魔術の名家に生まれたが、人権意識がカス過ぎる(旧題:実家を継ぎたくない魔術師がなんだかんだで飛ぶ話) 作:夏川ぼーしん
属性を扱う魔術、呪力を扱う魔術、神の力を扱う魔術、そして悪魔の力を扱う魔術。この世には様々な魔術が存在するが、それらには一つ共通している部分がある。その全てに魔力が用いられているという事と、魔力が直接魔術現象を引き起こしている訳では無いという事だ。
属性魔術で言えば、魔力でエレメントに干渉し、魔力に干渉されたエレメントが超常的な自然現象を引き起こす。他の魔術でもそれは変わらない。現世に直接影響を持つのは決まって魔力ではなく、それによって働きかけられた何かである。
そして、魔術の威力は、往々にして
霊媒術師ならより高位の霊体に、属性魔術ならより高位のエレメントに、そして血液使いなら、より高位の生物が持つ血液に……
セリーナ・クランツが契約を持ちかけ、そして裏切ったのは高位の悪魔。最高位のそれと比べればパン屑のようなものだが、その血は人間の血の数倍、いや数十倍は濃い気配を漂わせていた。
霧花さん、よくこんなのと戦ってあの程度で済んだな……
俺は刀を抜いて、風を手繰る。白群の風が俺の体を掴むと、失地の泥からドチャリと両足が抜けた。今はまだ、自力では四寸浮き上がるのが精一杯のザル制御の飛行魔術も、この環境では絶大な効果をもたらす。なんせこの足場で必死こいて走り回るのの数十倍は素早く動けるのだから。
真っ直ぐと投げかけた視線のその先に、
俺の体が前方へと吹き飛ばされていくのと、真紅の円環から五つの支流が触手のように伸びてきたのはほぼ同時の事だった。俺は風を束ね、刀の一振りに乗せて、最も早く近寄ってきた一本を断ち切った。
「っ!」
その一合で、刀に纏った風が吹き飛ばされた。佐奈毘の風と悪魔の血が拮抗している証拠だ。相手を削れば、こちらも削られる。そんな当然の事が、今は死ぬほど恐ろしい。
その後の制動も考えず大きく飛び上がると、その足先を高速で回転する触手が掠める。その余波だけで湿地の水面が冗談みたいに巻き上げられ、高波は十mほどの距離を押し流し、大きな波紋を残す。ここが何もないダンジョンの中で助かった。
今の攻撃が地上で放たれたらと思うと乾いた笑いがこぼれる。いや、地上からここまでを貫いた霊翔環の威力を考えれば、決して他人事ではない。
俺とあの女との決着は、ここでなければならない。この、どこまでも広がる、無人の野で。
意識が先鋭化していく。魔力に余裕はあるが、俺の気力に余裕はない。せめて霊翔環を使った戦闘機動の訓練を事前に積めてれば違ったかもしれないが…………
下手に飛び上がるものだから俺は敵のいい的だった。血の色の弾幕は、その弾一つ一つは子供の小指ほどの小さなものだったが、その弾一つ一つが佐奈毘の風を貫くだけの力を持っていた。なんとか逸らした一擲が左頬を掠めていく。今はあのセリーナとかいう血液使いに近寄るべきではないらしい。射程は短いらしく、弾幕も距離を置けばおくほど隙間ができる。裏を返せば、近づけば近づくほど、弾幕は厚い壁となって俺を襲う。
「バカな事を」
だが、それは俺にとってはそう悪い事では無かった。敵は血液使い、使う血が無ければ裸も同然だ。そして、俺に対抗しうる悪魔の血は、最初こそ膨大だったが、弾幕に使って今は目に見えて減っている。ならば、あと三秒待とう。それで、俺が再び近づいても、前のような厚い弾幕は張れなくなるだろう。
一。
俺は大きく振り返り、刀で血を払った。これ以上遠くなれば、敵の射程を超える。そうなれば、敵もこの愚策を考え直すかもしれなかった。
