泣きじゃくる顔を、見せたくはなかった。だが、射程圏内から完全に離れた事を関知してからジャランゴから降ろされた時、有栖はさめざめと面を伏せて涙するほかなかった。
「……何で……何で、カイさんと兎真さんが……」
「ハートの女王の支配領域よ。気を張り直しなさい」
「でも! でもぉ……っ! 綺咲ちゃん……!」
必要な犠牲であったと割り切る綺咲の相貌には涙一つもない。それどころか、決意の光でさえも湛えた緋色の瞳には、遂行すると言う絶対的な意志を浮かべさせている。
「……分かってなんて言わない。けれど……早谷兎真がああ行動した、カイがああするしかなかった、と言うのは……分かりなさい」
その拳が震えている。綺咲でも飲み込めない事態なのだ。ならば、自分のようなただの転生者に過ぎない一少女が口を差し挟んだところで仕方がない。何よりも、綺咲の中には兎真との思い出があったはずだ。自分よりも、よっぽど。
「……おかあさん……?」
「……うん、ごめんね、キャロル。……泣き虫なおかあさんで……ごめん……」
それでも、涙が止まらないのだ。ここまで信じてきた絆が、不意に砕けたのだからショックを受けないわけがない。
「……行くわよ」
綺咲が歩み進む。雪景色は消え去っていた。巨大な山一つ分を挟んだ、なだらかな大地の中央に、まるで不意に湧いた文明の痕跡。
遺跡の一部が点々と転がっている、そんな文明圏の中枢に据えられているのは、空っぽの玉座である。
「……遅かったじゃないか……」
大地が煤けている。大規模な火災の焼け跡の中心で、一人の黒々とした人影が振り返ろうとする。
「……ノックス兵団長――」
その声が霧散すると同時に、ノックスの肉体は明滅して消え去っていた。そこに生きていた証もなく、ノックスの死した後に居残ったのは現世で調達したキーストーンのバングルだけ。
「――ようやく来たようじゃのぅ。待ちくたびれたぞ? “影”よ」
玉座で杖を握り、今もまた荒廃した灰色の風に塗れてこちらを睥睨するのは、綺咲と同じまばゆいばかりの緋色の瞳――真の支配者、女帝。
「ハートの女王……あれが……?」
幾度となく地上制圧作戦の際、顔は見てきたはずだった。支配のために何度も映像資料で目にしたはずだったハートの女王の姿かたちは、綺咲と瓜二つ――そのはずであったのに、直視した印象はまるで違う。
まるで、見た目だけ取り繕った、精緻な人形細工のように。
同じ人間とは思えない。
「……篠崎さん。一気に決める」
「けれど、綺咲ちゃん……。相手はまだ、ポケモンを出しては……」
「出される前に、ケリをつけるって言っているのよ。……ここに来るまでに死んでいったみんなに、報いるために」
綺咲は既に覚悟をしているのだ。ここで自分達が潰えてしまえば、皆の犠牲が無駄となる。それだけはあってはならないと、心に強く決めて。
モンスターボールをホルスターより引き抜き、綺咲はジャランゴを再び繰り出す。
「来るか。しかし……どうにも上手くいかぬものよのぅ。もっと最適解があったじゃろうに。ノックスもうぬも、分からぬ事をする。死ぬと分かっていて、妾に向かって来るとは」
「それは……! それはあなたにだけは、一生分からないわよ」
「そう怒るな。妾とて、分からぬ事もあろうに」
綺咲の怒気を宿らせた声音に、ハートの女王は軽くかわすように声にする。しかし、まるで瓜二つでありながらその口元に宿らせた不敵な笑みと、そしてまばゆい緋色の瞳に纏わせた邪悪さだけでここまで違うものなのかと有栖は震撼する。
「……ここで殺すわ。ハートの女王。だからこそ……ここまで温存してきた」
綺咲がアルセウスフォンを強く握り締める。輝きが纏いつき、ジャランゴの躯体がさらに一回り大きく変化していた。王族のような冠を想起させる鶏冠と、黄金色の表皮、そしてさらに鋭く険しくなった肉体は一段階上の生態系を示している。
「――ジャラランガ。私の……ポケモン」
「最終進化で来るのは良し。さて、ではどうしてくれる?」
こちらを試すようなハートの女王の物言いに、綺咲は侮蔑の眼差しを据えていた。
「終わらせるわ。篠崎さん」
「う、うん……っ! あたし達が、決着を――」
構えようとした有栖は不意に振り向いた綺咲の相貌に映し出された意味合いを理解出来なかった。最終決戦の前にお互いの眼差しくらいは確かめたいのか、と思った刹那、声が差し挟まれる。
「……ごめんなさい」