ワナビー・“アヤカシ”ヒーロー! 作:いろはす/1roh4su
「やっべえ……最っ悪だ……」
その日の夕方。夕食前に物理のレポートでも片付けようと重い腰を上げた輝利は──本日二度目の絶望を味わっていた。
まさか、教科書を学校に置き忘れてきてしまうなんて。
「ちくしょう! 実験結果の記録用紙、教科書に挟むんじゃなかったあ!!」
普段の彼であれば、「まあ明日やればいいか」と切り替えるところだが、今度ばかりはそうはいかない。
なんと締め切りが明日の一限なのである。最早逃げ場はなかった。
早朝に学校へ行って急いで取り組んだとて、授業開始までに間に合う保証はない。
故に、輝利に残された選択肢はただ一つ──。
「……取りに、戻るかあ……」
そう呟き、輝利は一人肩を落とした。
「はあ……疲れた……。俺の自転車のタイヤ駄目にしたヤツ、やっぱ許せねえ……」
自宅から歩くこと、およそ一時間。
やっとのことで学校へと戻ってきた輝利は、思わず深い溜息を吐いた。
正門を通り、人気のない校内へと足を進める。
リノリウムの床を踏むたびに、乾いた足音がやけに大きく響く。
「うへぇ……部活やってないとこんなにも静かなもんなんだな……。かなり雰囲気あるぜ、こりゃ」
日は落ち切っていないものの、辺りは既に仄暗い。
普段の喧騒を失った校舎には、言いようのない薄気味悪さが満ちていた。
そうこうしているうちに、輝利は校舎の二階にある二年F組の教室へと辿り着いた。
窓際の一番後ろの席。自分が使っている机の引き出しに手を突っ込んでガサゴソとまさぐれば、お目当ての教科書はすぐに見つかった。
「お、あった。……ったく、教科書一冊のためだけに二時間も歩く羽目になるとは……」
徒労感に襲われ、思わずそうぼやく。
ここから帰ってレポートをまとめなければならないと思うと、憂鬱で仕方がない。
行きと変わらず、重い足取りで輝利が教室を後にしようとした、その時だった。
「いやあああああああ!!?」
突如、耳を劈くような悲鳴が静寂を切り裂いた。
続いて、机か椅子か──何かが倒れるような激しい音が響く。
「──今の声、生物室の方か!?」
反射的に、輝利は声の聞こえた方向へ駆け出した。
音の出どころはすぐ下の階。教室から見て反対側──ちょうど生物室のある辺りだ。
悠長に階段を降りている暇はない。手摺りを乗り越え、一息に飛び降りてショートカットする。
そうして生物室の前まで辿り着いた輝利を待ち受けていたのは、驚いて腰を抜かしたのか、床にへたり込む一人の見知らぬ女子生徒だった。
「どうした、大丈夫か!?」
「ぁ……あ、あれ……!」
すぐさま駆け寄り、そう問いかければ、彼女は震える指で中空を指した。
その指の先を追う。──視線の先にあったのは、一体の人体模型だった。
「なんだ……人体模型にビビっただけかよ……ほら、立てるか?」
拍子抜けと同時に安堵の息をつき、輝利は女子生徒に手を差し伸べた。
つかんだ腕をぐいと引き上げ、立たせてやる。
「あ、ありがとうございます……」
「いいってことよ。放課後の学校って、結構雰囲気あって怖いよな」
「そうですよね……さっきもその、人体模型の目が動いた気がして……」
「まあ、薄暗いとこで見ると不気味な見た目してるしな、これ。夜中に見たら心臓止まりそうだ」
「あはは……。……それじゃあ、私帰ります。ほんとにありがとうございました」
そう言い残すと、女子生徒はそそくさとその場を後にした。
彼女の足音が遠ざかると、廊下には再び深い静寂が満ちた。
「うし、俺もそろそろ──」
そう言いかけた、その時。
──パキリ
硬質なものにヒビが入るような異音が、その静寂を破った。
輝利は思わず足を止め、音のした方へと視線を向ける。
そこには、先程と変わらず、ただ立っているだけの人体模型の姿があった。
しかしその瞬間、不意に背筋を氷の刃で撫でられたような感覚が走る。
寒気とも違う、得体の知れないその感覚に、ぞくりと肌が粟立つ。
──ミシリ
軋むような音とともに、人体模型の身体が僅かに震えたように見えた。
「……おい、嘘だろ……?」
漏れ出たその呟きは、酷く震えていた。
息を吸うことすら忘れ、喉が詰まったような気さえする。
寒いわけでもないのに、身体の震えが止まらなかった。
そして、その瞬間は突然やってきた。
バキン、と一際大きな音が響き、人体模型の胴がひとりでに半ばから圧し折れた。
支えを失った上半身は、重力に従って床に叩きつけられる。
思わず後退りする輝利。
その視線の先で、人体模型の指先がピクリと動いた。
「──っ」
途端に膨れ上がる異様な気配に、輝利は息を呑む。
軋み、ヒビ割れる音を伴いながら、人体模型は床に肘をつき、ゆっくり上体を起こす。
動くたびに関節にあたる部分のプラスチックが砕け、破片が飛び散った。
人体模型が首を上げ、その無機質な瞳と目が合った瞬間、輝利は思わずその場から逃げ出した。
(──しゃ、洒落になんねえ! なんだよアレっ!)
