ALICE   作:オンドゥル大使

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第13話 心の『隙間』

 

 誘われたのは新都心の中でも奥まった場所にある無人テナントのビルで、少し気圧されたところを少女が笑う。

 

「……大丈夫よぉ。オバケなんて出ないんだからぁ」

 

 扉を開けるとつい今しがたまで人が居たかのように書類が山積しており、オフィスのようであったが異質なのは忽然と人が消えたとしか思えない様相だ。

 

「……ねぇ、有栖……。あの人、怪しいって」

 

「うん……それはあたしも分かるけれど……」

 

「ちょっと、二人とも。ひそひそ話をするんなら、もうちょっと声のボリューム下げなってば。……それにしても、あの子の周りを漂っているのは……」

 

 ティーカップにしか見えないポケモンが宙を舞い、少女は最奥の執務机の上に胡坐を掻く。

 

「……で、ここが私のアジトってわけなんだけれど、あなた達、全員が転生者?」

 

「あ、いえ……あたしだけが……」

 

「ふぅん……。じゃあ、まぁ、改めて。私の名前はオカルトマニアの赤沢霧子。転生者よぉ」

 

 手を差し出した霧子と名乗る少女に有栖はおずおずと応じる。

 

「あ……篠崎有栖……です」

 

 その手を取りかけたところで幸子が遮るように声を発する。

 

「ねぇ、待って。……あんたも転生者だって言うんなら、有栖を不意打ちで……とか思ってるんじゃ……?」

 

 それは考えが及ばなかった有栖は思わず手を引っ込める。すると霧子は肩を竦めていた。

 

「その認識が正しいわねぇ。あなた、転生者じゃないって言ったのに戦闘向きじゃないのぉ」

 

「有栖よりかはめでたくないってだけよ。……有栖、気を付けて。ここがアジトだって言うんなら、罠の一つや二つ……」

 

「ここまで入っておいて、今さらぁ? ……ま、でもそう思われても不思議じゃない、かぁ。けれど、ダイマックスポケモンに勝てもしないのに立ち向かうなんて無謀よぉ? 何であんな真似をしたのぉ?」

 

「そ、それは……。イニシャライズされるポケモンを先回りすれば……被害が防げるかもって……」

 

「志は立派だけれどぉ……そんなで勝てると思うのも間違いよぉ?」

 

「……そっちだって、隠している秘密の一個や二個はあるんじゃないの? ポケモンを六体も持っているのなんて反則じゃない……!」

 

 幸子の抗弁に霧子は糾弾される意味が分からないとでも言うように首を傾げる。

 

「ポケモンの所持制限はないのよぉ? まぁ、それでも一般に使える個体数は六体までだけれどねぇ。鏡面界に捕まえに行かないと基本的には捕まらないしぃ。鏡面界には知っての通り、トランプ兵団の眼がある。何も持たずに踏み込むのも自殺行為よぉ?」

 

 どうやら霧子は自分達よりも経験則があるらしい。それに、先ほどから気になっているのはアルセウスフォンに浮かび上がるチェシャーの存在だ。

 

「……チェシャーは一人じゃなかったの?」

 

『わたくし達は転生者の数だけ存在します。受付嬢ですので』

 

「……ポケモンの所持制限については? 何で教えてくれなかったの? 六対一じゃどう考えても不利じゃないの」

 

『聞かれませんでしたので』

 

 幸子の言葉にチェシャーは淡白に応じる。本質的に、そうだとしか思っていないとでも言うように。

 

「安心してってばぁ。私の使うポケモン……ヤバチャは基本的に同じポケモンのようなものだし。個体ごとに使用する技に差異は設けているけれど、一人の転生者が使える範囲なんてたかが知れているわ。ほとんどの転生者は一人につき一体のはずよぉ」

 

 しかし、霧子は読めない笑みを浮かべるばかりで幸子にしてみれば警戒心はマックスのままらしい。

 

 その手が有栖の袖を必死に引いている。きっと幸子だって怖いはずなのだ。サナギラスのせいで、傷ついた人間ももっと言えば死んだ人間だって居たかもしれない。それに、自分とセビエだって戦い続ければ敗北していた可能性も高い。

 

「……その、タイプ相性って言うのは……」

 

「単純なものから複雑なものまでねぇ、ポケモンにはタイプによる相性が存在するのよぉ。炎は草に強く、草は水に強く、と言うように。アルセウスフォンを握って探れば簡単に分かるはずだけれどぉ?」

 

 再び幸子の追及の視線がチェシャーに飛ぶ。

 

『聞かれませんでしたので』

 

「……だとして。えっとぉ……赤沢さんは……」

 

