断じられた論調と共に地面から突き立った凍結の棘が兎真へと襲い掛かる。駆け出す事でそれを封じたかに思われたが、進行先で待ち構えていたのは無数の鋭い氷柱であった。兎真は咄嗟に右腕を翳し、それらを受け止める。無論、GIGの隊服であったとしてもダメージは完全に消し切れない。隊服に根を張った氷が一瞬にして腕の体温を奪い、壊死させようとしたのが伝わって兎真は叫ぶ。
「Gの力で叩き落して!」
アップリューによって完全に根を張られる前に氷柱は砕かれるが、それでも凍傷のダメージは消し切れない。こういった時に、冷たいのではなく逆に死ぬほど熱いのだと実感しながら、兎真は足を止めてしまった下策を呪う。
「グレイシア、瞬間凍結……」
「カミツオロチ!」
カミツオロチが狙ったのはグレイシアではなく、カイ自身であった。ここで下手に狙いを逸らさず、一気呵成に決めようとした兎真であったがカミツオロチの渾身の「気紛れレーザー」は標的を見失って空を裂くばかり。
「……やられた! 氷結領域を操って、蜃気楼みたいなコトを……!」
「そこまで分かっているのなら、この距離も想定内だよね」
カイの躯体が真正面に迫る。その細腕から想像出来ないほどの膂力で兎真は吹き飛ばされかける。GIGでの訓練にて対転生者との直接勝負にもつれ込んだ際に格闘術くらいは叩き込まれている。一気に踏み込み、背負い投げを決めようとしたカイへと兎真はアップリューに急降下させてその後頭部を狙う。
首を逸らし、その上でグレイシアの放つ凍て付いた風がアップリューを嬲るが、それでも主の危機となればアップリューはその翼を押し広げて「アクロバティック」の動きでグレイシアを翼で叩く。
背負い投げが不完全に終わり、兎真もカイの足を引っ掻ける。大外刈りの一撃で沈めようとしたが、カイの足腰は見た目よりもよっぽど頑強だ。互いに決め手に欠けたまま、飛び退っていく。
「……転生者を始末するのにはアルセウスフォンを破壊するのが最も手っ取り早い。……うん、ここまでの戦いに裏打ちされた、最適解だね」
「……厳密にはアルセウスフォンは……いえ、言うべきでもないわね。いずれにせよ、早谷兎真さん? もう手は割れたんじゃないの? 三体のポケモンを揃えてもわたしのグレイシア一体墜とせない。それどころか、情勢はマズいと思うけれど?」
悔しいがカイの言う通り。氷結の世界は時間が経つほどに相手の強固で盤石な戦法を加速させる。このままでは同等以上で立ち向かう事でさえも不可能となるだろう。
「……ねぇ、けれど一個質問。有栖を殺せたとしてさ。何で、急にそこまで思い切れるの? そこまでして、有栖を始末したい、その思惑の先は何?」
カイは一拍の沈黙を差し挟み、そして諦めたように口にする。
「……知る必要はない、と言いたいところなんだけれど、あなた達はここまで来た。ここまで来れてしまった。それが答えじゃ、駄目?」
「答えになってないよ。あーし達がハートの女王を討とうとしなければ、こんな悲しい結末には成らなかったって言うの?」
「……事実、その通り。わたしも……あなた達と一緒にここまで来なければ……無知蒙昧なままあの地獄のような現世に居られたのに。ううん、これも違うね。地獄はいつだって傍にある。鏡面界の、真の意味は……」
「悪いけれど、悠長に会話もしてられない。次で墜とす」
「やれるの? わたしは既に必勝の陣形を描けているのに」
その声と共に氷の植生が地面より浮かび上がる。兎真が仕掛けておいた「グラスフィールド」を上書きする形で、氷の園が形成されている。
「……雪の華……」
「せめて、美しく散って。それがわたしの願い。そうだよね、グレイシア」
