後藤ふたりの高校生活   作:青井するめ

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第二話 後藤ふたりと下北の街

 

「ひとりの家に来るの、久しぶりだなー」

 お父さんのテンションが上がっている。

 週末、お父さんに車を出してもらった。私の持ち物、衣類、勉強道具、雑貨などをトランクや段ボールに詰め込んで運ぶ。引越し費用の節約だ。もし足りないものがあっても、こちらで買えばいいし。

 ほんの一時間かそこらで引っ越しは完了した。部屋の中に段ボールを積み上げただけだけど。荷解きはあとですればいいし。

「ありがとう、お父さん」

「なんのなんの」

 お父さんは胸を張って言う。

「これからも、いつでもお父さんを頼ってくれていいぞ、ふたり」

「うん」

 それはいいんだけど。

「こんなときに、お姉ちゃんときたら……」

 姉は部屋から出てこない。二日酔いで寝込んでいるのだ。昨日、打ち上げがあったらしい。お酒を飲むことは止めないけど、なんで翌日に残るくらい飲んでしまうのか。

「まあまあ、若いうちはそんなものだよ。ロックで良いじゃないか」

 お父さんは笑っている。そうやってお父さんが甘やかすから……と言いたいのを堪える。我ながら、姉のことになると小言が多くなってしまうようだ。

「じゃあ、お父さんはもう帰るよ」

「え、お茶くらい飲んでいったら?」

「はやく帰って、買い出しに行かないと、母さんに叱られるからな」

 そう言って父は、私に手を振って、

「ふたり、姉さんの面倒を見てやってくれ。よろしく頼むぞ!」

「……」

 逆じゃない? 年齢的に、姉が私の面倒を見るべきじゃない?

 さすがにそれは口に出さなかったけど。

 

「あ、あれ、ふたり、お父さんは……?」

 父が帰ってから30分ほど経ってから。

 ようやく姉が起き出してきた。寝間着姿で、髪もぼさぼさのままである。顔色が悪い。目の下にくまがある。

 お父さん、この姿を見たくなくて、先に帰ったんじゃないのかな……そんなことを思ってしまう。まあ、いまさら長女の醜態くらいで引く父ではないだろうけど。

「もう帰ったよ」

「え、は、早いね」

「お姉ちゃん、具合はどう? 何か欲しいものある?」

「あ、あ、頭痛薬……」

 しおしおの顔でそう言う。

 姉に薬の場所を聞くと、居間にある食器戸棚のなかに入れてあるらしい。そこに行って確認すると、戸棚の中には大量の薬が山積みされていてぎょっとした。頭痛薬だけではない。風邪薬、胃腸薬、便秘薬、漢方、様々なビタミン剤……

 姉の健康が心配になる。まだ体を壊すような年ではないと思うけど。

 とりあえずポッドからお湯を注いで、頭痛薬と一緒に姉に差し出した。

 

 白湯で頭痛薬を飲み込むと、姉の顔が少し安らいだ。

 飲んだ瞬間に効くわけがないんだけど、薬を飲んだというだけで心理的にはだいぶ楽になる。その気持はわかる。

「お姉ちゃん、どう? おきれそう?」

「うん……あとちょっと寝てれば、大丈夫かな」

 白湯の入った茶碗を大事そうに抱えて、姉はそう言った。こうしていると、年齢よりずっと幼く見える。私より10も年上なのにな。

「お姉ちゃん、夕食は私が作るけど。何か食べたいものある?」

「えっ、い、いいよそんな」

「間借りしてるんだから、家事くらいするよ。それに、お姉ちゃんに任せるのも心配だし」

「うっ……」

「そうだ、この辺にスーパーってないのかな? 食材とか買ってきたいんだけど」

 先ほど冷蔵庫を確認したが、ろくなものが入っていない。出来物の惣菜や、冷凍食品など。他に入っているのは大量のエナジードリンクとお酒。やっぱり不安になる。お父さんに言われた通り、私が面倒を見たほうがいいんじゃないか……。