必死にその場から離れようと校庭へと続く廊下を駆け抜ける輝利。しかしどれだけ走っても、背後からはプラスチックが砕ける音が絶え間なく聞こえてくる。
振り返ると、人体模型がプラスチックの破片を散らしながら凄まじい速度で迫っていた。
両腕で地を這いずるその姿はさながら、かつて怪談本で見た”テケテケ”のようだった。
やっとのことで校庭へ飛び出した輝利。しかし、背後から迫る人体模型はまだ振り切れずにいる。
(こうなりゃ、持久戦に持ち込むしかねえ……!)
相手は正体不明の動く人体模型。スタミナ切れという概念が存在するのかも怪しいが、何もしないよりはマシだろう。
少しでも距離を稼ごうと輝利が速度を上げた──その時。
「──うおっ!?」
不意に足を取られ、輝利は前のめりに倒れ込んだ。
慌てて身を起こそうとした矢先、輝利は異変に気づく。
足がピクリとも動かない。腰から下の感覚が、すっぽりと消えていた。
「──っ、なんだよこれ!」
冷や汗が頬を伝う。
振り返ると、ゆっくりとした動きで近づいてくる人体模型の姿が目に入る。
その両目は妖しく光り、動かないはずの口元は歪んで弧を形作っていた。
「動け、動けってんだこの野郎!」
必死に力を籠めようとも、足はまるで鉛になってしまったかのように動かない。
その間にも人体模型は醜悪な笑みを浮かべながら、ゆっくり、それでいて確実に距離を詰めてくる。
彼我の距離が一メートルを切った時、輝利は咄嗟に砂を掴み、その顔目掛けて投げつけた。
「□□□──!?!!?」
(っ、動いた! 今しかねえ!)
人体模型が悲鳴を上げて顔を逸らした途端、フッと下半身に感覚が戻る。
好機を逃すまいと立ち上がった輝利は、素早く駆け出し──
「うおりゃああ──ッ!!」
裂帛の気合いとともに、未だ顔を抑えてうずくまる人体模型を思い切り蹴飛ばした。
硬質プラスチックがヒビ割れ、砕ける。勢いそのまま、人体模型は大きく後方へ吹き飛んでいった。
間違いなく痛手を負わせた。輝利がそう確信した、その刹那。
「□□□□□──!!」
「なっ……まさか、効いてないってのか!?」
倒れ伏したはずの人体模型は、軋む音を立てておもむろに上体を起こし、金属が擦れ合うような叫び声をあげた。
その顔に散らばった破片が、見えない力に引かれるように音を立てながら集まり、頭に空いた風穴を塞いでいく。
間もなく、その穴は痕跡すら残さず消え去ってしまった。
(ちくしょう、やっぱり逃げるしか──!?)
輝利が逃げようとした──その瞬間、人体模型の目が妖しく輝いた。
途端に輝利の下半身は再び機能を失い、その場から動けなくなってしまう。
反撃されたことに腹を立てたのか、人体模型は打って変わって素早い動きで輝利に接近する。
(このままじゃ、今度こそ──! 何か、何か方法は──)
そうやって思考する間すら、殆ど無く。
人体模型は両腕をバネのように使い、輝利めがけて勢いよく跳びかかった。
(クソッ、もう、どうにでもなれ──ッ!)
