ALICE   作:オンドゥル大使

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第105話 光の『彼方』

 

 降り立ったこばとと転生者の少女は顔見知りか。まさかこの援軍が相手の強みだとは想定外であった。

 

「……こばと君……」

 

 こばとは面を伏せている。まるで言う事は一つもないとでも言うように。懺悔など聞くつもりはないのか。

 

「……さぁ、こばと! ゲッコウガと一緒に、あの忌々しい発射台を破壊しよっ! それで、私達の望みは叶う! 殺し合う必要もない! 鏡面界を破壊なんてしなくっていい! 私達の日常の継続には、それだけで……!」

 

「そうだね、レベッカ。……うん、ぼくもそれは分かっていたんだ。それこそが、君の望み。そして……ぼくの望みでもあるって事くらい。……けれどさ、けれど……! ロトム! 電撃波!」

 

 ドローンから飛び出したロトムが「でんげきは」の強力な電気の砲弾を放つ。それは発射台ではなく、ゲッコウガの痩躯に命中しその攻撃を中断させていた。

 

「……こばと……? 何で……?」

 

 レベッカなる転生者も、それにコウジも茫然とする。今、この場で抵抗する意味などない。だと言うのに、こばとはロトムをドローンから出して、真っ直ぐにレベッカを指差す。

 

「……ぼくは……ともすればレベッカの望みの賛成だった。うん、さっきまでは。レベッカのほうが正しいんじゃないかって。……けれど、ダメだよ。やっぱりダメなんだ。……だって、友達が間違えそうになっているのを、黙って見ている事なんて出来ないよぉ……っ!」

 

 こばとは泣きじゃくって、そしてロトムに照準させる。弾かれたようにレベッカとゲッコウガが後ずさり、ロトムより発射された電撃の砲弾を回避する。

 

「……ねぇ、ちょっと。おかしくない? ここで……空気読むんならさ。こいつでしょ! こいつを……姫宮コウジを殺せば……終わりでしょう!」

 

「……レベッカ。君に人殺しなんてさせられない」

 

「今さら何よ! 転生者も大勢殺した……ここに来るまでに邪魔したGIGの隊員だって、全員……。だってのに、あんたは今さら、私にそんなつまらない道理を説こうって言うの!」

 

「……ごめん。今まで……レベッカに寄り添えてなくって。でも、今からは……! きちんと友達として……! 君の間違いと向き合いたい……!」

 

「それがこの行動だって? 笑わせる! あんたなんかが、私とゲッコウガに、勝てるわけないでしょうが!」

 

 構築された「みずしゅりけん」の射程内にこばとは居る。瞬く間に全方位を囲んだレベッカの技量はGIGと比べても歴然だ。思わず、コウジは叫んでいた。

 

「駄目だ……! 逃げ――!」

 

「もう、ぼくは逃げない……! 散々逃げてきたんです、だから……! レベッカからは……友達から逃げる事だけはしない……ッ!」

 

 ロトムが浮かび上がり、四方八方から迫る高速の「みずしゅりけん」に向けて高圧電流を放つ。その電撃の強靭さが今に迫っていた水の刃を蒸発させ、こばとは周囲で巻き起こる攻撃の消失に息つく暇もなく次の指示を下す。

 

「ロトム! 放電からの、十万ボルト!」

 

「バカバカしい! あんたの力量でゲッコウガを止められるものですか!」

 

 ゲッコウガがのたうつ電流を回避し、その疾駆を駆け抜けさせる。「10まんボルト」の射程を完全に理解して「アクロバット」で躍り上がったゲッコウガが、その両腕に再び巨大な「みずしゅりけん」を構築していた。

 

「……止める! 止めて……みせる!」

 

 電撃がゲッコウガの放った「みずしゅりけん」を縫い留める。瞬きの間にこばとは前進していた。その身体が先刻まであった空間を「みずしゅりけん」ではない、水の巨大な砲弾が射抜いたが、こばともロトムを繰り出して電撃の投網を張る。

