鷹村紅緒は、勉強も運動も、特筆すべきものはない。
それはまるで、これ以上はがんばらなくていい、とでも言うかのように。平均的な評価を取り続けている。
それなのに、突然野球部のマネージャーになった鷹村。
「ふぅ」
彼(今回は、そう仮定する)が、スポーツドリンクを入れたドリンクサーバーを運んでいるところを、伊能商人は横目で見ている。
「鷹村は、野球部に好きな人でもいるのか?」
阿川監督が、無遠慮な質問をした。
「いえ、いませんよ」
鷹村は、さらりと返す。
「じゃあ、なんで急に野球部に来たんだよー?」
「たまたまです。別に、なんでもよかったんですけど、人手がいるって言われたから」
「ふーん?」
暇潰しなんだ。彼がマネージャーをしている理由は。
その後、伊勢原聖テレーズ学園高校との練習試合が始まった。
相手は、轟大愚のワンマンチームだが、やすやすと負けてはくれない。
そのエースにしてホームランバッターの轟の観察眼をもってしても、鷹村紅緒の性別は分からなかった。
「あのマネージャー……」
「あの女がどうかしたのか?」
「綺麗だな」
轟には、鷹村を攻略対象にした恋愛ゲームの画面が見えている。
現在の鷹村からの好感度は、0。
コマンドは、「手を振る」「話しかける」「プレゼントする」など。
轟は、試合に勝ってから連絡先を訊こうと思った。
一方、鷹村は、ひたすら投げた球種と打率とどんな球に手を出したかを記録している。
彼は、轟のことは、よくも悪くも聖テレのエースとしか見ていない。
「鷹村。先生、気付いたんだけど、もしかしてこの試合って変なのか?」
「はい。変ですね」
鷹村は、阿川の質問に答えた。
「野球というゲームを個人でやっているワケですから、変ですよ」
「ふんふん」
彼には、轟の生き方が少し羨ましい。
その強さがあれば、“私”はどうしていただろうか?
試合後。伊能は、すぐに鷹村の側に行った。
「鷹村先輩」
「ん?」
「男から恋愛感情を向けられるのって、どう思いますか?」
「どんな人かによるかな」
「轟は?」
伊能は、離れたところから鷹村を見ている轟を睨む。
「あの人は、ちょっと嫌かも」
「分かりました。もし、先輩のところに来たら、俺を呼んでください」
「それって、連絡先を交換したいってこと?」
「はい、そうです」
鷹村は、くすりと笑い、「いいよ」と返事をした。
ゲーム開始から、しばらくして、ふたりはようやくお互いの名前を連絡先に入れる。
夏の生ぬるい風が、鷹村紅緒の髪を撫でた。