藤田ことねと美鈴プロデューサー 作:杞憂コアラ
夏のHIFの敗北。想定内のことです。予想だにしていなかったことは、藤田さんが演技のような悔しがり方を見せたことでした。
様子がおかしいのは、私が看病をしてもらった後からでしょうか。彼女はレッスンをそつなくこなします。授業も数えられる程度しか居眠りをしていない。ライブも、それなりのパフォーマンスで会場を沸かせる。共通しているのは、どの活動にも以前より熱意が見られないことでした。
何となく、本気でやっていないと分かってしまいます。お客さんにもそれが伝わる。HIFで一番星に選ばれなかった要因はそこにあると私は結論付けています。最大の敵として立ちはだかったサブプロデューサーの星南会長も同意しました。
「Vocal、Dance、Visual。私の目に見える、ことねのアイドルパワーは成長を止めてしまった。」
「原因を早急に突き止める必要があります。本人にはもう聞きましたか?」
「……いつもの調子で流されちゃったわ。」
「私もです」
困った顔をした星南会長と一緒に、私もほんの少しだけ眉を顰めます。担当アイドルが、不調や不安を隠そうとする。プロデューサーにとって最も厄介な状況です。
「人間だものね。隠したいことの一つや二つはある。あなたも、未来からやってきたという隠し事は私にしか話せないでしょう?」
「はい。信じてくれそうな人が星南会長しかいませんでしたから。」
「……誉め言葉として受け止めるわ。なら、私たちで彼女が抱える問題を推測し、勝手に解決してしまうのはどう?」
「考えはしましたが、何が原因か分からない以上は慎重に動くべきだと思います。星南会長。こういう時にはどうすればいいのか、私は大人のあなたから教わったことがあるんです。」
「あら、何かしら。」
興味津々という風に目線を向ける彼女に、私は微笑みます。
「アイドルと運命共同体になるんです。」
それから大真面目に言いました。
「私たちは、藤田ことねというアイドルと一蓮托生の関係にあるのだと。結果がどうなろうと、必ずあなたの側にいると約束をするんです。ただし、それは結果を求めないという話ではありません。運命共同体にあるからこそ、あなたと共に悩み、苦しみ、成長したいのだと──」
「──私たちは思っているんです。藤田さん。」
8月31日。最後の夏休みの夕方に、私と星南会長と藤田さんは寮の敷地内で線香花火をしていました。パチパチと光る火花を見つめながら、藤田さんはきまりが悪いように笑いました。
「……心配させちゃいましたよね。」
「ええ。とても心配よ、ことね。」
「藤田さん。私と会長はあなたと苦楽を共にします。そして、あなたと同じ夢を見て、同じ夢に翔けます。だからこそ、あなたがアイドルとして伸び悩んでいることが辛いんです。」
夕暮れを過ぎ、空は薄暗くなってきました。三人分の線香花火が音を立てて手元を照らします。
「藤田さん、あなたは……」
言葉を続けようとしたその時、私の口はぴたりと止まりました。踏みとどまったと言うべきでしょう。私は口をつぐみ、新たな言葉を頭の中で再構成しました。
「私たちに話せない問題を抱えていますか?」
彼女にそう聞いてから、しばらくの間は誰も何かを話そうとしませんでした。燃え尽きた花火の火薬の臭いが辺りを漂います。
水を張ったバケツに燃えがらを入れて、藤田さんは新しい線香花火を手に取りました。
「これって、長持ちさせるコツあります?」
「……はい、ありますよ。」
私も線香花火を手に取りました。火薬のすぐ上の部分を軽く捩じり、先端を点火棒の炎で少しだけ炙ります。パチパチと輝き始めた花火を、斜め45度程度に傾けました。すると、何もしなかった時よりも10秒程度長持ちしました。
「へ~、全然違うんですね……」
「流石ね先輩。私と勝負するわよ!」
笑顔で線香花火を配る星南会長に、負けませんよと言い返します。
買ってきた3人分の花火がもうじき灰になるという頃、外はすっかり真っ暗になっていました。最後の一本が盛んに火の花を咲かせている最中、藤田さんがぽつりと呟きました。
「あたし、幸せなんです。」
にこりと笑いながら、彼女は星南会長と私に目を向けます。
「中学までは落ちこぼれアイドルやってたのに、今じゃ憧れの二人があたしの側にいてくれます。す~っごく、幸せなんです!だから、どうして不調なのか、あたしにも分かんないんです……」