 

 舌打ちを滲ませてレベッカが後退し、ゲッコウガの傍に佇む。

 

「……本当に、私の前に立つつもり? 実力不足って事くらい、分かるわよね?」

 

「……レベッカ。ぼくは迷わないよ」

 

 その返答にレベッカはショートカットの黒髪をかき上げ、そして忌々しいとでも言うように口にする。

 

「……本当に……こばと。今のあなたは面白くはないわよ」

 

「……それでもいいよ。君に軽蔑されたって……」

 

 姿勢を沈めたこばとが駆け出す。それと同時にゲッコウガが四方八方から編み出したのは紡ぎ上げた水の砲弾であった。

 

「水手裏剣以外も連射出来るのか……」

 

 圧倒されたコウジの視界の中で、今、二人の少女転生者同士がぶつかり合う。

 

「電撃波!」

 

 しかしこばとも負けてはいない。その手数に呼応させるように電撃の砲弾を激突させて蒸発させ、射程圏内に入ろうとする。レベッカは手を払い、ゲッコウガに次の行動を命じていた。

 

「水手裏剣で構えて迎撃!」

 

 発射するのではなく、自らの両腕に纏わせた「みずしゅりけん」の刃。澄み渡った鋭い水の剣閃が今にこばとを引き裂くかに思われたが、ロトムが飛び出して「10まんボルト」の雷霆を放つ。

 

「……ロトム、出力引き上げ! そのまま応戦……!」

 

「バカね! 正面衝突で出力負けなんてするわけないでしょう!」

 

 徹底抗戦するレベッカが一歩ずつこばとへと歩み寄っていく。それに合わせてじりじりとゲッコウガの水圧砲がこばとへと迫る。その力量差はコウジの眼から見ても明らかであった。

 

「こばと君……! もう、いいんだ! ……これ以上は……!」

 

「いえ、姫宮コウジさん。……ぼくは、弱虫なんです。有栖さん達と一緒に行く事も、ましてや残る事も……どっちも怖かった。そんなぼくの……唯一の出せる勇気が、これでしかない。レベッカ! ぼくは君の前に立つ……! 立たなくっちゃ、友達じゃ……ないっ!」

 

「そんなこけおどしで!」

 

 水の砲弾が追加され、ロトムを押し出そうとしていた。やはり出力面ではレベッカとゲッコウガに押し負ける。今にその水の刃がロトムを割るかに思われた、その刹那。

 

 不意にゲッコウガが膝を折る。

 

 その挙動にレベッカが目を見開いていた。

 

「……ゲッコウガ……? どうして……」

 

 ゲッコウガの躯体に吸い付くようにして取り付けられていたのはここに来るまでに使ったドローンであった。

 

「……そのドローンはロトムにとっての生命線である、高電圧バッテリー。ぼくとロトムは確かに、君には真正面では敵わないよ。だからこそ、今、この瞬間……! トリックで君のゲッコウガに、押し付けた……! ロトムがこの半年間、溜め込んできた最大レベルのバッテリーを!」

 

 持っている道具を強制交換する「トリック」に関してはコウジも伝え聞いている。今のゲッコウガはその身体に高電圧のバッテリーを不意に押し付けられて水気を多く含むその表皮から感電しているのだ。

 

 そして――ロトムの照準はそのバッテリーに向けられている。

 

「……まさか……! 出来っこないわ! やめなさい、こばと……! ここいら一帯に暴発するわよ……!」

 

「……それでも。ぼくはレベッカ、君に……間違いを犯して欲しくはないんだ」

 

「間違い? これが間違いですって? ……光体爆弾とやらに引火すれば、私達も消え失せる。それでもいいの?」

 

 レベッカの挑発にこばとはこちらへと視線を振り向ける。その一拍未満で、コウジには理解出来てしまっていた。

 

 何を伝え、そして何を言いたいのかを。

 

