幼い頃、世界は希望で溢れていた。決して裕福ではなかった。明日食べる物があるかも分からない、服だってボロボロ、病気になっても薬を買えずに死んでしまう。
それでも何も知らない少年は確かに日々に幸福を感じていた。おおらかな笑みを浮かべてる優しい母、力が強く何時も家族のために仕事を頑張る父、勤勉で新しいことを教えてくれる姉。
どんなに生活が苦しくても家族が居れば他は何もいらない。それだけで幸せだった。そして無知で愚かな少年はそんな日々がいつまでも続けばいいと願っていた。
だが、幼子は知らなかった。世界に希望などなく、理不尽で不条理、子供の抱く小さな願いなど容赦なく蹂躙するということを。
――その日、父の帰りを待っていた少年は窓の外に光を見た。既に陽が落ちた夜空が白く輝く。そして誰かの叫び声と雷が落ちたかのような轟音が鼓膜を貫いた。
次の瞬間、強い衝撃と身を焦がす熱の波に襲われる。小さな体は簡単に吹っ飛び、視点が二転三転してすぐに暗転した。
……硝煙の匂いに包まれて少年は目を覚ました。全身が熱で爛れており、息をするのも苦しい。少年は首だけをゆっくりと動かして周囲を見渡す。
そこにあったのは火の海と瓦礫の山。少年が過ごした家どころか、集落そのものが変わり果てた姿となっていた。
そして少年は空を見上げる。そこにあるのは一つの人影。少年は確信する。宙に浮かびこちらを塵のように見下す人物。アイツこそがこの惨状を引き起こした犯人で――魔法使い。
無機質な瞳と視線が一瞬交わった気がした。しかし魔法使いは何をするでもなく、身を翻して暗闇へと消えていく。
――ああ、世界は残酷だ。力のない人間はただ奪われることしかできない。
少年は知っていた。この世界の力とは、それ即ち魔法の強さだ。そしてそれは少年には決して手に入らないもの。生まれつき魔法が使えない、非魔法使いの少年はこの世界では最も弱く、差別される対象であることを。
――嫌だ。奪われるだけの人生なんてそんなの御免だ。
少年は魔法使いが去った空を睨みつけて決意する。
「――――」
口から溢れた言葉は業火に飲まれて誰にも聞かれることなく消えていく。そして少年は立ち上がり、足を引き摺りながら歩き始める。静かに、ゆっくりと、決して振り返ることはなかった。
――――――――――――――――――――――――――
『魔法』がこの世界に発現しておおよそ百年と少し。人々は魔法を基盤とした生活を形成していた。インフラから社会的地位に至るまで全てが魔法に左右される社会。便利な世の中になったと人々は言う。エネルギー問題はなくなり、様々な作業が効率化された。
――しかし俺たちにとってはこの世界は息苦しい。
時々考える。もし魔法がない時代に生まれていればどんな生活をしていたのだろうかと。きっと今よりはまともに生きれたはずだ。
デニスは寒さに震える手を揉みながら深く息を吐いた。吐いた息は白く、夕闇に溶けていく。身体が震えるのは寒さからか、これから結構する作戦への緊張からか、はたまた罪悪感によるものか。
(罪悪感か、何を今更……)
デニスは気持ちを誤魔化すように、近くにいる二人の仲間の方へと視線を向ける。すると自然とそのうちの一人と目が合った。
「何だよデニスのおっさん、相変わらず緊張してるのか? 身体が震えてるぜ」
「うるせぇよルヤ、これは武者震いだ」
ルヤと呼ばれた浅黒い肌を持つ筋肉質の青年は、デニスの精一杯の強がりを鼻で笑う。
「安心しなよおっさん、今回の仕事は何といってもリーダーと一緒だ。万が一にも失敗はねぇよ、なあノーマ」
そう言って視線を向けるのは二人の少し前に立つ少年。少年の背丈は二人に比べて頭一つ分以上は低く、体の線も細かった。しかしこの中の誰よりも冷静であった。
「油断するなルヤ、相手は魔法使いだ。気を抜けば死ぬ事になる」
どこな緊張感に欠けるルヤを咎めるようにして、ノーマは告げる。それに対してなおルヤは嘲るようにして笑った。
「でもたかが五級だろ?」
「五級だろうが、十級たまろうが関係ない。魔法使いは魔法使いだ。魔力を持たない俺たちなんて一節紡がれるだけで消し炭にされる。忘れているようならこの作戦から外すぞ」
ノーマは淡々とそう言ってルヤに闇を喰ったかのような目を向ける。ノーマの言葉にルヤは首を窄めて目を伏せた。
「……へいへい、分かってるさ」
「なら良い……作戦開始だ」
ノーマが頭が覆い隠れるようにして外套を被り、二人もそれに続く。そして夜闇に紛れるようにして目の前の屋敷へに侵入を開始した。