「それなら、ちょっと歩いた駅前にあるよ……いつも、そこで買ってる」

「わかった」

 私はスマホを取り出して、必要と思われるものをいくつかメモした。下北沢ってけっこう店が揃っているから、買い物に不自由することはないだろう。

「じゃ、行ってくるね。お姉ちゃんは寝てなさい」

「あっ、い、行ってらっしゃい……」

 

 

 下北を歩くのって、そういえば初めてかも。

 スターリーや、姉の家にはちょくちょく来ていたけれど、帰りの時間を気にするとのんびり散策もできなかった。こうして歩いてみると……

「人が多い」

 とつぶやいてしまった。

 週末だから、すごい人混みだ。駅周辺の狭い道ときたら、渋滞ができている。職場に近いとはいえ、あの人嫌いの姉が、よくこんなところに住めるものだ。

 やっとスーパーを見つけた。中もけっこう人が多い。お客さんも、ごく普通の主婦より、なにやらクセの強い人が多いように感じた。これは私の色眼鏡のせいかもしれないけど。

 さっさと買い物を済ませようと、目についた食材をカゴにどんどん放り込んでいく。うーん他の街よりやっぱり少し物価が高い。食費は結局、姉と私どっちが出すべきなんだろう。姉なら出してくれるだろうけど、金銭的に全部姉におぶさってしまうのは抵抗があった。私もバイトをして、ある程度の支出は自分で補いたい。

 などと考えながら歩いていたら、他のお客さんとぶつかりそうになった。

「あ、すいませ……」

 そう言いかけて相手の顔を見、私は絶句してしまった。

「……?」

 相手は、不思議そうな顔で、私を見ている。

 妙齢の女性だった。長身で長髪、まっすぐな髪の毛が形の良い背中を流れている。切れ長の瞳、薄く引いた紅、スーパーで出くわすにはふさわしくない、モデルみたいな美人さんだ。

 でも見覚えのある人だった。

「……山田さん、ですよね?」

 恐る恐る、私は聞いた。

 結束バンドのベース担当、山田リョウさんだった。会うのはたぶん数年振りだけど、見た目がぜんぜん違う。いや顔とかは同じなのに、雰囲気が別人だ。こんなガーリーな服装する人だったっけ? 良家の若奥様みたいになってるんですが。

「……誰だっけ」

 山田さんは不思議そうに言った。どうやら私のことを忘れているようだった。まあ、前にあったのは数年前だし、あのころ私はまだ子供だったし。

 ふたりして気まずそうに顔を見合わせていると、また横から声がかかった。

「リョウ、うろうろするなっつったろ。……あれ? もしかして」

 聞き覚えのある声。

「あ、店長さん」

 私はそう言って、頭を下げた。

 スターリーの店長、伊地知星歌さんだった。こちらも会うのは数年ぶりだけど、見た目はほとんど変わっていない。

 山田さんが、こそこそと店長さんに聞いている。

「店長、誰」

「分からないのかよ」

 呆れたように、店長さんは言った。

「後藤ふたりちゃんだよ。ぼっちちゃんの妹」

「……あぁー」

 やっと思い出したのか、山田さんは手のひらを拳をぽんして、

「ぼっちがいつも世話になっています」

 頭を下げてきた。

「……いえ、こちらこそ」

「ふたりちゃん、こっちに住むんだって? 虹夏から聞いたよ」

「あ、はい。姉の家にお世話になります」

「まあ、ふたりちゃんはお世話する側だと思うけどね」

 店長さんにまでそう言われている。これも姉の人徳かもしれない。

 それにしても……

 店長さんの後ろでぼんやりしている山田さんを見返した。姉といい、虹夏ちゃんといい、大人になっても昔と変わらない人が多いけど、山田さんだけ何があったんだって変わりようだ。結束バンドが活動停止中だから、おもに作曲とかコンポーザー方面で活躍していると聞いているけれど。