グレイシアから放たれる氷結の誘いに、兎真はここで出し渋っても仕方がないとタルップルに命じる。
「タルップル、リンゴ酸!」
「無理。酸性の雫でさえも、全て凍て付かせる」
その言葉通り、「リンゴさん」は実行されたのに気化する前に凍り付き、全ての運動を静止させる。氷の前では、どのように速く動こうとも、あるいはどのように策を巡らせようとも無意味。だが、兎真の目的はタルップルがまだ動けるのかどうかを確認する事だ。
「タルップル! その肉体で氷を一時的でも遮れるよね?」
タルップルが鈍く吼え、その躯体を進ませる。それは兎真にとって千載一遇の好機。僅かに逸れた氷結の一直線の道を塞ぎ、そして次手を講じさせる。
「アップリュー! 飛ぶよ!」
鋭く鳴いたアップリューの鉤爪を掴み、兎真は中天に躍り上がる。
「……無策だよ。せっかくタルップルの肉体の障壁で氷を防げたのに、むざむざ上がってくるなんて。グレイシアもわたしも、それを見逃すわけがない」
カイが指鉄砲を形作る。狙いを定め、その照準が宙を舞う自分を捉える。まるで心臓を鷲掴みにされたかのような、冷たく鋭い殺気。一ミリの迷いもない。否、だからこそ。
「……そうしてくるのは分かっていた。カイなら、今のあーしを狙うはずだって」
「最期の言葉はそれでいいの? もっと上等な死に文句はあったんじゃないの?」
「いや、これで……いい!」
「そう、なら……さようなら。兎真さん、わたしは……こんな今際の際に言っても信じてもらえないだろうけれど……結構みんなと居るのは、嫌いじゃなかったよ。でも、終わりだね」
グレイシアが溜め込んだ極低温の「れいとうビーム」の収束。その一射で全てを決しようと言うのだろう。兎真にはカイの持つ、誇り高さと同居するその身に宿った悲しみを見据えていた。この一撃は、本心から切なく思っているはずなのだ。だから、こんな言葉を弄する。
そして――そんなだから、自分の切り札に気づけない。
「……カイ。戦闘中に注意を逸らしたのは間違いだったね」
「何を……浮いているだけの敵なんて目を瞑っていても当てられる。グレイシア、冷凍ビーム――最大出力――氷舞!」
瞬間凍結の最大閾値である名前を冠する一撃を紡ぎ上げ、カイのグレイシアは迷いなく、そして外す事なく自分を射抜くかに思われた。
その直前、カイが違和感に気づくまでは。
「……待って。一体、足りない……?」
やはり、カイほどの転生者ならばギリギリで勘付いたか、しかしもう遅いと兎真は転がしていたモンスターボールに視線を振り向ける。
氷結が激しく降りしきる中で、タルップルを壁にした際に一度ボールに戻し、そしてアップリューで飛び立つ際にその風圧を利用して一手ずつ、着実に近づかせていたモンスターボールに収まった自分の最後の策は、しかしここで発動する。
「グラスフィールドの芽吹く植物を、無効化する技じゃなくって助かった。その上書きだけなら、植物はまだ生きている。そして、葉っぱに巻かれて……グラススライダーによって少しずつ、カイの傍まで運ばれてきた」
「……まさか!」
氷の雫が凍て付く中で、地面より芽吹いた植物の生命の息吹。それがモンスターボールを運び、そして今、自然現象でしかない最後の一手が結実する。
一凛の花から舞い落ちたモンスターボールの緊急射出ボタンが押し込まれ、兎真の操るポケモンが繰り出される。
「カミツオロチ。距離があったからさっきは当たらなかったけれど、この距離なら外さない……!」
カミツオロチが氷の逆巻く暴風の中、果実の躯体から無数の頭部を引き出させる。
「……タルップルで一時的にわたしの視界を隠したのは、飛んで逃げるためじゃない。いや、そもそもそれ以前に……カミツオロチを戻した事でさえも……気取らせなかった……?」