視線を地面に向け、藤田さんはそれっきり何も話そうとしませんでした。私たちは、彼女と、彼女を淡く照らそうとする花火をただ見つめていました。
パチパチと鳴っていた小さな閃光が、やがて勢いを弱めてぽとりと落ちました。
非常に難しい問題になりました。ほとんどお手上げと言わざるを得ません。夏休みが終わっても、彼女は授業にもレッスンにも身が入らない様子でした。やはり彼女は何か問題を隠している。しかし、てこを使っても話してくれそうにありません。もしかしてと思い、帰り道を何日か尾行してみましたが、アルバイトをこっそりしている訳でもありませんでした。
彼女の寮に行ってお世話をすることは、9月頃に彼女に断られてからすっかり無くなっていました。過干渉が原因かと気付かされたような気持ちになりましたが、レッスンなどに熱意が見られないことに変わりはありません。時折、嫌な妄想が頭の中に浮かぶようになりました。また元の世界のように、藤田さんはアイドルを諦めてしまうのではないか。夜はそのことばかり考えました。
11月。肌寒さが増してきた頃、私は早朝5時から走っていました。
星南会長の案で藤田さんの金銭面などの問題を解決してきましたが、喜ばれるだけで効果は無かった。ならば、原点に戻りましょう。藤田さんは星南会長に憧れてアイドルを目指したと聞きました。そこで、私と会長の二人によるライブを披露することにしたのです。まだ会長以外には誰も話していませんが、SNSに投稿すれば瞬く間に情報が広まるでしょう。圧倒的なライブで、藤田さんの情熱を再び蘇らせるのです。
そのため、私は体力づくりの為に走り込みを始めました。
藤田さんと星南会長を誘って。
「おはようございま~す……」
「ちゃんと起きられましたね。偉いですよ。」
まだ眠そうな藤田さんが欠伸をします。今日から会長は名古屋に出張しているため、藤田さんと二人きりです。
深いブルーが満たす朝に、静けさを強調する二人分の走る音が響きます。隣に並ぶ彼女は長袖のランニングウェアを着て、金髪の三つ編みを揺らしています。
「……この頃は、きちんと食事を取っていますか?」
「バッチリです。あ~でも、朝食はサラダとかで簡単に済ませちゃいますね。」
「まあ……集中力が切れますから、エネルギーは摂取しなきゃですよ。」
「ですよね~」
他愛もない話を繰り返していると、やがてトッタッタッタッ、という足音だけが聞こえるようになりました。吐いた真っ白な息が冬の到来を実感させます。次のHIFまで、残り3ヵ月もありません。それまでに何とか藤田さんのモチベーションを回復させたい。
「………」
けれど、その前に。彼女の意思を聞いておくべきだと思いました。
「藤田さん。」
「……何ですか?」
クッション性のある運動靴が地面を踏み鳴らす音が二つ、ずれて聞こえます。私とあなたの考えにもずれがあるのなら、私の方から合わせなくてはならない。たとえその先に、トップアイドルになった藤田さんがいないとしても。
口が少しだけ震えました。私にとって、それはトラウマのようになっていました。開いた口が乾く前に、私は気付かれないように深呼吸して、心を落ち着かせました。
そして私は言いました。
「今でも、アイドルになりたいと思っていますか?」
"あなた、アイドルになる気はあるんですか?"
未熟な私が放ったあの言葉が、ずっと怖かった。吐き気がしました。
線香花火を一緒にした時、同じような言葉を放ちそうになって、咄嗟に飲み込みました。
また、あなたをアイドルの道から踏み外させてしまうのではないかと。恐れと一緒に飲み込みました。
けれど、もしかしたら、あなたはアイドルを諦めたいのかも知れない。最近の彼女が、私にはそう見えてしまう。
あなたが抱える闇が何なのか分からないことがもどかしい。
あなたが私を頼ってくれないことがこんなにも辛い。
せめて聞かせてほしいと思いました。アイドルになりたいのなら、私は一蓮托生を再び誓いましょう。
気が変わってしまったのなら、別の道を探そうとするあなたを支えましょう。
だから、藤田ことねさん。
あなたは──
あなたは突然、私を振り切るように走り出しました。
「……!」
瞬く間に遠ざかる彼女を見て、考えるよりも先に足が前へと動きました。
(待って……!)
