カスの英雄に鉄槌を   作:百合ロボ!

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4. 昔の女たち

 四人目の過ちを経て、伊藤は思索にふけることが増えた。

 

 命題は、どうして仲良くなる女の子と必ずえっちする流れになってしまうのか。伊藤はただ率直に話すよう心掛けているだけなのに、何かがきっかけとなって女の子が暗に明にえっちを仄めかすようになり、なし崩しでそのようになってしまう。

 

 戦友だった三人とは運よく縁を切る機会があったが、これからも関係がこじれるたびMIAになるチャンスが巡ってくるとは限らない。究明と対策は急務だ。

 

 考えられる原因は、伊藤の自制心の弱さ、女の子の保有するえっちな雰囲気など。しかし伊藤は考えれば考えるほど、もっと根本的な原因が潜んでいる気がしてならない。

 

 そもそも人はなぜえっちしたがるのか。女体はどうしてえろいのか。人間とは、女体とは、人生とは──

 

「伊藤ぉー! たいへんだよ!」

 

 思索の泥沼にはまりかけていたとき、玄関であわただしい声がした。

 

 気が付けば午後七時。空は藍色に染まり、部屋の中にはかつおだしの香ばしい匂いが漂っている。考え事をしながら無意識に夕食の準備を始めていたようだ。

 

 帰宅した同居人にして四人目の過ち、よし子はサイドテールをぱたぱた揺らしながら、転げるように居間へ入ってくる。

 

「落ち着きなよ。別にギガントが攻めてきたってわけでもないでしょ」

「七巨兵の三人が神戸に来るんだって!」

「あばばばばば」

「しっかりして!」

 

 伊藤はひっくり返った。

 

 七巨兵の三人。伊藤が前に所属していた部隊の戦友であり、三股をかけていた相手でもある。彼女らとの関係をリセットするために死を偽装し、こうしてよし子の家でひっそりとヒモをやっているのだ。

 

 もし三人に見つかれば伊藤は一貫の終わりだ。ギガントの大部隊が神戸を包囲していると言われた方がまだ安心できた。

 

 よし子に介抱されてどうにか伊藤が立ち上がる。

 

「なんで急に? 他に行くところいっぱいあるでしょうに」

「それがね、鳥取基地が──」

 

 ぴたり、と口を閉じ、しきりに瞬きをしながら目を泳がせるよし子。

 

 不自然な間の後で、たどたどしく言った。

 

「し、仕事の都合だって。詳しくは分かんないけど」

「仕事。仕事かあ……」

 

 仕事の都合と聞くや、伊藤は現実的な可能性に思いを巡らせる。

 

 七巨兵は人類に残された最大戦力だ。ギガントの母船を撃墜した後の役割も作戦前に決められており、それは教導訓練と各地のギガント戦力の漸減。消耗した防衛隊のパイロット戦力を訓練によって補強しつつ、弱体化した防衛隊では対処できないギガントの残存戦力を討伐していく、というものだ。

 

 全国の基地とギガントの拠点を回るため、神戸にやってくるのはあり得ない話ではない。が、新たな過ちを犯した数日以内に、ピンポイントで現れるのは、不吉な何かを感じずにはいられなかった。

 

 顔を青くする伊藤を、力強く励ますよし子。

 

「大丈夫! ここは基地から離れてるし、施設とかも全然ないから、きっと見つからないよ! 私も秘密にするから、安心して」

「よし子……! うう、頼れるのはよし子だけだよ……!」

「よしよし、任せて」

 

 幼子をあやすように、頭と背中を優しく撫でる。

 

 よし子の励ましを受け、伊藤は恐怖に縮んだ心を持ち直した。

 

 神戸と一口に言っても広い。埋立地の空港を改修した防衛隊基地と、沿岸部のよし子宅は大きく離れており、七巨兵がわざわざこちらに足を伸ばす理由はないはずだ。

 

 それに、よく考えれば三人が伊藤を探すなどありえないのだ。死後のメッセージで三股を告白するようなクズ女がMIAになったとして、わざわざ行方を探すだろうか? 裏切られたと怒りこそすれ、それが鎮まればいなくなってせいせいしたとふんぎりがつくだろう。一方的なごめんなさいでスッキリするだけでなく、少女たちの今後の人生を慮る意図を込めていたのだ。