「ケンカになると、やっぱりどれだけ冷静でもお互いに頭に血が上っちゃうもんねぇ?」
超至近距離で背負い投げと大外刈りに持ち込んだ事でさえも――全て計算内。如何に優れた転生者であろうとも、一度にそこまでの状況把握は出来ない。加えてアルセウスフォン狙いなのだと分かれば、自ずとアルセウスフォンを守るための動きになる。
「……全部、計算づくで……? そんな高度な事……」
「知ってるでしょ? あーしはこんな見た目でも、割かし頭はいいほうなんだ」
カミツオロチが青い光芒を放とうとそれぞれの顎を開く。カイは咄嗟にどちらかを選ばなければいけないはずであった。
高空に位置取った兎真本体か、それとも至近距離まで差し迫ったカミツオロチの迎撃か。一刹那の判断の間合いを制するように、カイはグレイシアの矛先をカミツオロチに向ける。
「……グレイシア!」
「カミツオロチ! 気紛れ――レーザァーっ!」
「冷凍ビーム・氷舞!」
眼前で弾ける「きまぐれレーザー」と「れいとうビーム」の充填された光。双方の威力がこの場に生い茂った氷の植物を吹き飛ばし、雪原に大きな洞を開ける。あまりに高威力の技の相殺減少であったせいか、雪景色が溶解して屈折現象が起こっている。
カイがその状態から持ち直すのと、兎真がアップリューに掴まったまま急降下したのは、ほぼ同時。
「グレイシア! もう一度、冷凍ビームを!」
「そんな簡単には……撃てないじゃんね?」
アップリューの翼が風圧を生み出し、カイの手前の空間を巻き上げる。どれほど研鑽を極めた人間であろうとも、ゼロ距離でのポケモンの巻き起こす旋風からは逃れられない。カイが戸惑いを浮かべたその時には、兎真は思いっ切り踏み込んでいた。
「ま、待って……!」
「待つわけないし!」
飛び掛かり、その首筋に沿えたのはアルセウスフォンである。カイも即座に対応し、お互いに首筋にアルセウスフォンを突きつけた状態で雪花の草原に押し倒す。
「……参ったな。これが現世で言う、王手って奴なのかな」
「まぁ、チェックメイトって言ったほうが正しいかな? いや、どっちでもいいか。……この距離じゃ、さすがのカイでもどうしようもないっしょ」
「……そうだね。殺すのなら、殺せば……」
「その前に。あーしは……さっきカイが言ったようにさ。“知識”なんて要らないものを持っているせいで、ややこしいったらないんだ。こんなの、要らなかったのにさ。“知識”を持つがゆえに、どんな相手と出会っても、どんな奴と戦っても、想定の範囲内で収まってきた。けれど、有栖だけは違う。有栖だけは……想定外の部分で、あーしの無用に肥大化しただけの“知識”を遮ってきた。……答えてよ、カイ。有栖は何?」
「……ここで答えない、なんていう選択肢は……ないんだよね」
アルセウスフォンを首筋に沿わせる。覚悟を決めた眼差しを投げていると、カイは水晶のように透明度の高い瞳で応じる。
「……恐らくは、願いの結晶。転生者の目指す先……。翡翠ツバサさんと戦った時に、もっとハッキリと分かるべきだった。キャロルの形となったアルセウスコスチューム、その意味を」
わざとはぐらかされているのが分かっていた。否、“知って”いた。カイの口から聞くまでもなく、有栖の正体も。そして綺咲の真の目的も。
「……ねぇ、ヒメは……。何でこんなコトになっちゃったんだろうね。あーしだけ、“ゲーム”の範疇の外で生きていくのは……正直、参ったし、ヒメのひたむきな在り方をずっと見続けるのは……キツかったよ」
「兎真さん。もう、終わりにしましょう。わたし達は……とっくの昔に」
「うん、でもさ。……やっぱり嫌なんだ。友達を殺すのは……嫌なもんなんだよ」
