カスの英雄に鉄槌を   作:百合ロボ!

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3. 新たな犠牲者

 三度の過ちを経て伊藤は学んだ。ノリと勢いで女の子と仲良くなるとろくなことがないと。

 

 伊藤の倫理観は一般的なそれと大差ない。三人の少女とそれぞれに内緒で肉体関係を持っていることには人並みな罪悪感があり、だからこそ仕事にかこつけて死を偽装し、関係をリセットするなどという暴挙に及んだ。あれは過ちで愚行であったと自覚しており、同じ失敗はもうしない。たとえよし子といい仲になろうと邪なことは考えず、清廉かつ誠実なヒモとして生きていくのだと、海に浮かぶ朝日に誓ったのだ。

 

 そんなニュー伊藤は今──

 

「どうして……どうしてこんなことに……」

 

 初夏、蝉もまだ静かな深夜。

 

 よし子宅の寝室で、乱れた布団の上に上体を起こした伊藤が、苦渋の面持ちで呻く。隣にはよし子が寝ており、伊藤に絡みつくように体を密着させている。

 

 二人は一糸まとわぬ姿だった。布団のシーツには汗ではない液体が乾いた痕があり、眠るよし子の体は熱く火照っている。

 

 伊藤の体もしっとりと汗ばみ、体の奥には深い快感の余韻が残り、指先には熱いよし子の肉体の感触がまだ残っていた。

 

「めちゃんこ気持ち良かった……」

 

 伊藤はよし子を抱いた。同僚のパイロット三人を抱いたときのように、いつの間にかやってしまった。

 

 四股の二文字が脳裏をよぎり、頭を振って振り払う。三人はきちんとごめんなさいして縁を切ったのでノーカンだ。よし子が初体験だった、と自分に言い聞かせる。

 

 しかしこんなことはもうしないと誓ったはずなのに、なぜこうなってしまったのか。

 

 伊藤は最近のよし子との暮らしを振り返る。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ギガントの侵攻を阻止して以降、伊藤には危機感があった。

 

「伊藤さん、一緒に寝よ!」

「伊藤さん、何してるの?」

「伊藤さん、操縦のコツ教えて!」

「お、おう」

 

 同居人のよし子が、やたらぐいぐい来るようになったのだ。

 

 一緒に寝るくらいはまだいい。なんでもない雑談をするのも、SA操縦の手ほどきをするのもいい。ただ、距離がやたらに近かった。事あるごとに肩が触れ合うくらいに身を寄せて、伊藤はそのたび昔抱いた少女たちを想起して、悶々とした気分になる。

 

 折しも七月、熱さが厳しくなってくる季節だ。電力は必要分はあるものの余剰は少なく、夜通し空調を使う訳にはいかない。キャミソール一枚の下から覗くよし子の汗ばんだ肢体に、伊藤は邪念を抑えるので必死だった。

 

 そんな気も知らず、よし子は無邪気に伊藤を誘う。

 

「お風呂入ろ!」

「絶対にダメ!」

 

 お風呂に入ってお互いの体の敏感な部分に触れ、どちらかが変な声を出して気まずい雰囲気になり、赤面しながらなし崩しで行為に及ぶというのは、そういう関係になるための王道パターンだった。少なくとも、伊藤は三人のうち二人はこの過程で体を重ねるに至った。

 

 ケチ、とむくれるよし子を風呂に追いやる。しかしそれ以外の距離感は近いまま。なけなしの理性と良心を総動員する日々だった。

 

 伊藤は自分の自制心をあまり信用していない。このままでは遠からずえっちに及ぶ。

 

 対策に頭を捻るが案は出なかった。こんなときは携帯端末から『長老』に意見を伺うのがもっとも速い。同居人の女の子がえっちで困っています、どうすればいいですかと打ち込めば、賢明な老人たちが遺した人工知能が最適解を教えてくれるだろう。

 

 しかし端末は機体脱出時に紛失しているし、もしあっても使えば生存がバレてしまう。伊藤は誘惑に耐えながら、必死で対策に知恵を絞る。

 

 そうして出した結論は『突き放して距離を置く』である。

 

「むずくね……?」

 

 難題だ。

 

 伊藤はよし子が工場勤務とパイロット訓練で得られる収入を糧に生きている。要はヒモだ。突き放してよし子の機嫌を過度に損なうと追い出される危険がある。

 

 穏便に突き放し、適切な距離を置く。

 

 その方法を閃いたきっかけは、よし子の何気ない言葉だった。

 

「お姉ちゃん、おやすみ」

 