藤田さんの背中が、私の古い記憶を呼び起こしました。私が酷い言葉を投げた時や、生徒会室から走り去った時など、何度だって手を伸ばせた瞬間と、ぼんやりと重なりました。小さな私にできたことと言えば、不安そうにただ見つめることだけ。可能ならば、小さな私の腕を引っ張ってやりたかった。追いかけてくださいと叫びたかった。
ここにはもう、昔の私はいない。全身全霊の私がいる。
「藤田さんっ!」
全く似合わない全力。掠れた大きな声。腕も足も必死に前へ前へと動かす。走る。冷たい風を受ける。救えなかった彼女を追いかける。秦谷美鈴というマイペースを捨てる。あなたのために捨てる。あなたがいるから。あなたのプロデューサーだから。
私は、必死に叫んだんです。
「藤田ことねさんっ!!」
今、彼女を追いかけるのをやめてしまえば、二度と彼女のプロデューサーを名乗れない気がしました。無我夢中で走っていると、海を見渡せる場所で彼女はようやく速度を落としました。
少しずつ、やがて止まるまで、緩やかに足を動かすのをやめた藤田さんは、激しい息で肩を揺らしていました。しばらく体力づくりを怠っていた私もまた、倒れそうなくらいに疲れ果て、全身から汗を流して息を必死に吐いていました。
か細い声で、藤田さんは言いました。
「思います」
薄暗い空の下で、彼女は振り返ろうとしませんでした。
「思っちゃいました」
彼女の声は震えていました。痛みを堪えているようにも思えました。私が話しかける前に、彼女は言いました。
「
冷たい風がごおっと吹きました。汗ばんだ身体がさあっと冷えました。
背中に悪寒が走り、私は目を大きく見開きました。彼女の言葉を飲み込むには、長い時間を要しそうでした。
「……ぜんぶ、夢なんですよ!ぜんぶ、ぜんぶっ!」
藤田さんが振り向かないまま、それまでずっと隠していた感情を爆発させるように、ひたすらに叫びました。
「あたしはっ、アイドル諦めて!初星学園を退学して!普通に就職して、普通に働いてたら!いつの間にか昔の自分に戻ってたんですよっ!!」
彼女の告白に、私は何も言えなくなりました。
「毎日幸せすぎて……星南ちゃんも、美鈴ちゃんも、あたしのこと気にかけてくれて……嫌でもあたしがアイドルに向いてたって分かっちゃって!でも、全部夢だって気付いたっ!!」
震えも涙も隠しきれずに、藤田さんは蹲って嗚咽を漏らしました。
「だって……美鈴ちゃんだけ大人で、あたしのプロデューサーで、あたしに何でもしてくれて……有り得ないじゃん……!どこまであたしを馬鹿にする気なんだよ……」
小さく丸めた背中から、囁くような謝罪が聞こえます。
「ごめんなさい……。あたし、頑張れなくなっちゃった。いつ覚めるか怖くて……頑張っても意味ないんだって思っちゃって……。期待されてるのに、ごめんなさい、ごめんなさい……。」
私は立ち尽くしたまま、視界が滲みました。
「ごめんなさい……」
喉と胸の奥が苦しくなって、私は歯を強く噛み締めました。
あなたは、ずっと抱えていた。
誰も信じようがない、誰にも言えない秘密。けれど、私には星南会長がいた。藤田さんは独りぼっちだった。どんなに辛かったでしょう。朝目が覚めれば、泡のように消えてしまうかもしれない夢に怯えて、心細い気持ちでいっぱいだったのでしょうか。
私たちは同じだったんです。ただし、理想の姿が違った。私はあなたをプロデュースすることができる姿に。あなたはアイドルとしてやり直すことができる姿に。全てがまだ間に合う、初星学園に入学した1年生の時代に、お互いに戻ってきた。世界中の人間から愛されたい。広い宇宙をどこまでも旅したい。そんな、語ることしか許されないはずの幻想に、私たちは身を置いている。
限界が訪れました。あなたはこの世界で幸せになるほど、元の世界が嫌になった。理想のアイドルとして軌道に乗れば乗るほど、夢から覚めてしまうのが怖くなった。アイドルとしての活動は最早無意味に思えた。そして今、あなたは何もかも嫌になって、私に全てを話した。
話してくれて、本当に良かった。この巡り合わせに、一世一代の好機に、応えなければなりません。
