「もう! 遅いよ。遅刻なんて酷いよ!」
「ごめん……」
駅の出入り口から姿を覗かせた一人の少年に対し、駅正面の広場で待機していた狐耳の少女が、その狐耳を興奮気味に震わせて、彼を糾弾する。
少女のもとに駆け寄った少年は頭を下げて非を詫びる。が、怒りの溜まる腹に火がついた状態の少女は、そんじょそこらの謝罪では納得できない。
「もっと他に言葉があるんじゃない?」
「う~ん……。実はさ、今日、寝坊しちゃって……」
「知ってる」
「起きるより、惰眠を貪る、楽な道を選んだんだ」
「わかってる」
ぷるぷるしていた狐耳は、やがて、ぴこぴこと活発に動き出した。少女の上まぶたが瞳の上側に被さり、白目の部分が左と右と下に浮いて、彼に反抗する悪い目付きになる。
「その場その場で楽な道を選ぶってことは、この先の人生でずっと、楽な道を歩き続けていけるでしょ? やった! 老後も安泰だ、なんて……」
少女は少年に接近し、彼の背後へ回って、たるんだ性根の背中を叩き始めた。とてもではないが二回や三回では済まない少女の平手である。平手だけに留まらず、肘でつついたり、彼の背中にのしかかったりする。
あくまでも顔なじみの少年が相手であるため、力加減がされており、それぞれの威力は微々たるものである。少年としては痛いというより、スキンシップに感じられて、ちょっと嬉しい。
「なんだか、気持ちがいいかも、それ」
彼の呟きを聞いた少女は、今度こそ怒髪天を衝いた。眉尻を下げた呆れ顔を一瞬浮かべて、次の瞬間は毛という毛が逆立つ。
「もう~、もう! 許さないんだから! 1分以内で謝罪の言葉を考えなさい!」
「1分は厳しい~。半年は欲しいな?」
「長すぎよぅ。待てないよ!」
少女は体当たりに返事をぶつける。彼女の必死の懇願に打たれて、少年はとうとう心を入れ替えた。
「ごめんなさい」
「うう~。もはや、謝ってくれるだけでも嬉しいわ」
最初こそ平凡な言い訳では許容しない少女だったが、少年のへんてこな対応に疲れてしまい、もうその言葉だけでいい、とそこいらの詫び言で彼を許したのだった。
肩を前に落として、腕をぶらつかせる少女である。されど次の表紙には調子を取り戻して、
「遅れた分を巻き返すよっ。いきましょ!」
快活に少年を呼びかけて、申し訳なさそうに縮んでいる彼の手を握り、大通りに向かって走った。
秋特有の、寒さが焼けた生暖かい日差しで照る駅前の広場は、祝日と休日がいっぺんに来たかのような賑わいを見せる。
少女は人混みに生じる隙間を縫って進む。一方の、少女に手を引かれてついて行く少年は、人々の隙間に体をうまく合わせられない。つまづいてしまい、スーツを着た男性の大人にぶつかってしまう。
よろけた少年を、振り返った少女が肩と胸と腕で支えて、二人はぶつかった人に会釈をした。男性は二人を侮蔑の目で睨み、歩き直して、ごった返した雑踏に紛れて溶ける。
「うう~視線が辛い」
「それは恋する乙女の視線だよ?」
少女のフォローはあまりフォローになっていないが、嬉しかったので少年は少女の頭を撫でた。少女の狐耳が跳ねて、少年の指がその狐耳に当たると、狐耳はしおらしくぺこんと倒れた。
「人が多いのがいけないのよ。さっさと安全地帯に避難だ!」
少年の手をぱっと離した少女は、両腕を地面と水平になるまで広げて、そのまま元気に走った。先に大通りのタイルを踏むと、少女は腕を広げたままくるりと少年へ向き、はやくおいで? と少年をせかしてねだるのだった。
少年が小走りで少女に追いつくと、彼女は満足げに口の端を上にあげ、彼を歓迎する。
「おなかすいた」
「も~、家でご飯食べなかったの?」
「食べてきたわよぅ! なのに、誰かさんが遅刻するんだもんな~。私は悪くないもん、もん?」
「お小遣い制度の僕たちに外食はきついよ~」
少年はがま口の財布をズボンの臀部のポケットから取り出して、中身を確認し、落胆する。上官たる少女に状況を報告し、取り止めを要請するが、暴君少女はお構いなしだ。大通りから裏道へ、器用に道を伝い、街のフードコートに到着する。
「大丈夫! 私がお金を用意してるよ」
既にお店のカウンターへ行き、山盛りポテトの注文を済ませた少女が、会計を全て済ませる。財布を持ったついでに、少年にその中身を見せると、なるほど、少々の飲食では不安にはならない程度の金銭がそこに納まっている。
「すごいね、どうしてそんなにお金持ちなの?」
「私はきつねだからね。でもって、現代は油揚げなんて、みんな手元に持っていないからね?」
「意味が分からないよ?」
「何よ! 悲しいわ。それでも私の友達?」
少女と少年は意味不明な会話を楽しみつつ、引き換えに貰った番号札を持ってポテトが調理されるのを待っていると、ほどなく板に表記された番号がスピーカーでアナウンスされる。
二人はカウンターへ向かい、ポテトを受け取った。トレイの上に置かれた紙製の大きい容器に、ポテトが溢れんばかりに詰められていて、実際、トレイはちらほらとこぼれるポテトを受け止めていた。