 

 つまり、三人が同じ市内にいるからといって怯える必要はない。伊藤はすっかり立ち直った。

 

「よーし元気出た! 今日はハンバーグ作っちゃうぞ! よし子のお金で買ったお肉でね!」

「わぁい!」

 

 景気づけにおかずを一段豪華なものに変更。年下の女に貢がせた食材で作るおかずの味は普段よりもよく感じられ、寝る時間になるともう、過去の女三人組への恐怖はなくなっていた。

 

 よし子が明らかに何かを隠したことには気づいていたが、三人がやってきた衝撃で流され、すっかり忘れてしまった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 翌日、午後。

 

 伊藤は買い出しに出かけた。食料の類は労働者にのみ無料配布され、そうでない身分の子供は割高な市場で対価を払うしかない。よし子の稼ぎを手提げかばんに突っ込んで、ヒモは自分の分を買い漁るのだ。

 

 アーケード下の商店街を練り歩く。店主も客もすべて子供で、客の方はまだ就労年齢にない13歳未満の幼子たちだ。兄や姉の稼ぎを握りしめ、真剣な顔で商品を吟味している。

 

 そんな中、小柄とはいえ17歳の伊藤は目立っていた。帽子とマスクでしっかり顔を隠し、足早になじみの店を回っていく。

 

 ほどなく目当ての商品を買いそろえ、帰路につこうとしたところ、ありえない声が耳を打った。

 

「怪しい」

 

 反射的に細い路地へ転がり込む。

 

 室外機の陰に隠れ、表の通りを覗く。

 

 そこにいたのは、白い少女だ。透き通るような白髪を腰まで伸ばし、眠そうなタレ目の奥から銀の虹彩が周囲を見回している。深緑色のタイトスカートから伸びる細い足は黒タイツに包まれ、胸元には七つの星をあしらった記章を付けている。

 

 儚い妖精のようなその少女こそ、伊藤が今もっとも会いたくない人物の一人。

 

 上洲エルドリース、もといエルだ。

 

 エルは何かを探すように商店街の店並みを見回している。七巨兵を表す制服と記章に注目が集まるのを気にする様子はない。

 

「エル、急に走り出してどうしたの」

「何かおいしそうなのあった~?」

 

 さらに声が聞こえ、伊藤は凍り付いた。冷汗が背筋を伝う。

 

 きらめく金髪と健康的な褐色肌、青い瞳の少女──ケイト・リッチランド。

 

 ふんわりとウェーブのかかった茶髪に、豊かに発育した胸とお尻が目を引く柔らかな雰囲気の少女──小貫小雪。

 

 二人はエルと同じ七巨兵であり、伊藤が絶対に会いたくない三人である。

 

 神戸の基地にやってくるのは聞いていた。しかしここは基地から遠く離れた市場だ。買い物だけなら中央区の市場の方が近いし、規模も大きい。なぜわざわざここに。

 

 その問いに答えるようなタイミングで、エルが重ねる。

 

「なんとなくこっちが怪しい」

 

 エルは勘が異常に鋭い。敵の擬態を理屈なしに見破るそれは、もはや超能力の類だ。

 

 その勘に導かれ、やってきたのだろう。

 

 伊藤が日常的に利用するこの場所へ。

 

「怪しいって言っても、何もないわよ」

「今は、あっちの方」

 

 視線を巡らせるケイトと小雪に、エルが一つの方向を指し示す。

 

 伊藤は悲鳴を上げそうになった。その白い指はまっすぐ、伊藤の隠れる細い路地を指している。

 

 全力疾走で逃げれば物音でバレる。隠れるしかない。

 

 路地は店の裏手に面していて、室外機の他に段ボールの類が乱雑に放置されていた。人が入れるほどの大きさはないが、物陰はいくらでもある。

 

 ゆっくりと室外機から離れ、奥へ。積み上げられた段ボールの裏に回る。

 

「見つけた!」

 

 体がすくんだ。

 

 が、ぎりぎりのところで伊藤が速かった。エルは先ほどまで伊藤が隠れていた室外機の裏を覗き込んでいる。

 

