蛇と鈴 ーYou, at the End of Darknessー   作:田麦野

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遂にダンブルドア孤児院襲来、物語が動き出します。
ダンブルドア視点です。


第八話 魔法の世界

ロンドンの空は、その日も曇っていた。

冬から春へ移ろい始める季節であっても、街路の上には冷たい灰色の膜が張りついたように重く見える。

しかし、私がこの街を訪れた理由は、空模様よりいくらか複雑だった。

一本の報告書が、ホグワーツの机の上に置かれていた。

“ロンドンのウール孤児院にて、通常の子どもでは説明できない現象が複数発生。関係する児童は、トム・マールヴォロ・リドルという少年。”

その名を見た瞬間、胸がかすかに疼いた。

奇妙だった。魔法で揺らされたわけでも、未来を示す兆候を感じたわけでもない。ただ、どこか嫌な予感だけが、声もなく私の肩に触れたようだった。

――だが、予感など、いつだってあやふやなものだ。

ダンブルドアはマグルの外套を羽織り、静かに孤児院へ向かった。

 

 

ウール孤児院は、ロンドンでも特に古い建物のひとつだった。

重い鉄製の門は錆びつき、石壁には薄い苔が張りついている。中庭に植えられた木々も、立ち枯れたように枝だけを残していた。

扉を叩くと、やや疲れた表情の女職員が姿を見せた。

 

「ご予約の、…ええと、ダンブルドアさんでしたね?」

 

「はい。こちらの少年について、お話をうかがえれば」

 

私が書類を差し出すと、職員はすぐに理解したというように頷いた。

 

「まあ、トムのことでしょう。あの子は――」

 

言い淀んだその声には、困惑と恐れと、わずかな嫌悪が滲んでいた。

 

「奇妙な子です。言葉がひどく大人びていて、嘘をつく時は大人よりも巧妙で…それでいて、他の子どもたちを怖がらせることもあるんです」

 

「怖がらせる、とは?」

 

「うまく説明できなくて…でも、あの子を見ていると、ときどき背筋が冷たくなることがあるんです。気のせいかもしれませんけど」

 

この職員は、魔法の存在を知らない。

だが、それでも正直な“恐怖の直感”を抱かせるほどに、少年が奇妙であるということだ。

私は彼女に案内されながら、木の床を軋ませて廊下を進んだ。

すると――ふと別の声が耳に入ってきた。

 

「…事故の子よ。日本から来た夫婦の娘さんでね。両親を失ってひとりだけ生き残って、かわいそうに」

 

「異国だし、つらいでしょうね。でも、あの子は手がかからないわよ」

 

「英語も不思議なくらい上手だし、礼儀正しいわ。ただ――」

 

そこで言葉は小さくなった。

 

「――あのトムのそばにいる時だけは、年相応の子どもみたいなのよ」

 

私は立ち止まった。

彼女たちの話題の中心には、“もうひとりの子ども”がいる。

日本人の少女、名は――鈴。

その名を、どこか美しい音のように感じた。

トムの部屋に到着する前、私は静まり返った廊下の先に、ふたりの姿を見つけた。

小さなテーブルに背中を向け、黒髪の少年と少女が並んで座っている。

少女は英国の冬に似つかわしくない淡い色のワンピースを着ており、肩までの黒髪を揺らしながら、繊細にペンを走らせていた。少年はその横で、わずかに不機嫌そうに眉を寄せながらも、少女の書く字を覗き込んでいる。

私は足を止めた。

声をかけずとも、彼らが発している“気配”が胸に響いたからだ。

――まるで、互いの孤独の形を知っている者同士のようだ。

少女が先に振り向いた。黒曜石のような瞳。

年齢より少し落ち着いた面差し。

そして、視線を合わせた瞬間、私は気づいた。

この少女は、心に深い傷を抱えている。それでも折れていない。

少女が軽く会釈すると、少年――トムがこちらを向いた。

警戒心は年齢相応ではなく、獣に近い。

だが、その眼差しの奥には――わずかな揺らぎがあった。

少女の存在が、彼の“人間らしさ”を繋ぎ止めている。

私は胸の奥で、静かに息を呑んだ。

彼らは互いを必要としている。

それは魔法よりも古く、強い絆の始まりだった。

 

 

