ALICE   作:オンドゥル大使

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第102話 守るべき『家族』

 

「そういうあなたは“こばと”? って、これじゃあ初心者向けの英会話みたいじゃなぁい! あなたのお名前は? なんて!」

 

 けたけたと笑う転生者の少女は――否、これこそが自分のよく知っている相手ならばと、こばとは脱力していた。顔の筋一つでさえも自由に動かせない。視界が戦慄いて、自分の思い通りになんてならない。

 

「あれ? もしもーし? こばとだよね? 私、レベッカ。分かる?」

 

 顔を覗き込んでぺしぺしと前髪を叩かれてこばとはひっ、と短い悲鳴を上げる。その返答にレベッカと名乗っている少女に呆気に取られていた。だが、すぐさま理解したようにぽんと手を打つ。

 

「そっか。私ら初対面だ。あれだけチャットで喋っていたけれど、案外、こばとは初心さんだねぇ」

 

「いや、あのその……」

 

「ってか、女の子だったんだ? 私、男の子だと思っていた」

 

「……そ、それはぼくも……同じで。レベッカ……なんだよね?」

 

「ネカマに見える?」

 

 わざとらしく首を傾げてみせたレベッカにこばとが絶句していると、またしても大声で笑われてしまう。

 

「あー、いやいや……! おもろいっ! こばと、やっぱおもろい! 私が保証したげる!」

 

 意味がよく分からない太鼓判を押されてから、こばとはようやく事態の理解に努めようとしていた。明らかに遅過ぎるが、それでも確認から入らなければならない。

 

「……この鐘……鳴らしてって言ったの……」

 

「うん、それがトモダチの証ー。ラブー」

 

 とてつもない冗談のようにしか思えないが、レベッカは大真面目のように左胸の前でハートマークを作る。自分が思っていたレベッカとはまるで異なる――そう言ってしまえば解決するのだろうかと思っていると不意打ち気味にレベッカが警戒を走らせる。

 

「……待って。こばと、こっち」

 

「えっ……ちょっ! ちょっと待ってよ! レベッカ!」

 

「いいからッ!」

 

 手を引かれて駆け出したこばとは完全に圧倒された心地のまま学園都市を抜けていく。レベッカはこの街の事を熟知しているように迷いなく街路を縫うようにして駆け抜けながら背後への警戒を怠らない。

 

「……気を付けて。GIG、知ってるでしょ」

 

 こばとは遅まきながら街を巡回するGIGの警備部隊を目の当たりにしていた。

 

「……GIGなら……」

 

「駄目。連中、私らみたいな野良の転生者を殺しに来る」

 

 確証めいた声音にこばとは言い出しかけていた言葉を仕舞っていた。息つく間もなく街並みの中に埋没した公園へとレベッカは自分を導く。都市の中に湧いた、唐突なオアシスのようにしか思えないこじんまりとした公園に入るなり、レベッカはゲッコウガをようやくモンスターボールに戻す。

 

「……そ、その……っ! レベッカ……!」

 

「こばと、体力ないねぇ。……けれど、最初に聞いていた通り、やっぱりね。あなた、やっぱりこばとだわ」

 

 その言葉の意味を解する前にびしっと指先が向けられる。

 

「いい? この学園都市じゃGIGに追いかけられたら無事じゃ済まない。こっちこっち」

 

 公園の内側に存在するジャングルジムの上に登ったかと思うと、水色のパーカーの内側に仕舞ったミニスカートがはためいて思わずこばとは慌ててしまう。

 

「レベッカ! スカート! 見えちゃう!」

 

「は、え? ……いいじゃん、女同士なんだし。それに、さっきからちらちら見えてたでしょ。別にみられてもなんてこと……って、ほら。こばと。こっち登ってきて」

 

 当惑しながらもこばとはジャングルジムに登る。なんて事はない遊具に思われたが、レベッカが手を引いた先には何もない。まさか落ちるのかと思っていると指先が何もないはずの空を掴む。