 誰もいないその場所に、不思議そうに目をぱちぱちさせる。

 

「おかしい。たしかにここのはず」

「エルの勘もたまには外れるのね。こんなに小さな段ボールじゃ、中に隠れるのも無理そうだし」

「どんまいエルちゃん! 切り替えていこ!」

「むう……」

 

 むくれるエルを励ましながら、三人組が去っていく。

 

 そのまま動かず、十分ほど待ってから、ようやく伊藤は息をついた。

 

「ぶはー! 心臓止まるかと思った!」

 

 今度から別の市場に行こう。

 

 激しく脈打つ心臓をなだめつつ、生鮮食品が傷まないようにと、早足で帰って行った。

 

 この広い神戸、また鉢合わせることなどあるまい。

 

 そう考えた伊藤だが──

 

「怪しい」

 

 買い出しのたび、三人組と出くわす羽目になった。

 

 どのケースでもエルが二人を先導する形で、伊藤は初日と同等の綱渡りを何度も経験させられ、家に帰ると疲労で一歩も動けないほどだった。

 

 エルの勘は戦場において、あらゆるレーダーを凌駕する隠密殺しとして伊藤も頼りにしていたが、いざ自分に向けられるとたまったものではなかった。毎回場所や時間帯、店を回る順番を変えているのに必ず手に汗握るかくれんぼに強制参加させられてしまう。

 

 もしかして基地の仕事を放り出して、四六時中町中をうろついているのか。

 

 そう疑ってよし子に基地での三人組について聞いてみると、

 

「私たちと訓練したり、七巨兵の機体に乗ってどこかに出撃したりしてるよ。みんなバリ強くて、同じダイダラで模擬戦するんだけど、全然勝てないの。七巨兵に乗ったらもう無敵だよね。すごいなー」

 

 きちんと務めは果たしているようで、よし子が純粋に感動していた。

 

 つまり、教導訓練と作戦行動をみっちりこなす中でどうにか捻出したわずかな時間に、毎回ピンポイントで伊藤を見つける寸前まで迫っていることになる。あまりに理不尽な索敵能力に伊藤は頭を抱えた。

 

 どうしてこんなことをする。一体自分が何をした。ちょっと三股してMIAになっただけじゃないか。

 

 上等だ。そっちがその気なら付き合ってやる。

 

 半分はやけくそ、もう半分は逆ギレの心持で、強制かくれんぼにいそしむ日々が続いた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 昼下がりの神戸基地。継ぎ目のない美しい装甲を纏った三機の巨人が、格納庫に収まっていく。無駄のない機動で機体各部を固定具にセットすると、胸部ハッチが開きパイロットたちが下りてくる。

 

 彼女らは整備科の少年少女とそれぞれに必要事項をやりとりすると、格納庫に隣接された更衣室に入って行った。

 

 そのタイミングを狙いすましてよし子も更衣室へ。パイロットスーツを脱ぎかけの三人がちらりとよし子を見やる。

 

「お疲れ様でーす!」

「お疲れ。その声、もしかして御影さん?」

 

 金髪褐色の少女が親し気に声をかけてくれる。話の接ぎ穂にこれ幸いと乗っかっていく。

 

「はい、御影よし子です。よし子って呼んでください」

「ケイト・リッチランドよ。よろしくよし子。そっちは──」

「上洲エルドリース。エルって呼んで」

「小貫小雪だよぉ」

 

 精巧な人形めいた白い少女がエル、胸と腰回りがむっちりしているふわふわ茶髪の少女が小雪と名乗った。

 

「訓練中に通信でやり取りしてましたけど、直接お話しするのは初めてですね」

「なんでかみんな、直では話しかけてくれないのよね。変に遠巻きというか」

「ケイトがツンデレだから怖がられてる」

「あんたの無表情の方が怖いでしょうが」

「は?」

「は?」

 

 ケイトとエルがにらみ合い、小雪が手馴れた様子で窘める。

 

「まあまあ、よし子ちゃんもいるんだからじゃれ合いはすとーっぷ!」

「ケンカするほど仲がいいってやつですか」

「そうだよぉ。ちゃんと毎日抱き合って寝てるから」

「ちゃんとって何!?」

 