 ある日の夜、よし子は消灯間際にそう言ったのだ。

 

 その瞬間、伊藤はすべてを理解した。よし子が突如距離を詰めてきた理由と、最適な距離の置き方について、完璧な答えを得た。これさえ実行すれば、誠実で清廉なヒモ生活はすぐそこだ。

 

 実行に際して、とある小道具が必要になる。よし子におつかいを頼むわけにはいかず、伊藤は誰かに見られる危険を冒して外出し、手ずからそれを調達した。

 

 準備が整い、伊藤は思いついたその日に策を実行したのだった。

 

 それが、致命的な間違いだったとは気づかないまま。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 午後六時。潮騒に負けじと蝉が声を上げている中、よし子が帰ってきた。

 

 居間に入ってくるなりよし子が伊藤に詰め寄る。

 

「お姉ちゃん、靴の位置変わってたけど外に出たの? 誰かに見られたら危ないのに。どこに行ったの?」

「それも含めて、話がある」

 

 視線で座るよう促すと、よし子はちゃぶ台の向かい、ではなく伊藤のすぐ隣に腰を下ろした。少し汗の混じった甘い匂いが漂う。

 

 伊藤の頼りない自制心が無駄な情報を遮断して、さっそく本題に入る。

 

「よし子。私は君のお姉ちゃんにはなれない」

「……」

 

 よし子の顔から感情が抜け落ちた。光のない目で伊藤を見つめる。

 

「だから、血のつながらない同居人として改めて接し方を──」

「なんでそんなこと言うの?」

 

 伊藤は頭が真っ白になった。

 

 よし子が泣いている。無表情のまま、涙腺が壊れたようにはらはらと涙があふれている。

 

 この時点で、伊藤の用意していた論理が吹っ飛んだ。よし子は失った家族の代わりを務めることを伊藤に求めており、やけに近い距離感も家族のそれで、けれどどんなに家族を重ねても伊藤は伊藤だ。代わりにはなれないしなるつもりもない、とまず伝えるはずだった。

 

 しかし伊藤は女の涙に弱かった。話よりも先に泣き止ませることを最優先事項と認識する。

 

 そのためにはよし子の言い分を聞かねばならない。黙って続きを促す。

 

「伊藤もみんなと同じなん? 甘えんな言うんか? お父さんとお母さんおらんなって、お姉ちゃんもいなくなって、それを受け入れろ言うんか? 当たり前やって?」

「そんなこと言わない」

「ならええやんか!」

 

 よし子が癇癪を起こしたように怒鳴る。

 

「ええやんか、お姉ちゃんになってくれても! 私はみんなとはちゃうねん。家族おらんのが当たり前って受け入れて、辛い現実抱え込んでちゃんと前に進むなんて、どうやったってでけへんねん! 誰もおらん家に帰って来るの寂しいんや。お姉ちゃんがおった頃の夢見て、朝起きたら一人ぼっちなん辛いねん。ずっとずっと寂しくて辛くて悲しくて、どうにかなってしまいそうなんや。だから、さ、ええやろ? お姉ちゃんって呼ばせてや。家族がおった頃みたいな、夢見させてや……」

 

 伊藤の両腕をつかみ、正面から縋りつくよし子。

 

 対する伊藤は、柔らかく微笑んだ。

 

「よし子は、ずっと寂しかったんだね。一人になったのが辛くて、悲しかったんだ」

 

 こくん、と頷いた。だから、いなくなった家族の穴を、伊藤で埋めようとしたのだ。妙に近い距離感は、おぼろげな家族の記憶を再現したのだろう。

 

「じゃあダメだ。お姉ちゃんには、やっぱりなれない」

 

 だったらなおのこと、伊藤はそれを受け入れられない。頑として首を振った。

 

 絶望的な顔をするよし子を正面から見据えて、

 

「いい? 大切な人を失った心の穴を、他の何かで埋めちゃいけない。どんなに痛くて辛くて悲しくっても、ちゃんと悲しんで痛がって苦しまないといけない。そうしないと人はダメになってしまう」

 

 実体験から来る言葉だった。

 

 伊藤は三股するよりも前に、よし子と同じような過ちを犯した。そのことは今でも後悔している。よし子に同じ轍を踏ませるわけにはいかない。

 

「そんなのあんまりやろ……ずっとずっと、いつまでも一人で苦しんどけ言うんか……?」

「一人じゃないよ」

 

 声を絞り出すよし子の体を、伊藤は優しく抱きしめた。震える体は年相応に小さくて、力を入れたら折れてしまいそうに頼りない。

 