「……撃ってくれ」

 

 首肯した瞬間、こばとはロトムへと命じる。

 

「……ありがとう、ございます。……ロトム! 電撃波!」

 

 必中の性能を誇る「でんげきは」が正確無比にゲッコウガの身体に吸い付いていた高電圧バッテリーを射抜く。その瞬間、封じ込められていた電撃が拡散し、屋上を焼き払っていた。如何にレベル差があろうとも水タイプにとって電気の攻撃は効果バツグン。加えて、この半年間溜め込んでいたと言うのは、何も誇張ではなかったのだろう。

 

 解き放たれた電流はゲッコウガの身を焼き、屋上で鎮座していた発射台まで巻き込んでいる。

 

 絶句したのはレベッカのほうであった。

 

「……ゲッコウガを……」

 

 無力化された己のポケモンに関してだけではない。ここに至って発射台は倒れたと言うのに――引火どころか爆発の気配もなかったからだ。

 

「……すまないね」

 

「……敵を騙すのには味方から、なのは分かっていました。この土壇場でも、あなたの眼はその先の未来に向いていた。だから……手があるのだと」

 

 こばとが信じてくれなければ繋がらなかった希望である。コウジは片腕のまま、出血を留めようと彼女に頼み込む。

 

「……傷口を焼き切ってくれ。出血多量で死ぬ前に」

 

「……分かりました」

 

 ロトムの電撃がコウジの切断された片腕を焼いて塞ぐ。その激痛だけで意識が閉ざされかねなかったが、コウジはその場から後ずさらずに耐え切る。

 

「……ねぇ、どうしてぇ……。だって、こばとは……こんな事をするタイプじゃないでしょう……! この世界が終わってもいいじゃない! いつまでも夜明けなんて来ないまま……ずっと夢を見ていましょうよ! そのほうが……楽なのに……!」

 

 その場にへたり込んだレベッカの言い分に、こばとは頷く。

 

「……うん、そうだね。でも……夢は終わりにしないと」

 

「バカじゃないの! ……夢を見たままでいいのなら、それで……何が悪いって言うのよぉっ!」

 

 レベッカの言葉も間違いではない。誰しもが夢うつつの中に居たいのだ。それを無理やり揺り起こして、そしてさぁ朝が始まるなんて傲慢もいいところ。

 

「……だが、わたしは間違いだとは思わない。何よりも……夢を見ていられる期間は有限なんだ。悪夢も、いずれ終わりは来る。そのために……」

 

 よろめいた自分をこばとが肩を貸す。

 

「……無理はしないでください。ぼくが思うに……レベッカが来なくてもあなたはここに来ていた、違いますか?」

 

 敵わないな、とコウジは口元を緩める。

 

「……転生者と言うのは何でも分かってしまうのだな。ああ、そうだとも。何かしらのイレギュラーを口実にして……わたしはオペレーターを逃がして屋上まで来ていた。これはアメリカとの約束でもある」

 

「レベッカ……」

 

 歩み寄ろうとしたこばとの手を、レベッカは払う。

 

「……近寄らないで……! 誰も……誰にも私達の気持ちなんて……」

 

「ぼくだけは……。ぼくだけは分かるよ、レベッカ。これは傲慢でも何でもない。友達だから、分かるんだ」

 

 レベッカが涙に濡れた相貌を上げる。彼女のようにポケモンとの悠久の日々を誓いたい人間だっている。だが、残された期日は少ない。この世界の余命はもうほとんどないのだ。その中での精一杯の足掻き。不幸にも方向性が違っただけで、お互いに正義は胸の中にあった。

 

「……なんでぇ……っ! なんで、私はぁ……!」

 

 レベッカがモンスターボールにゲッコウガを戻す。コウジは一つ頷いてこばとから離れていた。

 

「行こう、レベッカ。ぼくらの……明日に向けて。それがたとえ間違いでも……君と一緒なら」

 