 ツッコミを入れつつも否定しないあたりは事実なようだ。無言のエルもいそいそ着替えながらほんのり赤くなっている。

 

 ケイトは話を変えようと強引に「それより!」とねじ込む。

 

「よし子、あんた中々いい腕してるわね。あのプリセットとマニュアルを組み合わせたのは自分で考えたの?」

「あっ、えーと……はい、一応。みなさんにはあっさりいなされちゃいましたけど」

 

 ケイトが言っているのは、元最強のパイロットである同居人こと伊藤に教えてもらった初見殺し機動だ。訓練生には百パーセント有効打をとれた動きだが、最高戦力である七巨兵の三人には通じなかった。

 

「まだ訓練生なのにすごいわね。さすが、ダイダラで通常個体五体を瞬殺しただけあるわ」

「ねー。映像データ見たけど、本当にすごかったよねぇ。まるであの瞬間だけ何かにとりつかれたみたい!」

「か、火事場の馬鹿力ってやつですかね、はは……」

 

 当たらずとも遠からず。内心冷や汗を流しながら笑って濁す。

 

 先のギガントとの戦闘記録は伊藤が無理に改ざんした結果、絶体絶命のピンチに陥ったよし子機が突如達人級の腕前を発揮して、ギガント五体を瞬殺するというすさまじい内容になっている。伊藤機の存在は消されていた。

 

 話しかけたのはよし子からだが、風向きがよくない。この話題をつつかれるとボロが出そうだ。

 

 折よく三人の着替えが終わろうとしている。そろそろ本題に入ってよさそうだ。

 

「実はみなさんにお聞きしたいことがあるんです。この後、お時間いいですか?」

「いいわよ。お昼でも食べながら話しましょう。エルと小雪はいい?」

「いい」

「もちろんだよぉ~」

 

 そういうわけで、四人で連れ立って基地の食堂へ移動する。

 

 ちょうど正午のため込んでいたが、四人がけのテーブルをよし子が確保。日替わりランチのトレーを受け取った三人がやってきて、腰を下ろす。

 

 窓際のその席からは基地の広大な滑走路と、六甲の山に抱かれた都市の景色が良く見える。よし子が暮らす浜辺の家も、遠くに小さく霞んで見えているはずだ。

 

 いただきますをしてから各々昼食をぱくつき、しばらくして。

 

「で、聞きたいことって? 言っとくけど例の件については続報ないわよ」

 

 例の件──最大戦力である三人が、この神戸基地にやってきた理由のことだ。

 

 初日に共有されたその件を蒸し返すつもりはない。よし子が三人から聞き出したいこととは、

 

「七巨兵のことを──あなたたち三人と、伊藤さんのことを、教えてほしいんです」

 

 三人の動きが止まった。小雪が口に運ぼうとしいた卵焼きが、ぽとりと皿に落ちる。空気がぴりりと刺すような緊張を帯びる。

 

「……なぜ?」

「七巨兵の一番機、『サピエンス』の活躍は知ってます。世界中の戦いで活躍して、今こうして基地があるのも、おいしいごはんを食べられるのも、その人が戦ってくれたからなんですよね。でも私は、その人の名前すら最近まで知りませんでした。ケイトさんたちのことも。だからもっと知りたいと思ったんです。私たちの英雄のことを」

 

 一言一言、噛まないように言い切って、よし子はコップの水を一口含む。緊張感は未だ消えない。

 

 嘘ではない。ギガントの主力を地球から追い出して、母船に追い詰め撃墜した彼女らのことを、改めて知りたいのは本当だ。

 

 が、その意図はわがままなものだ。単に自分が知らない伊藤を知っておきたい。あわよくば彼女らとの再会を拒む理由も。

 

 用意していた建前に不自然や不純な動機はない。しかし本音を隠して探りを入れる初めての体験に、よし子の鼓動が速まる。

 

 はたして返答は。

 

「……そう。えらいわね、よし子は」

「そんな風に興味持ってもらえるの、とっても嬉しいよぉ~。ね、エルもそう思うよね?」

「思う。嬉しい。何でも話す」

 

 三人全員が承諾してくれた。

 