 

「……あれ……?」

 

「ゲッコウガに作らせたカラクリのジャングルジム。本物はあっちのビルの屋上まで伸びてるから、安心していいよ」

 

 そう言うなりレベッカは人間の目では認識出来ないジャングルジムをするすると登っていく。カラクリと言われても、こばとの眼には不可視なのだから怖がるなと言うほうが無理なのだがレベッカは慣れた様子でよじ登っていく。

 

「ほら、あれ」

 

「あれ……って」

 

 レベッカは倒壊したビルの残骸の隙間を指差す。そこから垣間見えたのはGIGの隊員達に応戦する街の転生者であった。しかし、すぐさまコマのような兵装――確か、キャプチャ・スタイラーと呼ばれるものであったか――が輝きの円弧を描いたかと思うとすぐにポケモンが無力化されアルセウスフォンを差し出される。

 

「……ほら。バン!」

 

 レベッカが指鉄砲を作ってそう口にするのと同時に、GIG隊員によってアルセウスフォンが粉砕される。こばとは息を呑んでいた。拘束された街の転生者は砂のように砕け落ちていく。

 

「……あれは……」

 

「連中のやり口ってああいうの。あのコマみたいなのに囲われちゃうとポケモンの自由が完全に奪われちゃう。だから機動力重視のポケモンにしとけって言っていたのに」

 

「……知り合いだったの?」

 

「って言うか、今のアジトのお隣さん。かわいそうにね。あの人、子供が居たんだよ? 女の子。もうすぐ産まれるんだって……嬉しそうに言ってたのになぁ……」

 

 レベッカの頬を一筋の涙が伝っていく。斜陽が反射し、とても麗しいもののように演出していた。

 

「……レベッカ……」

 

「だまってて。こばと、あなたはさ。私の……まぁ言っちゃ何だけれど数少ないお仲間。だから、こっちに来て」

 

 透明なジャングルジムを戻っていくと赤いブランコの下へとレベッカは手招く。何もない土くれのように思われたが、レベッカの手がすくうとその指先が捉えたのはドアコックであった。引っ張ると今の今まで土でしかなかったブランコの直下に人一人分ちょうど入れるサイズの穴が開いている。

 

「……地下空洞……?」

 

「ちょっとした、ね。元々、姫宮財閥が持っていた災害用のシェルターだったんだけれど、もう廃棄されちゃっててさ」

 

 慣れた動作で梯子を下りていくレベッカに、こばとは茫然としていると彼女は不意にこちらの首根っこを引っ張って地下空洞に導く。

 

「ほら! とっとと来ないと。GIGに見つかっちゃうでしょ」

 

「あ……うん。ごめん……」

 

 初体面するレベッカはボイスチャット越しに聞いていたようなか弱い少女でもなければ、大人しいレディでもなくまるで野生児であった。地下空洞は赤錆びまみれで、入るなり出迎えたのは背丈が倍ほどもある大男であった。

 

「あ……ああ……」

 

「おっす。相変わらず背ぇデカいね」

 

 レベッカがそう挨拶すると大男は相好を崩す。

 

「……おかえり、レベッカ」

 

「たっだいまー。ちょっと余所者連れてきたよーん、っと」

 

 軽い調子でそう相槌を打ったレベッカの後ろに隠れるようにしてこばとは続く。身を寄せ合っているのは誰も彼も若者ばかりだが、その中には数は少ないが老人も居る。

 

「……よそもの……」

 

「よそものだ……」

 

 ざわめき始める地下シェルターの住人達にレベッカはまぁまぁと取り成す。

 

「私のお客! ヘンな関係じゃないってば。女の子だし」

 

「あ、その……」

 

 こばとが言葉を彷徨わせていると、レベッカが手を握って笑顔になる。

 

「ね? ほら、ビビんなくったって、お仲間お仲間」

 

「……バステトの転生者なのか?」

 

「うん、そーみたい。ほら、出したげて」

 