 再び差し出されたこばとの手を、レベッカは拒絶しなかった。その手を握って、それから問う。

 

「……いいの?」

 

「いいんだ。だって……ぼく達は転生者。抗う意味を持つ……存在なんだからさ」

 

 こばとがレベッカを抱き締め、それから視線を振り向ける。用意しておいたのであろう、予備のドローンにロトムを封じ込めさせる。

 

「……ぼくらは行きます。けれど、姫宮コウジさん。あなたは……」

 

「……わたしはいいんだ。似合いの末路だよ」

 

「……行こう、レベッカ」

 

 レベッカは言葉少なに頷き、こばとと共に屋上から離脱していく。ロトムの宿ったドローンは心配しなくともきっと彼女らを平穏へと運び遂げるであろう。

 

 コウジは自身の左胸に埋め込んでおいたシグナルが正常稼働しているのを端末で確認してから発射台に向かう。

 

 それにしても我ながら酷い醜態だ。

 

 倒れた張りぼての発射台の下にへたり込み、コウジは天を仰ぐ。

 

『……通信が繋がりました……。代表、無事ですか……』

 

「チェシャーか。……いや、無事とは言い難い。だが、君も迂闊だな」

 

 通信先で息を呑んだのが伝わり、やはりかとコウジは今にも閉ざされかねない意識の手綱を握る。

 

『……わたくしの……』

 

「いい。そこから先は言わないでいいんだ、チェシャー。……最後に綺咲に繋いでくれないか?」

 

 自分でも何故、そのような言葉が出たのかは分からない。本来ならば綺咲にだけは絶対に繋いではならないのに、今際の際に親心が出てしまったのか。

 

 まったく、“感情”とは厄介なものだ。

 

『……お父様……?』

 

「綺咲……。すまないね、こんな時に。いや、違うか。こんな時……だからなんだろうな。悪かった、何一つ……親らしい事なんて出来なくって……」

 

『……お父様……! どうなさったのです? 声が……遠い……!』

 

「……綺咲、お前はいい友人達に、恵まれたんだ。それに……会えたんだろう? “アリス”に……」

 

 最後の最後、ようやくコウジは理解していた。綺咲の望みと、そして願いを。なんて単純なのだ。こんな瞬間に、やっと脳内が冴えたなんて。

 

『……ごめん……なさい』

 

 嗚咽が混じった綺咲の言葉にコウジは手を伸ばす。煤けた空の向こう――鏡面界と現世の浮上境界を飛翔するアメリカからの買い物を。今に自分の心拍のシグナルを標的に、光体爆弾が起爆する。突っ切っていく黒点にまるで希望でも見出したかのように、コウジは手を伸ばす。

 

「……綺咲。お前は間違いなく、わたしにとっての……最愛の娘だった。それは……心残りがあちら側にあっても変わりはしない。……行って来なさい」

 

 何故、今日までこんな容易い事が言えなかったのだろう。

 

 ただ単純に、その背中を押してやれればよかったのに、随分と迂遠な真似をしてしまった。

 

『……行って……来ます』

 

 ああ、だからそんな風に涙に濡れないで欲しい。だって、綺咲の願いはどこまでも真っ直ぐに、そして煌めいているのだから。

 

 きっと綺咲にとっての最後の躊躇いであったのだろう。付け加えられた言葉を、ほとんど意識などないコウジの耳朶は拾い上げていた。

 

『……お父様……ううん。お父さん……』

 

「……ああ」

 

 望みはこんなに簡単に手に入ったと言うのに、お互いに肩肘ばかり張ってしまっていた。

 

 伸ばした指先は空を切り、やがて静かな眠りだけが降り立つ。

 

 瞼を閉じる前に、今一度だけ――純粋に人の親として、娘の顔を見たかったなどそのような些末事が脳裏を掠めた、瞬間。

 

 全てが赤銅の光の中に押し包まれて、消えて行った。

 

 

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