「私が傍にいる。おかえりもおはようもおやすみも言ってあげる。寂しいときはおしゃべりでもしよう。泣きたいときは、こうして胸を貸そう。だけどそれは、お姉ちゃんの代わりとしてじゃない。ただの伊藤として、あなたの隣に寄り添うんだ。心の傷がいつか癒えるその時まで」

 

 伊藤の背に、頼りなげな手つきでよし子が手を回す。

 

「一緒にいてくれるんか……? 私たぶん、バリ重いで……?」

「よし子一人抱きしめてあやすくらい、訳ないよ」

 

 ふっ、と小さく噴き出す声。

 

「あはは、何やそれ。人を赤ちゃんみたいに……うう、ぐすっ、伊藤、伊藤ぉ……」

 

 それからよし子はしばらく泣き続け、やがて疲れて寝てしまった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 二時間後。

 

 泣きはらした目を開き、よし子が上体を起こす。タオルケットが体からずり落ちる。醤油だしのいい匂いがすると思ったら、ちゃぶ台の上に夕ご飯が二人分置いてある。

 

 伊藤の姿を探して首を巡らせると、見覚えのない家具の前で伊藤は正座していた。

 

「あ、起きた? これあげるよ」

「何それ?」

 

 伊藤が向き合ってるのは、一抱えはある黒塗りの台座に、縦長の黒い板と線香、お椀のようなものを供えたもの。

 

「仏壇。使い方分かる?」

「たぶん……」

 

 簡素な仏壇と位牌。伊藤が今回の話に際し、用意していた小道具だ。

 

 ギガントの襲来以降、故人の死を悼み、受け入れる風習はほとんど廃れた。その余裕がなかったからだ。大切な人が亡くなった直後だろうと、ギガントは容赦しない。伊藤が一日中歩き回ってようやく見つけた商店街の仏具店には堆く埃が積もり、相当ご無沙汰だったことがうかがえた。

 

 ギガントの襲来の後に生まれたよし子はもちろん、伊藤も正しい使い方は知らない。

 

 ただ、亡くなった人を偲んで手を合わせる。そのくらいは知っていた。

 

「……っ」

 

 またぞろよし子の目から涙があふれる。家族を失った心の傷が、じくじくとうずき出す。

 

 そんなよし子の肩を、伊藤がいたわるように抱いた。お姉ちゃんの代わりではなく、一人の伊藤として。

 

 その優しさが余計心にしみて、流れた端からどんどん涙がこぼれて止まらない。

 

 結局泣き止んだ頃にはすっかり夕ご飯が冷えてしまっていた。

 

 なのにごはんはいつも通りにおいしくて、一口ずつ噛みしめるように、大切に平らげたのだった。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 結果的に、伊藤はかなりの荒療治をやりとげた。

 

 初手で相手の地雷を踏み抜き、傷口を抉り、その痛みとの向き合い方を諭すと同時に姉の代替にはなれないことをはっきり伝えた。用意した位牌の前でよし子は毎日手を合わせるようになり、意図は伝わったと見える。

 

 あれほど厳しい意見を突きつけたなら、きっと以前とは違う一人の女の子同士として、清い関係になれるはず。少なくとも自分なら急に厳しいこと言ってくる人間とお近づきになろうとは思わない。

 

 そのような伊藤の目論見は、翌日に破綻した。

 

「伊藤さん! お風呂入ろ!」

「今私が入ってるとこじゃんねぇ!? 何入ってきてんの!」

「イヤだった?」

「イヤじゃないけどさぁ!」

 

 よし子との距離感は開くどころか更に縮まった。お風呂には乱入してくるし、変わらず寝るときは薄着で密着してきて暑いし、無防備な薄着からは際どいところが見え隠れする。

 

 どうしてこうなったのか。自分はたしかによし子を突き放したはずなのに。伊藤は何が何だか分からない。

 

 話をして三日目のお風呂にて。伊藤の足の間によし子が座り、伊藤にもたれかかる。

 

 お湯とよし子の体温、自分の体温が混ざり合う。柔らかい華奢な少女の感触。邪念だらけの伊藤はぐるぐる目になって煙を上げだす。

 

「ち、近くない?」

「辛くて寂しいとき、傍にいてくれるんでしょ? それともあれはウソだったの?」

「ウソ、じゃないけど……」

「ならいいじゃない。それに、私知ってるんだから」

 

 よし子は体を捻って振り返り、小悪魔めいた笑み。

 

「伊藤、私のことよくえっちな目で見てる」

 

 伊藤は固く口を閉じた。

 