「霧子、でいいわよぉ。転生者同士、あんまり反目し合うものでもないと思うのよねぇ」

 

 微笑む霧子に、有栖は当初に感じていた脅威は考え過ぎであったのだろうか、と思案する。

 

「その……じゃあ、霧子……さんは、この“ゲーム”に関してあたし達よりもよく知っているんですか? 願いが叶うって言うのは……」

 

「それは本当よぉ……。ただし、チェシャーの言う通り、トランプ兵団を倒して鏡面界に平和をもたらさなければいけない。私もまぁまぁの歴を転生者として過ごしているつもりだけれど、トランプ兵団を舐めないほうがいいわぁ。彼らは鏡面界における現地民だからねぇ……」

 

「……一つ、いい?」

 

 ツバサが挙手したので霧子が先を促す。

 

「どうぞぉ……。答えられる範囲なら答えるわぁ」

 

「じゃあ。……転生者の、選定される条件って何なの? 有栖ちゃんが選ばれた理由も、昨日の姫宮さんが見初められた理由も、よく分からないんだけれど……」

 

「チェシャー、教えていなかったのぉ?」

 

『聞かれませんでしたので』

 

 有栖の側のチェシャーが応じるので業を煮やした様子の幸子が問い詰める。

 

「ああ、もうっ! 何だってチェシャーは聞かれないと答えないのさ! じゃあ、本題! 転生者の資格って何?」

 

 アルセウスフォンから浮かび上がったチェシャーが振り返る。その眼差しには本当にそれを聞くつもりなのか、と言う覚悟を問い質すものが読み取れた。

 

『答えてもよろしいでしょうか?』

 

 有栖は直観的にその理由を喋られるのはまずいような気がして、話題を逸らそうとする。

 

「……何らかの要因で転生者に成れるとして、あたしは鏡面界の平和も、それに現実世界に現れてくるポケモンも放っておけない。霧子さんは、どういうスタンスなんですか?」

 

 もし、転生者同士の戦いの末にある願いの成就にしか興味がないのだとすれば、ここで戦う事になるのかもしれない。しかし、勝てるのか――その疑念が脳裏を掠めたその時には、霧子はニタニタと笑う。

 

「そんな真剣な顔をして、今すぐ私と戦いたいのかしらぁ?」

 

 完全に見透かされている事に震撼しつつも、有栖はアルセウスフォンを強く握り締める。

 

「……少なくとも、幸子とツバサ姉を助けられるのはあたしだけだから……」

 

「……有栖、あんた……」

 

「いい覚悟ね。けれど、残念。私はそんな風に戦闘狂でもないから、あなた達をここで潰すのも少し惜しいのよねぇ。それよりも、転生者として、情報交換をしましょぉ?」

 

「情報交換……?」

 

「万能のアルセウスフォンでも、チェシャーでも禁止されているのは相手の転生者のポケモンのデータや作戦を予め露呈させる事。けれど、こうして目の前で相対したのならそのルールも少しは緩和されるはず。どう? 私と同盟を結ぶ気はなぁい?」

 

「同盟……ですか」

 

「今のところ、あなたの手持ちのポケモンでは少し心許ないでしょぉ? ヤバチャは手数で勝る事が出来る。そんな私と、あなたのポケモンの突破力を合わせれば、この“ゲーム”の制覇だって難しくないはずよぉ?」

 

 有栖は幸子とツバサに視線を流す。ここでの決定権は自分に投げられているようであったが、その実、選択肢は多くはない。弱ったセビエでは霧子のヤバチャ六体を相手に勝てるとは思えない。その上、情報交換はチェシャーが唯一禁止した事項だ。それを可能に出来るのならば、こちらとしてもありがたいはずであった。

 

「……有栖。情報交換、意義はあると思う」

 

「……幸子。うん、あたしもそう思う。だからこそ、交換条件が……あります」

 

「交換条件? 何かしらぁ? 他の転生者の情報なら――」

 

「セビエを……その、治してあげる事って出来ますか?」

 

 それは想定外であったのか、霧子は眼を見開いてから、やがてああと納得したようだ。

 

「……そうねぇ、確かに。治療の心得がなければポケモンは損耗してしまう。なるほど、交換条件としては有効ね」

 

 霧子はヤバチャを顎でしゃくると、空間に穴が開きそこから大量に降り注いだのはスプレー式の治療薬であった。

 

「回復の薬を十五個、これで事足りるはずよぉ?」

 

 警戒を解かずに有栖は回復の薬を繰り出したセビエに振りかける。すると、先ほどサナギラスに付けられた傷が癒えてゆき、ようやく安堵する。

 