「あっ、はい……。アルセウスフォン……」

 

 アルセウスフォンを差し出すとようやく信じてもらえたのか、誰も彼も肩の力を抜く。

 

「……けれど、それにしたって……。GIGの連中……許せねぇよ……! あの子は……だってもうすぐ……!」

 

「うん、もうすぐだったよね。赤ちゃん」

 

 泣きじゃくった男性へとレベッカは静かに頷く。それだけで男性と先ほどの転生者の女性の関係が理解出来た。しかし、そのような残酷な事があっていいのだろうか。バステトの転生者なら問答無用で始末するほどGIGは悪辣な組織だとも思えない。それに有栖達はこの街に来た当初の自分を救ってくれたのだ。その恩義があると思っていると、レベッカは配管に腰掛けて、何でもない会話のように言いやる。

 

「こばとさ、これだけはハッキリして欲しいんだけれど。私達の味方、だよね?」

 

 笑顔で問いかけられてこばとはどう返答すればいいのか分からなくなってしまう。地下シェルターの人々の視線が矢のように突き刺さる中で、ようやく口に出来た言葉は我ながら情けなかった。

 

「……ぼく、は……レベッカの味方……のつもり」

 

 きょとんとしていたレベッカだが、やがて膝を叩いて笑い出す。

 

「い、いやー……! いきなりの告白! ビビっちゃうなぁ……!」

 

「こ、告白なんかじゃ……!」

 

 慌てて取り消そうとする自分に対してレベッカは笑い過ぎてお腹が痛いのか、涙を浮かべながら微笑む。

 

「でも、分かった。それが答えって事か。うん、悪くないかも」

 

 レベッカは何度か頷いた後に、こばとの手を引く。

 

「来て。私の部屋はこっちの奥だから」

 

 唐突に部屋になんて呼ばれたものだからこばとはどぎまぎしてしまう。

 

「……部屋って……」

 

「あれ? 女の子同士だからヘンじゃないよね? って言うか、こばといちいちビビり過ぎだって! あー、チャットとかでも気になっていたけれど、案外小心者?」

 

「……その、いきなり部屋に呼ぶなんて……ヘンだし」

 

「まぁ部屋って言ったって、ギリギリのプライバシーってところだよ。ほら」

 

 レベッカが顎をしゃくった先にあったのは排水管で囲われた一角で、飾り気はない。床にマットレスが敷かれており、その上に簡素な掛け布団がある程度だ。ただ、その中で異質に映ったのは最新ゲーム機の配信機材であり、そこだけは金を掛けているのが窺える。

 

「……ゲーム……」

 

「そっ。『ポケモン』の配信者だったんだからね」

 

 そうだ、レベッカは『ポケモン』の配信者――それは半年前までただの一種のストリーマー以上の意味を持たなかったはずだ。それがまさかこんな事態になるなんて思いも寄らない。

 

「……レベッカ。野良の転生者を狩っていたけれど、あれは……」

 

「ああ、転生者狩り? 私らだけのコミューンじゃないしねぇ。この地下シェルターだけが転生者の居住区じゃない。他の……ビルの残骸だとかに根を張っている転生者は大勢居る。そういう連中が仕掛けてくると困るって言うか、戦えない転生者も居るからね。だから私みたいな強い転生者は、他のコミューンと対立してる。GIGや姫宮財閥に告げ口されたんじゃ困るし」

 

 レベッカはマットレスに腰掛け、それから思い出したように最新ゲームハードの電源を点ける。表示されたのはやはり、自分とレベッカが出会うきっかけであった『ポケモン』であった。

 

「……レベッカ。ぼくらは……その……」

 

「こばとさ。ウソが得意じゃないでしょ。GIGを見る時の眼が、普通じゃなかったって言うか、ちょっと肩入れしている感じがした」

 

 レベッカはゲームを起動させ、その片手間のように口にする。こばとにしてみれば一世一代の秘密が露呈した気分であったが、レベッカは冷静だ。

 