「ま、何かあったら私とか虹夏にいいなよ。手助けできるかもしれないから」

「あっ、それなら店長さんに聞きたいことがあったんです」

「ん、なに?」

「スターリーって今バイト募集してますか?」

「あー」

 店長さんは斜め上を見て、すこし考える顔になった。

「なに、うちで働きたいの?」

「あ、はい。できれば」

「うーん、そうだね。来月辺りに募集かけるかもしれないから」

 私に笑顔を見せて、

「そしたら、応募してきてね。真面目に働く人材は大歓迎だから」

 そう言った後、不意に真顔になり、

「こういう、真面目に働かない大人になったらダメだぞ?」

 すぐ後ろにいる山田さんの耳を掴んで、引っ張った。

 見れば、山田さん、店長さんの買い物カゴにこっそりお菓子をいくつか追加しようとしている……

「いたた、いたいいたい、店長、やめて」

「私は虹夏じゃないから甘えても無駄だぞ、分かってるな?」

「そ、そんな殺生な」

「……」

 なんていうか。

 見た目は変わっても、山田さんの中身は変わってないみたいだ。

 

 

「ただいまー。あれ?」

 買い物袋を下げて、姉の家に戻る。

 玄関を開けると、私の部屋の電気がついていた。姉の後ろ姿がみえる。

 ちょっと、もう今日から私の部屋なんだから、勝手に入らないでよ……そう言いかけた。けれど。

 姉が持っているものを見て、言葉が出なくなってしまった。

「あ、ふたり、おかえり」

 姉はそう言って振り返った。

 持っているのは、私のギターだった。いや、元姉のギター、といったほうがいいかもしれない。

 ヤマハのパシフィカ。高校時代に姉が買って、そのあともずっと愛用していた。さすがに古くなったから、もう使わなくなって、私に払い下げられたのだった。

 中学に上がったときに。

「……」

「これ、まだ使ってたんだね」

 笑みを浮かべて、姉はパシフィカを触っている。

「懐かしいー。昔のまんまだあ」

「え、えっと」

「もう弾いてないのかと思ってた」

 そう言って姉は、顔を上げて私を見た。

「ね、ふたり」

「え、あーっと、その」

 私は口の中でもごもごと、

「れ、練習はしてるけど、私、お姉ちゃんみたいにうまく弾けないし」

「大丈夫だよ、ふたり」

 ギターを手にすると姉は人格が変わる。うきうきと跳ねるように私に近づいてきて、

「また教えて上げるから。お姉ちゃんと一緒に弾こうね」

「……」

 ああもう。

 なぜだか、私は何も言えなくなって、ぷいと顔を背けた。

 

 姉と私はほぼ正反対の人間と言って良い。遺伝子の不可思議だ。性格も、学力も、運動能力も、胸の大きさも。ほぼ真逆だ。似てるのは顔くらいかもしれない。

 私は姉からギターを習った。けど、ちっともうまくならなかった。繰り返しの練習というやつが、どうしても苦手で。

 それはそれでいい、そう思っていた。姉と私は別の人間だ。違っていたっていい。適材適所というものがある。

 なのに。

 なんで私は、ギターを持ってきたんだろう。たいしてうまくないし、いつも練習するわけじゃないのに。

 なんで私は、ギターをやめられないんだろう。

 なんで私は。

 姉の後ろ姿を追うのを、やめられないんだろう。

 

 

 夕飯は鍋にした。もう季節は春に近いけど、夜はまだまだ冷え込む。

 手持ち無沙汰な姉が、食材を切るのを手伝ってくれたけど、見ているだけでヒヤヒヤした。指怪我したらどうするの? 商売道具でしょ? 危うく同居初日からそんな小姑みたいなことを言いたくなってしまう私なのだった。

 でも。

「ふたりの作ってくれたご飯、すごく美味しい」

 満面の笑みでそんなことを言い、姉がぱくぱくと食べてくれるから。

 私はまた、何も言えなくなってしまった。

 

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