「今日はどのバンドを見に来られました?」
やってきたお客さんに、私は笑顔で挨拶する。
先週から、私はスターリーでバイトを始めた。仕事を覚えるのは簡単だった。なにしろ何年も前から通い詰めてる場所である。常連さんも顔見知りばかりだ。
今日の客入りはまずまずだった。満員御礼とまではいかないけれど。ハコを埋めるような人気バンドは、なかなか出てくるものじゃない。お姉ちゃんが手伝ってたブルース・マックイーンはいい線行ってたんだけどな。活動停止しちゃったし。
「どう? ふたりちゃん、仕事はもう慣れた?」
店長さんと虹夏ちゃんが並んでやってくる。私は笑顔で頭を下げた。
「はい、ばっちりです。任せてください」
「さすが飲み込みが早い」
満足そうに、店長さんがうなずいた。
「雇ってよかったよ。お姉ちゃんとは大違いだ」
「あはは。まあ、ぼっちちゃんは、ね……」
店長と虹夏ちゃんは、顔を見合わせて苦笑いする。まあ、姉のバイトがどんな調子だったかは、噂を聞いているだけで想像がつくけれど。
「そのぼっちちゃんだけど、最近はどう?」
虹夏ちゃんが聞いてくる。
「最近忙しそうで、こっちにも顔を見せないね」
「あっはい。作詞作業の追い込みで、最近ずっと徹夜です」
今朝も私が登校するころに、やっと眠りについた。たぶん夕方まで寝てるんじゃないかな。
「そうかー。あんまりムリしないようにって、言っておいてね」
「はい、わかりました」
「虹夏、ちょっといい?」
いつのまにか現れた長身の女性が、虹夏ちゃんに話しかける。
その姿を見て、私は仰天した。山田リョウさんだ。しかもこのまえ見たときと格好が全く違う。
丈の短いジャケットに、タイトなレザーパンツ。長い髪は後頭部でポニーテイルにまとめ、おかげで側頭部の刈り上げと、耳にじゃらじゃらとつけたピアス、そして首筋のタトゥーがよく見える。
私は絶句していた。この前会った時の、若奥様みたいな格好はなんだったんだろう?
山田さんが、ちらと私を見る。
「あ、ぼっち妹」
「後藤ふたりちゃんだよ。会ったことあるでしょ。いまここでバイトしてるの」
「ふーん」
なぜか訳知り顔で頷くと、リョウさんは虹夏ちゃんに向きなおり、
「この前の日程通りで、問題ないと思う。スケジュールは調整しとくから。あとはよろしく」
「はいはい。リョウの方こそ、よろしくねー」
虹夏ちゃんの言葉に山田さんはうなずく。そしてヒールの音高く、その場を去っていった。……なんの用だったんだろう?
「虹夏、本当に大丈夫なのか?」
店長さんが聞く。
「あとひとり、まだ決まってないんだろう」
「んー、でもまあ、目星は付けてあるし。なんとかなるよ」
何の話だろう? 伊地知姉妹の会話に、私は首を傾げる。聞いたほうがいいのかな。でもプライベートの話だと、やぶ蛇だろうし。
店長さんがこちらを向く。
「ふたりちゃん、ここはもういいよ。代わりに、買い出し行ってきてくれる? 虹夏といっしょに」
「あ、はい。分かりました」
「じゃ、行こうか、ふたりちゃん」
立ち上がった私を、虹夏ちゃんが笑顔で手招きする。
「店とか覚えておいてね。今度は、ひとりで行ってもらうこともあるから」
「はいっ」
虹夏ちゃんに連れられて、近所の店を回る。
酒屋とか、楽器店とか、雑貨屋とか。虹夏ちゃんはメモを見ながら色々買い込んでいき、ついでに、私のことを店員さんに紹介していく。私は笑顔を浮かべながら、ぺこぺこと挨拶した。
「よし、こんなものかな」
数十分後、買い出しを終えた私達は、結構な量の荷物を抱えてスターリーに戻ることにした。
「あ、虹夏ちゃん、それも、私が持ちます」
「いーよ、大丈夫だよー」
「でも……」
私はちらと、虹夏ちゃんの腕を見やる。
腱鞘炎はもう良くなっていると聞いてはいるけれど、余計な負担をかけたくない、という思いがある。
私の意図に気づいたのだろう。虹夏ちゃんが苦笑いする。
「そんなに心配してくれなくても、大丈夫だって」
「でも、やっぱり心配で」
「そういう心配性なとこ、お姉ちゃんにそっくりだよ?」
ぐうの音も出ないことを言われて、私は渋面になった。虹夏ちゃんは苦笑したまま、
「じゃあ、これも持ってくれる?」
「あ、はいっ」
と応えて受け取ったものの、私はすぐに後悔した。思ったよりずっと重い……。虹夏ちゃんは軽々と持っていたから、気づかなかった。
そんな私の顔を見て、虹夏ちゃんは失笑する。
「な、なんですか」
「いや、ごめんね」
虹夏ちゃんは顔をそらして、堪えきれずひとりで笑っている。私はむくれた。
「なんですか、もう」
「ご、ごめん。ごめんてば。昔さ、ぼっちちゃんが買い出しやったときのこと、思い出しちゃって」
「え?」
姉の買い出しという時点で、嫌な予感しかしない。
虹夏ちゃんは言った。
「昔、ぼっちちゃんに買い出しを頼んだんだよ。ちょうど今みたいに。そしたらさ、全然帰ってこなくて」
「はあ……」
「連絡もつかないし、心配で探しに行ったのよ。そしたら、隣町のあたりまで行っちゃってて」
「そ、それは……姉がご迷惑を……」
私は赤面を隠すように頭を下げる。まったくあの姉は。身内に恥をかかせないでほしい。
「そしたらね」
虹夏ちゃんは笑顔のまま言った。
「ぼっちちゃん、買い出しの途中で、迷子の子を見つけたみたいでね」
「え?」
「その子の家を見つけてあげようって、あちこち彷徨ってたんだって。それで隣町にまで行って、結局その子の家を見つけて、家に帰したんだって」
「……」
あの姉は……。
なんと言っていいか分からず、私は困惑したまま、ずっと下を向いていた。迷子って。子どもが苦手なくせに、なんでそういうことをするの? そもそも、警察に任せればいいじゃない。仕事をほっぽらかして、何を。
「なんていうか」
そういう部分をすべてひっくるめて、虹夏ちゃんは言うのだった。
「ぼっちちゃんらしい、よね」
スターリーに帰り着いたら、なぜか姉がいた。
「あれ、ぼっちちゃん?」
虹夏ちゃんが不思議そうな声を上げる。今日は、姉が関係しているバンドの出演予定はないはずだ。何しに来たんだろう?
