ALICE   作:オンドゥル大使

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第114話 氷雪の『本能』

 

 草原を駆け抜け、そしてテンガン山の麓を辿って有栖はようやく、ハートの女王が待ち構えると言う居住地の近くまで踏み込んでいた。

 

 さめざめと涙している場合ではない。隊長やトリア、それにこの日まで共に戦ってきたGIG隊員達の無事だけを願い、有栖は険しい自然の大雪原に足を踏み入れていた。

 

「……雪が……」

 

「そりゃー、山だもの。雪くらいは降るわよね」

 

 そう応じた兎真も平時のような楽観視は持っていない様子であった。もうすぐ、全ての元凶。現世の人間達が憎しみ続けた厄災の少女の下へと訪れる。綺咲が言葉少なであるのは、GIG隊員達との日々だけではないのだろう。

 

「……ねぇ、綺咲ちゃん。あのね、隊長も……トリアさんも、みんなが……あたし達をここまで押し上げてくれたんだよね?」

 

「……ええ、そうよ。そこに間違いなんて……あるはずがない」

 

「……ヒメは相変わらずの舌鋒だなぁ。けれど、それはあーしも同意見。ここまで来て逃げ出すなんて……一番情けないじゃん」

 

 兎真は強気な様を装いながらも、それでも残していった者達への遺恨は消し切れていない。思えば兎真のようなタイプが一番に彼らの想いを掻き消せないはずだ。飄々としながらも、彼女には彼女の芯がある。

 

「……気を付けて。この辺はわたしも初めて……だよね?」

 

「カイさん?」

 

 振り返った有栖はカイが頭を押さえて苦悶の声を上げるのを目にする。まさか、ここに来て体調不良だろうかと歩み寄る。

 

「……あれ? おかしい……な。何でわたし……違う。わたしが……やりたいのは……」

 

「カイさん? 綺咲ちゃん! 兎真さんも! カイさんが――」

 

 その言葉が終わり切る前に綺咲のモンスターボールから解き放たれたジャランゴに抱えられて唐突に距離を取らされる。突然の事に理解が追いついていない。追いついていないのに――放たれた瞬間凍結の敵意に有栖は絶句していた。

 

「……カイさん……?」

 

 カイはグレイシアを繰り出して、その場にへたり込む。頭が痛いのか、苦しげな声を漏らしながら、何度も何度も否定の言葉を吐く。

 

「違う……違うぅ……っ! わたしは……そんなのじゃ……ない……!」

 

「カイさん? ……兎真さん! もしかしてハートの女王の影響が……」

 

「出ているのかもしれないわね……。カイ? もしきついんだったら、ここまでで……」

 

 そこまで言いかけた兎真へと面を上げたカイの水晶の瞳が収縮する。その眼差しから零れ落ちた涙の一粒に、全てが集約されているかのようにカイはふと呟いていた。

 

「……そうか。何で……わたし、こんな大事な事、全部忘れて……」

 

「カイ? 何を――」

 

「瞬間凍結、レベル4」

 

 断ずるように発せられた瞬間凍結の領域が有栖を襲おうとする。カイから教わったのだから、自分には誰よりも雄弁に分かる。これは、狙いを絞った瞬間凍結。即ち、カイの敵対する相手は。

 

「……あたしに……?」

 

「……篠崎さん、一度距離を取るわ」

 

 綺咲の詰めた声音と共にジャランゴが険しい雪原を蹴ってカイから距離を稼ぐ。キャロルと共にジャランゴに掴まれた有栖は、もがきながら問いかける。

 

「何で! 何でなんです! カイさん!」

 

「……黙って。ああ、そうか。……わたしもこっちに戻ったから、なのかな。アリスさん、今、間違いなく言える事がある」

 

「カイさん……?」

 

 すっと指先が向けられる。殺意を絞った眼差しが注がれ、有栖はぞっとするほどの悪寒に襲われていた。

 

「――篠崎有栖さん、あなたがここに居ちゃ、いけないって事が」

 

 カイの照準の絞り方は的確だ。地面に舞い落ちた雪を触媒にして、瞬時にジャランゴの逃げ場を塞ぐ。その上でささくれ立った氷結の華を振り注がせていた。このままではドラゴンタイプを持つジャランゴは継続ダメージを受けるだけではない。

