後藤ふたりの高校生活   作:青井するめ

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第五話 後藤ひとりとその妹

 

「はじめまして、後藤ふたりです! 神奈川から引っ越してきました。よろしくお願いします」

 私は笑顔でそう言って、頭を下げた。

 学校生活の開始。第一印象こそ大事。新しいクラスメイトを前に、自己紹介を簡潔に済ませる。目立つつもりはなかった。中学時代のような目にあうのはもう御免だ。

 新しい学校。新しい教室。新しい制服。

 自己紹介を終えた私は、椅子に腰を下ろす。嬉しいことに窓際の席だった。細く開いた窓から、乾いた風が緩やかに吹き込んでくる。窓の外には青空と、一面の桜並木。どういうわけか今年は開花が遅くて、4月はじめの今頃になって桜が満開になったのだった。これもまたひとつの幸運なのかもしれない。幸先の良い滑り出し、と言っていいんじゃない?

 それがいつまで続くかはわからないけれど。

 

 

「ねえ、後藤さん」

 後ろから声。

 クラスメイト全員の自己紹介と担任の挨拶が終わり、明日以降の授業の予定を確認して、それでもう今日は散会だった。私はさっさと腰を上げて帰宅準備に入った。夕食の準備をしないといけないし、おまけに明日はバイトの面接がある。やることがたくさんだ。しっかり、ミスのないようにしなければ。

 そんなことを考えながら鞄を手に取ったとき、声をかけられたのだ。

 振り向くと、クラスメイトの女の子が三人。さすがにまだ名前は覚えられていない。その子達は、はにかむような、何かを期待するような顔で、私を見ている。

「うん、なに?」

「えっと……」

 その子達は顔を見合わせ、肩を叩き合い、笑いあいながら、こう聞いてきたのだった。

「あの、後藤ひとりの妹さんって、ほんとなの?」

 

 そらきた。

 

 表情にこそ出さなかったが、私は内心で天を仰ぎ、肩をすくめていた。いずれ知られるだろうと思っていたけど、まさか入学初日からこうくるとは。いったいどこから情報が漏れたんだろう。わざわざ地元と離れた学校にきたのは、こういう声と目から逃れるのが目的のひとつだったのに。

 それはともかく。

 私は少し困ったように眉を寄せ、しかし笑顔を浮かべたまま、こう言っておいた。

「あはは……えっと、ノーコメントで!」

 そして私は彼女らに手を振り、「また明日ね!」と付け加えた。そのまま鞄をとりその場を去る。

 だいたいこれでどうにかなる。高校生くらいになれば、みんな他人との距離感を図れるようになって、こういう反応をすれば自ずと察してくれる。と言っても全員ではないけれど。まあ、しつこい子には、その都度対処すれば良い。

 早足で廊下を行く私は、窓の外の明るい春の青空を見ながら、しかし暗い染みのような不安を、心の奥底に押し込めようとした。

 

 

 あれは私が小学三年生になったころだったと思う。

 結束バンドがデビューして数年。少しずつ知名度は上がっていたけど、まだまだ全国区と言うには程遠い状況だった。だから学校でも私の姉がミュージシャンだと知っている人は少なかった。たぶん知っているのは、親しく遊ぶ数人の友人くらいだ。

 それが、ある日。

「ねえ、ふたりちゃん」

 クラスメイトのひとりが、私の眼の前にタブレットをかざして、こう言った。

「これ、ふたりちゃんのお姉ちゃんだよね?」

 動画が再生されている。映っているのは……

『ひゃわあああああ!』

 悲鳴を上げて分裂する姉の姿だった。

 

 有名オーチューバーのチャンネル。そこに姉がゲスト出演していた。内容は出演者にドッキリを仕掛けるという、こう言ってはなんだが大変くだらないものだ。どういう経緯で姉が出ることになったかは知らないが、その発案者は見る目があったと言えよう。

『ひええええっ!!』

 こわもての男性に絡まれたり、渡されたプレゼントがびっくり箱だったり。

 そういうしょうもないドッキリに、姉は律儀に、見事なリアクションを取ってみせた。爆発したり、溶けたり、粉になったり……

 そりゃ、ウケるに決まっている。動画は数百万再生を超える大バズりになっていた。

 私は唖然とした顔でその動画を見ていたのだけど。クラスメイトは、無邪気な笑顔で、私にこう言ったのだった。

「ふたりちゃんのお姉ちゃんて、おもしろいんだね!」

 

