ALICE   作:オンドゥル大使

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第112話 目覚めた『化身』

 

 墓標がないのは、それこそが意味合いを持つのだろうとノックスは考えていた。きっと、彼らの命を自分は預かる事に決めたのだ。だから、今日までまともな墓石も立てられず、そしてただ一つの誓いも打ち立てられないままであったのだが、真正面に捉えたハートの女王へと続く玉座は静まり返っている。

 

「遅かったのぅ、ノックスよ」

 

「……部下達はどうなさいました」

 

「なに、誰一人として口を割らんし、口を割りかけても自害する者ばかりでな。つまらんので、全員戯れで殺してやった。アーキタイプを持たぬトランプ兵団の兵どもには墓も要らぬであろう?」

 

 ノックスは玉座に座って杖を傾けるハートの女王に、事ここに至って忠義も、ましてや信心もなかったが、ただ一つ、誉れを口にしていた。

 

「……よかった」

 

「よかった、だと? 狂ったか、ノックスよ」

 

「いえ。……あなたの望み通りになった部下は一人も居なかった。その誉れを、ただただ感謝しているのです。如何に“感情”を司るとは言っても、万能ではない。それが分かっただけ、部下達の命に弔いを」

 

 こちらの物言いにハートの女王は嘲笑を浮かべる。

 

「部下の死に涙一つ浮かべんか。うぬもとことんまで人でなしじゃのう、ノックス」

 

「もはや、人である事にこだわりもない。あなたを――ここで討つために。ハートの女王、天誅である」

 

 モンスターボールをホルスターから引き抜き、ノックスは突きつける。このような瞬間を予感しなかったわけではない。いずれ来る、遅いか早いかだけの話だ。

 

「……のぅ、感じるか? 彼奴等、この鏡面界に、妾の世界に入ってくると。不躾な爆弾でイニシャライズの誤差を埋めようとするか」

 

 心底愚かだとでも言うように、ハートの女王は瞑目してから天上を仰ぐ。逆さ吊りの天蓋の果てにある学園都市を睨み据え、それからようやく醒めたようにこちらを視野に入れていた。

 

「……ハートの女王。あなたを……殺しましょう」

 

「それが長い夢を終わらせる、と言う事か。よかろう、向かって来るが良い」

 

「行け! ナッシー!」

 

 繰り出したアローラナッシーが地面を踏み締める前にその長い首をしならせて一気にハートの女王を射程距離に入れる。最早、迷っているような暇もない。

 

「ドラゴンハンマー!」

 

 青白い輝きを宿す鉄槌がハートの女王を叩き伏せるかに思われたが、その前に光の一閃が瞬く。

 

「繰り言を、放つまでもないな」

 

 ハートの女王がいつの間に杖から繰り出したのか、などと言う些末事を放つつもりはなかったが、それでもまるで時間の楔から解き放たれたかのように出現していたのは漆黒の威容を誇る巨体であった。

 

「……ネクロズマ、か……!」

 

「虫けらよ、所詮は」

 

 振り払われた一撃だけでナッシーが戦闘不能に追い込まれる。レベル差、などと言う生易しい領域ではない。神に触れる、侵犯行為そのものだとでも言うように一撃で勝負は決していた。

 

「……そうか。やはり……。あなたの力の、正体に近づけた」

 

「なればどうする? もう手数はあるまい」

 

「……そうですね。これまでであるのならば」

 

 ノックスは手甲の中に仕込んでおいた黒いモンスターボールを引き抜く。それに対し、ハートの女王は眉を吊り上げていた。

 

「……隠し玉、と言うわけか」

 

「ええ。……あなたに気取られるわけにはいかなかった。ですが、これで――わたしも遺恨なく、全力を出せる。行け」

 

 放り投げたボールより解き放たれたのは逆さ吊りの食虫植物を想起させるポケモンであった。口腔部が上部に備え付けられ、躯体は新緑の色彩を誇る。凶暴性の塊のような声が響き、その存在を誇示する。

 

「ウツボット、か。隠し玉には弱いように感じるがのぅ」

 

「そうでしょうね。ゆえに、わたしも全霊をもって、あなたを降そう。ウツボット、メガシンカ」

 

 現世に渡った際に、GIG隊長より譲り受けたキーストーンのバングルを輝かせる。そこから迸った領域侵犯の紫色の威光に、ハートの女王がここに来て初めて疑問を呈したような面持ちを浮かべる。

 

「……メガシンカ、じゃと?」

 

 流転したエネルギーの皮膜を纏い、今まさにポケモンと言う名の殻を破って、ここに顕現するのは現世と鏡面界を超越する、真の越権存在。

 

 その身に余る力場を振り撒きながら、ウツボットがその姿を変容させている。全容として肥大化した肉体を持て余しながらも、その口腔部を蔦で括り付け、唯一の制御系統のように振る舞う。その在り方は、神話の世界で鎖に固められた巨人に比肩する。

