堰を切ったように溢れ出した涙がようやく収まった頃、大地はまだ少し潤んだ目で、しかし決意を新たにした力強い瞳で、目の前の青年に向き直った。
「……わりい、なんか、急に取り乱しちまって」
彼は照れ臭そうに頭を掻いた。さっきまでの絶望が嘘のように、その表情には晴れやかな光が戻っている。
「それでだ。あんたが、すげえ奴だってのは分かったんだけどよ。そういや、まだ名前、聞いてなかったな。俺は小鳥遊大地。よろしくな、リーダー!」
差し出された手を、辰也は握り返すことなく、ただ静かに見下ろした。その無反応に、大地の笑顔がわずかに強張る。
「……月城辰也だ」
短く、それだけ告げると、辰也は立ち上がった。
「よろしく、月城! いや、辰也って呼んでいいか?」
「好きにしろ」
そっけない返事だったが、大地は気にした様子もなく、嬉しそうに辰也の後を追って歩き出した。まるで、ようやく自分の飼い主を見つけた子犬のようだ。
「なあなあ、辰也! 俺たちのチーム、あと二人は誰にするんだ? もう決まってんのか?」
「ああ。候補はな」
「マジか! どんな奴らなんだ? やっぱ、すげえ強いのか?」
弾むような声で尋ねる大地に、辰也は足を止めることなく答えた。
「強いかどうかは、使い方次第だ。少なくとも、獅子堂や霧島のチームにいるような、素直で扱いやすい優等生ではないな」
「へえ、そうなのか。まあ、辰也が選んだ奴なら間違いないんだろうな!」
大地の、何の疑いも挟まない純粋な信頼の言葉に、辰也は答えなかった。彼はただ、講堂の隅、いまだ誰一人近づけさせない険しいオーラを放っている一点を、その冷たい瞳で見据えていた。
「今から、二人目の候補に声をかけに行く。お前は、ここで待っていろ」
「え、俺も一緒に行くぜ!」
「いらない。お前のその無駄な明るさは、交渉の邪魔になる」
ぴしゃりと言い放たれた言葉に、大地は「うっ……」と息を詰まらせたが、すぐに「りょ、了解! リーダーの交渉、ここで見させてもらうぜ!」と、健気に頷いた。
辰也は、そんな彼を一瞥もすることなく、目的の人物へと向かって、静かに歩き出した。
講堂の隅で、速水彰吾は腕を組み、壁に寄りかかって目を閉じていた。
彼の周囲には、半径三メートルほどの、誰にも侵すことのできない不可侵領域が形成されている。実際に声をかけようとして、その鋭すぎる殺気に気圧されて引き返していった生徒は、一人や二人ではなかった。彼は、馴れ合いを徹底的に拒絶していた。
辰也は、その不可侵領域に、何の躊躇もなく足を踏み入れた。
その気配に気づき、彰吾がゆっくりと片目を開ける。その瞳には、自分の領域を侵した不作法者に対する、明確な敵意と苛立ちが宿っていた。
「……何の用だ。馴れ合いなら他を当たれ。俺は一人でやる」
その声は、冬の湖面のように冷たく、相手を寄せ付けない響きを持っていた。
「勘違いするな。俺も馴れ合いは嫌いだ。時間の無駄だからな」
辰也は、彰吾と同じように壁に寄りかかり、視線を合わせずに言った。その泰然とした態度に、彰吾の眉がわずかに動く。
「単刀直入に聞こう。お前が欲しいのは、慰め合うだけの友情ごっこか? それとも、誰にも文句を言わせない、圧倒的な『勝利』という結果か?」
その問いに、彰吾は初めて、興味のこもった視線を辰也に向けた。
「……何が言いたい」
「俺はお前に、勝利を約束できる。俺の戦術は、感情論を一切排した、勝利のためだけの最も効率的なシステムだ。お前のその鬱屈した力は、俺の戦術の中であれば、誰に遠慮することもなく、最大限に振るうことができる」
辰也の言葉は、彰吾の心の最も深い部分を的確に刺激した。
勝利。その言葉は何よりも甘美な響きを持っていた。そして、目の前の青年が、自分と同じく、馴れ合いを弱さと断じる種類の人間であることを見抜いていた。
「……面白い。口だけなら、何とでも言えるな。貴様は何者だ?」
「今は、誰でもない。だが、いずれ頂点に立つ男だ」
その自信に満ちた、しかし何の根拠もない言葉に、彰吾は思わず鼻で笑った。
「大きく出たな。その自信はどこから来る?」
「俺の頭脳と、お前のような優秀な駒からだ」
「……俺を、駒だと?」
彰吾の目つきが、さらに鋭くなった。空気が、ぴりりと緊張する。
「そうだ。俺の戦術を実現するための、鋭利な『矛』だ。不満か?」
普通なら、侮辱と受け取られてもおかしくない言葉。だが、彰吾の反応は違った。彼は、その言葉に、奇妙な心地よささえ感じていた。そうだ、それでいい。余計な感情はいらない。ただ、役割を与えられ、敵を貫くことだけに集中できるのなら。
「……いいだろう。だが、1つ勘違いするな。俺は貴様の駒になるつもりはない。貴様の戦術が、俺が勝利するための最短ルートかどうか、この目で見極めてやるだけだ。もし、貴様の指揮が鈍るようなら、その時は容赦なく切り捨てる」
「それでいい。俺が役に立たないと判断した時は、お前を切り捨てる。利害は一致しているな」
互いに冷たい視線を交わし、二人の間に歪な盟約が成立した。彰吾は、壁から背を離すと、顎をしゃくって、少し離れた場所でそわそわしている大地を示した。
「……さっきのやり取り、見ていたぞ。あの『不良品』をチームに入れるのが、貴様の言う『最も効率的なシステム』とやらか?」
その声には、明らかな侮蔑と疑念が込められている。辰也の能力を試す、最初の質問だった。
「ああ、そうだ」
辰也は、平然と答えた。
「お前のような、前しか見えない『矛』を十全に活かすためには、どんな攻撃も受けきれる、頑強な『壁』が必要だ。あの男の魔力量と、自らの身を顧みない防御本能は、その役に最も適している。――俺が、完璧に制御できれば、の話だがな」
その淀みない答えと、自信に満ちた瞳。彰吾は、しばらく辰也の瞳の奥を探るように見つめていたが、やがて、ふいと顔を逸らした。
「……フン。せいぜい、足を引っ張らないように調教しておくことだな」
それは、彼なりの承諾の言葉だった。こうして、孤高の矛は、自らの意思で、辰也という名の鞘に収まることを選んだ。