「……それは……」

 

「いいよ。ただ、ここのコミューンに異物を持ち込んだと思われたくないからここで話してるんだし。こばとはさ、もうこの世界が……余命僅かである事を知ってる、よね?」

 

 どくん、と鼓動が早くなる。何故、レベッカがそれを知っているのかと思わず問い返すような眼差しになっていたのだろう。ゲーム機越しに、レベッカの瞳とかち合う。

 

「……何で……」

 

「……昨日戦った転生者がゲロったの。姫宮財閥の……GIGから聞いたんだってさ。強かったけれど、私にしてみればザコ同然。そいつ、とある計画がぶち上がってるんだって、命乞いをしてさ。その内容によると、姫宮財閥は明日にでも、アメリカから仕入れたとんでもない威力の爆弾を、鏡面界にぶち込もうとしてるって」

 

 なんて事だ。まさかレベッカがそれを知っているなんて。

 

 いや、今ならば間に合うのかもしれない。今からでも、姫宮財閥の仲間になってくれと願えれば――。

 

「あの、レベッカ……」

 

「そんなの、許せるわけないじゃんねぇ? だってさ、私らの真上だよ? 真上。そんなもんに、爆弾をぶち込んだら何が起こるのかなんて分からないじゃん。だってのに、姫宮財閥はそれを強行しようとしている」

 

 ゲームをプレイするレベッカの声音に浮かんだ憎悪は本物であった。その何よりも雄弁な声音に、仲間になってくれなんて言えるはずがない。こばとは喉元まで出ようとしていた文句を飲み込む。

 

「……そ、そのさ。レベッカは……でも、もし……この世界がもう余裕がなくって……そして姫宮財閥がそんなとんでもない事を企んでいたとして……。どうするの?」

 

「決まってんじゃん。私一人でも、それを阻止する」

 

 強い語気にこばとは何も言えなくなってしまっていた。レベッカはゲームをプレイする傍らであったが、自分なんかよりもよっぽど強い。恐らくはGIGの正規隊員である有栖達と同レベル。そんな彼女を止めるような術があるわけがない。

 

「……け、けれど……それで鏡面界を破壊出来るとすれば……」

 

「破壊って。こばとさ、何か勘違いしてない? 私はこの半年間、結構楽しかったんだよね」

 

 ポイっとモンスターボールが放られる。現れたゲッコウガが主であるレベッカの傍に寄り、その頭を撫でられて目を細めていた。

 

「……楽しい……?」

 

「そっ。だってさ、これまではゲームのデータに過ぎなかったポケモンが、私達にとって間違いなくリアルになったんだよ? それってすごい事じゃん! ゲッコウガは強いし、本当に理想のパートナー。それをさ、一企業のエゴでどうこうするってほうがよっぽどまずいでしょ」

 

 ゲッコウガの顎下を撫でてレベッカは微笑む。こばとはレベッカの物言いに何も返せない。

 

「……ぼくも……その……」

 

《ロト……。こばとは本当に弱気ロトねぇ》

 

 ガジェットから浮かび上がったロトムにこばとは思わず返そうとしてレベッカの声がそれを遮る。

 

「あっ、ロトムじゃん! すごっ、本物? へぇー、こばとってゲーム内でもロトム入れてたけれど、現実でもロトムがパートナーなんだ?」

 

《よろしくロト! レベッカ!》

 

「喋れるんだ? すごいねぇ!」

 

 ロトムがドローンを操作し、レベッカと握手する。何だか、そのコミュ力の高さに少しだけ嫉妬を覚えてしまったが、こばとはロトムを仕舞おうとする。

 

「……ごめん。ロトムが勝手に……」

 

「いいんだって! このコミューンじゃ、みんなポケモンと一緒に過ごすのが理想なんだし。みんな、本当にポケモンが好きなんだよ? バステトに感謝している人だって居るし、私もそう。バステトと鏡面界が出て来なければ、私はこうしてゲッコウガに触れる事だって出来なかったんでしょ? それって奇跡だよね!」

