『現状、光体爆弾発射まで20分以内。代表、ここに居られましたか』
オペレーター達の声が響き渡る中でコウジは管制室にて首肯する。
「……ああ。皆の者、励んで欲しい。最後の……文字通り最後の戦いなのだからね」
しかし、思ったよりも胸中が静まり返っているのはどのような意味合いを持つのだろう。コウジはこの日まで費やしたあらゆる手段、そして犠牲の上に成り立つこの戦いの行方を思う。考えてみれば、ポケモンの存在を肯定した時点から、狂人だと思われても可笑しくはなかった。それがこうして鏡面界の存在と、そして転生者によって成り立つものである事が立証され、世界はその上に浮かぶ不安定な船のようなもの。如何様にもしがたい、運命の荒波に呑まれているのだ。
『GIG第一部隊、射出準備が総員完了いたしました』
オペレーターの声に導かれ、コウジは姫宮財閥のツインタワービルより射出される時を待ち望む紡錘形の装置を目の当たりにしていた。
さしずめ、鏡面界へと差し込むための筏――いや、これは剣であろう。GIG隊員達は一筋の刃となって、今、鏡の世界へと踏み込もうとしているのだ。
「……総員、バイタル正常。イレギュラー、なし」
そう言ってコンソールを撫でた幸子の背中に、彼女もまた決意した上でこの場に居るとコウジは実感する。本心ならば有栖と一緒に居たいであろうに、その旅立ちの背中を見送る側となる事を選んだ。その誇れる勇気、そして友情が輝いている。
「よし。光体爆弾発射装置にはわたし一人で向かう。同行者は不要――」
そう言い切ろうとした矢先、不意打ち気味のアラートによって管制室が赤く染まる。
『これは……! 侵入者です!』
「……やはり。妨害に来る転生者は居るとは思っていたが……GIGの阻止部隊は!」
姫宮財閥側に居残る立場のGIG隊員達が警戒に当たっているはずであったが、彼らのシグナルが次々に途絶えていく。
「駄目です! 信号途絶! ……そんな、GIGの残った人員とは言っても、みんな精鋭揃いのはず……」
息を呑んだ幸子の言葉を反証するようにGIG隊員の信号がロストしていく。このままでは射出装置にも支障を来しかねない。
「……なるほど、実力者と言うわけか。数は!」
「数は……! ウソでしょう……たった一人……?」
もたらされた報告に震撼したのは管制室の全員であった。コウジは奥歯を噛み締め、そして即断即決を迫られているのだと察知する。
この段階において、鏡面界に仕掛ける者達を妨害させるわけにはいかない。加えて、光体爆弾なしでイニシャライズするのは自殺行為だ。
「……そうか、この瞬間まで……。オペレーター総員に告ぐ。わたしは発射台に向かい、手動で光体爆弾を発射させる。極めて危険だと判断されるために……オペレータールームの解散を宣言する」
「しかし、代表……!」
振り返りかけた幸子にコウジは首肯する。
「分かっている。死ぬつもりはない。……光体爆弾の発射確認後、わたしも緊急ルートを使って帰還しよう」
「皆さま、こちらへ」
チェシャーが予め用意していた異空間へと繋がるルートを呼び出す。管制室の全員が無事に避難完了するまでの時間は稼げそうだ。
「……しかし……代表……!」
「……これは、わたしが下す数少ない……命令だよ。高峰幸子君」
その決断に唾は吐けないと実感したのか、この半年間オペレーター業務を遂行してきた幸子は一言だけ言い添えていた。
「……絶対に生きて帰ってくださいね。寝覚めが悪いですから」
少しだけぶっきらぼうな口調は、綺咲と同年代の少女らしい不器用さを感じさせる。そういえば綺咲にはついぞ、その年かさらしい言葉を聞いた事がなかったなと思いつつ、コウジは返答する。
「……ああ。光体爆弾の発射だけは阻止されてはならない。……必ず帰ろう」