二。
大きく旋回し、大雑把ながら敵の攻撃の悉くを躱した。
三。
大きく背中を逸らし、頭から地面へ向かって落ちていく。重力に身を任せるだけでは足りぬと、背中から伸びる異肢を震わせる。俺は事前に決めていた通り、地上に居る敵へ向かって真っすぐと急降下していく。肉体は、風の推進と微調整によってせわしなく右へ左へと動き回る。弾幕の間を割ってすり抜け、躱して笑い、視線だけは一転、敵のみをまっすぐ射貫いていた。頭の中には、先の高波が繰り返しフラッシュバックしていた。敵の懐は依然として死の領域だ。近接戦において彼我の差は僅か、武術の力量では俺は劣るだろう。
打ち合いでは不利でも、破壊力ではこちらが上だ。少なくとも、このスピードを維持できるなら、その筈だ。なら、このまま重力を乗せた一撃で敵を黙らせるか? 否。このダンジョンに入るのにも、同じことをしたが、あれと同じ威力が出ると思ったら大違いだ。ぶちぬける床と、ぶちぬけない床、今俺があの時と同じ勢いで地面に突っ込んだらどうなるか。そんな事は想像もしたくないが、少なくとも敵に攻撃する頃には安全なレベルまでスピードを落としているだろう。当然、威力もそれだけ減じる。
「ならば……!!」
俺が狙うのは、またもや敵の手前。そこまで減速なく急降下した俺は、風圧で水面が円状の波紋を揺らすほどまで降下する直前、死ぬ気で体を捩り、内臓が掻き混ぜられるような衝撃に歯を噛みしめながらカーブを描く。
水平飛行、これならば減速する事無く敵に突進しても、地面に叩きつけられる心配はない。引き延ばされた体感時間の中、俺は自らの思い描いた通りの軌道を描き、ハルバードを構えた敵へと一直線に飛んでいた。その視界の先で、
──予想通りだ。
今一度身を捩り、刀を抜いて今度は腹を天に向けて飛ぶ。その切り替わった視界の下、天板付近から降ってくる槍の雨に思わず頬が引き攣った。悪魔の血に限りがあり、それを消費するのが愚策な事なんて、相手も分かっている。変だとは思っていた。制御を手放す血の弾丸、避けたと思った攻撃が実は背後から……なんてのはよくある話だ。こうして、俺が一度は高度を下げ、地面すれすれを通ると敵もまた予想できたなら。その無防備な背中を狙うのは当然の事だった。
風が逆巻き、湿地の水面を絡めとる。俺の脳裏を何度も何度も書け巡る、
真っ直ぐに睨み付けた先、敵の表情が歪んだのが見えた。それは現実には微かな変化だったろうが、俺の目にはその焦りという
正面からのぶつかり合い、ハルバードと日本刀。普通なら日本刀に勝ち目はないが、今回ばかりはこちらが勝った。時速何百kmか自分でも分からないが、交錯の一瞬、飛び散る血が最早脅威でない事をこの身で確かめ、血塗れの身体を水面に映す。
着地、あるいは着水は、自分でも呆れるほど無様なものだった。大きな飛沫をあげ、ゴロゴロと転がってようやく勢いを消した。なんとか足で着地しようと体勢を整えていた分だけ、余計に格好が悪い。
「クランツ卿!!」
遠くから男の声が聞こえる。手加減をする余裕はなかった。いくら魔術師がタフな生き物だったとしても、刀でバッサリは流石に死にかねない。無事なら良いが、生憎と治癒系の術式にはとんと縁が無い。よっこらと立ち上がり、倒れ伏した女に近寄っていく。無事かと聞けば、取り乱した男と、倒れた女本人から返事があった。
「無事じゃないです!」
「無事よ……」
どうやら無事らしい。とはいえ、このままだと無事じゃなくなるのも時間の問題だ。俺は男と二人で女を地上へ運んだ。