姉の顔は、蒼白だった。
店長さんと何やら話していたようだが、私達に気づくと、ばたばたと駆け寄ってきた。
「ふっ、ふたり」
「えっ、な、なに」
「お母さんが……」
姉は、今にも倒れそうな顔で、こう言ったのだ。
「お母さんが、入院したって……」
私は、深々とため息を付いた。
「お姉ちゃん、もしかして、いま起きた?」
「え?」
私は携帯を取り出して、ロインを起動し、姉につきつける。
「私のところにも来てる。昼に」
お父さんからのメッセージだった。
『お母さん、坂道で転んだ! 足を折ったみたい』
『病院行ったら、骨折だって! しばらく入院する』
『足以外は大丈夫、心配しないで!』
それを、まじまじと見つめていた姉は、自分の携帯を取り出し、確認する。
いきなり、その場にへたりこんだ。
「よ、よ、よかった〜〜……」
涙声になっている。
私はまた嘆息する。どうやら寝起きにロインを見て、入院という言葉に仰天し、半ばパニックになってここに駆けつけてきた……といったところだろうか。
まったく。そそっかしいんだから。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ああ、うん……ふたり、ごめん、慌てちゃって……」
「あのさ、ほんと、しっかりしてよ」
私の苦言を、しょぼくれた顔で聞く姉。それを見た店長さんが苦笑する。
「まあまあ、大事でなかったなら、いいじゃないか」
「まあ、そうですね」
実のところ、私も最初にこれを見たときは少し慌てたんだけど。
「あ、あ、あの」
「なに? まだあるのお姉ちゃん」
「お、お、お見舞いにいかないと」
「お見舞い? 足の怪我だし、大丈夫って言ってるじゃん。そんな心配しなくても……」
と言いかけて、私は口をつぐんだ。
店長さんと虹夏ちゃんが、どこか神妙な顔で私を見ている。正確には、私と姉を、だ。
「あ、あの?」
「ふたりちゃん、お見舞い、行ったほうがいいよ」
「え?」
虹夏ちゃんからそう言われ、私は困惑の言葉を返す。
「そうだぞ、ふたりちゃん」
店長さんも同じことを言う。
「今日はもう上りでいいよ。お母さんにはしばらく会ってないんだろ? だから、な」
「え、でも、そんな……」
反論しかけた私は、唐突に、気付いた。
そうか、虹夏ちゃんと店長さんのお母さんは……
私は、背筋を伸ばした。すぐそばで不思議そうな顔をしている姉の腕を、ぐいと引き寄せる。
「すいません、店長さん」
私は頭を下げた。つられて、姉も同じく頭を下げる。
「本日は早退にさせてください。お見舞い、行ってきます」
「うん。いいぞ」
「ふたりちゃん、お母さんによろしくね」
虹夏ちゃんは笑顔で手を振った。
「親孝行は大事だよ。ね」
いつできなくなるか、分からないんだからさ。
なんてことは、虹夏ちゃんは言わなかったけど。
私がそう言われたように感じたのだ。
念の為、家に戻って戸締まりを確認してから、駅に向かう。
ちょうどやってきた電車に飛び乗って、途端に、気付いた。
「あっそうだ」
「え、どうしたの」
「病院の面会時間って、何時までだろう」
「……」
顔を見合わせ、慌てて父に連絡を取る。聞いたら、夜の7時までだって。いまからだと……ギリギリで間に合わないな。
しばし無言で、私と姉は電車に揺られていた。どうしよう。今更スターリーに引き返すのも気まずいし。
「とりあえず、まず実家(ウチ)に帰ろうよ」
姉が、そう言った。
「ふたり、帰るの久しぶりでしょ」
「久しぶりったって、せいぜい一ヶ月くらいだよ」
両親からは、週末ごとに戻ってきていいんだよ、と言われていたが、さすがにそこまでするほどじゃない。
「お姉ちゃんこそ、何年帰ってないんだっけ? 3年くらい?」
「そ、そうだね」
姉の顔は、少し浮かれていた。
「な、なんだか久しぶりだな〜、あの家」
「お姉ちゃんの部屋、もうないけどね」
「えっ」
「いま物置になってる」
「えっえっ」
とたんに情けない顔になる姉を見て、私は失笑した。
そうだね。
たまには、向こうに戻るのもいいかもね。