいたのはショートウルフに整えられた黒髪にエメラルドブルーの差し色(インナーカラー)が映える一人の女子生徒。

 

「あんた、幾渡……だったよね」

「そ、そうだけど。どうした永瀬(ながせ)さん、なんか用?」

 

 彼女は永瀬灯彩(ひいろ)。その整った顔立ちと、過度にダウナーな態度で校内ではちょっとした有名人である。

 気怠げな瞼の奥から覗く蜂蜜色の瞳に正面から見つめられ、輝利は思わず言い淀む。

 

「日直、今日あたし達だからさ」

「あー悪い、忘れてた」

「別にいいよ。あたし日誌書くから、物理の時カギ閉めよろしく」

 

 そう言い残すと、灯彩は返事すら待たずにその場から離れて行った。

 和也と慎太郎は揃って苦笑いを浮かべる。

 

「……相変わらず、だねえ」

「せやなあ、流石、『瑞乃木の無気力姫』や」

「はいはい、本人がいないところで好き勝手言うのはやめような」

 

 二人を窘めながら、掴み上げたもやしを頬張る。相も変わらず、酷い味であった。

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

「かーがーりークンっ!」

「──痛でっ!?」

 

 そして、放課後。

 帰り支度を終えた輝利は、突然勢いよく背中を叩かれ、思わずつんのめった。

 恨めしげに振り返ると、そこにはニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべた慎太郎の姿があった。

 

「今日って全部活オフやん? やからこの後、和也とラーメン食い行くことになったんやけど、輝利も来る?」

「……いやいや、無理に決まってんだろ。ラーメンなんて贅沢品。その金でもやしが何キロ買えると思ってんだ? お前がバカなのは今に始まったことじゃねーけど、ちょっとは頭使って喋ろう、な?」

 

 そう言うと、慎太郎の背後から和也がひょっこり顔を出し、にやりと口の端を吊り上げる。

 

「おやおや。いいんですかねえ、そんな口きいて。僕らの奢りのつもりだったのに」

「さ、行こうか心の友よ」

「……お前ホンマええ加減にせえよ」

「なんだ兄弟、怒ってるのか? 許してくれ、俺たちの友情の前では些細なことじゃないか」

「……ラーメンってのは、こうも人を卑しくするんだねえ」

「うるせえな、なんとでも言え。俺はお前らの奢りでラーメンが食いたいんだ……あん?」

 

 ふと、えも言われぬ感覚──寒気のような”何か”を首筋に感じ、足を止める。

 自然と感覚が研ぎ澄まされ、視界がわずかに暗く、周囲の音が遠のいていく。

 不思議な感覚にぱちくりと目を瞬かせながら、輝利は辺りを見回す。だが、特に変わった様子はない。

 

「おーい、どしたん輝利?」

 

 慎太郎に肩を叩かれ、不意に我に返る。

 いつの間にか謎の感覚は消え失せ、耳は再び周囲の喧騒を拾い始めていた。

 

「なにか面白いものでもあったの?」

「……いや、気のせいだったみたいだ」

 

 ただの気のせい。あるいは、どこかで風邪でももらってきたのかもしれない。

 今の輝利には、そうやって無理やり納得することしかできなかった。




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