「トム・リドル君。私はホグワーツ魔法魔術学校の――」

 

名乗りかけた瞬間、トムが言葉を遮った。

 

「魔法学校なんて、あるわけがありません」

 

その声は鋭く、同時に痛いほどの孤独を抱いていた。

自分が“普通ではない”と理解している子どもの声だ。

鈴がそっとトムの袖を引いた。

 

「トム、ちゃんと聞いてあげたほうがいいよ」

 

鈴の英語は自然で滑らかだった。

職員が言っていた通り、英国で育った子どもと遜色がない。

日本人の子どもとしての背景を考えると、かなり教育水準が高い家庭だったのだろう。

しかしそれ以上に、私はその声の優しさに驚いた。

孤児院での苦しさ、差別、両親を失った悲しみ――そのすべてを背負ってなお、彼女は他者に優しくできる強さを持っている。

トムは渋々こちらを向いた。

私は静かに語りかける。

 

「トム、君が自分の周りで起きた奇妙な出来事に、説明を求めていることは知っているよ」

 

「……どうして僕のことを知ってるんですか」

 

「それが、私の役目だからだ」

 

その時だった。

鈴が、ほんの一瞬だけトムを見上げ、そして私を見つめた。

“この人は嘘をついていない”そう判断した時の子どもの目だった。

トムもまた、少女の反応を確認してから、ようやく心を開く。

――彼は、鈴を“世界の基準”にしている。

私はますます、胸の奥に重い予感を育てていくのを感じた。

もしも、このふたりが離れたら――。

もしも、少年がこの少女を失ったら――。

その先で何が起きるのか、まだ具体的には見えなかった。

ただ、嫌な未来の影だけが、そっと形を作り始めていた。

 

 

 

私がトムに魔法の話をし始めると、鈴は静かに部屋を出ていった。

どこまでも、その年の割に物分かりのよい子どもだった。

しかし、話を終えて部屋を出た私のところに鈴は駆け寄った。

幼い子どもの顔ではなかった。

痛みと喪失を知り、それでも前に進もうとする者の顔だ。

鈴は私の目を見て話した。

 

「トムは……悪い子じゃありません。ほんとうは、とても」

 

彼女の声は震えていなかった。

真実だけを語る人の声だ。

だがその瞳の奥で、トムが犯してきた“小さな罪”の影を、すべて理解している光が揺れていた。

少女は知っている。

トムが盗みをしたことも、誰かを傷つけたことも。

それでも、彼を見捨てていない。

なぜと私は問わなかった。

少女は、両親を失い、孤独や差別の中でなお“他者を信じる道”を選んだ子どもだからだ。

トムは、鈴のその言葉に、ほんの一瞬だけ――少年らしい顔で彼女を見た。

その表情は、生涯で最も儚い“救い”の一欠片だったかもしれない。

 

 

この日、私はトムを連れ出すことを決めた。

未来のために。

魔法界のために。

彼自身のために。

だが――鈴を孤児院に残すことが、彼にどんな影響を与えるのか、その時の私は理解していなかった。

別れの瞬間、トムは私ではなく、鈴だけを見ていた。

少女は微笑んで、ただ一言。

 

「行ってらっしゃい、トム。きっと……あなたの名前に、ちゃんと意味を見つけてきてね」

 

その声を聞いた瞬間。少年の中で何かが揺れ、揺らぎ、かすかに変わった。その変化が希望なのか、それとも破滅の予兆なのか。

この時の私は判別できなかった。だが後年、私は悟ることになる。

――鈴という少女は、トム・リドルが持ち得たかもしれない“唯一の救い”だった、と。

そして、この日。私はその救いを、静かに手放す手助けをしまったのだ。

 

 

 

 




ダンブルドアがやってきて、2人だけの世界が変化していきます。
ホグワーツからの知らせは、トムにとって初めて外の世界から肯定された、初めて“自分は特別だ”と思えた、初めて自分自身を恐れずに済んだ経験だったと思います。
しかし、鈴がいることでトムはすでに一度、肯定をもらっている。
しかも、魔法や血統ではなく“名前”と“存在そのもの”を肯定されている。魔法界からの招待は能力の肯定となり、鈴からの言葉は人格の肯定でした。
ここにいてもいいと思えることがどれだけ幸せか、噛み締めたいものです。
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