ぱちん、と指を鳴らされた直後、ウルトラネクロズマの行動は静止していた。否、ウルトラネクロズマだけではない。
この場に居る全員の生態現象が、時間が止まっているとしか言いようのない現象に晒されている。ハートの女王は辛うじてその行使の前に“感情”の権能を使ったが、それでもギリギリだ。
「……なにが、おこった……?」
言葉が唇から漏れる事でさえも、不可思議に過ぎない。
今に放たれようとしていたウルトラネクロズマの熱反応が――疑いようもなく完全に停止している。
それだけではない。
転生者達も、誰もが呆けたように硬直していた。その中で、唯一動けるのはメガセグレイブとその主の有栖のみ。
「……きさまぁ……なにをした……!」
舌が上手く回らない。それもそのはず、舌の根が凍り付いている。呼吸器が上手く動作しない。
「ウルトラネクロズマの攻撃の基本原則は、光エネルギー。それは一見すると、尽きないように思えるけれど、逆にそれが光であるのならば、完全に静止する温度がある」
講釈を垂れる有栖が一歩一歩、まるで死神の足音のように歩み寄ってくる。ハートの女王は反撃が出来ない。それどころか、下手に反論も不可能だ。
「……なんだと……?」
「光はとある状況下なら、そのエネルギーを完全停止させる。それこそが――絶対零度。-273.15℃の極点まで冷やせば、光エネルギーを触媒とするネクロズマは、体内で循環不良を引き起こす。これまで蓄えてきたエネルギーが枯渇し、ウルトラネクロズマの形状を保てなくなる」
その言葉の証左のように、ウルトラネクロズマの躯体が薄くぼやけていく。それどころか始まったのは自らのエネルギーを循環出来ない不出来な姿であった。形象崩壊が始まり、光がじわじわと逃げ去っていく。
その好機を、逃さずに水の糸が張り巡らされていた。
「有栖ちゃん、私は“ゲーム”で殺された事を恨むつもりはないし、こういうのってお互い様よね。だから……手伝ってあげるわ。オニシズクモ! アルコスの第三権能を使用し、この場に居る全転生者を行動可能にする!」
ツバサのアルコスが白光を拡散し、硬直していた全員を解放する。オニシズクモの纏っていた水流がウルトラネクロズマを拘束し、四肢から力を奪い去っていく。
「……き、さま……ッ!」
「吸血。オニシズクモによって光エネルギーを少しでも霧散させる」
それだけに留まらない。ウルトラネクロズマが動き出す前に、円弧を描きながらポットデスを交錯させ、着弾するなり鈴なりに爆発する「シャドーボール」を掃射したのは霧子だ。
「シャドーボール。私のポットデスの連携力なら、ウルトラネクロズマの眼を隠す事だって出来るわぁ……」
「こ、やつら……!」
ハートの女王が凍て付く冷気を前に行動を起こす前に、天高く電撃のギターを掲げたストリンダーが視界に入る。
「オーバー――ドライブ!」
電撃一閃がウルトラネクロズマの体表を斜に叩き割っていた。通常ならば全て熱エネルギーと光に変換してみせるネクロズマの機能が全て封じられている。
有栖のメガセグレイブが、体内で生じる細胞規模での器官を完全に静止させ、その権能を奪い去っているのだ。
「ふざ、け……!」
「アップリュー! Gの力!」
重力磁場が拡散し、ハートの女王はここに来て初めて、思わず膝をつく。その屈辱に激昂する前に、タルップルとカミツオロチの交差する技が撃ち込まれる。
「リンゴ酸と水飴ボム!」
高酸性の「リンゴさん」の津波に抱かれたウルトラネクロズマの表皮が溶解し出す。それだけではない、溶け落ちた部位を触媒にした「みずあめボム」が爆散し、ウルトラネクロズマの体表が見る見る間に削られていく。
「……ばか、な……!」
声が出ない。
本来ならば、ウルトラネクロズマは無敵のはず。だと言うのに、こうもただのニンゲンに――転生者に蹂躙されている。
「ヌメルゴン! ヘビーボンバー!」
妙子がヌメルゴンを操り、下方から思いっ切りアッパーを撃ち抜かせる。ウルトラネクロズマと同調に達したハートの女王の視界がぶれる。網膜が割れて、脳髄を激震される。
ウルトラネクロズマが咆哮しようとして、その額を射抜いたのは一筋の氷の氷柱であった。
「グレイシア……わたし達にも出来るよね……?」
「こ、のぉ……っ!」
突き刺さった氷柱が根を張り、瞬時にウルトラネクロズマの体内循環する光の血流を凍らせていく。メガセグレイブだけではない。この使い手も「ぜったいれいど」が使用出来る相手なのだ。