 

「……奇跡……」

 

「違う? バステトも鏡面界も、私達に奇跡を与えてくれたんだよ? それを……身勝手に潰えさせられるのも迷惑って言うか……」

 

《ロ、ロト……! レベッカ、痛いロト!》

 

「あっ、ゴメン……!」

 

 握手していたドローンのマニピュレーターが凹んでいる。レベッカにとってはポケモンと一緒の光景こそが理想形なのだ。それを壊し、終わらせようとする姫宮財閥とGIGは許せない敵なのだろう。

 

「……でも、レベッカ。この日常も……続かないかもしれないんだよ。転生者は倍々のネズミ算式に増えている。それを……」

 

「GIGも姫宮財閥も何とかしようとしてるって? でもそれってエゴじゃん。この世界が嫌だなんて勝手に決めつけて。こっちのほうが理想郷だって人間もたくさん居る。このコミューンのみんなはそうだし、こばともでしょ?」

 

「……ぼくは……」

 

 断定的な事が何一つ言えない。レベッカの言葉に報いたいのに、彼女を肯定すればそれは有栖達の努力の否定になる。両方を知っている自分には、ハッキリした言葉なんて言えない。

 

「……まぁ、こばとは優しいからねぇ。それもゲームチャットでやり取りした通り。ま、一個の誤算は男の子だと思っていた事くらいかな?」

 

「……ごめん。癖なんだ、ぼくって……」

 

「いいんじゃん? ボクっ娘可愛いし」

 

 面と向かって可愛いなんて初めて言われた。こばとは思わず耳まで真っ赤になる。

 

「……レベッカ。敵の転生者を狩って、さ。それできちんと平和になるの……?」

 

 その問いかけにレベッカはゲームをプレイしながら何でもないように応じる。

 

「ん? 何で? そりゃー平和になるでしょ」

 

 何一つ、そこに疑いなんて持っていない声音であった。その時点で、レベッカを説得するのは不可能なのだとこばとは察知する。

 

 いや、有栖達とはまた別の正義なのだ。

 

 転生者として、この世界を享受している。それを間違っているなんて言えない。何故なら、自分だって同じだからだ。

 

 ロトムが居なければ、半年前にバステトの転生者にならなければ――自分はゲームチャットの向こう側のレベッカに会う事も出来なかった。興味を持って、この学園都市まで足を運ぶ事もなかっただろう。

 

 だから、きっかけは全て、ポケモンなのだ。

 

 ロトムはおっかなびっくりにドローンの手をゲッコウガに伸ばす。

 

《ロト……。お友達になりたいロトよ》

 

 その返答のようにゲッコウガがマニピュレーターを掴む。きちんと力加減をしたそのやり取りに、レベッカがぷっと吹き出す。

 

「……ゲッコウガ、普段は馴れ合いなんてしないのに……。あー、やっぱこばと、おもろいわ! うん、おもろい! 私が保証する!」

 

 本日二回目のレベッカの太鼓判に、こばとは後頭部を掻く。

 

「……そんなにヘンな事をしているつもりはないんだけれど……」

 

「けれど、いいよね。ポケモンってさ、バトルするだけじゃなくってこういう、交友って言うの。うん、美しいと思うな」

 

 美しい、か。こばとは胸中に結び、レベッカの横顔を眺める。本音を言えば、ずっとこうして眺めていたいが、それは時間が許さない。

 

「……ぼく、そろそろ帰らなきゃ……」

 

「あ、そういやこばとって帰国子女? だっけ」

 

「……まぁ、元々の家はこの学園都市にあったんだけれど……いつの間にかなくなっちゃったみたい」

 

 何でもない話題の延長線上のつもりで言ったはずだったが、レベッカはゲームを置いてその言葉に深刻な顔をする。

 

「……あ、ゴメン。聞いちゃいけない事だった?」

 