私は藤田さんに一歩一歩近付きました。足元に蹲った彼女の背中が見える頃に、視線を合わせられるくらいにしゃがみました。
「私は、どこまでいってもあなたのプロデューサーです。」
まだ日が昇っていない暗い空の下では、どんなに恥ずかしいことも言える気がしました。
「ことちゃん。プロデューサーを信じることはできますか?」
そっと、私は彼女に言葉を伝えます。
「もしもこれが現実ならば。元の世界に帰れなくても、私はいいと思っています。藤田さんがアイドルを諦めるだなんて、あってはなりませんから。」
冷たい海風がびゅうと吹きます。朝焼け頃は本当に静かで、声が良く通りました。
「もしもこれが夢なのだとしたら。私たち、また同じ夢を見ましょう?」
ゆっくりと顔を上げた藤田さんが、弱々しく呼吸を繰り返します。寒さもあってか、鼻を啜る音が聞こえました。
「……夢から覚めたら、今より少し大人になったことちゃんを迎えに行くんです。20歳だなんて、何も遅くはありません。世の中には30を超えているアイドルもいます。身体は鈍って、歌声は出なくなっているかも知れませんが、少しずつ、ゆるりとアイドルの道を歩みましょう。」
途端に藤田さんは振り返って、ようやく私の方を見てくれました。
打ちひしがれて泣きじゃくった後の赤い顔に、私は微笑みかけます。
彼女はぽろぽろと涙を零しながら、心底驚いた顔をしました。
「みすずちゃん」
「あなたと同じです。いつの間にか私も過去に戻っていたんです。現実か夢かは分かりませんが。」
「あたし」
「アイドルになれますよ。」
「ぇ……」
「夢から覚めても、必ずあなたを見つけます。」
一蓮托生を約束した、素敵なアイドルへ。私は安心させるように笑みを浮かべ、手を伸ばしました。
「私に、あなたをプロデュースさせてください。」
藤田さんは動きを止めて、唖然とした顔で私を見つめ続けました。やがて、私の差し出した右手に、恐る恐る藤田さんが右手を重ねました。
「……はい」
微かな声を出した後、彼女は包み込むように両手で私の手を握りました。二人とも寒さで悴んでいて、冷たいはずなのに、指先から手首まで暖かい気さえしました。
「はいっ……!」
取り繕っていたものが音を立てて崩れるように、藤田さんは大粒の涙を流しました。夜明け前の海辺には誰もいませんでしたが、彼女の手を引っ張って、アイドルの泣き顔を隠すために強く抱きしめました。私たちは互いに抱きしめ合ったまま、どこにも行かないことを誓い合いました。これが夢ならば、いつ目が覚めてもいいように、ずっと離れないままでいました。
何十分経ったのでしょうか。胸の中で小さな寝息を立てて眠っている藤田さんをそっと離します。さざ波の音が聞こえる水平線に目を向けると、橙色の美しい日の出が拝めました。
彼女を横向きに抱え上げ、その場を立ち去ろうとします。すると、ぼんやりと誰かが見えてきました。
現れたのは、過去を映し出したかのような、小さな私でした。恐らく初星学園の1年生の頃でしょう。とても不安そうに、私が抱える藤田さんを見つめています。自分を見るというのは奇妙な感覚です。
「大丈夫ですよ。」
私は子供の私に一言掛けてから、踵を返しました。
きっともう、何もかも大丈夫です。
(約束しましたから。)
─────
「すぅ~……はぁ~……。」
HIF本戦。控室。黄色いサンバイザーとオーバーオールを身に着けた藤田さんは端から見れば準備万端です。
「落ち着きましたか?」
「……んー、無理です!星南ちゃん、夏の時よりもめっちゃすごかったです!感動しすぎてそれどころじゃないっていうか……」
「素晴らしいライブでしたね。けれど成長したのはあなたもでしょう?それも、たった2ヵ月で見違えるように。」
「アハハ……。それでも緊張はしますね。」
再び深呼吸を始めた彼女は、しばらくしてから私をじっと見つめてきました。そして、にこりと笑って言います。
「心臓止まらないです。……美鈴ちゃん。」
私の名前をちゃんづけで呼ぶのは、一種の合図のようなものでした。私は静かに距離を縮めます。少し恥ずかしそうに彼女ははにかみました。
