魔術の名家に生まれたが、人権意識がカス過ぎる(旧題:実家を継ぎたくない魔術師がなんだかんだで飛ぶ話) 作:夏川ぼーしん
歌臼大襲撃開始から十分弱、遅いんだか早いんだか分からない警察の到着に、学内は大きな安堵に包まれた。
「駄目です血が止まりません!」
そう叫んだのは、マティアスと名乗った襲撃者の片割れだった。血塗れの服、血塗れの手で、俺の背でぐったりしている女の傷口を抑える本人も決して軽傷には見えない。俺と同じ自己治癒術式しか覚えてない口だろう。他人への治癒というのは、一般魔術の中でも才能の世界と言われるぐらいには厳しい鍛錬と魔力制御を必要とする。
「治癒術師に心当たりはあるか?」
救急車はもう来てるだろうが、上でも結構な怪我人が出ている筈、個人的にはこんな奴等よりもそっちを優先してやりたい。そんな俺の意図も知らず、男は歯切れの悪い口振りである男の名前を口にした。コイツ等の所属する組織の外務卿極東方面補佐という役職で、今この国に訪問中らしく、その傍には腕の良い治癒術師が居るのだとか。
「呼べるか?」
「分かりません」
フラつくマティアスが転びそうになるのを片手で支える。コイツも限界が近い、とりあえず利一の研究室に行くしかないか。ダンジョンの入り口であるエレベーターのある建物から出て、研究室のあるC棟へ向かう。と、そんな俺達へ向かって、一人の学生が駆け寄ってくる。確か、山下とかいう魔術師志望の…………
「あの……鷹峰さん。先生からの伝言っス」
”準備はできてる”。彼の伝えた言葉は、酷く端的で、しかし俺にはそれで十分だった。
◆◆◆
空理は結局、二人を救急に任せる事にした。利一にも空理にも、この後にやらなければならない事があったからだ。それは、なまじ被害が出ているだけに後に回せるようなものではなく……
言ってしまえば、
大学の片隅、普段は人も寄り付かない、稀にイベントごとなどでバンドの演奏が行われたりする屋外ステージの上で、空理は身も蓋もなくそう言った。
「じゃ、まずは
「は、はい……!」
緊張した様子の摩耶に利一はニッと笑って地面に置いたアタッシュケースから物々しい雰囲気の丑の刻参りセットを取り出した。
「万が一にも呪いが発動しないように風水や魔術的記号を整えたから、この祭壇の上から絶対に出ない事。これからする事はれっきとした魔術儀式だからな、下手したらバラバラのグチャグチャよ」
「バラバラの……グチャグチャ……」
だから絶対に出るな。そう念押しした利一は、滔々とこれから行う儀式の概要を説明していく。基本的にはその道具の通り丑の刻参りである。藁人形の中には空理の毛髪が入っており、伊月摩耶はこれから自らの体内にこびりついた呪詛を儀式でゴッソリと空理へ移す。呪詛が電気なら、術式は回路。いくら電気回路をバラす前には必ず電源を切るように、術式を解体する前に、暴発しないよう呪詛を抜くのがこの儀式の目的である。呪詛を受け取った空理は、手持ちの人間霊にそれを食わせ、安全に処理する。その一部始終を、空理は利一から受け取った携帯のカメラで撮影していた。
携帯はビデオ通話中で、映像の送信先は空理の携帯。救急車に乗る前に付き添いを買って出た山下玄貴に渡した黒いスマートフォンだった。
「という事で、無事、伊月摩耶の解呪は終わった」
『そう……』
画面の向こう側では、施術を終えたばかりのセリーナがぐったりしていた。山下玄貴の手によって、これらの儀式は全てリアルタイムで彼女へと届けられていたのだ。
「じゃ、次は吸血鬼もどきを何とかするから、少し休憩したら場所を移動するよ」
そう宣言する空理に、その場の全員が頷いた。五分ほどの休憩で、セリーナ側もすっかり落ち着いたらしく画面の向こうの景色は病室へと移っていた。やはり、怪我は重いらしく、極東方面補佐の連れている治癒術師が到着するまでは病院で大人しくしているしか無いようだった。「ざまぁないな」と煽る空理に、セリーナは舌打ちして目を逸らす。彼女が元気そうで良かったと、小さく頷いて、空理は移動の号令をかける。
一行が出向いたのは、未だ騒然とした構内のど真ん中。A棟と呼ばれる一番大きな学舎の、奥の会議室だった。
「それで、なんだっけ?」
どけられた机、だだっ広い空間に真っ先に入ってきたのは、空理の依頼でこの場所を用意した竹本利一だった。その後ろで「影法師です」と呟くのが摩耶、最後に入ってきたのが携帯を構えた鷹峰空理だ。
会議室の様子は、扉の前のネームプレートに会議室の三字が無ければ信じられないほど様変わりしていた。中央には巨大な魔方陣、部屋の四隅には結界用の観葉植物が置かれていた。魔方陣の中央には、摩耶が立つべきポジションを示した赤いテープの印があり、その背後には大きなスポットライトのような機器が置かれていた。
