後藤ふたりの高校生活   作:青井するめ

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第六話 後藤姉妹と雷の夜

 

 雷が鳴っている。

 春にしては珍しい嵐だと、天気予報で言っていた。私は布団を頭まで被って、目と耳を閉じていた。いや閉じようとした。

 残念ながら、目と違って耳を閉じる方法がない。

 ドン、と重々しい音とともに、建物が少し揺れた。

 雷が近づいている。勘弁してほしい。正直に言わせてもらうと、雷は大の苦手だ。

 時刻は深夜。もう寝る時間なのに、一向に眠気が来ない。眠ってやり過ごそうという作戦はもう失敗した。これからどうやって嵐と雷に対処しよう。

「ううう」

 私はうめいて、布団の中で膝を抱えた。こわい。認めるのは業腹だけど、やっぱり怖いものは怖い。

 瞬間、家が真っ二つになったんじゃないかというくらい巨大な音と衝撃が来た。

「!!!!!!」

 私は飛び起きた。そしてまた布団に逃げ込んだ。他にどうすればいいのだ。

 すぐ近くに落雷したのだろう。震えが止まらない。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるけれど、その呪文が手足の震えを抑え込むことは一向になかった。

「お姉ちゃん……」

 涙声で、私はつぶやいた。

 雨脚が強くなり、建物全体が雨の音に包まれる。

 

 

 姉は薄暗い部屋で、ギターを抱えていた。

 あぐらをかき、ギターを爪弾きながら、時折手元のノートに何事か書き込んでいる。作曲の作業中らしい。冗談みたいに巨大なヘッドホンをしていて、だから落雷の音もおよそ聞こえていないのだろうと察しがついた。

 私はといえば、布団をかぶったまま、のろのろと内股で歩き、姉の部屋の扉を薄く開けて、中をのぞいているところだった。いてもたってもいられなくなって、これだけはすまいと思っていた手段……姉にすがりつきにきたというわけだ。

 姉は一向にこちらに気づく様子がなかった。眉根を寄せ、首を傾げ、ぶつぶつと呟きながら、何度もギターを爪弾いて音を確認している。こういうときの姉は完全に自分の世界に入り込んでいて、こちらには見向きもしない。

 私は戸口で固まっていた。どうしよう。どうしようもなかった。そもそも、雷が怖いとか、そんな子供みたいなことを言えるわけがない。それも、よりによって姉に。すごすごと部屋に戻って、布団をかぶって寝ていたほうがましだ。いやでも、それができないからここにきたのに。

 ぐずぐずとそこに立ち尽くしていたら、不意に姉が顔を上げた。ばっちりと目が合う。二、三度まばたきし、姉の顔がぱっと輝いた。

「ふたり、どうしたの?」

 いつもの姉の姿だ。私はうめいて、何も返答できず、その場に足踏みした。姉がヘッドホンを外し、こちらに歩み寄ってくる。

「寝られないの? ふたり」

「あ、う、う、その」

 もぐもぐと口の中で弁解する。

 途端、また落雷があった。建物全体を揺らすほどの轟音。

「ひゃああああああ!!」

 叫んだのは、姉だった。

 私にすがりついてくる。目を白黒させえながら、

「え、なに? なに? 何がおきたの?」

「……」

 嵐が来ていることも、雷が鳴っていることも、本当に気づいていなかったらしい。

「こわい! え、こわい! どうしようふたり!」

「……」

 どうしようって、私が聞きたいよ。

 

 

 二人して居間に来て、ソファの上で情けなく震えていた。そんな姉妹の姿である。

 ちょっと前にとうとう停電が起きて、電気がなにもつかなくなった。スマホの画面を、顔をくっつけて覗きあう。

「え、世田谷区全域停電って……」

 姉が絶句している。

「復旧時刻不明、え、え、どうしよう……」

「……お、おちついてお姉ちゃん」

 そういう私の声も震えていて、ちっとも落ち着かせる効果がない。

「だいじょうぶ、す、すぐ、復旧するよ、きっと」

「そ、そ、そうだよね」

 窓の外が光る。一拍遅れて、雷鳴。

「……!!」

 お互いの体にしがみついた。

 雷の音が遠くなった。先程までのような落雷はもうないらしい。と思う。そうに違いない。お願いそうであって。

「ふ、ふ、ふたりは、雷怖いんだ、へ、へえ〜」

 引きつった笑顔で、姉がそんなことを言う。

 この状況でも、なんとか妹の「上」を取りたいらしい。

「お、お姉ちゃんこそ」

 私も対抗する。いや、しなくていいから。そんなことしてどうするんだ。

 また雷鳴。でも、さっきより全然遠い。よし、よし、その調子でいけ。さっさと行っちゃえ。

「だ、大丈夫だよふたり」

 姉はそう言って、私の肩を抱き寄せる。

「お、お、お姉ちゃんがついてるからね〜……」

「……」

 だから、声震えてるってば。

 

 

 子供の頃、同じようなことがあったな。

 小学校に上る前だったと思う。夏の夕暮れに、ものすごい大雨が降った。いわゆるゲリラ豪雨というやつだ。

 ついさっきまでなんともなかったのに、たちまち雨量が増えて、家の前の道を濁流のように雨水が流れていく。そして、雷。

 雷は怖かった。そのとき、家にはお母さんがいなくて。姉と一緒に遊んでいた私は、雷鳴に驚いて泣き出してしまった。

「お、お姉ちゃぁん……」

 姉は、そんな私をそっと抱き上げて。

「だ、だ、ダイジョウブ、お姉ちゃんが、守って上げるよぉ〜」

 そういう姉の顔は土気色である。ものすごくびびっている。でも。

 びびりで、変人で、何も頼りにならない姉だけど。

 それでも、私を守ろうとしてくれるのだ。

 私はそれが嬉しくて、泣くのをやめて。

 なんなら姉の顔を指差して、笑い出しさえしたのだった。

 

