魔術の名家に生まれたが、人権意識がカス過ぎる(旧題:実家を継ぎたくない魔術師がなんだかんだで飛ぶ話) 作:夏川ぼーしん
「あぁ、食えば食うほど腹が減る……」
何の具もない素パスタを数口啜り、食事を終える。子供の頃の鍛錬以外でここまでの飢餓状態を経験することになるとは思わなかった。こんなんで三時間以上の飛行を成し遂げようというのだから、確かに美憂ちゃんに怒られもするだろう。我ながらアホの所業と言わざるを得ない。
コンコンコンと部屋の扉がノックされ「はーい」と気の抜けた返事を返す。
「入ります」
「っ……!」
思わず唾を吞む。扉越しに聞こえた声は、影島美憂のものだった。正直、彼女は今、一番会いたくない相手と言っても過言ではない。だが、そんな憂鬱な気分は、扉が開いた瞬間に吹き飛んだ。鼻腔をくすぐるこの香り、出汁だ。出汁のしみた、ホカホカ料理の匂いだ。
美憂ちゃんは、扉を開けるとすぐにしゃがみ、足元に置いたお盆を持って中に入ってくる。その上には、湯気を立てるお粥の姿があった。しかも、大きめの
「いつもの食事じゃ……足りないと思って、明日のために少しでも体力付けないと」
「う、うん…………ありがとう」
片腕では食べづらいそれを、美憂ちゃんは俺の前に置き、蓮華で掬って差し出してくる。各種山菜に、まだ残っていたのか……大きく切った鶏肉、それに卵。具材たっぷりのお粥は、信じられないぐらいに美味かった。精々数日ぶりなのに、随分久しぶりに腹いっぱいになった気がする。
「本当に、ありがとう」
食べ終わりに、つい口を突いて出た感謝。そして……
「それから、ごめん」
心からの謝罪。それに美憂ちゃんは困惑の表情で首を傾げる。当然だろう。脈絡もクソもない、心から浮き上がる泡沫のような言葉。これで理解できる奴が居たら、ちょっと薄気味悪いくらいだ。
「なんで謝るんです……か?」
彼女の疑問に、どう答えたものか数秒思案し、そして諦めた。
「俺は君に嘘を吐いた」
全部、ぶっちゃけてしまおう。少なくとも、このまま恰好付けて明日を迎えるよりは俺の心持もマシになるだろう。
「君の心配は正しい。ただ俺を生かすというだけなら、もっと他に選択肢を探すのが正解だ。それが分かっていながら、君にはそう言わなかった」
それでは霧花さんを救えないから。
「鷹峰空理を救いたい。遠城霧花を含めた全員を救いたい。対象が違うだけで、俺たちの主張の根っこの更に根っこは同じものだった」
誰もを平等に思うか、誰かを特別に思うか。その違いはあれど、やはりそれは誰かを助けたいという思いで、本質は同じものだろう。
「俺の意見だけが正しくて、君の意見だけが間違っているなんて事はない。誰かを助けたいという願いは、何があろうと否定されちゃいけないものだ」
改めて、影島美憂の顔を見る。いきなり滔々と語りだした俺に胡乱な表情でも向けているかと思えばそうではなく、彼女はどこか思案するような顔で目を伏せていた。
「空理兄さん……」
「…………はい」
落ち着いた彼女の声に思わず居住まいを正す。なんとなく、霧花さんに似た空気を感じる。
「だったら、アナタが私にできる事は一つだけです。謝る事じゃない」
そこまで言うと、彼女は伏せていた目を上げ、強い眼差しで俺を見据えた。
「絶対に、生きて還ってきてください」
思わず息を吞んだ。良い表情だと思ったんだ。強い意志と、覚悟を感じる。だったら俺も、いつまでも情けない俺じゃいられない。そう思った。
「あぁ……俺を信じろ」
◆◆◆
春はあけぼの夏は夜と言うが、今どき蛍などそうそうお目にかかれるものでなし、昼間に比べればマシな気温ぐらいしか良い事はない。そういう意味では、夏もまたあけぼのだろう。一日の中で最も涼しいこの時間、俺は車椅子の上で美憂ちゃんが昨夜置いていったバスケットを開いた。中には彩り豊かなバゲットサンド、それをもしゃもしゃと食いながら、別荘の玄関先の庭でオーニソプターの最終調整に入る仲間たちを眺めていた。
