冷女と呼ばれる先輩に部屋を貸すことになった   作:こなひー

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第8話 復帰

 ピピピ……タンッ。

 

 目覚まし時計のアラームが鳴り始めて直ぐに止められる。ムクリと体を起こした健斗は、腕をグルグルしたり額に手を当てて熱を確認する。

 

「よし! 治ってる!」

 

 健斗の風邪は、完璧に治っていた。着替えや弁当作りを軽快にこなして、予定の時間よりも若干早く済ませることができた。更にいつもなら忘れがちなゴミ捨ての準備も整っている。健斗が溌溂としている様子は、玄関で会った玲にも一目で伝わった。

 

「おはよう、音無君……何だか風邪をひく前よりも元気そうね」

「おはようございます! はい、泉さんが色々してくれたおかげです!」

「そ、それなら良かったわ……」

 

 背筋を伸ばしてハッキリと答える健斗の目が、心無しか輝きを放っているように見えた。対して玲は昨日自分のしたことを思い出して恥ずかしくなってしまい、思わず顔を逸らしてしまった。

 

「あ、えっと……」

「……」

 

 玲の様子を見た健斗も、昨日の事が脳内に蘇ってくる。互いにかけた言葉や抱きしめた時の感触を浮かべて、気まずい沈黙に包まれる。

 

「……いつまでもこのままでいたら君が会社に遅れてしまうわね」

「はっ!? い、行ってきます!」

「ええ、気を付けていってらっしゃい」

 

 二人ともその場に居ても立っても居られなくなってしまい、健斗はすぐさま鍵を渡して早足で出かけて行った。見送った玲は気持ちを切り替えるために深呼吸をしてから部屋へと向かった。

 

 そしてゴミは出し忘れた。

 

 

 健斗がオフィスに出社すると、いつもの顔ぶれ二人が揃っていた。健斗が来たことに気づくと、スマホをいじるのを止めて話しかける。

 

「おっす音無! 体調はもう大丈夫なのか?」

「おはよう、おかげで完全回復したぞ」

「あ、音無先輩! 仕事溜まってますよ!」

「お前は朝一番から俺の気力を削ごうとするな」

「しかも三人分な!」

「おい給料泥棒共」

 

 丸々三人分という事は昨日の二人が何もしていないという事になる。そして当然のように健斗にしわ寄せが行っているのは流石に酷過ぎる。

 

「なーんて……先輩、本当に大丈夫そうですね」

「みたいだなー、ツッコミも普段通りだし」

「なんつー確認の仕方だよ……」

 

 仕事が三人分残っているというのは二人の冗談だったのだが、健斗は正直本気なのかと思っていた。朝からやれやれと思いつつ席に着こうとしたのだが、ふと気になる物が目に入った。

 

「佐々木、お前の机にある『音無に頼むやつリスト』という付箋はなんだ?」

「ギクッ!」

「やーい先輩バレてやんのー」

「戸村、その言い草だとお前も同じのを作ってるな?」

「ギクッ!」

「やーい自分でバラしてやんのー」

 

 三人分とはいかなかったが健斗に何か仕事を流す気が満々の二人なのであった。これまでなら仕方ないと思いつつも引き受けてしまっていたのだが、昨日玲に言われた事を思い出した。

 

『もう、独りで抱えなくていいから』

 

 自分だけが我慢していたら、昨日のように倒れてしまうと学んだ。だから自分だけ我慢するのを辞めてみようと健斗は決意した。長年やってきていた癖を変えるのはとても勇気がいる事だ。意を決して、一応信頼している二人に断りの言葉を投げた。

 

「俺も休んだ分を取り戻さないといけないから手伝えそうにないから、悪いがそれは自分でやってくれ。わかんない所があったら聞くぐらいはするけどさ」

「えー、先輩なんかケチになりましたー?」

「……まー、しゃーないかー」

「あれ、佐々木先輩は良いんですか?」

「俺もそろそろ音無から卒業しないとなー、とは思ってたんだよ」

「佐々木……」

「……まあ、佐々木先輩がそういうなら私もたまには頑張りましょうかねー」

「戸村も……たまに、はいらないぞ?」

 

 勇気を出して言ってみて良かった、と健斗は感動した。そしてこの調子で抱えてしまう癖を減らして、玲に心配をかけないようにしていこうと改めて心に誓った。

 

「その代わり音無! さっき引き受けときゃ良かったって思うぐらいに質問攻めするからよろしくな!」

「お前……」

「うわクズ……」

「冗談、冗談だから! 二人してチベットスナギツネの目を向けるの止めてくれー!」

 

 感動が台無しだった。

 

 こんなアホなやり取りをしている所に、普段この場所に来ない男が健斗に近づいてきていた。そして健斗の肩に手を置いて話しかけた。

 

「何だかこないだ会った時より元気になったみたいだね、音無君」

「あ、高崎さん」

「君がとても元気になったという事は、もしかして……」

 

 そう言って、高崎は玲のデスクの方を見る。健斗はギクリと身体を強張らせるが、高崎は健斗に妙な含み笑いの目を向ける。

 

「……なんてね、家で寝込んでいるのに泉と会ってるわけが無いか」

「そうっすよ高崎さーん、万が一にもあの泉さんが音無に付きっきりで看病してたーなんてあるわけないっすよー」

「ははっ、そりゃありえないね」

「あはは……」

 

 実はその通りなのだが、健斗の心の中に留めておいた。その時、健斗は一瞬だけ鋭い視線を向けられたような気がしたが、誰だったのかはわからなかった。

 

「あれ? そういえば高崎さんって泉さんと……」

「ああ、彼女とは一応同期だからね。……今は相当差をつけられているし、全然話すことも無くなっちゃったんだけどね」

 

 そういう高崎は顔に影を帯びながら少し遠い目をする。健斗からすると玲と高崎に以前は接点があったという事を知らなかったため、少しだけ複雑な気持ちになった。

 

「いやいや、高崎さんも営業部での成績良いらしいじゃないっすか!」

「それでも彼女と比べてしまうとどうもね」

「あんまりあの人と比べてもしょーがないっすよー」

「……うん、そうだね」

 

 聡一の言葉に目を瞑って頷く高崎だが、目にはまだ納得しきれていないような軽い執着の様なモノを抱えていた。健斗は少し違和感を感じたが、始業前の予鈴がなったために話は打ち切られた。

 

 ちなみに三人の会話を遠巻きに見ていた小里は、フシャーと声を出しながら終始高崎を威嚇していたのだった。

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