コウジは管制室から直通のエレベーターに飛び乗り、光体爆弾の発射装置を動かすための最後のキーである自らの片手に視線を落とす。
「……わたしに出来る事は……」
と、そこで不意にエレベーターが止まっていた。恐らくは侵入してきた転生者の妨害であろう。舌打ちを滲ませてコウジはエレベーターの緊急脱出装置を拳で叩き割り、中腹まで到達していた扉を無理やり開いて中層階のエントランスへと向かう。
だが、既に手は回っていたらしい。
火災が発生しており、正規ルートは使えそうになかった。
「……仕方ない。体力に自信はないのだがな……」
緊急通路をカードキーでこじ開け、非常階段を上っていく。息が切れる。鼓動がうるさい。それでも、前へ前へと。
「……もっと体力はつけておくんだったな……。隊長の事を言えんか」
何度も肩を荒立たせつつも、肺から血の味が上がってきてもそれでもコウジは足を止めない。やがて最上階への扉が眼前に佇む。
「……ここが……」
姫宮財閥の本社の各所から爆発と火炎が噴き出している。
光体爆弾発射台は姫宮財閥ツインタワービルの屋上の風に巻かれていた。この時ほど、コウジは自分一人で良かったと思った事はない。
「……よかった。光体爆弾の発射台にはまだ到達していないか。ならば……!」
勢いをつけて駆け寄ろうとしたその刹那、コウジは横合いから割り込んできた水滴を察知していた。
「……水……?」
「――ゲッコウガ、水手裏剣」
その声が紡がれると同時にバラバラであった水滴が密集化し、コウジの躯体へと突き刺さる。ポケモンの技だ、と感じ取った直後には肉体が吹き飛ばされ、近くの水圧ボンベへと身体が拘束されていた。
「……バステトの転生者……か」
「知る必要はない。あんたが、姫宮財閥のボスだよね? なら、ここで死のっか」
水色のパーカーを纏った転生者の少女に付き従う細身のポケモンの鋭い瞳孔にコウジはその決断に躊躇いなどないのだろうと感じる。
「……君は、分かっているのか? 鏡面界を破壊しなければ……我々に未来などない」
「それはそっちの言い分でしょ。私達は、このままでいい。ポケモンと一緒に……未来まで生きていきたいの。身勝手なエゴで、未来を塗り固めないでよ」
「……身勝手な、か。それはその通りかもしれないな。しかし、わたしはもう決意したんだ。綺咲のため……だけではない。皆のために……わたしに繋いでくれた多くの人命のために……この身くらいは……潰えたとしても――」
「うるさいな。ゲッコウガ」
ゲッコウガと呼ばれたポケモンが片手を軽く薙ぎ払う。それだけでコウジの片腕が肩口から引き裂かれていた。水を固めた高速の切断面を誇る圧縮の刃に、せめて悲鳴だけは上げまいと奥歯を強く噛み締める。
「……君には家族は居ないのか。転生者とは言え、天涯孤独と言うわけでもあるまい」
「だから? そんな言葉で、私達の望みを潰えさせる理由になるとでも?」
「……望み、か」
そうだ、誰もが皆、願いそして誰かを踏みしだいていく。それこそがこの歪んだ“ゲーム”の正体。醜悪な願いの収斂する先。
「……力さえあれば、誰かの願いを踏みしだいてもいい。それが私達、転生者のルール。正義なんてない。特に、あなたに言える事なんて、一個だって」
ゲッコウガがその片腕に水の砲弾を溜め込んでいく。一撃で射抜くつもりであろう。光体爆弾の発射台へと向けられたその殺意を止める手段はないかのように思われた。
直後に声が劈くまでは。
「行って! ロトム!」
姫宮財閥のビルの周囲から噴き上がる黒煙とビル風に巻かれながら、今、一人の少女がドローンに掴まって屋上まで上がってくる。その姿にコウジも息を呑む。
「……こばと君、か……?」
「こばと! 来てくれたんだ! そうよね、私達、やっぱり――最高の友達よね!」