 

「――メガシンカ、メガウツボット」

 

 その存在の発露を、ノックスは自ら綴る。ハートの女王は玉座で笑みを浮かべて頬杖をつく。

 

「……トランプ兵団にメガシンカは許可していないはずであったが」

 

「ええ。だからこそ、現世で結ばれた友愛によって、これは成り立った。……わたしにも友が居る。そんな友人達が必死に抗っているのに、何もせぬわけにもゆきません。メガウツボット、これがあなたを討つための剣です」

 

「……なるほどのぅ。現世の転生者からキーストーンを奪っておけば、確かに不可能ではない。考えなしの謀反ではない、と言うわけか」

 

「ハートの女王、あなたに膝をつかせる。行くぞ、メガウツボット」

 

 メガウツボットが咆哮するだけで、空気が鳴動する。今のノックスには勝利のビジョンが見えていた。真っ直ぐな王道とでも呼ぶべき、その道標。

 

 メガウツボットと心拍が同期し、その有り余る力の発現に体内の血流が震える。恐れよりも、今は勝利に結びつく感慨が勝る。これも呼応したポケモンとの過剰同調がもたらす、脳内麻薬の一種であろうか。アドレナリンが血潮を駆け巡り、今、一筋の力となってこの世に激動となって刻む。

 

「……勝てると、思っておるようじゃな。よかろう、立ち上がるに値する」

 

 ハートの女王が玉座から立ち上がり、ネクロズマへと命ずるかのように杖で地面を突く。

 

「……ようやく、立つか。これでも充分な手向けだが、まだ足りない。葬った部下達の命の数で清算させてもらうぞ」

 

「命の数、と吼えるか。トランプ兵団の小童どもの命など、枯れ葉同然よ」

 

「……メガウツボット。リーフストーム!」

 

 肉体を震わせて新緑の葉を舞い上がらせたメガウツボットが光を拡散させる。新緑の葉は光を拡散させるレンズの意味合いを持っていた。メガウツボットの躯体より生じ続けるエネルギー力場が乱反射し、たった数枚の新緑の葉を触媒にして数千の刃へと転変する。これこそが「リーフストーム」――草タイプの高ランク技であり、ハートの女王を討つために習得したとっておきである。「リーフストーム」に巻かれてネクロズマの体表が削れていくと共に、ハートの女王本人にもその攻撃範囲が至ろうとする。

 

「ほぉ、これほどまでの扱いを物としておったか」

 

「余裕もそこまでだ、ハートの女王。リーフストームの暴風圏は既に! あなたを捉えている! どこに逃げおおせようとも、ネクロズマほどの火力があろうとも、これらを破る事は不可能」

 

「不可能、か。面白い事を言う。では、応戦するとしようか、ネクロズマよ。そうじゃな。まずは……三歩前に出るとしようか」

 

 その愚かしい浅慮に、ノックスはメガウツボットと同調するのにしたがって燃え盛る闘争心を声にする。

 

「勝負を捨てたか! ハートの女王よ! わたしのメガウツボットの射程圏内だ! リーフストーム、全展開!」

 

 新緑の葉が全方位を包囲し、ネクロズマとハートの女王を今に撃ち抜こうとする。メガシンカエネルギーを全て攻撃に転化したメガウツボットの攻撃性能は通常の「リーフストーム」の射程距離と包囲陣を数倍にまで引き上げている。よって、ネクロズマもハートの女王もその躯体を削られてぼろきれのように朽ち果てるのだと、ノックスは確信していた。

 

 ――その全ての攻撃の暴風圏が、一瞬きの間に掻き消えたのを目の当たりにするまでは。

 

「……消えた?」

 

 ネクロズマが何かをしたのか、と探ろうとするが最も警戒していた「プリズムレーザー」が放たれた兆候はない。それどころか、ネクロズマは一歩も動いていない。静謐に保たれた幾何学の記号で構成された面持ちに、感情は読み取れない。

 

「ノックスよ。よくやったのだと、褒めて遣わそう。メガシンカのほぼ完全なる制御。そして、その有り余るエネルギーを掌握してみせる精神性。どれを取っても、ポケモン使いならば一級品であろう。ゆえにこそ、うぬは気づけなかったようじゃな。ネクロズマの単純なる特徴を」

 

「……特徴……? 特性ではなく、か……?」

 

 ハートの女王はネクロズマの漆黒の表皮を撫でる。すると、ぼうと浮かび上がったのは光であった。死したかのように黒々とした結晶体の表皮の内奥で燻る光が揺らめている。

 

「ネクロズマの主食は、光そのもの。そして光とは、何もただの明かりに留まらぬ。光子、現世の者達はフォトンとも呼ぶエネルギー源。それらでさえも、ネクロズマの捕食対象」

 