「けれど、転生者だって言うのに、まず心配するのがポケモンの事ぉ? こんな事を言うのは酷かもしれないけれど、私達のアキレス腱はポケモンをやられる事ではなく、アルセウスフォンを破壊される事なのよぉ?」

 

「……それは……チェシャーから聞きました。アルセウスフォンを破壊されると、失格になるって」

 

 自身のアルセウスフォンを鞄の奥で握り締める。霧子の側のチェシャーは何でもないように淡白に口にする。

 

『赤沢霧子様。情報交換は基本的には禁止されております。ここでの特別協定、即ち同盟関係の篠崎有栖様にだけ、行うのがよろしいでしょう』

 

「それもそうねぇ。後ろの二人は席を外してくれるぅ?」

 

 ツバサと幸子はしかし、その言葉に譲ろうとしなかった。

 

「……冗談。私は有栖の親友! こんなところで有栖を見捨てる事なんて出来ない!」

 

「私も幸子ちゃんに同意。何よりも……その隙にポケモンで奇襲を仕掛けられないとは限らないじゃない」

 

「疑り深いわねぇ……けれどまぁ、普通の判断か。篠崎有栖さん? あなたが知っている転生者の名前を言ってもらえる?」

 

「それは……」

 

 綺咲の事をここで口走るのは、何だか不義理のようで気が引けるが、交渉だと言うのならば応じるほかない。

 

「……まぁ、知っているのは一人だけだろうけれどぉ? 姫宮財閥のご令嬢さんだけでしょぉ?」

 

「あっ……何で」

 

「ダウト。もうちょっとだけ騙し合いには強いほうがいいわよぉ」

 

 今しがたのやり取りだけでも情報を一方的に抜かれる可能性があったのだ。反省するよりも先に、幸子が抗弁を発する。

 

「優位に立っているくせに、分かり切った事を言わないでよ。……そっちは転校生が転生者だって分かっていたんでしょ?」

 

「まぁねぇ……。姫宮財閥の社長令嬢にして、随一の実力を持つ転生者。あれを攻略するのが目下のところの目的よねぇ」

 

「……綺咲ちゃんに、何かするんですか……」

 

「あらぁ? 昨日今日知り合った相手なんて、どうだっていいでしょぉ?」

 

 そういう風に割り切れても可笑しくはないのに、どうしてなのだか綺咲を裏切りたくない気持ちが増幅していた。

 

「……その、回復薬を貰ったのは……素直にお礼を言います。ありがとうございました。……けれど、それとこれとは……」

 

「話は別ぅ? ……じゃああなたはいいの? 転生者に成ったっていう事は、この“ゲーム”の参加者。いずれは鏡面界でトランプ兵団を倒し、並み居る転生者を下して最後まで生き延びなければいけない。学園都市にはまだまだ転生者が居るわぁ。それを無視して、血に染まらないまま、綺麗に生きていけるとでもぉ?」

 

「それは……」

 

 二の句が継げなくなる。転生者に関しての事はチェシャーから聞かされた限りでも、恐らくは蹴落とし合い、そして人死にが出るのは必定なのだろう。

 

 だが、せっかくポケモンを使っているのだ。

 

 もっと平和的に、もっと自分達を鼓舞しながら高め合えないだろうか――そんな考えを口にしかけて霧子に先んじられる。

 

「言っておくけれど、これは清廉潔白なスポーツじゃないのよぉ? “ゲーム”とは言うけれど、遊びじゃない。闇討ち、騙し合い、同盟、交渉事、何でもあり。だって言うのに、私と手を組むのはそんなに嫌かしらぁ?」

 

「い、嫌とかじゃ……。けれど、あたし……ウソとかニガテで……」

 

「それは見ていれば分かるけれどねぇ。分かった。じゃあ同盟関係を結んだ上で、時間を設けましょう。篠崎有栖さん。ダイマックスポケモンがどこに現れるのかは、その時々の直感のはず。今日現れたみたいな強力なポケモンだと大変な目に遭うわぁ。だから、そういう時のホットラインをねぇ」

 

 アルセウスフォンが差し出される。確かに連絡先くらいは聞いておいても問題はないはずだ。アルセウスフォンに受信された霧子の連絡先を保存し、有栖は後ずさっていた。

 

「……じゃあその……あたし達は、これで……」

 

「ちょっと待ちなさぁい……。あなた、姫宮財閥の令嬢さぁんに関して、何か特別な事を知っているんじゃないのぉ?」

 