 この日から、私は後藤ふたりではなく「後藤ひとりの妹」になった。

 

 皮肉なことに、この動画をきっかけに姉は全国区の有名人となった。バンドでもなく、ギターの腕前でもなく、体質や挙動のほうが注目されてしまったのだ。

 その後、しばらくは動画やテレビに引っ張りだこだったが、やがてフェードアウトし、忘れられていった。当時の詳細な事情は知らないけれど、本人が音を上げたからとも、虹夏ちゃんがストップをかけたからとも言われている。付言すると結束バンドの売上はたいして伸びなかった。ああいうのを喜ぶ層は、たぶんあまり音楽を聞かないのだ。

 おまけに余波は私のところにまで来た。学校ではからかわれるし、実家にはメディアが押しかけてくる。正直、かなり鬱陶しかった。おまけに友達まで私と少し距離をおきはじめた。幼稚園のころ、私と一緒に姉をユーレイとからかっていた彼女らは、あの動画を見て何を思ったのだろう。

 ともかく、どういうわけか私は、地元で姉に次ぐ有名人になってしまっていた。正直なところ、姉に恨みを抱かなかったとは言えない。ちょうど反抗期の時期だったし。家族との関係もすこしこじれ、中学時代には多少の揉め事も起こしてしまった。わざわざ遠く離れた秀華高校を進学先に選んだのは、そうしたしがらみから離れたい、というのもあったのかもしれない。

 経緯は違えど、図らずも姉と同じ選択をしていた、ということに気づくと、複雑な気持ちになってしまうが。

 

 そんなことを考えながら、昇降口にたどり着き、下駄箱から靴を取り出す。

 すると白いものが落ちてきた。なにこれ? 拾い上げると、ルーズリーフの切れ端だ。丸く小さな文字で、こう書かれている。

「話があります。女子更衣室まで来てください」

 ……。

 果し状? それともラブレター? いずれにせよ、入学したその日にこれは早すぎるイベントじゃない? 私は無言で、紙を折りたたむと懐に入れた。こんなの、無視してもいいんだけど。

 すぐ近くなんだよね。女子更衣室って。

 

 先ほど担任の先生から説明を受けた。体育のときに使う更衣室は、昇降口のすぐ隣にある。ここで着替えてすぐ校庭に出ていけるから、なかなか動線を考えた素晴らしい配置であると言えよう。ただ、更衣室はかなり狭いらしい。むかし姉がそう言っていたのを小耳に挟んだことがある。それが嫌で、一部の女子は教室で着替えるのだとか。……そのために、制服の下に体操着を来てくるのだそうだ。ジャージで登校する姉は相当な変人だと思っていたけれど、この高校の基準ではそれほどでもなかったのかもしれない。

 私は靴を下駄箱に入れ直して、更衣室に向かった。……十数歩でたどり着く。本当にすぐ近くだ。

 一応、ノックをする。

 返事は返ってこない。

 そっと扉をあける。少し重い扉が、がらがらと音を立てて開いていく。

 扉の向こうに黒いカーテンがあった。一応ちゃんと外から見えないようになってるんだね。

 そのカーテンを開けると、ようやく中が見えて。

 薄暗い更衣室に、ひとりの女の子がぽつねんと立っていた。

 

 私と同じ新入生、だと思う。小柄で細身の女の子だ。同じクラスではない、はず。くしゃくしゃの癖毛が肩に垂れ、大きなメガネの向こうから不安そうな目がこちらを見つめている。

 しばし無言で、私達は見つめ合った。どう声をかけるべきか。ええと。私は咳払いをした。

「あの手紙をくれた人?」

 私はそう言った。

 女の子は口を開き、しかし何も言わずに、小さくうなずく。

 たまたまここにいた人とかではないんだな。私は後手に扉を閉めた。なんの用か知らないけれど、さっさと済ませたい。

「話ってなに?」

 気が急いているからか、それとも緊張ゆえか、私の言葉はいささか不躾だった。

 女の子は何も言わず、おどおどと両手を胸の前で揉んでいた。ちょっと涙目になっている。なにこの人? なんだか姉みたいでイライラするな。

 しばしの沈黙ののち、女の子は小声でこう言った。

「あ、あの、後藤ひとりさんの妹、だよね?」

「……」

 違うって答えたら、どうなるのかな。

 そんなことが頭の片隅をよぎったけれど。それでも結局、私はこう答えていた。

「うん、そうだけど」

 