トレイを持つ少年が一歩歩くと、ポテトの山は小さなお騒がせ程度に落ち、五歩ほど歩を進めると、雪崩である。
「下手ねえ~私を見てなさい?」
少女は少年からトレイを取り上げる。その際、ポテトが振動に耐えられず、並々落ちた。
次に少女は、空いているテーブルを目標にして歩き出す。山にして盛った部分は全て落ちてしまった。本来はこぼれるはずのない、容器の内側に入ったポテトまで、はじけてトレイに落ちた。
「わざとやってるの?」
「違うわよ! 真面目よぅ」
「へたくそ」
「うるさ~い! 食べられればいいの」
やっとテーブルにたどり着いた二人は、トレイを安全地帯へ着陸させて、さっそくポテトにありつく。地面に落としたポテトは一つもないので、払った値段まるまるのポテトを味わえる。
少年は一つ一つを大切につまんで食べる。少女は大雑把に掴んで口へ放り込む、わりかし大飯食いだ。
「そういや、さっき『私の友達』って言っていたけれど。僕たちは友達なの? ちょっぴり残念」
無我夢中でポテトを食らっていた少女は、突然の話題に驚き、見開いた眼で少年を見つめたあと、むせてしまう。
「えっ! いやあ? 友達じゃなくても、いいけど」
「それじゃあ、知り合い? それともそれ未満? へ~。辛辣なんだね」
「ばかばかばか」
少女はテーブルから体を乗り出し、しかしポテトの容器は倒さないように慎重に、少年を叩いた。主立って肩を叩き、ときどき胸を小突いて、何故か一回だけ彼の頭を撫でた。
「あなたにそういうことを聞いたのがばかだった。もう」
少女は一本のポテトを口の手前へ運び、唇の表面にあてがうと、うさぎが野菜のスティックを齧るように、少しずつ口に入れて咀嚼した。
なぜそうしたのかというと、ポテトがもう無くなっているからだ。育ち盛りの若い二人にかかれば、大人ではなかなか食べきれない量もあっという間に片付けてしまう。
少年はテーブルに備わる手拭き用の紙を少量の束で取り、半分を少女に渡し、もう半分は自分で使った。手を拭いた両名はトレイをカウンターへ戻して、別々にお手洗いへ行き、手を水で綺麗にした。
少年は乾いた手で戻り、少女は塗れた手で戻る。水が滴るくらい濡れており、少女は少年に向けて指を弾いて、水滴を彼に発射した。やられる少年はなすがままだ。
「濡らせばよかった!」
「几帳面にハンカチを使うから損するのよ~っ」
「今から濡らしてきてもいい?」
「駄目~。残念でした!」
少年はとほほである。少女の謎の基準に泣く泣く従い、二人は先ほど座ったテーブルに戻る。
「お腹いっぱいだね! 今日は何をする?」
「それじゃ、前に言ってたこれの修理をお願いできる?」
少年はズボンの右大腿のポケットから液晶機械を取り出して、少女に渡した。液晶機械にはボタンがいくつも付着しており、なおかつカセットを入れる挿入口が備わっている。いわゆるゲーム機であるらしい。
「泥まみれ、結構酷いね。どうしてこんなんになっちゃったの?」
「いやあ、ごめんなさい。心が痛むから、聞かないで……」
少女は深呼吸をし、鼻から息を吐くと、持参していた鞄から麻の布巾と綿棒、ドライバーなどの金属棒、透明の液体の入った霧吹きを取り出して、テーブルの上に置いた。
少女は布巾で液晶機械の表面を撫でる。変哲のない布巾なのだが、不思議にほとんどの汚れが落ちた。ボタンの隙間や液晶の隙間など、微妙なところに挟まった汚れに、今度は綿棒をあてる。少女は片手に持った綿棒を巧みに操り、掃除をちゃくちゃくと行う。
「綿棒で丹念に拭けば、こんなの綺麗に取れちゃうんだから」
「綿棒を持ったら、まず自分の耳かきをしちゃいそう」
少女は何も言わずに少年の肩を一叩きして、綿棒を離し、ドライバーと平べったい金属棒を手に持つ。液晶機械に付属するネジというネジをドライバーで抜くと、機械の横に開いた割れ目に平べったい金属棒を挿し、こじ開けた。
手馴れた手つきで基盤を外し、霧吹きで布巾に液体を軽く浸み込ませて、液晶機械の色んな部品を拭く。拭かない部品もあり、また、ドライバーで叩いたり、接触を確かめてはめ直したりする部分もある。
ほどなくして、少女は液晶機械を元通りに組み直し、開けたネジを閉めて、少年に液晶機械を渡した。電源を入れると、漆黒で何も反応しない液晶に、乳白色が浮かんだ。
「すごいな。ありがとう!」
「どういたしまして。あなただから、御代はいらないよ」
「ポテトを奢ってあげれば良かった」
「そんなこといっても。あなた、お小遣いを200円も持っていないじゃない? 買えないよっ」
「なんで知ってるの!」
「覗き見ちゃった♡」
「もう~。すぐ! いじわるするんだから~」
「大目にみてよぅ! 直してあげたでしょ?」
少女はその場をくるりと回り、二回ジャンプをして、はしゃいだ。少年が微妙げな目つきで少女を見つめると、彼女の狐耳がせわしなく揺れる。
<その2へ>