陰陽課特命係・対極院禊―浮気され禁足地に異動させられた警察官― 作:華洛
鋭く冷えた視線が、氷槍みたいに真っ直ぐに私を射抜いた。
ましろと廊下を歩いている途中、何となく窓の外へ目を落とした。
その瞬間、視界の底で茉莉花が明楽を刺している、悪夢みたいな光景が広がった。
胸の奥で、感情が爆ぜた。
思考より先に体が動く。祓棒で窓ガラスを叩き割る。
砕けた破片が光を散らし、冷たい風が一気に流れ込む。
私はそのまま校舎の外へ飛び降りた。
落下の衝撃なんて、脳裏に焼きついた“血の赤”の前では意味を成さない。
着地すると同時に、一直線に茉莉花へ駆ける。
全体重と呪力を乗せた拳を叩き込む――全力ではない。それでも相応の威力はあったはずなのに。
茉莉花は微動だにもしなかった。
……私と相棒を組んでいた頃とは、比べものにならないほど強くなっている。
「その声――この呪力――……。ふふ、随分と可愛らしい格好ですね、禊さん」
嘲るような笑みを浮かべて言う。
「そんなに若く……いえ、幼くなったのは、私に明楽さんを寝取られたからですか?」
「安い挑発だね。そんなわけないじゃん」
「でも祓棒、震えてますよ? 図星なんじゃありません?」
確かに茉莉花のほうが、禊状態の私より五歳以上若く見える。
だけど、それに対抗するために中学生の姿になるなんて有り得ない。
そもそもこれは黒歴史時代の姿だし、好きで戻ってるわけじゃない。
明楽が「そっちのほうが可愛い」なんて言い出したら、逆にドン引きだ。
「私が怒りで震えてるのは――茉莉花、あなたが明楽を刺したこと。どうして、こんなことを」
「どうして? 分からないところが、やっぱり禊さんなんですよ」
冷たく凍るような声と同時に、背後から瘴気が噴き上がった。
黒と紫が絡み合い、空気を押し潰すほどの圧力となって全身にまとわりつく。
渦を巻きながら上空へ伸び、やがて“人の形”を作り始めた。
平安の装束。
長い黒髪。
整った容貌。
「あれが……妖人・安倍晴明!」
人間・安倍晴明から、先祖である六道が引き剥がした存在。
あれは今まで私が対峙してきた怪異とは比べ物にならない。
蛍の光と月の光ぐらい差がある。
「ぐ……っ……!」
背後で明楽の喘ぐ声がする。
振り返れば、胸を押さえ、血の海に沈んでいた。
――そうだ。今は茉莉花を相手にしてる場合じゃない。
「明楽!」
地面に膝をつき、彼の体を抱き上げる。
脈は弱い。体温も落ちてる。
流れ出る血が制服を真っ赤に染め、指先から熱が奪われていく。
私は傷口に手を当てる。
【傷を癒やすスキル】
淡い光が刺し傷を覆う。
裂けた肉がゆっくり繋がっていく――けれど、失った血までは戻らない。
「明楽っ、しっかりして……お願い、何か言って……!」
「――……みそ……ぎ?」
「う、うん。そう、私だよ。姿はちょっと違うけど」
「――おれは………おま……あや……ま……。まつ……か……を――」
か細い声。
握った手の温度が、どんどん消えていく。
「祓ちゃん!」
校舎からのましろの叫び声。
その声につい反応して振り返った――その一瞬だった。
茉莉花が背後から迫り、私の首を掴んだ。
「だめですよ、禊さん。私から目を逸らしたら! せっかく禊さんが、私を見てくれるようになったのに!!」
「ま……っ、ぐぅ……!」
【硬化するスキル】
首まわりを硬化させる。しかし――
茉莉花の力は強すぎて、硬化しても苦しさはほとんど変わらなかった。
「そうだ。禊さんがずーっと私を見てくれるように、明楽さんには死んでもらいましょう。そしたら、よそ見できませんよね?
ああ、ついでに向こうで覗き見してる女も殺してあげますよ」
「っ! や……やめ……がぁ……!」
首が締まる。意識が薄れる。
でも、ここで落ちたら――茉莉花は本当に明楽とましろを殺す。
それだけは絶対だめだ。
「助……け……か……あ……ん……」
「アハハハハ! 無力ですね、禊さん! その無力感! それが、貴女から受けた絶望の一つですよ!!」
目が合う。
表情の端々から狂気が滲み、視線はぎらついている。
執念が熱く濁っていて、闇の底みたいに昏い。
――その瞬間。
刀の一閃が、私と茉莉花の間を駆け抜けた。
「ッ!」
私の首を握っていた茉莉花の手が、斬り落とされる。
彼女は跳躍し、瘴気の噴き上がる場所まで後退した。
「――はっ……はぁ……鵺さん!」
影の中から現れたのは、黒いフードに隻眼の鴉の仮面――。
対極院鵺。私の義母だ。
私を一瞥し、安心したように息をつくと、静かに刀を構え直す。
その横には、母さんも顕現した。
≪大丈夫! 禊!!≫
(う、うん。大丈夫。鵺さんが助けてくれた。それより明楽の治療、お願い! 死にかけてるの!!)
≪……禊を捨てた相手なんて、別に死んでもいいんだけど≫
(母さん!!)
≪はぁ……分かったわよ≫
渋々、という感じで明楽へ手を触れる。
【生き長らえるスキル】
【物体を転送するスキル】
明楽の体が輝き、そのまま姿が消えた。
(母さん、明楽は!?)
≪死にかけてたから、生きる時間を伸ばして警察病院へ飛ばしたわ。輸血もできるでしょうし≫
(……助かるんだよね?)
≪ええ、死ぬことはないわ≫
(よかった……)
胸の奥で、緊張がひとつほどける。
やっと、茉莉花に集中できる。
「鵺さん。私は大丈夫だから、ましろの護衛をお願い。鵺さんなら安心して任せられる」
私は鵺さんにましろの護衛をお願いした。
今の茉莉花だと、平気でましろに害を与えかねない。
たぶん、そうなれば私はましろに気を取られて集中できない。
今の茉莉花の相手に、その隙は致命傷になりかねなかった。
でも、鵺さんが護ってくれているのなら、茉莉花との戦いに集中できる。
鵺さんは無言のまま私を見る。
「茉莉花とは――私が決着をつけないといけないから!」
≪そういうこと。禊のことは実の母親の私に任せなさい。……さっき禊を殺しかけたことは、今の手助けでチャラにしてあげるわ≫
龍脈の一件をほじくられ、鵺さんが仮面越しにピリッと反応する。
でも、私の顔を見て刀を鞘へ収め、校舎で震えるましろのもとへ向かってくれた。
私は一歩、茉莉花へ踏み出す――。