ぎゅっと、両腕を広げて藤田さんを抱きしめた瞬間。ライブが終わった星南会長が控室の扉を勢い良く開きました。
「皆!見てくれていたかしら!」
「………」
「………」
「………」
非常に不味いことになりました。私と藤田さんは扉の方を見てフリーズします。先刻異次元のパフォーマンスを披露していた星南会長はわなわなと震え、顔面を蒼白させて叫びました。
「う、裏切りよーーーー!!」
とりあえず私は藤田さんから離れ、弁明し始めました。
「すみませんでした。メンタルケアの一環としてひそかに実施していたんです。」
「ずるいわよ先輩!だ、抱きしめるだなんて、そんな……。破廉恥よ!」
「敵に塩を送ることになるかも知れませんが、星南会長もどうですか?」
「えっ」
「え?」
同時に会長と藤田さんが目をぱっちりと開きます。先に切り替えたのは会長でした。首にかけていたタオルで音速と見紛う程素早く汗を拭き、目をキラキラと輝かせて両手を広げます。
「ことね!!」
「え?えっ!?」
「大ファンなんでしょう?」
軽く背中を押すと、藤田さんは躊躇いつつも星南会長に近付きました。
「い、いいんですか?」
「勿論よ!私もあなたのプロデューサーだもの。」
「じゃ、じゃあ……」
そう言うと、彼女は気恥ずかしそうに脇を締めながら、会長の腰辺りに真っすぐ指先を伸ばしました。
「ことね~~~~!♡」
星南会長に力強く抱きしめられた藤田さんは、なすがままに固まっていました。HIF本戦への緊張が解け切っていないのでしょうか。学園中の生徒たちが、鋭い審美眼を持つ審査員が、外部からの人々が、一番星を超えようとする藤田さんを厳しい目で見る。怖くないはずがありません。それを見抜いたであろう会長はふっと真剣な表情になって、少し離れてから藤田さんの肩に両手を添えました。
「……今まで本当によく頑張ってきたわ。あなたは、あなたの努力と才能を信じられる?」
「……ハイ!信じられます!」
「良かった。あなたならできるはずよ!歌って踊って、アイドルを最高に楽しんで!お客さん全員も楽しませなさい!」
「はいっ!!」
そこには元気良く返事をした藤田さんと、かつて私をプロデュースしてくれていた星南先輩がいました。
いよいよ始まった藤田さんのライブは、私が抱いていた緊張感など容易く吹き飛ばしてしまうような、最高のパフォーマンスを見せてくれました。皆と目と目を合わせることを絶やさずに、手を振って高くジャンプをして、会場にいるお客さんたちを熱狂させます。
「まだまだまだ足りない!まだまだ終わらせない!まだまだいけるでしょ?キミとわたしならっ!」
何よりも藤田ことねというアイドルは、アイドルになるために生まれてきたのだと、楽しそうに笑顔で歌って踊りました。あまりに素晴らしく、あまりに心が躍るライブです。思わず私の顔はほころびました。
「叫べ!叫べ!さけべぇ~~~~!!」
大きな声が響く会場は、曲が落ち着くと共に静寂に包まれます。
「夢みたいで……」
目を潤わせた藤田さんが、繊細に歌を紡ぎます。
「夢じゃないんだ」
震える歌声は、彼女の感情が強く込められている気がしました。しんと嘘のように会場が静まった後、彼女はマイクを口元に近付け、曲の盛り上がりに合わせて満面の笑みを浮かべました。
「地球まっるごとねっ!巻き込んでYellow Big Bang!せかいい~ち~はじっけっちゃって!!」
元気一杯の歌声に、会場は最高の盛り上がりを見せ、誰もコールを厭いません。
「さい~こうのっ笑顔でほらっ!キミも!わたしも!アドレナリン全開で!」
汗を流しながら楽しそうに笑った藤田さんと目が合い、私は走馬灯のようなものを見ました。
4月。ベンチに座っていたあなたを、星南会長と一緒にスカウトしました。5月。私たちがプロデュースを始めてから、あなたはどんどんアイドルとして成長を続けました。6月。風邪で弱っていた私をあなたは看病してくれました。7月。8月。9月。10月。11月……
(あなたに出逢えて、本当に良かった……。)
かけがえのない日々に、世界中の人を楽しませられる彼女のライブに、心の底から歓喜し、視界が潤みます。