憔悴した自分の声にカイがハッキリと、それでいて力強く告げる。
「……わたしみたいなのでも友達って言ってくれるんだ。優しいんだね、兎真さん」
「やめてよ。決断力がないだけなんだから」
「そう……かなッ!」
不意打ち気味の蹴り払いを兎真は飛び退って回避し、それから互いに鏡合わせのように腰だめに構えたアルセウスフォンを突き出す。
「カイ!」
「兎真さん!」
お互いの声が弾け飛び、氷雪の園で決着の幕が下りる。アルセウスフォン同士は衝突し合い、双方共に液晶に皹が入る。途端に薄らいでいく全ての感覚。アルセウスフォンを壊された転生者は例外なく失格となる。
「ああッ!」
声を迸らせてアルセウスフォンを掲げて飛び掛かる。カイは軽く身をかわしてから、こちらの足を引っ掛けてアルセウスフォンで頭蓋を割ろうとしてくる。
本来なら、もっと高尚な技や技巧の応酬となるはずであった自分達の終点は、もつれ合い縋り付くかのように情けない。お互いに足を引っ張り、白の草原で転がり合って、そしてお互いを憎み切れずにこうしてアルセウスフォン同士をぶつけ合う。
意味なんてないのに。
恨んだところで、憎んだところで――どうせ、誰かを一方的に悪者には出来ないのだ。コウジも、GIGの隊員達も、この日まで殺してきた転生者達も、誰一人として善でも悪でもない。
そう、この狂乱の“ゲーム”に、最初から勝利者なんて居ない。それが経験則でもなく、予感でもなく、兎真は“知識”なんてどうしようもないもので理解出来ている。理解してしまっている己が、最も恨めしい。最も酷で、最も卑しいのだろう。
分かっているのなら、もっといい道筋があった。分かっているのなら、もっとマシな境遇もあったのに。選べたのは、この最終局面でしかない。
ぜいぜいと息を切らし、泥と雪に汚れた相貌を晒しながら二人してアルセウスフォンを突き出す。絶対的な弱点であるはずのそれを突き付け合い、事ここに至って最早これ以上の解決策など存在しないのだと嫌でも理解される。
「……一個、いい? ……こういうギリギリの戦いでもさ、恨みっこなし、ってのは最後まで続けていこうじゃん」
「……兎真さん。わたしは……わたしはもっと……いい手立てを取れたのかな? アリスさんや綺咲さんを裏切らずに……もっと、冴えたやり方を……」
「そんなの、分かるはずないじゃん。……うん、分かるわけ、ないんだ。そんなもの」
如何に“知識”を持っていても、そんな結果が見えている勝負なんてこれまでやって来られたのならばどれほどによかったのであろうか。あるいは、たった一つの冴えたやり方を知っていても、どれほどに理解していても選ぶ最終手段は結局、こんなものなのだろう。
何故ならば、自分達は所詮少女の身でしかないし、転生者なのだとうぬぼれても、何一つ選ぶ事など許されていないのだから。
「……感じる? もう……この世界は終わりの淵にある。鏡面界……ううん、ヒスイ地方が何のためにあるのか。綺咲さんが本当に求めていたものが何なのかを」
「……ああ、うん」
遠雷が響き渡る。恐らくは、鏡面界の決着はつこうとしている。その間際で、自分達は互いに譲れないもの一つのためだけに争い合う。本当ならば、刃を向け合うなんて最も似つかわしくないはずだと言うのに。
「……わたしは……わたしはシンジュ団! そのリーダーのカイ! だから……そんな意味しかなくっても……戦う!」
「……それこそ、いい選択、だね」
言い終わるなり互いに駆け出す。アルセウスフォンが振るわれ、その瞬間、自分達の世界は終わりを告げるはずであった。
それにしても、氷結の華が舞い、命の芽吹く相克するこの景色は、どこまでも――。
「……どこまでも……綺麗なんだなぁ」