「……だが、だからと言ってリーフストームが破られた意味が……」

 

「分からんか。では、もう十歩」

 

 ハートの女王が十歩分進む。ノックスは奥歯を噛み締めてメガウツボットへと攻撃を命じていた。

 

「……後悔する! ベノムショック!」

 

 蔦によって括られたメガウツボットの口腔部より毒素が放出される。命中すれば堅牢な鋼鉄であろうとも一瞬で融解せしめるほどの性能の猛毒を、今にハートの女王は浴びるかに思われたが、それを突き破ったのは他でもない――先刻こちらが放ったはずの無数の光の葉っぱであった。

 

「ネクロズマ、返してやれ」

 

 途端、構築された「リーフストーム」の檻がメガウツボットとノックスを包囲する。咄嗟の回避も、ましてや防御も儘ならず大質量の光の刃に包み込まれ、ノックスは膝を折っていた。メガウツボットも無事では済まない。過剰火力によって焼かれた表皮を晒し、明らかに体力はレッドゾーンだ。

 

「……なにを……」

 

「何をしたのか、か。分かるように説いてくれようぞ。ネクロズマは光子を捕食する。つまるところ、光子とはエネルギー、この世にあまねく熱量とも呼べるものじゃろうな。それをネクロズマは喰う事が出来る。取り込んだそれを、解放するのも容易い。うぬが今しがた撃った全霊のリーフストームを誇る熱量を、そのまま取り込み、そして反射した、と言うべきか」

 

「……だが、リーフストームは草タイプの……」

 

 そう、炎やドラゴンタイプならばまだ理解出来る。草タイプの特殊技を完全に吸収するのは、理解の範疇を超えていた。

 

「……ふむ。妾も説明が得意ではない。しかし、これだけは言えよう。ポケモンは技を放つ際に、少なからず熱量が生じておる。それを吸収出来ない道理はない。ネクロズマは全てを可能にする」

 

「……そんな……」

 

 だとすれば、ネクロズマに高威力技を放つ事、それそのものが自殺行為だ。今さらに理解された事実にノックスは何とか立ち上がろうとしてその心根が折られた事を実感する。

 

 無理もない。

 

 GIG隊長と絆を結び、そしてキーストーンとメガウツボットで紡ぎ上げた、言うなれば奇跡としか言いようのないこの現象がネクロズマにとっては捕食行為で無力化されてしまったのだ。

 

 何の特別性もない。

 

 ここまで彼我実力差が隔たっているなど、思いも寄らなかった。

 

「……妾はうぬの攻撃を避けるために、三歩前に出た。妾の三歩は百の兵隊に相当する。そして、妾はお主に近づくために十歩動いた。妾の十歩は千の軍勢とも呼べる」

 

 ハートの女王がゆったりと、何の懸念も浮かべずに自分の眼前に佇む。その杖を突き出し、まばゆいばかりの緋色の眼差しに侮蔑としか言いようのない感情を湛えて。

 

「……ハートの女王……」

 

 ここでメガウツボットに同調すれば、微かながら勝機があるかもしれない。そう断じたノックスはキーストーンへと再び熱を灯す。己の中に介在する血潮や感情、それら全てを注ぎ込み、決壊寸前の意識をメガウツボットへと。

 

 メガウツボットが吼え立ててハートの女王を蔦で叩き伏せようとしたが、軽く顎をしゃくったハートの女王によってネクロズマの爪がそれらを断ち切る。

 

「妾にここまでさせたのはうぬが初めてじゃな。良い。その健闘に敬意を払い――万死に値する力で葬ってくれよう。ネクロズマの真の姿でな」

 

 ハートの女王が首に飾られた装飾に指先を添える。菱形の形状を誇るその宝玉を爪弾いた瞬間、黄金の光が拡散していた。

 

 ノックスはネクロズマの肉体より光が放出され、その漆黒の宝石のような躯体が細分化されていくのを目の当たりにする。次々と分子レベルで再構築されていく、ネクロズマの肉体は、まるで最初からその姿であったかのように四枚の翼と、そして痩躯となって身体を押し広げる。

 

 ノックスは呼吸さえも儘ならない。

 

 黄金色を皮膜として肉体とし、特徴的な幾何学の記号の顔面に明確な双眸が宿る。それはまさしく神の座。まさに、超越の獣。

 

 その身から放たれる莫大な光だけで、ノックスは網膜を焼かれ、脳髄まで焦がされた想いであった。ここまでヒトを圧倒するポケモンが居たであろうか。ここまで――邪悪と神々しさを同居させるポケモンなど、自分は知りようがない。

 

「――ウルトラネクロズマ。妾の、愛い真の力」

 

 ウルトラネクロズマと呼ばれたポケモンが轟と吼える。

 

 直後には、太陽光に相当するレベルでの熱量がノックスの肉体とメガウツボットを吹き飛ばしていた。

 

 

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