風は穏やかで、雲も少ない。少しずつ藍が薄まり、夜の名残が消えていく空の下、俺は全身を巡る魔力を目を閉じて確かめていた。体力の消耗は内在魔力の総量に影響を与える。昨日までの弱々しい力の流れとは見違えた自らの魔力に、俺は今はここに居ない美憂ちゃんに心の中で感謝する。本当に、ありがたいことだ。
「準備は良いかぁ? 鷹峰ぇ」
朝食を終える頃を見図ってか、ちょうど手持ち無沙汰になったところで笹塚がそう声をかけてきた。両手をズボンのポケットに突っ込んで気怠げに立つ姿からは、隠しようもない疲労を感じる。というか、目の下にドス黒いクマが見える。一睡もしていないのだろう。俺はあまり手間取らせるのも悪いだろうと、黙って頷いた。
「悪いな」
「気にすんなよなぁ、その体じゃ車椅子
車椅子を押す笹塚は、俺を沖田先輩と久瀬が待つオーニソプターのもとへと向かう。
「良いかぁ? 今回は時間がなさすぎる、実際の大きさでテストはしていない。失敗すれば崖の下に真っ逆さま、今のお前じゃ十中八九命はない」
「脅かすなよ」
「機械的な運動を繰り返すだけのオーニソプターが今まで多くの失敗を繰り返してきたのは、実際に羽ばたき空を飛ぶ鳥たちは様々な飛行条件に合わせ、その羽ばたき方を柔軟に変えてきたからだ。それを人間ごときが回転運動なりピストン運動なりを原動力とした機構で再現しようとするから失敗する。上手く飛ぶためには、そのための羽ばたき方を考える頭脳が必要だ」
それが、霊翔環に宿ったうちの神様という訳か。俺は笹塚の説明に頷きながら、スタンバってた二人からオーニソプターを受け取りベルトを着けていく。翼の長さは凡そ三m弱、これが久瀬のサイズ変更魔道具によって約二十mにまで巨大化する。
「一番の問題は巨大化による自重の変化だ。これによってそもそも構造を維持できない可能性もある。計算上は問題ないが、テストできなかった以上は失敗はありうる。そしてその次に大きな問題、それがお前の気構えだ」
「俺の……? どういう事だ」
「このオーニソプター”
「俺の命令が間違っていれば、それだけで墜落するって?」
「あぁ、その通りだぜぇ親友。そこでお前に一つ注意しておきたいことがある」
笹塚が俺の肩を掴む。その力の強さが、コイツの緊張を物語っていた。
「崖から飛び立ったあと、落ちると思っても絶対に水平飛行をやめるな」
「おい、言ってる事が違うぞ? 状況に合わせて羽ばたき方を変えるのが成功の秘訣じゃなかったのか?」
「間違った指令じゃそれも無意味だ、良いかぁ? 地面からの支えを失った偉鷹弐号機は一時的に一mから六mの間、緩やかに下降する」
「待った、ここの崖はそこまで高くないぞ?」
「あぁ、分かってんじゃねぇかぁ。そうだ、ここの崖の高さはおよそ十m、場合によっては崖の半分以上の高さをお前は海面へ向かって進むことになる。だが、下降はあくまでも離陸後の一時的なもので、暫くすれば飛行は水平に戻る。上昇はそれまで待てって事だぁな」
焦ってジタバタすれば、離陸直後のスピードの乗ってない状態では致命的なまでに体勢を崩しかねないと、笹塚は言う。
「とにかくなぁ、危ないと思っても我慢だ。たとえそれで死んだとしても、それはしょうがないと割り切るしかねぇ」
「割り切れるか! そこはお前、エンジニアとして自信を持ってだな」
俺の焦った声に笹塚は笑い、それに吊られて周囲も笑う。一瞬、張り詰めた現場の空気が緩和した。俺の肩の力も少しは抜けたかもしれない。
「さぁ、準備完了だ。行ってこい」
「よし…………行ってくる!」
笹塚がそそくさと退散すると、俺の背後でそれまで傍観していた武曽が付く。オーニソプター偉鷹弐号機を頭上に掲げ、魔道具に魔力を充填する。鮮やかな真紅のフレームが瞬く間に膨張し、全長二十mの翼を広げた。機体は大きさの割に軽いが、片腕で支えるには些か重すぎた。俺は少しの焦りと共に魔力を霊翔環に送り、その内部に眠る神の分霊を目覚めさせる。
「宿れ!」
非常に短く、端的な詠唱。先日の契約は、たったそれだけで絶大な効果を生み出す絶大なものだった。掲げた左手を中心に、ぐるりと輪を描くように風が吹き抜けていく。それがこの世ならざる領域からこちらに何かが現れた余波である事は、本能で理解できた。
