蛇と鈴 ーYou, at the End of Darknessー   作:田麦野

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芽生え出した信頼と温もりは当たり前ではない。
恐れずに光に手を伸ばせる者だけが、闇の果てに救いを手にすることができる。


第三話 壊れた静けさ

ウール孤児院の裏庭は、いつも湿っていた。

古い煉瓦の壁には苔がびっしりと生え、

風が吹けば古びた洗濯物が軋む音を立てた。

鈴は、その場所が好きだった。

誰も来ない、静かな空間。

ただ風と土と匂いだけがある。

そして――そこにはよく、トムがいた。

トムは最近、鈴の前では少しだけ饒舌になった。

言葉が増えたというより、“沈黙の質”が柔らかくなった。

鈴はそれを感じていた。

怖かったけれど、嬉しかった。

それは、彼の中にあった硬い氷が、少しずつ溶けていくような感覚だった。

 

だが、彼女は知らなかった。

氷が溶けるとき、水はときに――冷たいまま、形を失うことを。

 

 

その日の午後、トムは興奮していた。

自分の魔法が、最近思うように動かせるようになってきていた。

ものを浮かせる、火を点ける、声を操る。

彼の中の力は確実に育っていた。

けれど、彼が望む“優しさのための力”には、まだ遠かった。

「――誰かを癒す力があれば、支配は必要ないのかな?」

その問いを口にしたのは、鈴だった。

「……そうかもしれない」とトムは答えた。

「けれど、僕の力は人を傷つけることしかできない。」

鈴はそっと首を振る。

「違うよ。使い方を知らないだけ。わたしは、トムの優しさを信じるよ。」

「なら、教えてくれ。」

トムの誘いに、鈴は目を逸らした。

トムの意志の強い瞳は、鈴の動揺を逃さなかった。

「わたしには……トムみたいにできないよ。」

「それでもいい。僕に、見せてみろ。」

鈴は、少しだけ怯えた顔をした。

トムの瞳の奥には、焦げるような情熱が宿っている。

あの瞳を直視してしまえば、逃げられなくなる。

それでも、拒むことはできなかった。

(……拒絶されたくない。トムに、嫌われたくない。)

「今は……無理だよ。」

「なぜだ。」

「わたしのは、痛いとか、辛いとか、そういうときに使うの。……見せたら、きっと、怖がられる。」

トムは一歩近づいた。

「僕は、君を怖がったことがあるか?」

鈴は唇を噛んだ。

“怖がられたことがない”――それがどれほどの重さを持つ言葉か、彼には分からない。

けれど、鈴の中では、誰よりも痛い言葉だった。

 

 

翌日、事件は起こった。

孤児院の食堂で、年上の少年が鈴の髪を掴んだ。

黒い髪を「呪われてる」と言いながら、汚水をかけようとした。

それを見たトムの中で、何かが切れた。

彼は立ち上がり、指を鳴らした。

少年の体が宙に浮いた。

悲鳴が響く。

窓ガラスが割れ、冷たい風が吹き込む。

子どもたちは叫び、逃げ出した。

だが、トムの目は怒りで曇っていた。

「だめ!」

鈴が叫んだ。

「トム、やめて! そんなことしても――」

「“そんなこと”? こいつは君を――!」

「わたしは、傷ついてない!」

トムの言葉は痛々しい響きを伴っていた。

鈴の言葉に、トムの魔法が一瞬だけ揺らいだ。

だが怒りの熱は止まらない。

床に落ちたガラス片が、風に乗って舞い上がる。

一枚が、鈴の頬を深く切り裂いた。

鮮やかな赤が、白い頬から流れ出した。

途端にトムの顔から、血の気が引いた。

「……傷は……?」

トムが手を伸ばそうと鈴の元に一歩踏み出した。

鈴ははっとして目を見開いたまま、頬に手を当てた。

瞬間、その指先から青白い光が零れた。

炎のようにゆらめいた光。

彼女の手が頬をなぞると、赤く引かれた傷が跡形もなく癒えていく。

鈴の手のひらに残った血の跡だけが、鈴の頬が一度傷ついたことを伝える唯一の手掛かりだった。

その光景を、トムは呆然と見つめていた。

「……君、それを……ずっと隠してたのか。」

鈴は俯き、震える声で言った。

「言えなかったの。怖かったから……。トムに、拒絶されたくなかったの。」

トムの中で、何かが激しく軋んだ。

理解と怒りと、裏切りと安堵が同時に膨らみ――そして破裂した。

「僕を“信じる”って言ったのは、嘘か。」

「違う……違うの。信じてた。でも――」

「でも何だ? 僕が君を傷つけると思った? 僕は“怪物”か?」

鈴は言葉を失った。

彼の瞳が、あの蛇のように光っている。

鋭く、冷たく、紅く輝いた。

怒りではなく、哀しみのような色だった。

「君の力は、特別なものだよ。だけど、それを隠した。僕には見せなかった。僕が初めて信じた誰かが――僕に嘘をついた。」

鈴の喉が痛んだ。

「ごめんなさい……」

「やめろ。」

トムの声が低く、かすれていた。

「謝るな。僕に謝るな。」

そう言い残し、彼は振り返らずに去った。

残された鈴は、その場に膝をつき、静かに泣いた。

光はもう、手の中に生まれなかった。

 

 

 




鈴の持つ力は魔法とは異なり、鈴の身体に宿る呪いのようなものです。
現象的には呪術廻戦の反転術式のようなものです。
本作の他作品要素、クロスオーバー要素は、鈴の持つこの癒しの力のことを指しています。反転術式っぽい何か。細かな設定はまた次回以降記していきます。
「愛より歪んだ呪いはない」というセリフがとても好きです。
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