屋敷に侵入するのに大掛かりな道具は必要ない。必要なのは幾つかの原始的なピッキングツールのみ。魔法が発達して魔法による解錠の対策は向上した一方で、逆にこう言った道具と使用者の腕を用いた原始的な解錠への対策は著しく低い。
ノーマが解錠を試みる間、デニスとルヤは周囲を警戒する。そして一分も満たない時間で扉からカチリという音が響いた。
「……開いた。ターゲットは二階の西側、最奥の部屋。殺り方は……いつも通りだ。いくぞ」
先程まで軽口を叩いていたルヤも緊張で震えていたデニスもその言葉に神妙に頷く。ここから先気取られれば作戦は失敗、即ち自分たちの死を意味する。足音を消し、呼吸を抑え、気配を殺してターゲットへと忍び寄る。
そして一枚の飛びを隔てた先に目的の人物、今回殺す事になっている五級魔法使いがいる場所まで辿り着く。
デニスは先程のノーマの言葉を自身の中で反芻する。たかが五級魔法使い、されど五級。――魔法使いは十から一の等級によって分けられている。十級は魔力を感知できる程度で一級はその身一つで天変地異を起こす事が可能だとされている。そして今回対峙するのは五級、それは魔法使いにとって一つの境界線でもある等級。すなわち五級とは基礎魔法の全てを習得し、国から魔法に関する職に就くのが許される等級だ。
――まあ、十級だろうが五級だろうが、俺たちにとっては等しく化け物な訳だけどな。……って考え事してる場合じゃないか。
デニスが気を引き締めたと同時にノーマがハンドサインを出しているのを確認する。それが作戦開始の合図。
対魔法使いの鉄則その一 姿を見せるな。
ルヤがドアのノブを慎重に下げて扉に隙間を作る。そこにデニスはすかさずに筒状の個体を放り込んだ。それは発煙筒。ただの煙ではなく魔塵を込めた特注性。煙の量は少なく部屋全体を薄く包む程度。しかしそれで充分だった。魔力を多分に含む煙は魔法使い限定の目隠しとなる。
対魔法使いの鉄則そのニ 余裕を与えず迅速に。
「なっ!? 何だこれは! 何も、何も見えな――」
驚きの声は最後まで続かない。言い終わるより早く、ノーマが手早くターゲットの口元に金属で出来た大きな洗濯バサミのような形をした開口器を取り付ける。そして有無を言わせずにルヤとデニスが体当たりして諸共床に倒れ込む。
「はんだおみゃえら!?(何だお前ら!?)」
ターゲットはジタバタともがきながら、開口器の影響でもごもごと叫ぶ。開口器を取り付けた理由は二つ。一つは魔法の詠唱を阻害するため。そしてもう一つの理由は――。
対魔法使いの鉄則その三 攻撃は情け容赦なく。
ノーマが取り出したのはピンポン玉程の球体。その球体には円形のピンが付いている。ノーマはそれを引き抜き、開口器により大きく開かれた口の中に深く押し込んだ。そして素早く開口器を抜き取り、顎をアッパーを食らわせるようにして閉じさせる。
ドムッという籠った破裂音が聞こえたのと同時にターゲットの身体が大きく跳ねた。そして先程までジタバタと動いていた手足が力無く伸びている。
しかしまだノーマ達は油断しない。素早くノーマは懐からナイフを取り出しそれを相手の心臓へと突き立てる。
深々と突き刺さったナイフを見て、ようやくデニスは緊張が解けて深く息を吐いた。
――魔法使いは意識があろうと無かろうと、常に体の表面に魔力が纏われている。なので魔力の無い俺たちがいくら頑張ったところで傷一つ付けることはできない。
だけど死んでしまえばそれも無くなる。つまりこのナイフは目の前の魔法使いが死んでいる確固たる証拠だ。
しかし俺たちの仕事はまだこれで終わりじゃ無い。
ノーマは懐から注射器を取り出す。しかしそれには針がなくそして通常のものよりゴツゴツとした造りであった。これは採魔器。魔法使いから魔力を取り出すために作られた道具。
「チッ、思ったより少ないな」
採魔を終えたノーマは採魔器に溜まった半個体状のそれを見て顔を顰める。この半個体状のそれこそが魔力そのもの、この世界で最も重視される存在だ。
「いや充分だろ。こんだけあれば今月は乗り切れるさ」
一方でデニスは満足そうな表情を浮かべていた。確かに今月のノルマはこの魔法使いから採れた魔力量で達成していた。
「今月は、な……」
ノーマの瞳は採魔器に向きながらも、どこか遠くを見つめているようであった。
今月はどうにかなる、じゃあ来月は? また別の魔法使いを殺すのか? こんな事を一体いつまで……