「キミと目が合う。ほら笑い合う。この瞬間が……ダ!イ!ス!キ!Yeah-oh,Yeah-oh,一緒にさ、ほとばしっていこう、はみ出していこう、どこまで~も~いこ~~~~う!!」
伸びる叫び声が、いつまでも終わってほしくないと、私たちに名残惜しく思わせます。
曲が終わると、割れんばかりの大きな拍手の中で、彼女は一番星になりました。
控室で、私はうたた寝をしていました。
興奮冷めやらぬのはそうですが、椅子に座ると安心からか眠気が襲ってきたのです。いけないと思い、私は無理矢理身体を立たせました。
「………」
いつからそこにいたんでしょうか。寝惚けた眼を擦る私の目の前には、大人の月村手毬と大人の賀陽燐羽が立っていました。
以前も、雨の中私に手を振っていた不思議な幻です。あの時は分かりませんでしたが、半透明のようにぼやけて見えます。
「また、寂しがってる私をからかいにきたんですか?」
私の問いかけに、二人は何も答えません。梅雨は必死に追いかけた幻影たちが、逃げも隠れもせずに堂々と立っています。この過去の世界で、SyngUp!の全てが無かったことにされたのがあまりに辛く、当時は精神的に追い詰められていました。けれど、既に未練はありません。まりちゃんとりんちゃんに、私は微笑みながら言います。
「今はもう大丈夫ですよ」
すると、二人は私の目をじっと見つめてきました。よく見ると、まりちゃんは今にも泣きだしそうな表情をしています。りんちゃんは、曲げた人差し指の第二関節を口元に持ってきて、クスリと笑いました。
「違うわよ。」
久しぶりに聞いたりんちゃんの声に困惑していると、彼女は言いました。
「
その時、控室の扉が開きました。
「ぷろでゅ~さぁ~~~~~~♡!」
何か、勘付いてしまった私は、咄嗟にライブから帰ってきた藤田さんの方を振り向きました。
「……?」
不思議そうな表情を浮かべた彼女に向かって、私は地面を蹴ります。
蹴って、走って、全てが終わる予感に胸を締め付けられて、虚脱感を覚えて、それでも巡り合えた彼女を、頑張ったあなたを強く抱きしめました。
最高のライブを終えてきたあなたは、小さな身体に大きな熱をこもらせていました。まだ息が上がっていて、胸の中でひたすら呼吸を繰り返しています。
あと少しだけ。もう少しだけ、あなたを抱きしめなければならないのに。
次の瞬間、視界は真っ暗になりました。
長い夢を見ていた。
とても幸せで、大好きな人たちに囲まれている夢だった。
「あ……」
ぴぴぴぴぴぴ、と目覚まし時計の鳴き声が聞こえる。実家で使っていたもので、これがあればすぐに目を覚ませる。
ああ、そうか。夢から覚めちゃったんだ、あたし。
分かっていたはずなのに。陽の光がカーテンに遮られた真っ暗な部屋の中で、眩しい夢がぼおっと頭の中を流れる。美鈴ちゃんと星南ちゃんが、アイドル諦める前のあたしを拾ってくれた。美鈴ちゃんは、懲りずにバイトを続けようとしたあたしの世話をしてくれた。星南ちゃんは一緒にレッスンに付き合ってくれて、厳しくて優しいアドバイスをくれた。だからあたし、冬のHIFで一番星になれた。
美鈴ちゃん。全部夢だったのかな。
あたし、ずっと現実みたいな感覚があった。ほっぺたは引っ張ると痛かった。線香花火は煙臭いけどキレイだった。冬の早朝は寒くて、抱きしめられると暖かい。
(ねぇ。)
大好きな人を、思い浮かべる。
(もう一回だけ、あたしに笑いかけてくれないかな。)
幼稚な我儘に心を塗りつぶされて、涙が止まらなかった。
─────
あの不思議な夢を見てから一週間が経った。
かなり落ち込んだけれど、毎日ぐっすり眠ったら次第に記憶も薄れていった。
傷心したあたしを社会は慰めてくれやしない。月曜日になれば、あたしはスーツを着て会社に行った。周りの人たちとは上手くやれている。たまにはノルマのことで上司から怒鳴られるけれど。時々溜息が出るくらいの日常生活。
忙しくやっている間に、あたしはすっかり立ち直ってしまった。
(ま、何はともあれ……今日は美鈴ちゃんのライブ!!)
