六畳程度の部屋に制服姿の女子がふたり。ひとりは地べたに座ってスマホを見て、もうひとりはベッドで新聞を読む。恵理はスマホをやめて、美雨に声をかけた。
「新聞なんか読んでどうしたんだよ」
すると、美雨は得意げに答えた。
「読むと賢くなった気になるからね。ほら、阪神勝ってるし、BSでこんな番組やってるんだよ」
「読んでるところが全然賢くねえな。ちゃんと政治のところとかも読みなよ」
美雨はそう言われると、今度はムキになったように言った。
「ちゃんと読んでるよ。アベノミクス三本の矢とか書いてあるし」
「いつの新聞なんだよ」
「本当にオールドメディアだよね」
「本当だな」
恵理は呆れたように言った。部屋が新聞の音に包まれる。読んでいるのか、そうでないのか、わからないスピードで捲られている。そして、美雨はため息をついて、新聞を自分の横に放り出した。
「でもさあ政治とかよくわかんないし。わかるところ読んだ方が面白いじゃん」
「わからないことを知るのが新聞だろ」
恵理は落ち着いた声で答える。美雨は、それに高い声で反撃した。
「投書欄の全然わからない人の文章なら読んでるよ」
「そこはほとんど知らないやつしか載らないだろ」
「ほら、この人知らないでしょ」
そう言うと、美雨は「田中○○、男性、90歳、無職」のプロフィールを指差して見せた。そして、さっきから呆れっぱなしの恵理がさらに呆れた。
「高校生に90歳の知り合いなんて基本いねえよ」
「まあ、90歳になったら会った人のことなんか、すぐ忘れちゃうだろうから知り合いもいなだろうねえ」
「忘れねえだろ。人間の絆は90歳になっても変わらねえよ」
こう言われると、美雨は少し真剣な表情で投書欄を見つめて、言った。
「それはそうとさ、こういうすごい高齢者を無職って言うのもうやめない?」
「まあ、ねえ。でも本当に仕事してないだろうからねえ」
美雨は引き続き真剣な表情だった。
「90歳まで生き抜いて、そりゃ働くってことの方があり得ないと思うよ。それなのに、あたかも労働の義務を果たしていないみたいに、無職って呼ばれるのさすがにショックじゃない?」
これには、恵理も納得したように頷いた。
「たしかに、これまでたくさん日本のために貢献してきただろうからなあ。別の呼び方でもいいよな。おじいさんとかね」
「あーいいね。後期高齢者とか?」
「ちょっと硬いな」
美雨は顎に手を当てて、目を瞑る。わずかばかりに漏れ出た悩みの声は、開いた窓の外に消えていった。
「そうしたらジジイとか?」
「悪化してんだよ」
「でも事実だよ?」
「事実で良いなら、無職で良いんだよ」
恵理の維持していた落ち着いたトーンが崩れた。美雨は続けて提案する。
「無職(なお、後期高齢者につき労働の義務を適用すべきか一考の余地あり)とか?」
「配慮になってねえんだよ。逆に心象悪いだろそれ。もっと肩書きっぽいやつだよ」
「終活中みたいな?」
「死を連想させるから失礼だろ。100歳まで生きんだよ」
落ち着きを取り戻すために一息つく恵理。その隙に、美雨は完璧な案を思いつき、自信を持って提案した。
「退職者はいいでしょ」
「おお、いいじゃんそれ」
「ほらー」っと得意げになる美雨。しかし、それも束の間のことだった。美雨の中ですぐに別の可能性がよぎり、それが不正解であったことを察した。
「いや待って。もしかしたら、人生一貫して無職の人には逆に不誠実な対応じゃないの?」
「細けえなあ。多分、90歳までずっと無職だった人はそこまで生きてないよ」
美雨はそう言われると、すぐに社会面を開いて見せた。
「そんなことないよ。ほら、新聞にも日本の生活支援制度について書かれてるじゃん」
「本当だ。適当なこと言ってごめんなさい」
正論を叩きつけられた恵理は素直に謝った。しかし、美雨はこれに意気揚々となることはなく、さらなる問題点を指摘する。
「そもそも、今の私たちみたいに無職を社会的に下に見る風潮が間違ってるんじゃない?たしかに、労働の義務は果たしていないよ。でも、無職の人たちだって仕事が見つからなかったり、精神的に辛いかもしれないじゃん」
珍しく真面目な目つきをした美雨に、恵理も「そうだよな」と肯定の一言を漏らすほかなかった。
「自分だけの視点であれこれ言うのって簡単だけど、本当に求められているのは相手の立場に立って色んな解決法を考えることじゃないの?」
「本当にその通りだよ」
この見事な意見に恵理は賛同以外のものを示す必要がなかった。SNSが完全に浸透して、個人の感想や意見を簡単に発信できるようになった昨今の情勢。そして、そうした便利な発信ツールによって、直接的な人間関係が希薄になりつつある現代人の習性の核心に迫る美雨の意見に賛辞を送るのみの恵理だった。
「美雨ってそんなこと考えられる人だったんだな。スポーツ欄と番組表しか見ないとか思っててごめん」
恵理は心の奥底で、スポーツ欄と番組表しか見ない人間をどこか見下していたことを反省した。そして、そうした人にも情報が届くように、楽しくわかりやすい正確なメディアがあるべきだと悟った。そんな思索を巡らせる彼女と裏腹に、美雨は手に取った新聞を指差して言った。
「ってこの新聞に書いてあったんだけど、どう思う?」
「自分で考えたんじゃねえのかよ!いい加減にしろ」