「ううん、いいんだ。……家族とか縁のなかった人生だったし」

 

 本当に自分にとってはそれ以上の意味合いなんてなかったのだが、次の瞬間、ぎゅっと抱き締められてこばとは硬直する。

 

「……ゴメン。本当に……デリカシーとかないよね」

 

「れ、レベッカ? 本当に大丈夫だから……!」

 

「大丈夫なわけ……平気なわけないよ! だって……だってこばとは、頑張ってきたんじゃん! それを……大丈夫なんて言わないで。私の前くらい、強気じゃなくったっていいんだからさ」

 

 レベッカの体温が伝わってくる。仄かに漂う少女の香り。自分とは相反するような人間のにおいに、どうにも何一つ言えなくなってしまう。レベッカにとっての毎日と自分にとっての毎日は、きっと異なる。きっと、まるで違うのだろう。それを繋げてくれたのは間違いなく『ポケモン』なのだ。同じ趣味を持つだけで、それそのものが尊いように絆が結ばれていった。このコミューンに住む者達はそのような人間達の集まりであるのだろう。

 

 バステトの転生者である事が、間違いでも何でもない。

 

 彼ら彼女らにとっては誇れる証。だが、こばとには分からなくなっていた。

 

 鏡面界を破壊し、この間違った秩序構図を改めようとしている姫宮財閥の面々と、それに有栖達。必死に明日を掴むために、彼女らは血濡れの道を行こうとしている。全世界から後ろ指を指されても、糾弾されてもそれでも前を向く綺咲のような存在も居る。

 

 だから、自分の欲求は間違っているのだと封じ込めていた。

 

 ポケモンと一緒に居て、何が悪いのだと。そっちのほうが、何もない明日よりもずっといいはずではないか。茫漠とした現実を生きていくよりも、ずっといい事に決まっているではないか。そういう思いがないと言えば嘘になる。

 

 しかし、この学園都市に入ってから分からなくなってしまっていた。

 

 有栖達は狂った時計の針を戻そうとしている。恐るべきハートの女王を打倒し、新たな未来を掴むために。しかし、そんな大仰な明日なんて必要なのだろうか。ポケモンと共存するほうが、人類にとっては正しいのではないか。

 

 レベッカに抱き着かれると、胸の奥がちくっと痛む。

 

 彼女に嘘をついている。

 

 唯一無二と言ってもいい、嘘をつかなくっていい仲のはずなのに。

 

「……レベッカ、一つ聞かせて。レベッカは本当に……たった一人でも、爆弾を阻止するつもりなの……?」

 

「……それは当然だよ。だって、鏡面界を壊してさ、それで何になるの? ポケモンが居なくなる? そんなの嫌じゃん。せっかくゲッコウガ達と出会えた! こうして……こうして現実でその体温を感じられたんだよ? ……意外とゲッコウガの皮膚は冷たいんだなぁとか、出してると湿気て喉が渇かなくって便利だなぁとかさ……! そういうのを、感じられたのが嬉しいのに……。こばとは嬉しくなかったの? ロトムと出会えた時……嬉しくなかったの?」

 

「……嬉しくないわけがないじゃないか」

 

 ロトムとの半年間は、これまで生きてきた数年間よりも眩く輝いている。だと言うのに、その気持ちに唾を吐けない。嘘なんて言えるはずがない。

 

「……こばと。私はたった一人でも、やるよ。みんなのために……ううん。こばとももう、その守るべきみんなの中に入ってる。だからさ……せっかくのいい世界なんだし、もうちょっと長く……このまま……」

 

「このまま……か」

 

 このままなんてあるのか、という問いかけが胸に去来する。姫宮財閥は鏡面界を破壊し、全てに決着をつけようとしている。それを自分は抵抗するわけでもなく、レベッカの味方なのだと嘯く事でどっちつかずでいる。

 

「こばとは裏切らないでね」

 

 その言葉はまるで呪いのように、こばとの思考回路を奪っていった。

 

 

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