「動く……」
そう呟いたのが誰なのか、もはや俺には分からない。緩やかに動き出した偉鷹弐号機は、既に羽ばたきと共に突風を巻き起こし、微かな揚力を俺の左手に伝えていた。
「じゃ、頑張って……先輩」
「え? もう? ちょっと待て、まだ羽ばたき始めで揚力が」
テンパった俺の静止も聞かず、笹塚の「行け!」という叫びに促されて武曽は走り出す。庭の芝生は決して車椅子を走らせやすい土壌ではないが、それでも後輩のゴリラ女子にかかればなんて事はない。流れていく景色の中、後戻りできない事実に今更気づき、心のどこかが怖気づくのが分かった。一瞬、身体が強張り、思うように動けなくなった。今だけは、佐奈毘に四肢を奪われて助かったとすら思ってしまう。なんせ、どれだけぎこちなかろうと、動いてしまう四肢がなければ体勢もクソもない。俺の身体は、ただひたすらにぶらさがるだけで良いのだ。
そして───車椅子が崖の上から飛び出した。
想定よりも数倍強い落下感に、やはりもう少し浮力を稼いでから行けばよかったと後悔する。だがもう遅い、車椅子がケツから離れ、海に向かって落下していくのを見て俺は確信した。俺がああなるかどうかは、俺を掴んで離さないこの機械の鳥次第であり、俺にできる事はないのだと。
戦闘行動中でもないのに、世界がスローモーションで見える。意味もなく、俺の脳は危機を予測し、回避しろと警鐘を鳴らしている。それを理性で捻じ伏せる。説明を受けたとおりだ。俺がジタバタしても、良い事は何一つない。
アイツ等の、仲間の紡いだ翼を信じろ。
そう言い聞かせ、言い聞かせ、言い聞かせ……………………気が付けば、落下感は鳴りを潜めていた。恐る恐る閉じていた瞼を開けば、そこには広大な海と、黎明の空が広がっている。振り向けば、崖の上から歓声をあげる仲間たち、それから朝日を背にした九頭竜島が見えた。
「………………飛んだっ」
九頭竜島サバイバル生活七日目。俺は空を飛んだ。
「飛んだぞぉーーーー!! 霧花さーーーーーーん!!!」
機体は加速し、旋回しながら九頭竜島上空を飛ぶ。十分な高さまで高度を稼ぐと、そのまま北西へ向けて飛び立った。
◆◆◆
「矢島さん、クマひどいっす」
「はっはっは、夜勤明けの乙女の素肌をあんま見んじゃないわよ」
「化粧ぐらいしてから来れば良いのに」
「そんな時間あったら仮眠室で寝るわよ。──って、どうしたの?」
「……あれ、なんか居ますねこれ?」
令和七年八月二十日午前八時〇〇分。魔道災害対策局和歌山支部・龍潮監視所勤務職員が、南西方向上空にて謎の飛行物を目視により確認。
「緊急。監視塔より報告。南西二十キロにて
同日八時一〇分、哨戒機が約一キロの距離で接近観測を実施。当該飛行物は羽ばたき式の航空機であることを確認。 また、機体下部に人影一名を認む。
以降の追跡により、当該機は攻撃能力を有しないと判断。 監視対象として沿岸部着陸までの約十分間を哨戒ヘリが追従。着陸後、搭乗者と思しき人物を保護、県立那智医療センターへ搬送。
現在、詳細を確認中。
◆◆◆
結論から言えば、俺は成し遂げた。俺が本州に到着した一時間後には救助隊が九頭竜島へ向かって飛び立ち、その二時間後には同窓会メンバー全員が無事に保護された。
他のメンバーは短い検査入院のあと、割とすぐに退院できたのだが、俺と霧花さんは重傷ゆえに入院生活が長引いていた。
「今回の事は貸しにしておいてあげるわ」
「助けてもらった側のセリフじゃなくないですかね」
まだ少し馴染まない機械の右腕で差し入れを棚に置きながら口をへの字に曲げる。
「ごめんなさい、間違えたわ。正しくは”借りという事にしてあげるわ”だったわね」
「死にかけても君は君だな」
「褒め言葉として受け取っておこうかしら」
俺は丸椅子に腰かけながら、小さく溜息を吐く。まぁ、元気なようで良かった。こうして俺が出歩けるようになったのは今朝のことで、彼女とこうして会うのはおよそ一週間ぶりだ。一応元気でしている事は面会に来た元魔術部のメンバーや、義肢の調整でやってきた美憂ちゃんから聞いていたが、こうして実際に霧花さんの減らず口を聞くと、それはそれで感慨深い。