ウルトラネクロズマのその無敵な黄金の躯体がじわじわと黒ずんでいく。
その光に翳りなどあるはずがないのに、外側と内側の両面から凍らせられ、無様にくすんでいく。
「がまん……なるかぁ……っ!」
ハートの女王はウルトラネクロズマに命じようとして、眼前に立ち現れた綺咲のジャラランガに目を瞠る。
「――砕けなさい。スケイルショットからの、インファイト!」
ジャラランガが表皮を擦り合わせ、無数に分裂させた殻を打ち出すと共に、それらを打撃して連続攻撃の応酬とする。「インファイト」のゼロ距離で放たれた強烈なラッシュによって、ウルトラネクロズマの頭部に亀裂が走る。あり得ざる、光の収斂器官のひび割れに、ハートの女王は思わず声にしていた。
「や、やめよ……。それいじょう、は……」
綺咲のジャラランガは止まらない。何度も何度も殴打でウルトラネクロズマを叩き伏せ、そしてその鉄拳がウルトラネクロズマの黄金の頭蓋を叩き割っていた。
砕け散った器官より、光が拡散する。まるで血潮のように迸る光体に、ウルトラネクロズマが絶叫していた。
世界を割りかねないほどの断末魔が上がる中で、ハートの女王は転生者達の最奥に控えている有栖のメガセグレイブを見据える。
全ての事象が遅れを取る中で、メガセグレイブが凍結の呼気を吐き出し、自らの躯体に推進剤のような冷気を帯びる。
「……行くよ、メガセグレイブ……! あたしの放つ、最後の技は――」
これを看過すれば、自分もウルトラネクロズマも完全敗北する――その予感にハートの女王は己の中に眠る権能を絞り出す。
「ふざけ……っ、ふざけるなよ、愚昧共が……! 終わらせてくれる……! 焼き尽くせ! プリズム――レーザァー――ッ!」
放たれた領域は鏡面界を包み込むほどの射程距離であった。
それどころか、ウルトラネクロズマから放たれた光は一つとして、乱反射しない。全て直進で放った「プリズムレーザー」の威力は通常時の拡散に比すれば、数百倍にも及ぶ。
間近で太陽が爆発したに等しい、超新星の力の発露は目の前の転生者達を確実に葬るかに思われた。
中天より降り立った雷撃のような――アーゴヨンの一撃を見るまでは。
「……きさま、チェシャー……」
「ハートの女王。……貴女には感謝しております。わたくしに、“感情”を与えてくれたのは翻って見れば貴女。……この世界を、美しいと思わせてくれて、ありがとう……!」
アーゴヨンの針の器官が深く食い込み、狙いを絞ったはずの「プリズムレーザー」の一条の閃光は遥か彼方の山脈を貫く。
巨大な岩礁が舞い上がり、テンガン山に半月型の孔を穿つ。
それと有栖のメガセグレイブが技を放ったのは、ほぼ同時。
「――巨剣、突撃」
メガセグレイブが加速し、凍て付く焔を吐き出して推進力へと変じさせ、その姿を認識した直後には、全てが決していた。
「……ネクロズマ……が……」
ウルトラネクロズマの首筋にメガセグレイブが着弾する。
その直後にはまるで堰を切ったような光が溢れ出していた。完全に頸動脈を貫かれた形でのウルトラネクロズマの躯体が傾ぎ、その光の血潮を撒き散らしながら絶命する。
それはハートの女王に至った傷痕と同じであった。
「……あ、……?」
首筋に一筋の刀傷。
ウルトラネクロズマとほぼ同調に等しい状態に至っていたがための、ダメージフィードバック。ハートの女王はかっ血しながら、その場に蹲る。
舞い降りたのはチェシャーであり、ハートの女王の最期の景色は彼女であった。
「……そう、か。ころした、とおもっておったが……いきておったとはな。これも……うらぎり、か……」
「ハートの女王。貴女の治世は、終わるのです」
くっくっ、と腹の底から笑いが出てくる。
「ちせい、といったか? それもこれも……なにもかも。おわ、りよ……。おわりとは……ああ、しずかなもの……じゃな……」
鏡面界を力で支配していた“感情”の女帝に寄り添う者は存在せず、孤独にこの闇の中に沈んでいくのだ、と思った矢先、ハートの女王は手を繋ぐ体温を感じ取る。
「……だ、れ……」
「ハートの女王。……あなたは綺咲ちゃんの……心残り。十二年前に……綺咲ちゃんのたった一つの悔いを触媒にして生まれた……ささくれのような存在。だからこそ、言うよ。……もう、がんばらなくってもいいんだよ」
その言葉は意想外であった。
呪いの言葉でも吐かれるのかと思っていたハートの女王は、ああと満足と安息のうちに瞼を閉じる。
「……いい、ゆめであったな、“アリス”……」