 それは恐らく、わざと有栖を試した物言いだったのだろうが、思わず脳裏に浮かんだのは綺咲と戦う霧子の姿であった。今はほとんど忘れてしまっているが、昨晩の夢の中に出て来たのが霧子なのだとすれば自分は綺咲にとって不利益に転がる交渉をしている。

 

「……あたしはまだ、綺咲ちゃんの事を一個も分かっていませんよ」

 

 我ながら騙し合いには向いていない。そう思っていたが、霧子はそれを聞いたっきり、興味を失ったようであった。

 

「そう。……じゃあまぁ、連絡したらお互いに合流出来るようにしないとねぇ……」

 

 空きテナントの執務机に胡坐を掻く霧子に一旦会釈してから、有栖は建物を出る。

 

「……有栖。あれ、マトモじゃないってば。それに、六体もポケモンを持っているのってズルいじゃん!」

 

 表通りに出たところで発した幸子の文句に、有栖も困惑しっ放しであった。

 

「……うぅーん……チェシャー。聞かれなかったから、って言うのはなしにして、霧子さんみたいにポケモンをたくさん持つメリットってあるの?」

 

『基本的にポケモンは戦闘経験値を得て、新たな技や進化する事もありますが、鏡面界に比べて現実世界では経験値が低いようですので、無数のポケモンを持つと分散してしまいます。育成熟練度を深めるのは難しいかと』

 

「じゃあ、鏡面界に行ければ効率的にレベルが上がるって事?」

 

 ツバサの質問にアルセウスフォンに浮かび上がったチェシャーは頭を振る。

 

『鏡面界へのゲートが簡単に現れてくれればまだ楽なのですが、実際にはそれは確定しているわけではありません。昨日のようにトランプ兵団が出てくるのも稀な事なのです』

 

「でもその理論だと……。鏡面界を救って欲しいって言うのは変じゃない? 私達は現実世界からしか干渉出来ないわけなんだから……」

 

 チェシャーは沈黙する。この“ゲーム”を制するのには明らかに情報不足だ。転生者とは何なのか、そして“ゲーム”を制覇すると言う事はどう言う意味なのかを知らなければいけない。恐らく、これも綺咲に聞いたところで解決する問題でもない。

 

「……そう言えば本当に学校サボっちゃった……。何だかなぁ……」

 

 がっくりと肩を落とす有栖に幸子が肩に手を置く。

 

「まぁまぁ。あんたはそうじゃなくっても真面目過ぎるきらいがあるんだってば。一日二日休んだ程度で影響なんてないって」

 

「そうかなぁ……。ツバサ姉はどう思う?」

 

 尋ねると、ツバサはどこか茫然としていて有栖は今一度問い返す。

 

「……ツバサ姉? 聞いていた?」

 

「あっ、ゴメン……。何だった?」

 

「いや、学校とか休んで大丈夫なのかなぁって。ツバサ姉も大学があるでしょ?」

 

「……あー、うん。けれどまぁ、私はまだ気楽な学生身分だし、モラトリアムって奴なのかもね」

 

「いーなぁ……。私らはあと一年もすれば進路決めなくっちゃだし。ツバサ姉の気楽さが羨ましいー」

 

 幸子の意見ももっともではあったが、ツバサはツバサで忙しいはずなのだ。それを一概に暇だからとは言えない。

 

 もしかしたらセーフガードに見咎められている可能性もあったので、あえて遠回りしてカワセミ書店に戻った頃には夕映えの西日が射す。

 

「……何だかなぁ。この一日程度で、これまでの人生で経験してこなかった色々な事が脳内で入り混じっている感覚……」

 

 幸子がそうぼやくのも分からなくもない。有栖自身、転生者同士の戦いもどこか虚飾めいているほどだ。

 

「有栖ちゃんも幸子ちゃんも、シャワー借りて行けば? 泥だらけでしょ?」

 

「おっ! ツバサ姉ってば気が利くぅ~! じゃあ有栖は一緒に入ろっか!」

 

「え、えぇー……。幸子ってば、高校生にもなってそんなの……」

 

「おバカさん。カワセミ書店は万年赤字なんだよ? 少しでも水道代をマシにしようと言う、私なりの気遣いじゃあ、あーりませんか」

 

「……そこまで心配されるほど困窮してはいないけれどね。はい、タオル」

 

 ツバサにバスタオルを差し出され、幸子に手を引かれて有栖は脱衣所に向かう。その際、モンスターボールとアルセウスフォンは卓上に置きっぱなしにしていた。

 

 あとから気づいたが何の心配もないだろうと気にも留めなかった。

 

 ――それが過ちになってしまうなんて、この時は考えにも及ばなかったのは結局、自分は何一つ、分かっていなかったのだろう。

 

 

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