 

 せっかくGIG隊員の皆がここまで繋いでくれたのに、全滅の憂き目に遭いかねない。

 

「……カイさん! 何で……! 何でそんな事……!」

 

「思い出したの。わたしの存在意義。そして、篠崎有栖さん、あなたの存在意義も」

 

「あたしの……?」

 

「ああ、何で……忘れちゃっていたんだろう。こんな大事な事、絶対に忘れちゃ……いけなかったのに」

 

 心底悔恨するかのような言葉の後に、氷結の息吹が吹き荒ぶ。ここまでの凍結範囲を遺恨なく発揮する能力は、間違いなくカイが敵と判断した標的を潰す時の仕草であった。半年間も一緒に居たのだ、嫌でも分かる。

 

「……有栖! それにヒメも!」

 

 割って入ったのはタルップルを繰り出した兎真であった。厚い脂肪に包み込まれたタルップルによって風圧が遮られ、何とか自分達は作戦を立て直す暇が与えられる。しかし、カイは氷結能力に関してで言えばエキスパート。当然の事ながら長くは持たない。

 

「……兎真さん! ……カイさんは、もしかして……」

 

「分かんない。ハートの女王の“感情”を司るとやらの能力がここまで有効だとして……カイは現地人だから適応内なのかもしれない。あーし達が何ともないのはギリギリってところかも……」

 

「退いて、兎真さん。わたし……あなたまで殺したくないの」

 

 カイは一歩ずつ、雪景色に踏み入ってくる。足元の野花が凍て付き、直後には砕け散る。

 

「……早谷兎真。ここはあなたに任せるほかなさそうね」

 

「……綺咲ちゃん……? けれど、カイさんは……」

 

 綺咲はその問いかけに頭を振る。

 

「……こういった事態が想定されていないわけじゃなかった。私達の手持ちは全員、ドラゴンタイプ。純氷使いとしては最強格のカイと潰し合えば、ハートの女王の下まで辿り着けないわ」

 

「……だろうねぇ。ま、それも込みで、ってところかな。有栖!」

 

 不意に兎真に呼びかけられて顔を上げたところで、頬っぺたにキスされる。呆けたようにしている自分に、兎真が手を振る。まるでちょっとした悪戯の後のように。

 

「……またね! あーし、有栖のコトも結構、好きになってきたところだったかも! それと……ヒメ」

 

「……何よ」

 

「……ここまで来たんだからさ。ケリ、つけなよね。あんたの因縁なんでしょう? なら、ちゃんと清算しなよ――綺咲」

 

 これまで一度も名前で呼ばなかった綺咲の名前を呼んだ途端には、その背中が急速に離れていた。

 

「……言われるまでもないわ。ジャランゴ!」

 

 ジャランゴの脚力で有栖はカイと兎真の戦場から引き剥がされていく。

 

「綺咲ちゃん! 兎真さんは……でも、だって……! まだ……!」

 

「余計な事をしている場合じゃないわ。体力を温存して、ハートの女王を討つ。それ以外に……それ以外の生き方なんて、私達にはないもの」

 

「でも……でもぉ……っ! 兎真さんは!」

 

「言わないで! ……言わないでも、分かるわよ……」

 

 綺咲の声音が震えている。その顔を見せてはくれなかった。ともすれば、涙に暮れる事もあったのだろう。あるいは自分には及びもつかない、二人の間にだけ降り立った了承もあったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、既に賽は投げられたのだ。

 

 ここまで来て、おめおめと逃げ帰るなんてあってはならない。

 

 だから、必要な訣別なのだと、そう判断出来ればどれほどによかったであろうか。

 

「……だめだよ。必要だとか、不必要だとか……そんな言葉で……あたし。あたしもぉ……っ! 兎真さん! 大好きでした!」

 

 最初は憎んでいた、殺したいほどに。それなのに、この半年間で特別な関係性になっていたのだ。その絆だけは紛れもない事実。

 

 兎真が振り向かずにサムズアップを寄越す。

 

 それが最後であった。

 

 降りしきるみぞれが灰色の景色を見たし、やがて何も見えなくなった。

 

 

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