 しかしよし子は攻勢を止めない。体ごと振り向いて、伊藤と手を絡め、発展途上の胸を伊藤のそれとぶつける。早鐘を打つ心臓の鼓動は、はたしてどちらのものか。

 

「ずっと一緒にいてくれるなら、我慢し続けるのはたいへんだよ?」

 

 耳元に口を寄せ、囁く。

 

「ねえ、伊藤」

 

 何でもしていいんだよ。

 

 その一言がダメ押しになった。

 

 すでに亀裂だらけだった理性が崩れ落ち、伊藤は欲望のままによし子の体に手を這わせ、煩悩の限りを尽くす。

 

 最初は戸惑いがちだったよし子も慣れるのは早いもので、二度目からは率先して手を動かし、覚えの速さに伊藤が舌を巻く。

 

 誰かの代わりではない、一人の少女と少女として、伊藤とよし子は蜜月を過ごしたのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「私悪くないな?」

 

 回想を終えて、伊藤は気づいた。

 

 自分は悪くない。むしろよく頑張った方である。

 

「一応、距離を離そうと努力はしたし、その後も我慢したし。うん、悪くない。強いて言えばよし子がえっちなのが悪い」

 

 そう開き直ってみても、早々に誓いを破った罪悪感は誤魔化せない。両手で顔をおさえて俯く。

 

 伊藤はいつもこうだ。もう二度とえっちなことはしないと誓い、なんやかやと抵抗するが、結局えっちな方向に行ってしまう。

 

 あの子たちもそうだった、と三人の顔を思い出す。ケイト・リッチランド、上洲エルドリース、小貫小雪。彼女らとも率直に意見をぶつけ合い、ただ仲良くしていただけなのになぜかそういう関係になっていた。きっかけは覚えていない。その後のひたすら気持ち良かった記憶に上塗りされているためだ。

 

 伊藤はぷるぷる頭を振って、胸の前で拳を作る。

 

「切り替えていこう! あの子たちはどうせもう会わないし、ノーカン! 私は誠実で清廉なよし子のヒモとして生きるんだ」

 

 毎晩えっちしまくるのは清廉なのかしら? という疑問は考えないものとする。

 

 上体を起こして一人百面相していると、腰元に柔らかな感触。寝ぼけたよし子が抱き着いていた。

 

「伊藤ぉ……しゅき……」

「……へへっ」

 

 幸せそうな寝顔に全部がどうでもよくなって、四股のヒモ女は考えるのをやめるのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 広大な滑走路の中央で、鉄の巨人が正対する。

 

 プラズマブレードを模した軟質素材ロッドを構え、じりじりと間合いを測り合う。

 

 張り詰めた空気の中、一機がだしぬけにロッドを大上段に構えた。背部スラスターが点火し、上段に構えたまま弾かれたように機体が前進する。

 

 対峙するもう一機は、攻撃の軌道を唐竹割りと見て回避に備える。躱すと同時に突きを入れれば勝利できる。

 

 しかし上段に構えた機体は、間合いを詰めると不自然な挙動で構えを変えた。上段のロッドを横に倒し、近づきざまに横薙ぎの一撃。

 

 急激な軌道の変化に対応できず、横薙ぎが直撃。ブザーが鳴った。

 

「そこまで! 両者、礼!」

 

 機械音声に促され、二機が同時に礼。

 

 その後間もなく、コックピット内部で通信回線をつなぐ。

 

「御影さんすごーい! 何あの動き!?」

「へへーん、詳しい人に教えてもらったんだ。びっくりしたでしょ?」

「したした! どうやるの?」

「プリセットマニューバとマニュアル操作を組み合わせて──」

 

 勝利した機体のパイロット──よし子が得意気に解説する。

 

 先ほど披露したのは、同居人の伊藤に教えてもらった初見殺し攻撃だ。唐竹割りをマニュアル操作でキャンセルし横薙ぎに変化させる。実戦でも通用するというこの動きは訓練では百発百中で、初見で避けられる者はいまだいない。

 

 格納庫へ移動する道中で説明を終え、機体を降りる。

 

「御影さんお疲れ様です!」

「あの動きどうやるんですか!?」

 

 すると、後輩に囲まれて同じ説明をする羽目になった。先日のギガント迎撃戦で教官と同期が戦死したため、よし子は一番の古株として後輩に頼られている。伊藤が言っていた通りのことを繰り返すと、後輩たちは頭を下げて離れて行った。

 

 格納庫から出て行く途中にも、敬意の混じった視線を感じてこそばゆい。

 

