「ねえ、お姉ちゃん、これ見てよ」
私の声に、うつむいてギターを爪弾いていた姉が顔を上げる。
「あれ? ふたり、それって……」
私は笑顔で、両腕を広げて見せる。
「どう? 似合う?」
私の着ているのは、秀華高校の制服だ。いよいよ明日は入学式。試しに着てみたが、寸法は問題ない。嬉しくなって姉に話しかけてしまった。もともと、秀華高校の制服はかわいいことで有名で、実のところ、私も子供の頃から着てみたいと願っていたのだ。
「うん、いいよ、ふたり。似合う似合う」
そう言っていた姉が、なにかに気づいて不審そうに首を傾げる。
「あれ? でもそれって、古い制服だよね?」
「うん」
私は肯いた。古い制服というのは、ようするにマイナーチェンジする前ということだ。秀華高校は数年前に制服のデザインを少し変えた。ボタンの位置や色合いなどが異なっている。まあ、比べてみないとわからないくらいの違いだけど。通っていた姉からすれば違和感があるのだろう。
私は制服の胸元に手を当てると、姉に言ってやった。
「だってこれ、お姉ちゃんの制服だもん」
「…………はい????」
「全然着れるよ。新品みたいだね。ま、お姉ちゃんはほとんど着なかったからね」
そう、あのころの姉は制服ではなく、いつもジャージで登校していた。おそらく姉よりも母のほうが、この服に袖を通す機会が多かったんじゃないか。……なんで母が高校の制服を? いや、深くは考えないようにしよう。
「……え、え? ええええええええ??? な、なんで!? どこにあったの、それ!!??!」
「タンスにしまってあったよ。捨てるのもったいないからね。まだ着れるんだし」
「いや、その、そうかもだけど……な、な、なんで? なんで?」
ふたりがそれを着るの? と、たぶん姉は聞きたいのだろう。
私は意味ありげに微笑んで、姉に手を振ってみせた。
「じゃあ、私用事あるから、でかけてくるね。いってきまーす」
「え? ちょ……待って! ふたり、ふたりってば?」
春の日差し。もうすっかり暖かくなって、上着は必要ないかな。
本日のミッションは、高校まで歩くことだ。大まかな場所は知っているけど、この家から歩いたことはなかった。どのくらいかかるか確認したい。
穏やかな春の午後。静かな住宅街の中をのんびりと歩いていく。あちこちに芽吹いた花が目を楽しませてくれる。下北沢は、駅前こそ騒々しいけど、少し歩けば閑静な宅地だ。車通りもほとんどない。
……この道を3年間、歩くことになるのかな。
新鮮味を感じられるのは、今だけだ。すぐに日常と化して、なんとも思わなくなってしまうんだろうな。だからこそ、この気持ちを大事にしたい。
などと考えながら歩いているうちに、秀華高校の前まで来た。……そこそこ距離がある。20分くらいは歩いただろうか? あまり朝はのんびり出来ないかもしれない。朝食の準備もあるし。自転車通学を考えた方がいいのかな。許可されてたっけ? あとで校則を確認しないと。
それにしても……
校舎を見上げると、どこか懐かしい感じがこみ上げてくる。子供の頃に来たんだよな。確か文化祭でライブがあって。昔のことだから記憶もおぼろげだけど、姉の演奏がかっこよかったことは覚えている。まあ、姉の演奏はいつだってかっこいいんだけど。
さて、帰ろうか。
どうせ明日から、毎日来ることになるのだ。帰って、準備をしよう。この制服を仕舞って、ちゃんと自分の制服を取り出さないと。……さすがにこれを着て学校へ通う気はなかった。さすがにね。
「……後藤さん?」
その懐かしい声は、背後から聞こえた。
「わたし、喜多ちゃんと結婚する!」
「ねえ、喜多ちゃんとお姉ちゃんはいつ結婚するの?」
どちらも、かつての私が言った言葉だ。
そのときの自分が、何を考えていたか思い出せない。遠い昔のことだから。ただ、子供の頃の自分にとって、それはなんら矛盾するものではなかった。
あのころの私にとって、喜多ちゃんは憧れだった。明るくて、笑顔が素敵で。
姉が高校を卒業した後、喜多ちゃんと住むことになったと聞いて、純粋に喜んだことを覚えている。姉と喜多ちゃんが付き合っていることを、私は誰に聞くでもなく知っていた。ふたりが結婚すれば、喜多ちゃんは私の姉になるのだ。喜ばずにいられようか。
それでも。
喜ぶ心のどこかに、寂しさと冷たさがあったことは否めない。
姉は……後藤ひとりは。私だけの姉だったのに。
もう、そうではなくなったのだ。
「後藤さん?」
その人は、もう一度繰り返した。
振り返ると、見慣れた顔が、同じ目線の高さにあった。
数年ぶりにあった喜多ちゃんは、ほんのすこし痩せたように見えた。白いブラウスに黒のタイトスカート。銀縁のメガネの向こうから、あのぱっちりとした印象的な目が私を見つめている。いかにも、学校の先生といった風体。
そうだ。
私が、秀華高校を選んだ理由。
それは教員となった喜多ちゃんが、ここに赴任したからだ。
喜多ちゃんは、戸惑い顔で立ち尽くしている。
「……また会えたね、喜多ちゃん」
私はそう言った。強張った笑みを浮かべながら。
「明日から、お世話になります。喜多先生」