 純情な彼女らの反応に良心がチクチク痛むのには目をつむり、小さくほっと息をつく。

 

「七巨兵のことを知りたいのよね。どんな話がいいかしら。武勇伝? 身の上話?」

「そうですね……伊藤さんとみなさんがどんな思いで戦ってきたのか、とか」

 

 はっきり『伊藤さんとどんな関係だったんですか?』と聞けないのがもどかしい。

 

 要領を得ないリクエストに三人は顔を見合わせ、「つまりは身の上話?」と念を押された。

 

 求めている情報とは多少異なるが、あまり注文を多くするのは失礼だ。よし子は観念して、ケイトたちの話に聞き入った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ケイトはアメリカ南部の生まれである。

 

 侵略初期からギガントはアメリカを最大の戦士集団と見ており、だからこそ滅ぶのはもっとも早かった。軍と政府が物理的に潰され、無法地帯に陥った中で、ギガントは大人たちを見つけては虐殺していった。

 

 ケイトは虐殺の渦中で、家族と隠れ潜んで暮らしていた。ギガントの足音に怯え、夜空に浮かぶギガントの巨影に震え、空に浮かぶ真っ黒なギガントの母船に慄く毎日だった。

 

 そんな毎日が唐突に壊される。

 

 両親が食料を探しに地下壕から外に出た。その瞬間、世界が揺れた。大人の存在を嗅ぎつけたギガントが、すぐそばに降り立ったのだ。

 

 ギガントは子供を積極的に狙わない。だから両親はケイトを必死で地下壕に押し込もうとした。ケイトは泣き叫んで両親にすがりついたものの、ついにしびれを切らした父親が、ケイトの腹を蹴って突き飛ばした。

 

 蹴られたと思う間もなく、両親の姿は消えた。ギガントの巨大な脚部に踏みつぶされたのだ。

 

 呆然としてへたり込み、ギガントを見上げるケイト。今までに見たどんな生き物よりも大きい。

 

 かと思うと、そのギガントの巨体が、半ばから両断された。ライフルとブレードを装備した流麗な巨人が、空の彼方から飛んで来て、ギガントを叩き斬ったのだ。

 

 SAと呼ばれる新型兵器がギガントを次々と倒しているのは、ラジオで知っていた。だから、巨人の胸が開いて人が下りてきてもケイトは驚かなかった。

 

 現れたのは自分よりも少し年上の、黒い髪の少女だ。片目を覆う包帯には血が滲んでいた。

 

『大丈夫?』

 

 差し出された手を、ケイトは強く払いのけた。

 

『遅い! もっと早く来てくれたら、お父さんとお母さん死なずに済んだのに! なんでもっと早く来ないのよっ!』

 

 散々喚き散らして、ひっぱたいて、髪をつかんで、噛みついて。半狂乱のケイトを、少女は痛そうにしながらも抱きしめて、落ち着くまでされるがままだった。

 

 それから少しして、ケイトはその少女と再会した。

 

『おお、あのときの子か。私は伊藤だ、よろしくね』

『誰があんたなんかと』

 

 ケイトは過酷な訓練を経て、七巨兵のパイロットに選ばれていた。同じ部隊の先輩として伊藤と出会い、当たり前のごとく反抗した。

 

 家族を見殺しにした役立たずなんかと誰が仲良くするものか。自分の力でギガントを皆殺しにしてみせる。

 

 高い戦意に反して、ケイトの戦果は奮わなかった。

 

『棒立ちになるな死ぬぞ!』

『あ……いや……いやぁ』

『カバーする、ケイトを連れて撤退しろ!』

 

 実戦の緊張感が、ケイトのトラウマを刺激する。パニックになって操縦を投げ出し、部隊の足を引っ張り、そのたび伊藤がフォローして事なきを得た。

 

 訓練では誰よりもうまくできるのに、実戦となるとてんでダメ。ケイトは自分が嫌になった。

 

 伊藤はケイトの心を慮ったのだろう、優しい顔をして何も責めなかった──途中までは。

 

『こんっの根性なしが! 戦うの怖いなら辞めちまえ! へたくそ、根性なし、スカタンのアンポンタン! バカアホ間抜け!』

『なっ、誰が──』

『悔しかったら言い返して見ろ! やーいアホ!』

 