天川駅に近い、女性専用の格安カプセルホテルで今日のあたしは目が覚めた。ライブの遠征の時によく使っているホテルだ。倍率100倍くらいの美鈴ちゃんのライブに当たったから、あたしは気合入れてしゃかりきに働いて、有休取って地方からやってきたのだった。
「……ハァ。」
周りの人を起こさないように、静かに溜息を吐く。初星学園にいた頃は、星南ちゃんも美鈴ちゃんもすぐ近くにいたのに。話しかけようと思えば話しかけられたって、我ながらすごい場所にいたんだなって思う。今となっては二人とも最高のトップアイドル。そして優秀なプロデューサー。もっとも、美鈴ちゃんは今年からプロデューサーで、アイドル活動休止前の最後のライブが本日行われるという訳だ。
(テンション上がるぅ~~~~!!)
何度参加したって、この高揚感はたまらない。あたしは顔をほころばせてもう一度寝転んだ。
数時間後。会場に行くと、沢山のファンが紫色や青色のペンライトを持ってはしゃいでいた。あたしもフルグラTシャツを身に着けてきたから、十二分に気合の入ったファンだ。カチカチと持ってきたペンライトが点灯するか確認する。
周りの人たちが口々に楽しそうに美鈴ちゃんを語るのを聞きながら、あたしは嬉しくなって笑った。
(すごいなぁ、美鈴ちゃん……)
そして始まった最高のライブは、藤色の長い髪を揺らす彼女の登場で、まずは地響きのような歓声が沸いた。もちろん、あたしも一緒になって叫ぶ。次々に披露されていく圧巻の歌とダンスに、感情が揺さぶられて溢れ出しそうになる。数万人の声に、あたしの声は埋もれていく。それでも感動を伝えたくて、曲が終われば必死に叫んだ。
最後のアンコールも終わって、いよいよ美鈴ちゃんとの別れが来た。ライブの時間は本当にあっという間に過ぎる。とてつもなく高い倍率を勝ち抜けたことに、今は感謝しよう。心が彼女で満たされ、あたしは大満足した。
マイクを持った美鈴ちゃんは、汗を少しも流さずににこりと笑っている。
「──皆様。今日は来てくださって、本当にありがとうございました。」
美鈴ちゃんの最後のMCが始まる。一言一句聞き逃さないように、あたしは集中して耳を傾けた。
「ご存じかと思われますが、私はプロデューサーとしての道を歩むべく、アイドルとしての活動を休止します。皆様、いつになるかは分かりませんが、また私のライブに来てくれますか?」
わああああああああ、と悲鳴のような歓声がそこら中から上がった。実際、悲鳴を出した人もいただろう。たとえ少しの期間でも、彼女がアイドルを休止してしまうだなんて。SNSでは言い争いが起こってたくらいだ。あたしもちょっぴり寂しい。
ようやく歓声が止むと、美鈴ちゃんはにこりと笑って言った。
「ありがとうございます。さて、簡単にですが、私がプロデューサーを目指す理由を最後にお話します。」
周りのファンたちはざわめき始める。アイドルを休止してまでプロデューサーになりたい理由。皆知りたがっていたことだ。
(……あれ……)
ドクン。
心臓が一つ鳴った。二つ鳴って、三つ鳴った。
聞き覚えのある語りを、これから聞かされる予感がした。
「学生時代、アイドルを諦めた人がいました。その方の比類なき才能は、十王星南も認めるほどです。」
あたしは覚えている。夢の中で、こんな話を。今ステージの上に立っている美鈴ちゃんにしてもらったって、一体誰が信じるんだろう。
「私は彼女をトップアイドルにしたい。そう思い、プロデューサーを目指したんです。」
心臓がバクバクと鳴って、倒れそうなくらいに身体がのぼせた。