端の方によけられた机の上に、色々な器具が置かれており、空理はその中から一本のナイフを手に取った。烏丸家の魔導書では
「利一、携帯持っててくれるか?」
「はいはい、儀式の様子を、向こうの困ったちゃんに見せたげりゃ良いのよね?」
『誰が困ったちゃんだ』
掠れた声の抗議は無視して、空理は利一に頷いた。それからテキパキと儀式の準備を進めていく。
印の上に摩耶を立たせて部屋全体の防護結界に魔力を注いでいく。万が一にも魔物が逃げ出したら大惨事だ。また、このうんざりするほど人の居る東京で宿主探しから捜査を始めなければならない。
既に十人を超える被害が出ている。本当ならコレは世間を震撼させる程の大事件だ。ニュースの消費が早い現代ですら、半日はテレビを占有しかねない程の。これ以上被害者が増える事を空理は許容できない。だからこそ、DMCの二人の面倒を救急に放り投げてまでここに来たのだから。
「これより影掴みの魔術儀式を開始する」
空気が変わったと利一は舌を巻く。会議室の灯りが消され、真っ暗闇にスポットの光だけが一条伸びていた。長く伸びた摩耶の影、その周りの光を吸うように床の魔法陣が微かな光を放ち始めていた。光の外、暗闇の中からナイフが投げ込まれる。それは儀式の前に空理が手に取っていた呪符の括り付けられていた儀式用の剣だ。
パッと部屋の明かりがつき、スポットライトの照明が切れる。光源が変わったと言うのに、床に伸びる摩耶の影はそのままナイフに縫い付けられていた。その表面が微かに揺れている。そこに何かが居る事は明白だった。
「なるほどな、そうやって固定化した影は、普通の影より干渉しやすいのか…………影に干渉って魔術にしてもちょっとよく分かんない概念だけど? 忍者がよく創作で使う影縫いの術とかと同じ感覚?」
「全然違うな、影縫いは実際のところ、隠密よりは警護の魔術師がよく使った魔術だ。人形を壊して人を呪うのと、原理としては概ね同じだ。見立てと言うやつで、魔術世界における影の扱いとは少し違ってくる」
スラスラとそんな説明をしながら、空理は前に出る。スポットライトの影から、ゆっくりと、
「光ある所に影がある。人の表には裏がある。特に日本の魔術理論においては、影とは人の内面、精神の領域だとされている」
とは言え、それも影を何に見立てるかの違いでしかないと説明して、空理は笑った。改めて科学的な話をすると、影というものは出来るものであって、在るものではない。影が有るのではなく、光が無い。それが影だ。つまり、人間がそう認識しているだけで、影なんてものはこの世のどこにも存在しないのだ。だから、摩耶の体をどれだけ血眼になって検査しても、寄生した魔物の存在を誰も感知する事ができなかった。
空理がしたのは単純な事だった。存在しないものを、存在するものとして固定した。影の物質化、影法師および烏丸家の魔術師が得意とする魔術である。カツリと音を立てて、空理の右足が影の端を踏む。そこからは早かった。濃密な魔力を纏った空理の右腕がズブリと摩耶の影の中へと差し込まれた。それは、まるで沼の泥のように空理の腕を呑み込んで、中で暴れる
それは、魂に救う吸血鬼とは全く違う生態の生き物だった。全身の身体強化で何とかそれを引き上げる。バシャリと音を立てて影の水面から顔を出したのは、体高だけで摩耶に迫ろうかとい怪物だった。八つの目、八つの節足、厳つい挟角が空理の金属製の右腕をギリギリと締め上げている。
「宿れ! 吹き荒ぶ
義腕から火花が散る。それは百を超える雀の群体霊、その一つ一つの火力は低いが、寄り集まる事で神獣すら数m吹き飛ばすほどの威力を得る。影法師改め、影蜘蛛は今の一撃で吹き飛び、会議室の天井に叩きつけられた。その反動は重く、空理の右腕はバラバラに吹き飛んでしまった。天井を見て利一が、空理の右腕を見て画面の向こうのマティアスが悲鳴をあげた。
そんな男たちの声も無視して、空理は腰の刀を鞘ごと持ち、口に鞘を咥え、左手で抜刀。そのまま、天井から落ちてきた蜘蛛型の魔物を一刀の下に両断した。
呆気ない。あまりに呆気ない幕切れに、会議室は静寂に包まれる。だが、確かに誰もが実感していた。今の一撃で、この大騒動は一応の決着を見たのだと。空理の口元から落ちた鞘が床に落ち、コロンという音が響いた。
「見ての通り、今回の事件の犯人は吸血鬼では無かった。これで納得して国に帰ってもらえると助かる」
なんなら魔物の死体も持ち帰って良い。調べれば、それがどんな生態の生き物だったかなんて、野蛮なブランボルグ人にも分かるだろう。そんな余計な一言も付け添えた空理に、苦笑したセリーナは、確かに頷いた。