 ただでさえ逆恨みしている相手にこうも貶され、ケイトはキレた。目に物を見せてやる。どんなに迷惑をかけようと、こいつに見下されることだけはイヤだ。

 

 極限の反骨心が、トラウマを押しのける。

 

 ケイトは訓練通りの動きでギガントを圧倒し、一人のパイロットとなった。

 

『どうだ見たか! これが私の実力よっ! ぐうの音も出ないでしょ!』

『うん』

 

 詰め寄るケイトに対し、伊藤はにっこりと微笑んで、頭に手を伸ばす。

 

『よくがんばったね、ケイト』

 

 伊藤はこの結果を読んでいた。嫌われているのを利用して、あえて悪口を投げかけケイトの成長を促したのだ。

 

 それを悟ったケイトは何も言えず、頭を撫でる伊藤の手を黙って受け入れるほかなかった。

 

 その手の感触が忘れられず、何度も思い返すうち、初めて会った日の記憶が呼び覚まされる。

 

 ギガントを倒してすぐに機体から降りてきた伊藤は血の滲む包帯で片目を覆っていた。満足な傷の手当てをする暇もなく、片端からギガントを倒して回っていたのだ。

 

 懸命に戦い続ける彼女の手を、ケイトは払った。後悔がじくじくと内側で澱む。

 

 けれど素直に謝れるほど大人にはなれなくて、ケイトは伊藤にたびたび食ってかかった。

 

「伊藤、今日は私の方が多く倒したわ!」

「伊藤、新しい戦術を考えたのよ!」

「伊藤、部隊の子と仲良くなったわよ!」

「伊藤、今日はにんじんを残さず食べたわ!」

 

 戦いのこと、日常のこと。

 

 最初は成功した自慢ばかりだったのが、失敗や弱みをさらけ出すようになったのは、いつからだったろう。

 

「私に隊長なんて務まるかな……伊藤の方がずっと強いのに」

「あのエルって子と中々うまく話せないわ。隊長なのに情けない……」

「私より強い人なんていくらでもいるでしょうに……」

 

 どんな話をしても伊藤は拒まなかった。すべてを受け入れ、優しく寄り添い、頭を撫でてくれた。

 

 その優しい手つきを、言葉を、微笑みを独り占めしたい。他の誰にも渡したくない。

 

 いつしか芽生えたその想いすら、ケイトは伊藤にさらけ出すようになり──

 

 

 

ーーー

 

 

 

「んんっ、ごほん! 私は以上! 次、小雪!」

「え、なんか気になるところで終わってません?」

「いいから!」

「あはは、じゃあ私の番ね~」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 小雪に家族はいない。侵略から間もなく、戦いに巻き込まないようにと老人たちに預けられ、物心ついたときには一人だった。ありふれた境遇である。

 

 SAのパイロットを目指した動機も、なんとなく待遇がよさそうだったからというありふれたものだ。特にギガントへの恨みもない当時九歳の少女に、志と呼べるものはなかった。

 

 しかし要領が良かったのだろう。訓練課程を楽々パスしてパイロットに選ばれ、七巨兵の四番機を与えられた。年上と同い年の少女と同じ部隊になり、戦場に出た。

 

 そこで人生が変わった。

 

 人よりもはるかに大きい怪物たちが、徒党を組んで向かってくる。顔のないねじくれた角の集合体は下手な表情よりもずっと雄弁な殺意を湛えていて、小雪は震え上がった。

 

 これが殺し合い。この怪物たちが何百体、何千体と群れを成して、地球を自分勝手に作り変えようとしている。自分たちはこれと命がけで戦わなければならない。

 

 恐怖に竦む心とは裏腹に、小雪の体は機械的に動いた。表面上は問題なくSAを操作し、期待された通りの戦果を挙げた。

 

 ただ、抑圧した心はなかったことにはならない。戦場から帰還し、パイロットに与えられた贅沢な一人部屋に帰るやいなや、激しく嘔吐した。胃が空になるまで吐いて、胃液さえ出なくなると涙が出た。異形の怪物から向けられる混じりっけのない殺意と害意は、幼い心を内側から蝕んでいた。

 

