「あ、おかえり、ふたり。……って、どうしたの?」
私の顔を見て、姉が不思議そうな声を上げる。
我ながらよほど不機嫌そうな顔をしていたのだろう。私は鞄を玄関に置くと、制服のまま姉の前に立った。
「お姉ちゃん、ちょっと立って」
「……?」
「いいから」
居間のソファでくつろいでいた姉を、強引に立たせる。
そのまま壁際に引っ張って、そこに並んで立った。背中を壁につけるようにして。……結果は明白だった。いや、こんなことをするまでもなくわかっていたんだけど。現実を受け入れるにはこうして段階を踏む必要があった、のかもしれない。
「……はあ」
「え? どうしたのよふたり」
姉は心底不思議そうな顔をしている。
しぶしぶ、姉に説明した。
「きょう、身体計測があったんだけど」
「え、どうだったの?」
「背、伸びてなかった」
ふてくされ気味に私は言った。いや、正確には1センチだけ伸びていた。それでも154センチだ。姉の身長には及ばない。
恨めしげに、姉を見上げる。姉の身長は160と少しだから、追いつくのは相当先だ。いやもう伸びないかもしれない。普通は高校くらいで身長は止まるものだ。
眼の前の姉は、どういうわけか高校卒業後も身長が伸び続けていたけど、こういうのは特殊な事例だと思う。私にその遺伝子が受け継がれているとは限らない。
ため息をついていると、呼び鈴が鳴った。
「? だれだろ」
「ふたり、出て」
早くも姉は逃げ腰になった。なんですぐ妹に押し付けるのだ。私が来るまで、本当に一人暮らしができていたのか?
インターフォンのモニターを見る。そこに映っているのは、見知った顔だった。笑顔でこちらに手を振っている。
「あ、二号さん」
「えっ」
姉が目をむいた。
「ふたりちゃん、久しぶり〜。元気だった?」
「はい、ご無沙汰しております」
「……」
「今日は、すこしお姉さんを借りたいんだけど、いいかな?」
「あっ、ソノ、私は今日……」
「どうぞ。お仕事の話ですよね? 私は引っ込んでますので」
「ふ、ふたり、待っ……」
私は笑顔で腰を上げて、自室に引っ込んだ。
ファン二号さん……未だに昔のクセでこう呼んでしまうけど、今では映像プロダクションのディレクターに出世して、結束バンドのPVなどを一手に取り仕切っている。ただ、今日はリーダーの虹夏ちゃんではなく姉に直接会いに来たということは、別口の仕事かもしれない。
私は自室で耳を澄ませていた。私の部屋は防音加工されているわけではないので、隣の部屋の声は普通に聞こえる。と言っても、ほとんど二号さんの声だけだけど。
こんな感じに。
「ひとりちゃん、そろそろ返答がほしいんだけど」
「……」
「私も暇なわけじゃないからね? スケジュールが詰まってるから、月末までに話をまとめないといけないの。先方からもせっつかれているし」
「う、イヤ、その……」
「問題があるなら言って? 私のほうで調整するから」
「あ、だから、その、そうじゃなくて……」
ああもう。
私は腕を組んでやきもきしていた。何を頼まれてるのかは知らないけど、やれることならさっさとやればいいし、できないならそう言えばいいのに。
「決して悪い話じゃないと思うのよ」
二号さんは言い聞かせるように話している。
「結束バンドのファンも、きっと喜んでくれるわ。ね? 考えてみてくれない?」
「……」
「ふたりちゃんもそう思わない?」
「えっ!?」
なぜかこっちに声が飛んできて、私は慌てた。聞き耳を立てているの、ばればれだったのか。
私は自室のドアをそっと開けた。二号さんが笑顔でこちらを見ている。姉はその前で、気まずそうに顔を伏せるばかり。
私は言った。
「あの、私も話を聞かせてもらっていいですか」
つまりはこういうことだった。
「新曲のPVにね」
二号さんが言う。
「ひとりちゃんも出てほしいのよ。サポートとしてだいぶ長くやっているでしょう? ブルースマックイーンの」
ブルースマックイーンて、いまお姉ちゃんが一緒にやってるバンドのことだ。あくまでメンバーではなく、サポートギターとしてだけれども。
「もしかしてお姉ちゃん、あのことを気にしてるの?」
私は姉に問いかけた。
「ネットで噂になってるよね。結束バンドを抜けて、そっちに入るのかって」
「……」
返事はない。私からも顔をそらしている。でも、たぶんそういうことなんだろう。
気持ちは、わからないでもなかった。