「──うあああああああッ!!?」
輝利が破れかぶれになって振り抜いた拳は運良く、宙を舞う人体模型の片腕を打ち据えた。
しかしそれが何だというのだ。
攻撃が当たろうと、相手は損傷を物ともしない”化け物”だ。どう足掻いても、逃げることが叶わない以上は問題の先送りにしかならない。
そんなことは、輝利にだってわかっている。
故に、拳を振るう時、輝利は自然と目を瞑っていた。
だが。
──ボンッ
そんな音とともに、輝利は拳に確かな”熱”を感じた。
一瞬のことだった。何が起こったかもよく理解できないまま、恐る恐る瞼を持ち上げる。
すると真っ先に彼の視界に飛び込んできたのは、左腕を失った人体模型の姿だった。
破損している部位が違うだけで、先の攻撃の焼き増しだ。すぐに再生して元通り──そう思う輝利だったが、何やら様子がおかしい。
「□□□──ッ!?!?!」
人体模型が失った左腕を抑え、悲鳴を上げているのだ。
攻撃を受けて数秒が経ったというのに、左腕を再生させようとする素振りすら見せない。
(何でかはわかんねーけど、効いてる! なら、今のをもう一度、今度はド真ん中に当てれば──!)
そう判断した輝利は一直線に、倒れ伏す人体模型のもとへ走った。
対する人体模型は右腕のみを用いて上体を起こし、輝利の足を奪うべくその目を輝かせた。
──が。
「それはもう読めてんだよッ!」
足が機能しなくなる寸前、輝利は振り上げた足で砂を巻き上げ、人体模型の視線を遮る。
(今もさっきも、足が動くようになるときはアイツの視線が俺から外れてた……ってことは、あの力は
果たしてその考察は的中していた。
されど、砂粒が宙を舞う時間などほんの刹那に過ぎない。
即席の幕は一瞬で崩壊し、またしても足を奪われる。そうなれば今度こそ”詰み”だ。
だからこそ、輝利が次に取った行動は──
「ッ、男は度胸ォ──!」
「□□□──!?」
意図的に体勢を崩し、決死のスライディング。
迫りくる輝利に備えて目線を上げていた人体模型は、その姿が消えていたことで肩透かしを食らう。
そうして生まれた一瞬の隙。
それは輝利にとって、たかが数メートルの距離を詰めるには十分すぎるほどの大きな隙だった。
輝利は、固く拳を握りしめて。
「──これで、終われェッ!!」
渾身の一撃を、がら空きの胴に叩き込んだ。
「……っ、あづっ──!?」
その刹那、拳から迸ったのは鮮烈なほどの”赤”。
鋭い熱を伴ったそれは、意志を持つかのように荒れ狂い、プラスチックの身体を内部から蹂躙する。
「□□□□□□──ッ!?!?」
体内を駆け巡る炎の圧力に耐えきれなかったのか、人体模型は断末魔の叫びとともに瞬時に爆発四散した。
無事、輝利は恐ろしい怪物を打ち倒したのだ。
しかし──
「……っ」
輝利の体は酷く震えていた。
呼吸は浅くなり、額からはじっとりと脂汗がにじみ出る。
「俺の身体から、ひ、火が──」
既に炎は収まっていたものの、先程の光景は輝利の網膜に焼き付いていた。
鮮やかな赤と、息が詰まる程の灼熱。
それが自分の拳から放たれたものだとは到底信じられない。否、信じたくなかった。
「──ねえ、アンタ。幾渡……だったよね」
突然、背後から聞き覚えのある声が響き、輝利ははっと我に返った。
振り返ると、そこにいたのは、瑞乃木高校の制服に身を包み、黒い髪を部分的に青緑に染めた少女──永瀬灯彩だった。
「……永瀬さん? どうしてここに……というより、それ──」
輝利の視線は、灯彩の腰のベルトに吊るされた大きな
──銃刀法違反。その言葉が輝利の脳裏をよぎる。
しかし、輝利がそれ以上の言葉を紡ごうとするのを遮って、灯彩は口を開いた。
「それはあたしのセリフだから。はぁ……とにかく、あたしについてきて」
「え? そんな急に言われても……って、力強っ!? ちょ、ちょっと待──!」
抵抗むなしく、灯彩にがっしりと腕を掴まれ、輝利はそのまま引きずられるように連行されていくのだった。
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