 きっと他の仲間たちも同じだったのかもしれない。辛いのはみんな同じで、弱みを見せるのは情けない甘えだと、子供たちは暗黙のうちに了解していた。要領のいい小雪は人一倍うまく余裕を擬態し、にこにこと貼り付けたような笑みを浮かべて、悠々と戦場に出続けた。砕けて壊れていく心には見ないふりをして。

 

 そんなとき、声をかけられた。

 

『私さ、実は戦うのがすごく怖い』

 

 伊藤だった。同じ部隊の仲間であり、誰よりも多くのギガントを倒しているエースだ。

 

『今朝まで普通に話してた子が、その日の昼にはいなくなってる。いつも通りの朝が最後になるかもしれないって思うと、毎朝部屋を出るのが怖くてたまんない。モニターの向こうにギガントが見えたら、来るな、あっち行けって心の中で思ってる。情けないよね』

 

 誰もが認める最強のパイロットが、そんな甘えを口にするなんて。

 

 驚きに目を見張っていると、伊藤は恥ずかしそうにはにかむ。

 

『急にごめん。でも、小雪なら笑わずに聞いてくれるって思ってさ。こんなこと話せるの、小雪だけだよ』

 

 小雪はたまらなくなって、伊藤を抱きしめた。

 

 毎日死にそうになりながら、心を押し殺してぎりぎりのところで生き永らえているのは、小雪だけではなかった。伊藤は本能的に同じ匂いをかぎ取って、弱みを見せてくれたのだ。

 

 世界には敵と敵以外しかいないと思っていた。戦術的な味方はいても、本当の自分に寄り添ってくれる仲間はいない。

 

 しかし、実際はこんなに近くにたのだ。小雪よりもずっと過酷で重い、最強のパイロットなどという肩書で弱さを隠した、本当の仲間が。

 

『わ、私も、つらい、しんどいよ……もう戦うのやだ、何もしたくない……ずっと寝てたい、息もしたくない、死にたい、死にたい……』

『うん、うん』

 

 完全に折れた心をさらけ出しても、伊藤は正面から受け止めて、受け入れてくれた。

 

 それからというもの、伊藤とは隠れて顔を合わせ、お互いに弱音を吐き出している。

 

 元気と自信に満ちた伊藤が、自分の前では年相応の女の子らしい顔でふさぎこむのを見ると、心配よりも愛しさが勝った。伊藤が他の誰かと話していても、あの表情を知っているのは自分だけ。優越感が砕けた心を満たしていく。

 

 やがて満たされた心は、より激しく伊藤を求めるようになった。伊藤の顔と声、体と心、すべてが欲しい。

 

 箍の外れた欲望があふれ出して──

 

 

 

ーーー

 

 

 

「っと、ここまでかなぁ」

「知ってはいたけど重いわよね、小雪」

「これ聞いていいやつだったんですかね……?」

「いいよぉ、もう平気だし。次、エルちゃんね」

「ん、わかった」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 上洲エルドリースは造られた存在だ。

 

 試験管で生まれ、人口の子宮内で育った。SAに乗るためだけに造られた命である。

 

 ギガント憎しが高じた老人たちの一部によって造られ、しかし量産化はされなかった。老人たちが争った結果、エルは唯一の人造パイロットとしてSAに乗せられた。

 

 躊躇や恐怖心はかけらもない。与えられた機械を操り、与えられた課題を消化するだけ。機械と同じような大きさの化け物がギガントと呼ばれる宇宙人だと知ったのは、ずいぶん後のことだ。攻撃範囲に入ったら殺すだけの的でしかなかった。

 

 機械を動かす無数の歯車のように、淡々と戦うだけの日々。

 

 そんな空っぽの彼女が初めて興味を持ったのは、一人の少女だった。

 

『うわっ、白い! かわいい!』

『かわいいとは?』

『ぺロペロしたいってこと!』

 

 伊藤である。初対面の相手は、たいていエルの作り物めいた純白に息を呑むが、伊藤は珍しそうに距離を詰めてきた。

 

 かと思うと無遠慮に頬を触ったり、胸や尻や太ももを撫でてきたり。その意味を知らずともくすぐったくて、エルは思わず飛びのいた。

 