夢の中で、美鈴ちゃんが風邪を引いたことがあった。プロデューサーとしていつもお世話になっていたから看病しに行ったんだけれど、同じようなことを話してくれたのを覚えている。あの時、話していたアイドルがあまりにもあたしにそっくりで、都合が良すぎるって思って、夢だと確信してしまったんだった。だから、授業もレッスンも頑張れなくなってしまった。大好きなアイドルを、諦めかけていた。
あの時も、あたしを救ってくれたのは。
「アイドルを諦めたあなたへ。
忘れられる訳がない。心細い時も、何でもない日も、何度だってあたしは美鈴ちゃんに電話をした。3秒で番号を打てる自信さえある。
(美鈴ちゃん……)
やっぱり、夢じゃなかったのかな。あたし、もう一度泣いてもいいのかな。
「秦谷美鈴でした。本日はありがとうございました。」
パチパチパチとまばらな拍手が起こって、やがて盛大な拍手へと変わった。彼女がステージから去った後も、あたしはずっと動けないままでいた。
次の日。天川市の郊外にある喫茶店の『みつばちポトス』に、あたしはおずおすと入った。
「いらっしゃいませー!」
「あ、あの……」
彼女の名前を答えた後は笑顔の店員さんに案内される。パンケーキが美味しい、懐かしい店だった。足を踏み出すのを躊躇ってしまうような妙な高揚感を抱く。一歩ずつ歩き続けて、案内された席に座っていた人物に、あたしは息を吞んだ。
しばらくの間、スーツ姿の彼女と立ち尽くしたまま見つめ合った。どうぞと促されてから慌てて対面の席に座った。
やっぱり夢でも見ているんだろうか。目の前には、昨日最高のライブを終えたトップアイドルが座っていた。私に向かって、にっこりと微笑んでくれている。夢から覚めた時に願ったことが呆気なく叶ってしまった。あまりに現実味が無くて、やっぱりぎこちない。
先に話し始めたのは彼女からだった。
「……髪は染めたんですか?」
「あ、いえ……。元々こっちが地毛で……」
「まあ。そうだったんですね。」
少しの会話の後、無言の時間が流れる。彼女は湯気が立っているホットミルクに、透明なポットのレバーを引いて微量のハチミツを溶かした。真っ白なカップに口を付けてこくこくと飲む姿に、あたしは目が離せない。
ことりとテーブルにカップを置いて、彼女は一つ息を吐いた。
「夢の中でも、ここには来たことがありましたね。」
ドクン、とやっぱり心臓が高鳴る。
「確かパンケーキを頼んでいました。同じものを注文しましょうか?」
ああ。
あたしたち、夢を見ていた。
不意に胸の中でこみ上がるものがあって、黙って俯いた。
ぽろぽろと熱いものを流して、顔を上げるときには泣き笑いになった。
「こんなことっ……有り得るんですか……?」
「本当に……まるで、まだ夢を見ているみたいですね。ことちゃん。」
目頭が熱くなって、持ってきたハンカチで拭う。次から次へと溢れ出してしまうから、しばらく話すことができなかった。
「夢でもいいんです。目が覚めたらまた、あなたに電話をかけてもらいますから。」
何それ。あたしが番号覚えてなかったらどうしてたんだろ。可笑しくなって、ふふっと笑ってしまった。ようやく落ち着いてきたから、目の前のトップアイドルに再び目を向けた。
初めて見た、泣きだしそうな表情にあたしもつられて、お互いに涙ぐんだ。
「──あなたを、プロデュースさせてください。」
桜が舞う季節に、美鈴ちゃんはあたしを迎えに来た。二度目の春だった。
あたしはホットコーヒーと、ハチミツをたっぷりかけたパンケーキを注文した。