「まぁ、それはさておいて……さっき実家から連絡があった」
切り出した本題に、ベッドの上の彼女は「あぁ、その話か」とまるで流すかのように目を細めるだけだった。
「結納の日取りが決まったそうだ。困ったことに」
霊翔環を持ち帰っただけでなく、おまけに儀式と契約まで済ませてしまっているのだから、その話が進むのはまぁ不思議な事ではない。だが、このまま大人しく収まるところに収まるつもりもない。あんな家に縛られるなんざ、死んだってごめんなのだから。
「鷹峰のおじ様も頭を悩ませたと思うわ、だってアナタにこのまま指輪を持たせてたら、何をするか分からないでしょう?」
「霊翔環を守るなら俺に持たせたままってのはマズい。だが俺を次期当主として扱うなら、指輪を没収するわけにはいかない……か」
確かに、あっちもあっちで頭の痛い話だろう。まぁ、俺としては助かる勘違いだ。俺が霊翔環を持っていたところで、佐奈毘に契約の代価を前借りした状態じゃどうしようもない。俺は指輪を持っていたいが持っていたところでしょうがない事はバレたくない、鷹峰の本家は俺に指輪を持たせたくないのに持たせなくてはならない。どちらも、似たような悩みを持っているという訳だ。そしてそれは、俺とあの家の関係を知っている者なら容易に想像できる展開だった。断定はできないが、恐らくは笹塚あたりから聞いたのだろう。
事情説明が必要だったとはいえ、アイツに話したのは失敗だった。
「やっぱり、親父にあの提案をしたのは霧花さんだったのか」
電話口で親父はこう言っていた。
「霊翔環の管理は、遠城のお嬢さんにお願いすることにした。お前に任せるのはまだ早い」
本当は今すぐ帰ってこさせて家の仕事をやらせたい、いずれ当主となる時のために経験を積ませたい。それがこの人の本音だろう。そうならないのは偏に、俺を従わせるだけの材料がないからだ。それはそうと…………
「なんで霧花さん?」
「退院したら
「……………………は?」
ということである。いや、どういう事かは分からないが、そういう事になったのだろう。……俺の与り知らぬところで。
中指にはめた指輪を見る。これのおかげで俺はこの人を助ける事ができた。結果的に、それが俺の立場を望まないものにしてしまったのは確かだ。それでも、後悔はない。
「仕方ない、退院したら部屋を片付けなきゃな…………よろしく頼むよ」
「ついに同棲ね、楽しみだわ。これでも私アナタの事を愛してるもの」
「はいはい、良いからそういうの」
干すという言葉がある。湿気たものを乾かすという意味の言葉だ。それが業界を干されると言うと、また違う意味になってくる。仕事を得られず、潤いを失っていく様を見て人々は干されたと言うようになった。だけど、自分の人生にそういう潤いはいらないと俺は思っていた。多くを求めない代わりに多くを求められない。カラッとした乾いた風のように無責任に、自由に生きていけたら……
あの家で、昨日まで仲の良かった親戚の子供が急に居なくなるような、仲良くなった家畜の血に何も感じなくなるような生活の中でそう思った。
でも結局、俺は干物にはなれなかった。どこまでいっても
霧花さんを見る、まだ少しやつれているが、それでも本当に楽しそうに笑っている。差し入れに持ってきた魔術雑誌のページを、指で叩きながら読んでいる。
彼女を助ける事ができたのは、俺が魔術師だったからだ。
そう言えば、前にもどこかで、そんな事を誰かに言い聞かせた事があるような気がする。あの
鏑矢高校魔術部同窓会 ─完─
この話はここで一旦の区切りとなります。続きの構想はないではないですが、気長にお待ちいただけると幸いです。これまで本作『実家を継ぎたくない魔術師がなんだかんだで飛ぶ話』を読んでいただき誠にありがとうございました。
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