 あ、認めちゃった。

 

 ごまかすとかしたほうがいいのにな。これでもう明日から私の出自は学校中に知れ渡るだろう。まあ、いいか。あんまりウソを付くのが得意ってわけじゃないし。

 ともかく、私の返答を聞いて、その女の子はぱっと顔を輝かせ、

「あの、あの、じゃあ」

 懐を探って、何かを取り出す。

「これ、お姉さんに、渡してください!」

 両手で差し出してきた。

 手紙だ。きちんと封をされている。封筒の表に書かれている文字は、「後藤ひとりさんへ」と読めた。姉へのファンレター、ということなのだろう。たぶん。

 それを受け取る。と、女の子は突然、頭を下げたまま突進し、私のすぐ脇をすり抜けた。そのまま更衣室から飛び出して行く。

「……」

 なんだったの、あの子?

 どこかでチャイムが鳴っている。私は手に持った手紙をもう一度見直す。特におかしなところはない。毒とかは仕込まれてないと思う。

「ファンレター、か」

 小さな声で呟く。

 そういえばさっきの子、名乗ることもしなかったな。

 

 

「ただいま」

 小声で言ってドアを後手に閉める。

 帰りにスーパーによって食材を買ってきた。居間のテーブルに買い物袋を置き、生物をとりあえず冷蔵庫へ放り込む。今日は何を作ろうか。安かったものを手当たり次第に買ってきたので、料理のイメージがいまいち明確にならない。

「あ、ふたり、帰ってきたんだ」

 姉が自室から顔を出した。いつものようにギターを抱えている。

「どうだった? 新しい学校は」

「……」

 姉の問には答えず、私は無言で例の手紙を取り出す。

「これ、お姉ちゃんに。学校の子から貰ったの」

「へ?」

 不思議そうな顔で、私から手紙を受け取る。しばしそれを見つめたのち、その顔がにわかに曇り、

「ま、ま、まさか果し状……!?」

「いや、ファンレターじゃないの」

「あっ、そ、そうだよね」

 姉の顔はたちまち緩んだ。

「わ、わ、私、今の女子高生にも知られてるんだ。へ、へぇ〜」

「……」

 アホ面のままの姉は、そのまま手紙を手に自室に引っ込んだ。なんとなくついていくと、姉はデスクからハサミを取ってジョキジョキと封筒を開けている。

 中から手紙を取り出して、読んだ。

「……」

 表情はほとんど変わらなかった。

 読み終わると、手紙を畳んで、再び封筒にいれる。

 そして……デスクの引き出しのなかに、無造作に放り込んだ。

「て、ちょ、ええっ?」

 私は思わず声を上げてしまった。

「? なに、ふたり?」

「いや、その、あの……」

 中途半端に身を乗り出した私は、しかし口ごもってしまう。何を言えばいいか分からず、迷った末にこう口にする。

「何が、書いてあったの?」

「ええと、うん」

 姉は中途半端な笑みを浮かべたまま、伏し目がちな顔でこう言った。

「ファンですって。これからも応援してます、って」

「……」

 

 うそだ。

 

 直感的に、そう思った。姉のうそは聞き慣れている。別に珍しくもない。でも、なんで……

 なんで、そんなうそを?

 姉の表情からは、その心は読めなかった。私はなぜか寒気を感じていた。姉のことはよく知っている。誰よりもよく知っている。でも、それはやはり自惚れにすぎないのだ。眼の前にいるのは、私の知らない姉だった。今までに見たことのない姉だった。どうして。

「……今日の夕飯、なにがいい?」

 なのに私は。

 そんなどうでもいいことを聞いて。知りたいという思いに蓋をした。知るのが怖いという思いに負けた。

 姉は、あっけらかんとした顔で、こう言った。

「ふたりの作るものなら、なんでもいいよ」

 どこか遠くで、雷の音がした。

 窓の外を見る。よく晴れたいい天気だ。晴天のなんとやら? でも、確か天気予報で、これから雨になるとか言っていたような。

 実際、その夜には季節外れの大雨が振った。春の嵐だ。世の中、予測のつかないことばかり。

 秀華高校に入学して以降。

 私はそれを思い知らされて生きることになる。

 

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