『なんだ、普通に女の子のリアクションじゃん』

『お前は何』

『伊藤だよ。一番機のパイロット。直接会うのは初めましてだね?』

 

 エルは初めて他者の顔と名前を一致させた。

 

 七巨兵の一番機、『サピエンス』は最高性能のSAだ。当初はエルが乗る予定だったが、より最適なパイロットに回されて、エルは三番機を与えられた。

 

 戦うために造られた自分よりも優れた誰かがいる。

 

 その事実を現実として叩きつけられ、エルはもやもやを感じた。それが悔しさだと分かるのは後のことだ。

 

 戦うことこそ存在意義。深層心理にそう刻まれていたエルは、伊藤に負けじと戦果を上げていった。ギガントの群れを潰し、拠点を潰し、天使と呼ばれる特異個体を撃破した。

 

 それでも、伊藤には敵わない。

 

『サピエンスに乗れば、私の方が強い』

『じゃあ試してみよう』

 

 機体の性能差を言い訳にしてみると、伊藤はこともなげに出撃記録を改ざんし、機体を交換して作戦に臨んだ。

 

 結果は、エルの機体に乗った伊藤の勝利だ。

 

 エルはその日、帰投するなり泣いた。格納庫で泣くので、整備員や同じ部隊の仲間たちは困惑しておろおろするばかりだった。

 

 動揺する人々を押しのけ、伊藤はエルをぎゅっと抱きしめた。

 

『君は人間だ。戦いだけがすべてじゃない』

 

 その意味は痛いほど分かった。空っぽの部品だったころとは違う、悔しさとやるせなさで胸がいっぱいになっている。それに荒療治で気づかせてくれた伊藤への感謝と非難もある。少し周りを見れば、はらはらして推移を見守っている同じ部隊の仲間や、整備員たちが見える。それぞれの顔と名前は伊藤と競う過程で自然と覚えていた。

 

 敵わない、とエルは悟った。悔しいのに気持ちのいい負けだった。

 

 それから、伊藤のことをもっと知ろうと近づいた。自分の容姿と体に興味があるようだったので、からかうと面白い反応が返って来て思わず笑った。

 

 伊藤はおそろしく強くて、なんでも知っている。

 

 けれど一つだけ自分が勝っているところがある。

 

『エル? 何するの? 動けないんだけど……ひゃあ!?』

 

 生まれつき戦闘技能を刷り込まれているエルよりも、生身の伊藤はずっと弱かった。

 

 押し倒し、組み伏せて、縛り上げ、強く気高い伊藤の体の弱いところを──

 

 

 

ーーー

 

 

 

「待って待って待って! なんかやらしい話になってません!?」

「てへぺろ」

 

 無表情で舌を出すと、エルは黙り込んだ。話は終わりらしい。ケイトと小雪は素知らぬ顔で箸を進めている。

 

 そもそも最初の『造られた人間』うんぬんの時点で眉唾ものだった。エルの話は参考程度にしておこう、とよし子は決める。

 

「ま、私たちが話せることはこのくらいね。役に立てたかしら?」

「はい、とっても」

 

 エルの話はともかく、七巨兵において伊藤が大切な存在だったことはよく分かった。

 

 だからこそ、伊藤の態度がなおさら不可解だ。これほど大切に思い合っている仲間たちと、一体どんな事情があれば再会を拒むのだろう。

 

「ごちそうさま。私たちはこの後用があるから、失礼するわ」

「またねぇ、よし子ちゃん」

「あ、はい! ありがとうございました!」

 

 七巨兵の三人が席を立った。話しながらも食事を続けていたようで、ランチセットが空になっている。

 

 一方、話を聞くのに夢中だったよし子はまだ食べ終えていない。半分以上残った、伊藤お手製のお弁当を慌ててつつき出す。

 

「よし子」

 

 去り際に、エルが振り返った。

 

 真っ白なまつ毛に縁取られた銀の瞳が、じっとよし子のお弁当に向けられる。

 

「そのお弁当、おいしそう」

「あ、えー、そうでしょう? 毎朝自分で作ってるんです」

「ふぅん」

 

 エルは何かを言いかけたが、先に立った二人に呼ばれ、何も言わずに小走りで去って行った。

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