姉はこれまで、10年ちかく結束バンド一筋でやってきた。脱退とか解散が珍しくないバンドシーンだけど、姉は基本的に一途で頑固な性格だ。操を立てる、なんて言い方は変だけど、たとえ活動停止中とはいえ、結束バンドと離れる、あるいはそう思われることを嫌がる、というのは十分理解できる。
でも、ブルースマックイーンはけっこう売れてるし、そっちの仕事もした方が、将来的にはプラスになるんじゃない? 私はそう思った。だから二号さんもPVに出るよう提案してるんだろうし。
お姉ちゃん、やりなよ。喉元まで、その言葉が出かかった。いつも通り、姉の背中を押すことが私の役目だと思って。でも。
「……」
あれ。
下を向いたままの、姉の表情。感情を隠すのが苦手な姉だけど。静かに目を伏せたままの姉の顔は、もう意を決めたように見えた。そう、姉は頑固なのだ。こうなったら、私が何を言っても、梃子でも動かず……
私は。
とっさに、二号さんに頭を下げていた。
「すいません、あの、この件についてですけど」
二号さんは残念そうに
「まあ、ふたりちゃんもそういうなら、仕方ないかなあ」
そう言い残して、帰っていった。
姉とふたり、部屋に残される。
日が暮れて、部屋が暗くなってきた。明かりをつけても、姉はソファに深く腰を掛けたまま、顔をあげない。
「お姉ちゃん?」
「……」
「ごめん」
「えっ?」
「私、余計な口出ししちゃった」
そう言った。仕事を受けるにしろ断るにしろ、それは姉の領域で、妹の私が口を出すのは違うはずなのに。
姉は顔を上げると、小さく笑って、言った。
「そんなことないよ。私こそごめんね。ちゃんと決めないといけないのに。だめなお姉ちゃんだ、私は」
「それは……」
否定しようとしたけど、そこは間違っていない気がするので、私は言葉を飲み込んだ。その代わり、私は腰をかがめて、姉の体を後ろからかき抱いた。
「わ」
「お姉ちゃん。私は、お姉ちゃんの味方だから」
姉の髪の毛に顔を埋めるようにして、私は言った。
「何かあったら助けてあげるから。いつでも、頼ってくれていいよ」
姉の表情は見えなかったけど。苦笑する気配がした。姉は手を伸ばして、私の頭を撫でた。
「ありがとう。頼りないお姉ちゃんでごめんね」
「いいよ」
だんだん照れくさくなってきて、私は体を離す。
「さ、夕食作るよ。なにか食べたいものある?」
本当に良かったのかな。
姉と夕食を食べ、入浴し、ベッドにはいるまでの間、ずっと頭の片隅でその問いが点滅していた。
姉は調子に乗りやすいし、すぐ人に影響されるし、気分によって意見をコロコロ変えることもあるけれど、その根っこは頑固で、時と場合によっては意固地ですらある。意に沿わないことは決してやろうとしない。
だから、姉がやりたくないなら、本当にやりたくないということだ。
私が口を出さなくても、あの仕事は断っていたと思う。でも、私が口出しすることではなかった。それに私が姉のことを、その気持ちをわかったように振る舞うのは、傲慢だ。妹だからって姉のことが全てわかるわけがないじゃないか。
私はベッドの中で身を捩った。その日は深夜を過ぎるまで、私が眠りに落ちることはなかった。
※
後日談。というか今回のオチ。
あれから数日たったある日、スマホを見ていた私はとんでもないニュースに出くわして仰天した。
「ちょっとお姉ちゃん」
飛び起きて姉の下に走る。ぼんやりと眠そうな目でテレビを見ていた姉は、不思議そうに私を振り返った。
「どうしたの、ふたり」
「これ、これ見て」
姉にスマホを突きつける。
ニュースの見出しは、簡潔だった。
『人気バンドブルースマックイーンのボーカル、泥沼の二股不倫か』
ざっと斜め読みしたけど、内容はこんな感じだ。バンドのボーカル氏が人妻と不倫、おまけに相手は妊娠したとかしないとかで、もはや訴訟寸前といった調子らしい。事務所の発表によると、バンドは当分のあいだ活動休止。予定されていたツアーもキャンセルだという。
「へー」
姉の反応は、実に淡白なものだった。一通り読むと、またテレビに視線を戻す。
私は、思わず聞いていた。
「お姉ちゃん、まさか、知ってたの?」
「知ってた? なにが?」
「いやだから……」
さらに問い詰めようとして、やめた。この調子だと、本当に知らないらしい。
じゃあ、ただ単に、本当に乗り気じゃなかった、だけなのか?
姉は、ぼんやりとした顔でテレビのバラエティを見ながら、せんべいをぱくついていた。
全く。
「結果オーライ、だったのかな。お姉ちゃん?」
「? なにが?」
本当に何もわかっていなさそうな、姉の返答。
私は苦笑するしかないのだった。