 

 十年も前のことだ。よく覚えてるなあ、我ながら。

 とても昔のようで、でもつい先程のことのようで。

 十年という月日は、さほど私と姉の関係を変えることはなかったようだ……

 そんなことを思いながら、私は目を開けた。

 いつの間にか、寝てしまったようだ。

 うっすらと朝の光が差している。時計を見ると明け方だった。雨はすでにやんでいた。あんなに怖かったのに、すっかり寝てしまったことに自分で驚く。

 姉はまだ寝ていた。私に寄りかかったままで。

 姉の温かい体温を感じる。長い髪の毛が私の肩口にまとわりついている。そっと、それを手に取った。相変わらず綺麗な髪だ。たいして手入れもしていないのに。

 知らず、手を伸ばして、姉の頭を撫でていた。

「んむ……」

 姉が口の中でなにやら呻く。起きたかな? いや、寝ぼけているだけだ。なぜなら姉は次にこんな言葉を口にしたからだ。

「もう、やめてよぉ、喜多ちゃん……」

 

 

 1時間近く。

 姉が起きるまで。

 私は身をこわばらせて、姉の隣でじっとしていた。さっさと起きてほしいのに、起こすことはできなかった。

 姉は、この部屋で一緒に、喜多ちゃんと寝たことがあるのだろうか。……これは含みなしの睡眠という意味だ。ソファに腰掛け、テレビや映画を見て。そのまま並んでぐっすりと……

「んぶ、ふぁあっ!」

 いきなり姉が起きた。

 奇声とともに顔を上げ、目を白黒させながら天井を見上げている。……どうかしたんだろうか。

「お姉ちゃん、起きた? おはよ」

 そう声をかけても、反応しない。

 いよいよどうかしてしまったのか。……不安そうに姉の様子を見ていると、ぎしぎしと音を立てて、首をこちらに回転させてきた。

 口からかすれた声が出てくる。

「ふ、ふたり。いま何時?」

「……」

 時計見ればわかるじゃん。

「ええと、6時半かな」

「あああっ」

 頭を抱えて、姉はその場に突っ伏した。

 かと思えば、ばたばたと四つん這いの姿勢で、自分の部屋に駆け込んでいく。

「……」

 後を追うと、PCの電源を入れ、ノートを手繰り寄せ、ギターにしがみつくようにして弾いている姉の姿があった。

「ど、どうしたの?」

「今日の、朝九時まで」

 強張った表情で、姉が言う。

「新曲の、デモ、送るって言ってあるのに」

「えっ」

 ああ、そうか。だから昨夜は夜遅くまで作業してたのか。

「徹夜で、やる予定だったのに」

 姉の目がぐるぐると渦を巻いている。

「ああ、どうしようどうしよう、まだサビが全然できてないのに」

「……」

 私は無言で時計を見た。あと2時間と少し。作曲にはぜんぜん詳しくないけど、これはもう間に合わないんじゃなかろうか。

 と、いきなり姉が言った。

「ふたり、ちょっと歌って!」

「え、え、え???」

 目を白黒させる私。それに構わず姉は、

「なんでもいいから! それっぽい曲!」

「え、ちょっとま、ええっ!?」

 姉の無茶振りに、私も動転する。

「そんなこと言われても、私、曲とか全然わかんないよ!」

「いいから! 急いで!」

「う、う、ううー」

 姉からこれまでされたことない要求をされて、私は完全にパニクっていた。即興でそれっぽい曲を口ずさむ。子供の頃から聞いていた結束バンドっぽいメロディー。

「もっと! そうじゃないやつ!」

 容赦ない姉からのダメ出し。ちょっと。なんで私こんなことしなけりゃいけないの??

 と反論する余地もなく。私は姉の前で下手な鼻歌を数曲披露するという悲惨な羞恥プレイを行う羽目になった。だから私、素人なんだって。急に言われてもそんなことできないよ!

 と。

「あ、それ! それいけそう!」

 姉の甲高い声。

 すぐさま姉は手元のノートに何事か書き込み、中腰でPCのキーボードを叩き始めた。そして体を起こすとギターを軽く鳴らして音を確認し、またPCに向かう。

「……えっと」

「ごめん、ふたり」

 姉はこちらを向くこともなく、今まで聞いたことのない鬼気迫る声で言った。

「ちょっと、集中するからひとりにして」

 

 

 朝食の準備をして、ひとりで食べた。

 思ったより早起きしてしまったけど、特に眠くもないし、二度寝するほどの時間はない。

 私は呆然と、ただ食卓の椅子に腰掛けているだけだった。

 集中すると周りが見えなくなる。そんな姉の姿は見慣れている。そう思っていた。でも、それは錯覚だったのだと思い知らされた。

 姉の部屋の扉は、閉じられたままである。

 いや、あの向こう側にいるのは姉ではない。

 ミュージシャン後藤ひとりであり、ギターヒーローなのだ。

 

 

 食卓には姉の分の朝食を並べる。書き置きのメモを残す。

『あとで食べてね。ふたりより』

 そうして私は、制服に着替えて家を出た。学校に行くには少し早い時間だけど。

 姉の邪魔をしたくなかった。もっといえば、姉の近くにいたくなかった。

 喜多ちゃんは……

 私は思う。ここに一緒に住んでいた頃の喜多ちゃんは、平気だったんだろうか。

 あの姉と一緒に住むということがどういうことか。

 私は、ようやくわかってきたのかもしれない。

 

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