 悪くない毎日だった。伊藤の手柄をそのまま譲られた形ではあるが、最近は何かと調子が良く、SAの腕も大きく上達している。職場では後輩に慕われ、家に帰れば大好きな同居人とおいしいごはんが迎えてくれる。

 

 それもこれも、伊藤のおかげだ。

 

「伊藤……」

 

 胸が高鳴り、顔が熱くなる。最近、伊藤のことを考えるといつもこうだった。

 

『私が傍にいる』

 

 揺らぎない視線とまっすぐな言葉が脳裏に蘇る。あの夜のことを思い出すたび、伊藤への想いが強まっていく。

 

 初めてだった。自分の悲しみに、あれほど親身になってくれたのは。

 

 十三歳のよし子は、ギガントの襲来より後に生まれた世代だ。ギガントは大人たちを『戦士階級』と認定し積極的に狙う習性があるため、よし子が生まれたときには、家族を失った子供というのはありふれた境遇だった。親がいないのは当たり前で、あるいは目の前で親を殺されたケースも珍しくない。

 

 すべての子供が当たり前に孤独を抱えている状態。そんな環境下では、これ見よがしに泣いたり落ち込んだりするのは情けない甘えとみなされた。悲しい、寂しいのはみんな同じなのだから、いちいち甘えるな。みんな頑張ってるのに自分だけが辛いと考えるな。

 

 一度同期に家族のことを話してみたことがあるが、同期は曖昧な笑みを浮かべ「ふうん」と言ったきりだった。その笑みの中に、「みんなそうだけど?」という含みを見て取り、よし子は崖から落ちるような浮遊感を味わった。

 

 みんなそうだからって、みんな平気とは限らない。その人がどれだけ辛いかなんてその人にしか分からないのに。

 

 けれど伊藤は、その価値観に染まっていない。

 

 辛いことをなかったことにする必要はない。ちゃんと悲しんで、ちゃんと痛がっていいのだと言ってくれた。

 

 苦しいのが当たり前と言われてきたよし子にとって、それがどれほど救いになったか、伊藤はきっと分からないだろう。

 

「……ふふ」

 

 ありがとうを伝えたくて、自分なりに頑張った。伊藤の熱っぽい視線の意味するところを考えて、ちょっとでも喜んでもらえるようにと振る舞って。その結果、あんなに恥ずかしくて身悶えするようなことをされるとは、夢にも思っていなかったけれど。伊藤とああいうことをするのはまったく嫌じゃない。

 

 やけに慣れた手つきといつでも爪の手入れに余念がないことには、不満を覚えないわけではないが、煌めく金の瞳に見つめられるとどうでもよくなってしまう。少なくとも今だけは、伊藤は自分だけを見ているのだから。

 

 できることならずっとこんな毎日が続いて欲しい。実戦の機会は二度と来ず、七巨兵や防衛隊のパイロットたちが、地表のギガントをすべて倒してくれて、生まれる前にあったらしい平和な世界が戻ってくる。自分と伊藤は変わらずずっと、あの海辺の家で幸せに暮らすのだ。

 

 希望に溢れる未来予想図に、よし子は一人笑みを漏らす。

 

「ねえ聞いた? あの噂」

 

 休憩室へ向かう道中、声が聞こえ慌てて表情を取り繕う。

 

 同じ方向へ向かう後輩たちだった。よし子には気づかず、おしゃべりに興じている。

 

「鳥取基地のことでしょ? やばいよね」

「それもあるけど、七巨兵のこと! 鳥取が潰れちゃったから、神戸に来るんだって」

「ほんと!? 私、三番機『アルクトス』が推しなんだよね。どんな人が乗ってるのかなー」

「呑気ねぇ。『天使』が生き残ってるかもしれないってときに」

「ごめんそこの二人、ちょっといい!?」

 

 聞こえてくる内容はとても無視できるものではない。

 

「み、御影さん! どうかしましたか?」

「話、聞こえちゃって。七巨兵がなんだって?」

 

 少女たちは顔を見合わせて、一人が答える。とても嬉しそうに。

 

「ここに来るらしいです。楽しみですね!」

 

 よし子は凍り付いた。気もそぞろに礼を言って二人と別れる。

 

 鳥取基地、生き残った天使。それよりも気がかりなのが七巨兵だ。

 

 大好きな伊藤がかつて所属していた部隊であり、人類最強の戦力の名前でもあり──絶対に戻らない、と伊藤が身を隠している相手でもある。

 

 そんな七巨兵が、なぜか神戸に来るという。

 

「た、たいへんだー!?」

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